夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

戦後の欺瞞と日本国の独立の回復

2009年02月11日 | 国家論

 

戦後の欺瞞と日本国の独立の回復

日本国の長い歴史のなかで、日本国がその独立を失った期間はきわめて短く例外的である。四方を海に囲まれるという地理上の位置が幸いにして、独立を失って他民族の支配をうけるという経験はこれまでの歴史上ただ一度あっただけである。しかし、残念なことには、その日本のたった一度の従属国家、被支配国家の経験が、私の生存中の出来事だった。

あまり誰も言う者がいないので、再度言っておこうと思う。戦後六十余年、経済的にはGDPで世界第二位を占めるまでに至っているけれども、国内に外国駐留軍の存在を放置したままであるということである。自国の安全と独立を他国に、それも太平洋戦争の敵であったアメリカ軍に依存したままであること、ここに戦後日本の欺瞞性の根幹がある。

日本が軍事的にも独立を回復することなくして、国家の概念は実現せず、日本国と日本国民の欺瞞性、虚偽性、偽善的性格も解消しない。そこから文化的な退廃、国民の植民地的性格も生じる。この状況も、人間の年齢でいえば還暦を迎えて、本卦還り(ほんけがえり)を迎える歳月を経過してもなお続いている。

世界史の現時点においては、軍事力なくしては国家の独立を確保することができない。したがって、もし日本国が憲法前文の理想にいう「人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚し、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」自国の軍事力を保持しないとするならば、その理想を選択する結果として、現実においては日米安保条約によって、同じく自由と民主主義を奉じるアメリカ軍の駐留による軍事力によって、日本国の安全と平和を確保せざるをえない。しかしその結果として、自国の独立の防衛を他国に依存するという最大の退廃が生じる。そして、このことが太平洋戦争後の日本国と日本国民の虚偽、欺瞞性の根幹をなしている。この国家の独立という根幹における虚偽を放置したままにして、どのような国民教育も文化も経済的な発展も政治も真実なものではありえない。

憲法第九条擁護の原理主義者たちは、現在の世界史における国家相互間の独立と平和が軍備なくしては保証されないという現実を見ようとせず、自分たちの身勝手な「理想」に陶酔したいがために、その結果として自国の独立と安全の保証を彼らの多くが毛嫌いをするアメリカに依存せざるを得なくなっている。

労働組合の多くは米国原子力航空母艦ジョージ・ワシントンやロナルドレーガンの日本への寄港に反対しているが、これらのアメリカの航空母艦が日本に寄港し、また沖縄や座間、三沢などに米軍基地が存在するのは、軍隊の保持を禁じた憲法第九条の存在のために、日本が独立して自国の防衛を果たすことができないためである。この現実を彼らは見ようとしない。

日本国独自の軍事力で自由と民主主義の体制を守ることができるのなら、日本国内にアメリカ軍基地を認める必要もなく、アメリカ海軍航空母艦の日本寄港に反対する必要もない。

だからといって憲法九条擁護論者や労働組合が自力国防を主張するかというとそうでもない。彼らは憲法の第九条の擁護を狂信的に主張し、自衛のための軍事力を保持することすらひたすら反対しながら、アメリカ軍の駐留や空母の寄港にも反対する。もっとも、彼らの本音は日本国が北朝鮮や中国のような国家になることだから、日本国の独立などどうでもよいのである。

しかし、もし日本国と日本国民が本当の品格を取り戻そうとするなら、大日本帝国憲法下の時代の日本がそうであったように、自国の独立の保証を自国の軍備に求めざるえない。この国家の独立に対する国民の義務の根幹を放置したままでは、どのような経済発展も、政治も、文化も、教育も、その国民の欺瞞性を覆い隠すことはできない。

 

 

 

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「宗教」の善と悪、あるいは人類の「宗教」からの解放

2009年02月10日 | 宗教・文化

 

「宗教」の善と悪、あるいは人類の「宗教」からの解放

宗教ということばを使うと、普通は人は仏教や神道やキリスト教やイスラム教などの世界宗教などを思い浮かべるかもしれない。また、数百年、数千年単位の歴史や伝統をもった宗教、宗派としては、ユダヤ教、ヒンズー教、カトリック教会や臨済宗、日蓮宗や曹洞宗などが無数に存在するし、また、比較的に新興宗教としては生長の家とか創価学会とか、また社会的に問題を引き起こしたオーム真理教などの団体がある。とにかく有名無名を含めて宗教のカテゴリーに属する集団、思想、教条は数多い。また新興宗教に属する集団もいかがわしいものをふくめて無数に輩出している。

新興宗教
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E8%88%88%E5%AE%97%E6%95%99

現代国語例解辞典などは「宗教」について、「宗教とは、神や仏など、人間を超えた聖なるものの存在と意志を信じ、それによって人間生活の悩みを解決し、安心、幸福を得ようとする教え。」というように一応説明しているが、これは普通に流通している「宗教」ということばで懐く観念でありイメージであるといえる。

しかし、宗教をどのように定義するかにもよるけれども、宗教を仮に「個人の人生における究極的な価値と生活態度を規定する思想信条の体系である」とでも定義するなら、共産主義や無政府主義もまた無神論もまた一つの「宗教」と呼ぶことができるだろう。要するに宗教とは、人間の信奉する思想の価値体系として、「価値観に関わるもっとも中心的な思想信条というように広義に解するならば、少なくとも人間であるならば、それを自覚しているか否かは別として、「宗教」をもたない人間はいないと言うことができる。

また、世間では「宗教」と実際に名乗ることはなくとも、事実上「宗教」と同じ機能を果たしている事例は無数にあるのであって、この論考では、宗教ということばを、もっとも広義の意に解して、「宗教」の機能を事実上果たしているものも含めて、広義の意味で「宗教」という用語を使用したいと思う。誤解を恐れずに、無神論や共産主義、無政府主義なども事実上の「宗教」と見なして論考を進めてゆきたいと思う。

現在の北朝鮮などの国家では、その独裁的指導者である金正日などに対して明らかに個人崇拝が行われている。その個人に対する崇拝という点だけを見れば、新興宗教の指導者に対する崇拝も、阿弥陀仏や法華経などに対する崇拝と本質的に変わるものではない。

宗教が非常に頑固な固定観念にとらわれやすいものであることは、特定の宗教信者のもつ一般的な傾向として多くの人々が日常的に経験するところだろう。そして、往々にしてこの頑固な偏執的な固定観念は、狂信にまで人を駆り立てる「危険な」要素をもつ。このことも個人的な体験からも、日本においてもオーム真理教などが引き起こした社会的な事件を見ても、また世界各地で頻発している宗教紛争などの歴史的な体験からも指摘することもできるものである

アフガニスタンなどを最前線として戦われているいわゆる「テロリスト」たちの多くが「イスラム原理主義者」と呼ばれているように、その兵士たちは狂信的なイスラム教信者であるとされる。もちろん、自己の信奉する神のみを絶対として、他をすべて排斥する狂信的宗教家、狂信的信者は、たんにイスラム教のみならず(その宗教の本質からいってイスラム教にはその傾向が強いと言えるかもしれないが)どのような宗教、宗派にも存在するし、また、新興か伝統的な宗教かを問わず存在する。

自己の宗教以外のすべてを否定し拒絶する宗教信者を「過激派」と呼ぶなら、「過激派」は、その昔にユダヤでイエスを十字架に架けた律法学者たちから、女性信者の腹に爆弾を巻き付けさせる現代のイスラム教指導者、また日本のおいても他宗教や他宗派からの布施を一切拒否した日蓮宗の不受不施派など、古今東西にわたりその類例は無数に存在する。

また、思想がブルジョワ的だという理由で同じ民族の同胞でありながら大量に殺戮したカンボジアのポルポト元首相なども、彼は共産主義者であったが、その本質は、宗教的狂信者一般と何ら異なるものではない。「宗教は阿片である」と断じるマルクス主義信者が、宗教家以上に狂信的である場合も少なくない。

とは言え宗教的な狂信者がすべて害悪をもたらす存在であると断定するのも、それ自体偏見でありまた場合には、固定観念となって真実を見ていない場合も多い。強固な宗教的な信仰の持ち主であっても、インドのカルカッタで貧者の救済に生涯を捧げたマザー・テレサのように、人々から愛され評価された宗教信者も少なくない。昔から聖人とか聖者とか呼ばれた人たちは、多くの人々の救済や福祉に大きな働きをしてきたことも事実である。

そうした一面をもつ宗教が、時には狂信的になり戦争の原因になる。個人や人類の幸福を目的としたはずの宗教が主義思想が、その目的と手段を転倒させ、もっとも倒錯的な狂信になって、この上ない害悪をなす。この論理は何も宗教だけに留まらない。最近の歴史においても、人類の「解放」をめざしたはずの共産主義運動が、この上なき抑圧と不自由をもたらしたのは、私たちが北朝鮮や旧ソ連などの現代史にこの眼で見た歴史の事実である。

こうした事実を見るとき、先ず言えることは、宗教を名乗るか否か、無神論を標榜するか否かにかかわらず、すべての宗教、主義信条においても、「善」が「悪」に転化する可能性をもつという事実である。もちろん、その逆もあり得る。もっとも良いものは、もっとも悪いものである。もっとも純潔なものはもっとも腐りやすいものである。最善のものは最悪のものである。もっとも善きものであるはずのキリスト教といえども、それが最悪の宗教に転化する可能性もある。事実、ニーチェなどは最悪の腐敗に転化したキリスト教に対する批判なのだと思う。

ニーチェとキリスト教

そのもう一つの最悪の事例が、現在もなお戦われているイスラエル・パレスチナ間の宗教戦争である。それは人間が宗教のドグマと狂信の結果としてどれほど悲惨な事態に陥るかの事例である。まことに宗教における偏執ほどに度し難いものはない。イスラム教過激派やユダヤ教過激派信者たちを彼らの狂信から解放し、その偏執を解くのは切実なしかし困難な課題である。世界各地で発生しているヒンズー教と仏教、イスラム教、キリスト教などの諸宗教のあいだの紛争の原因となっている彼らを宗教的な偏執から解放することなくして、平和をもたらすことはむずかしい。


 

 

 

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雅歌第六章註解

2009年02月05日 | 宗教・文化

 

雅歌第六章註解

「雅歌」は詩でもあるので、人それぞれに自由に自身の器量に応じて味わえばよいと思い、註釈もよけいに思い書かなかった。とは言え私が現時点でこの詩をからどのように美と思想を得ているか記録しておくことも多少の意義もあるのではないかと思った。文章にすることによって後からそれを反省や検討の対象とすることもできる。

ちょうどパスカルが、宇宙の広大無辺な神秘の前に畏れおののきながら、自身をもっとも弱い一本の葦に喩えたように、有限な人間が世界のすべてを認識することを夢見ることの傲慢であると同じように、「雅歌」という風雪を経た古典的宗教的作品を前にしては、私の註解もおそらく「群盲象を撫でる」の類の一知半解にすぎない。

しかし、たとえそうであっても、私たちの真理観からいえば、真理は現象的認識の総和の中から明らかになってくる。その意味では拙なりとは言え、現代日本とは隔絶した時代、風土、宗教的伝統のなかに生まれたこの「雅歌」という詩についての一知半解の私の註解のようなものも、宗教詩などとはふだんは無縁の人には参考になるかもしれない。ただ、この身の程知らずの「雅歌」の註解が誤解の種を蒔くことにならないことを祈るばかり。

「雅歌」と言う作品自体が一つの比喩的な象徴的な意味をもっている。イエスが「喩えなしに何一つ語らなかった」(マタイ書13:34)と言われているように、聖書自体が一つの喩えで構成されている。秘密を知ることのできるものだけのために、雅歌も全体としては、男女の相聞歌、恋歌であるけれども、何よりもその愛が、神の愛の比喩として、象徴として歌われている。

それは神のイスラエル民族に対する愛であり、また人となったイエス・キリストの愛を象徴している。それはもっとも聖らかなる愛である。この雅歌のなかで、人の愛とは近くて遠い青年ソロモンの愛を一つの比喩として、たとえおぼろげではあっても、そこから私たちは神の愛がどのようなものかを類推的に知ることができる。

「愛」は聖書の核心的な主題であって、愛のゆえにイエスは無垢のご自身を贖罪の生けにえとして神に捧げ、神はその血のあがないによって人類の罪を許される。イエスを犠牲の羊としてこの世におくられたのも、それもまた父なる神の愛のゆえである。この「雅歌」は全八章と短編ながらその前表として、聖らかな高貴の愛を歌った貴重な恋愛詩である。

旧約の正典である雅歌の成立は、紀元前250年頃と推測され、一部にギリシャ的な美意識も見られる。新約聖書の時代に入って、パウロはこの本の主題をさらに発展させ、希望、信仰、愛の三つのキリスト教的な徳のなかで、もっとも大いなるものは愛であると言い、たとえ山を動かすほどの信仰があったとしてもそこに愛がなければ無に等しいとも言う。愛はそれほどの「最良の贈り物であり最高の道」とされている。(コリント前書第13章)

創世記では父アブラハムの息子イサクに対する愛が、またダビデに対するヨナタンの友愛、ダビデ王のバテシバに対する性愛など、聖書の中には多くの愛が語られている。新約聖書では、放蕩息子に対する父の愛をイエスが語ったことは良く知られている。この「雅歌」の中では、青年の娘に対する愛が歌われている。この青年はダビデの息子で「平和な」という意味の名をもったソロモンである。

青年と娘は愛し合っており、先の第五章で、王である青年ソロモンは花嫁になるべき娘のところに訪れるが、行き違いから娘は青年ソロモンを受け入れることができず、戸を開いて彼を迎え入れようとしたときにはすでに彼は立ち去った後だった。娘は急いで青年の後を追ってその姿を探したが見つからず、逆に街の夜警に見つけられて打たれ、着ていた衣さえ奪われてしまう。

ここには、神を見失い迷ったイスラエルがバビロンに征服され異国の地に連れ去られるという民族としての苦難の体験が比喩されている。

愛する人を見失った娘を勇気づけるように、女たちはいっしょに探そうと申し出るが、娘には青年がどこへ行ったのかわかっている。青年は自分の領地である百合の花咲く園で羊の群れの世話をしている。

羊の群れを飼う牧童は、中近東では人を養い導く神の存在の比喩で語られる場合が多い。この雅歌においても、牧童として現れる青年ソロモンの愛は、ユダヤやイスラエルに対する父なる神の愛を象徴している。ソロモンが神殿を築いたユダの国の都であるエルサレムやイスラエルの首都ティルザの麗しさが詩のなかで娘の美しさに喩えられているように、父なる神を懐くヘブライ民族がこの娘に象徴されている。

そして、ダビデやソロモンはキリストの前表とされるから、娘に対するソロモンの愛は、やがてキリストの愛を象徴するものとなる。もちろん、イエスの愛が十字架の苦難を耐え忍ぶほどに深いもので、私たちの想像を絶するものであって、もっとも高貴な青年ソロモンの娘に対する愛も人間的で、それは私たちにはより身近なものではあっても、イエスの生涯の愛の物語とは比べることの出来るものではない。

現代の日本からは大きく異なる中近東という時代や風土を背景にして生まれた雅歌という詩には、私たちには理解しにくい表現が多い。娘の美しさはさまざまに比喩的に表現されているけれども、なかなか想像しにくい。たとえば、娘の髪や歯を、遠くの丘を駆け下りる山羊の姿や白い毛を刈られて行列をつくって列んでいる雌羊にたとえられても、実際に見て経験することもないからなかなか想像しにくい。また娘の姿をイスラエルの都ティルザやユダヤの都エルサレムにたとえているが、とくに麗しい都を実際に見たことのない者にはこれもなかなか想像しにくいだろう。

第4節や第10節などに繰り返し表現されているが、娘の美しさを、新共同訳のように「旗を掲げた軍勢のように恐ろしい」というよりも、「都市や軍隊の掲げる旗や目印のように美しさが際だっている」ということだろうと思う。第12節は、「私の気づかぬうちに(青年の乗っている、民族の守護神の名をもった)戦車のうちに運ばれていた」とも解することができ、その象徴的な意味はよくわからない。第13節は新共同訳では、第7章に組み入れられているが、「マハナイム」が軍隊の「野営地」という普通名詞なのか、あるいはそれが土地の固有名詞になったものかもわからない。

 

 

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