夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

A Message from President Donald J. Trump

2021年01月08日 | 歴史

A Message from President Donald J. Trump

長らく混迷を深めていたアメリカ合衆国の大統領選も一区切りがついたようです。さすがに「自由」と「法の支配」をモットーとするアメリカらしく、大きな混乱もなく政権の移行が行われます。

しかし残念ながら独裁国家、民族全体主義中国に対抗できる事実上の実力をもつ国はアメリカ以外にありません。中国共産党の侵略にさらされている日本も、自らの自由と独立の防衛に自力で立ち上がることなくしては、アメリカの協力もえられないと思います。

 

U.S. President Donald Trump on Thursday posted a video of a short speech on Twitter

I'd like to begin by addressing the heinous attack on the United States Capitol. Like all Americans, I am outraged by the violence, lawlessness and mayhem.

I immediately deployed the National Guard and the federal law enforcement to secure the building and expel the intruders. America is and must always be a nation of law and order.

The demonstrators who infiltrated the capitol have defiled the seat of American democracy. To those who engaged in the acts of violence and destruction, you do not represent our country.

And to those who broke the law, you will pay. We have just been through an intense election, and the emotions are high. But now tempers must be cooled and calm restored.

We must get on with the business of America. My campaign vigorously pursued every legal avenue to contest the election results.

My only goal was to ensure the integrity of the vote. In so doing, I was fighting to defend American Democracy. I continue to strongly believe that we must reform our election laws to verify the identity and the eligibility of all voters and to ensure faith and confidence in all future elections. Now Congress has certified the results.

And a new administration will be inaugurated on January 20.

My focus now turns to ensuring a smooth, orderly and seamless transition of power. This moment calls for healing and reconciliation. 2020 has been a challenging time for our people.

A menacing pandemic has upended the lives of our citizens, isolated millions in their homes, damaged our economy and claimed countless lives. Defeating this pandemic and rebuilding the greatest economy on earth will require all of us working together.

It will require a renewed emphasis on the civic values of patriotism, faith, charity, community and family. We must revitalize the sacred bonds of love and loyalty that bind us together as one national family.

To the citizens of our country, serving as your president has been the honor of my lifetime. And to all of my wonderful supporters, I know you are disappointed, but I also want you to know that our incredible journey is only just beginning.

Thank you. God bless you. And God bless America.

 

 

 

 

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八月の読書

2019年08月17日 | 歴史
 
八月の読書

今月の一冊として、ハミルトン・フィッシュの『FDR:THE OTHER SIDE OF THE COIN How We Were Tricked into Word War Ⅱ』の邦訳 『ルーズベルトの開戦責任』(渡辺 惣樹訳 草思社  2014年9月)を図書館から借りて読んでいます。

本書を読もうと思った動機は、先の日米戦争の終戦から七四年を経過した今日においても、現代の日本という国家社会を深く根底から決定的に規定している歴史的事件として、この日米戦争の影響は深刻で、私たちの現在もこの戦争の存在抜きにしては考えられないからです。それで本書がこの戦争の真実を少しでも深く知ることの一助にもなればと思いました。

実際に300万にのぼると言われる戦死者が、時代が時代なら幸福に生き永らえることもできたはずなのに、戦争のために生を断絶させられることになりました。また、そうした戦没者の方々のみならず、私たち戦後生まれの世代も、母親たちの胎内から幼少期へと、さらに老年期から死に至るまで、私たちの心身にはこの戦争の影響を深く刻み込まれてそれぞれの生涯を生きることになります。だから私たちは自己の存在をより客観的に把握するためにも、先の日米戦争の歴史的な真実を知る必要があると思います。また、それなくして日本という国家社会の正しい未来像も描けないからです。

特に、この日米戦争を「勝利」によってではなく「敗戦」で迎えなければならなかったために、戦後の日本社会にもたらされた断絶と混乱による悲喜劇は、今日の日本国民の精神により深刻に投影されています。その深刻さの度合いは、アメリカやイギリスなどの「戦勝国」の国民、国家社会とは比較になりません。いわゆる「慰安婦問題」や「靖国問題」に見られる国論の分裂もその例だと思います。

裁判事件などでもそうですが、多くの事件の真実を知るためには、その事件の現象に関わる事実をより全面的に客観的に探索してゆく必要があると思います。このことは歴史な事件としての先の日米戦争について言えます。裁判官は被告と原告の両者の主張を公平に聞く必要があります。

また、日米戦争について回顧し評価するとしても、そこには様々な見方があります。もちろん、先の日米戦争に対する歴史観の国家国民の間でもっとも支配的なものは、いわゆる戦勝国GHQの手によって行われた「東京裁判」の過程で明らかになった、戦勝国の歴史観、価値観に基づいたいわゆる「東京裁判史観」と言われるものです。それが戦後日本の国家国民の基本的な歴史観となったのは、敗戦国の宿命ともいうべきものでやむを得なかったと思います。

それはある意味でやむを得ないものですが、戦後半世紀を過ぎて七四年を経過しようとする今日、あらためてこの「東京裁判史観」を検証する必要があると思います。特に敗戦国として顧みられることのなかった「大日本帝国政府」の立場を、彼らの論理を検証する必要があると思います。そうでなければ、先の日米戦争の公平な評価はできないでしょう。

何れにしても、戦後半世紀以上を経過した今日こそ、様々な利害によって隠されていた事実が現れて来ることによって、さらに歴史的な真実の追求は可能になると思います。日米戦争の当事者中の当事者であるルーズベルト大統領に対する批判者としての、このアメリカの政治家による証言もその一つです。同じアメリカ人の政治家が当時の日米戦争を、あるいは当時の日米関係をどのように観察していたかを知る上で参考になるかもしれないと考えたからです。それは、あの日米戦争をより客観的に認識することになるはずです。


「私は二十五年間、共和党の下院議員であった。一九三三年から四十三年まで外交問題委員会、一九四〇年から四五年までは議員運営委員会の主要メンバー であった。・・・・・・・・
私は今では、あのルーズベルトの演説は間違いだったとはっきり言える。あの演説のあとに起きた歴史をみればそれは自明である。アメリカ国民だけでなく本当のことを知りたいと願う全ての人々に、隠し事のない真実が語られなければならない時に来ていると思う。あの戦いの始まりの真実は、ルーズベルトが日本を挑発したことにあったのである。彼は日本に最後通牒を突きつけていた。それは秘密裏に行われたものであった。真珠湾攻撃の十日前には、議会もアメリカ国民をも欺き、合衆国憲法にも違反する最後通牒が発せられていた。
 今現在においても、十二月七日になると、新聞メディアは必ず日本を非難する。和平交渉が継続してる最中に、日本はアメリカを攻撃し、戦争を引き起こした。そういう論説が新聞紙面に踊る。しかしこの主張は史実とは全く異なる。クラレ・ブース・ルース女史(元下院議員、コネチカット州)も主張してるように、ルーズベルト大統領はわれわれを欺いて、(日本を利用して)裏口から対ドイツ戦争を始めたのである。」
(本書18ページ)

「「英国チャーチル政権の戦時生産大臣(Minister  of  Production)であったオリバー・リトルトンは、ロンドンを訪れた米国商工会議所のメンバーに次のように語っている。(一九四四年)。「日本は挑発され真珠湾攻撃に追い込まれた。アメリカが戦争に追い込まれたなどという主張は歴史の茶番(a  travesty  on  history)である」
 天皇裕仁に対して戦争責任があると非難するのは全く間違っている。天皇は外交交渉による解決を望んでいた。中国及びベトナムからの撤退という、それまで考えられなかった妥協案まで提示していた。米日の戦いは誰も望んでいなかったし、両国は戦う必要がなかった。その事実を隠す権利は誰にもない。特に歴史家がそのようなことをしてはならない。両国の兵士は勇敢に戦った。彼らは祖国のために命を犠牲にするという崇高な戦いで命を落としたのである。しかし歴史の真実が語られなければ、そうした犠牲は無為になってしまう。これからの世代が二度と同じような落とし穴に嵌るようなことはなんとしても避けなければならない。」(19ページ)

「ルーズベルトとチャーチルの二人がアメリカをこの戦争に巻き込んだ張本人である。チャーチルはのちにこの戦争は不必要な戦争であったとも言っている。これには驚くばかりである。チャーチルが喜んでいるのは、軍事力だけではなくアメリカの巨大な資金援助がイギリスになされたからだ。」

「私は、この書の発表を、フランクリン・ルーズベルト大統領、ウェストン・チャーチル首相、ヘンリー・モーゲンソー財務長官、ダグラス・マッカーサー将軍の死後にすることに決めていた。彼らを個人的にも知っているし、この書の発表は政治的な影響も少なくないからである。彼らは先の大戦の重要人物であり、かつ賛否両論のある人々だからである。
私はこのような人物の評判を貶めようとする意図は持っていない。私は歴史は真実に立脚すべきだとの信条に立っているだけである。それは、言ってみれば、表側だけしか見せていないコインの裏側もしっかり見なければならない、 と主張することなのである。 コインの裏側を見ることは、先の大戦中あるいは戦後すぐの時点では不可能であった。戦争プロパガンダの余韻が充満していた。そうした時代には真実を知ることは心地よいものではない。しかし、今は違う。長きにわたって隠されていた事実が政府資料の中からしみ出してきている。これまで国民の目に触れることのなかった資料が発表されはじめたのである。」(23ページ)

 

 

 
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北朝鮮をめぐる国際情勢

2018年05月04日 | 歴史

 

北朝鮮をめぐる国際情勢

北朝鮮をめぐり国際情勢が大きな変化を迎えようとしています。この変化の主導力になっているのは、日米の経済制裁を主体とする圧力です。この経済制裁が可能であるのも、もちろんアメリカ軍を主体とする日米の軍事力が北朝鮮のそれに対して圧倒的に強大であるからです。

北東アジアをめぐる長期的な展望については、かっては次のように論じたことがあります。

 「北東アジアの夢―――六カ国協議の遠い行方

https://goo.gl/cSieFZ

しかし、確かに100年後、200年後の遠い行方については、そのような「夢」を語ることも許されるかもしれないが、さしあたっての次のdecade、10年についてはそのような楽観はできないと思います。

現在トランプ大統領が北朝鮮と行なっている交渉の行方は、日本の将来の動向にも深く関わってくる。その交渉の行方次第で、北東アジアにおける日本の安全保障上の地位(立場)が大きく変わってきます。

日本にとって北朝鮮の脅威が深刻であるのは、北朝鮮の保有する核爆弾と弾道ミサイルの射程が日本国民の頭上に定められているからです。今回の米朝交渉を通じて、トランプ大統領ははたして北朝鮮にその保有する核と弾道ミサイルの「完全廃棄」を実現させることができるのでしょうか、――これには金正恩は命がけで反対するでしょう。――したがってこの場合には、米朝交渉は決裂する可能性は大きいと思います。

しかし、文在寅と金正恩は、先に行なわれた南北朝鮮会談と、そこで発せられた「板門店宣言」を舞台とする国内外のマスコミを最大限に利用、活用して、「平和友好ムード」演出劇の国際的な拡散を狙って、国際世論の「平和志向」に火をつけるべく「世論操作」を行ないました。そうしてトランプ大統領に対して北朝鮮に対する軍事力行使を回避させるべく環境整備を徹底して行ないました。文在寅は「ノーベル平和賞」をトランプ大統領に譲るとまで言いました。

中国の「協力」もあって、今回の日米を主体とする北朝鮮に対する国際的な経済的な制裁圧力によって、北朝鮮の経済は破綻の瀬戸際にまで追い込まれました。金正恩は会談にまで自ら足を運んで出向かざるを得なくなりました。文在寅はそれを自らの望む朝鮮統一の絶好の好機としました。朝鮮戦争の「終結宣言」と北朝鮮との「平和条約」の締結を通して、彼は在韓アメリカ軍の韓国からの撤退を目指しています。

こうした状況において、日本国民の立場からすれば、金正恩とトランプによる米朝交渉の行方としては、次の二つの可能性を推測するしかありません。

現在北朝鮮の保有する総ての核兵器、短中長距離弾道ミサイルの「完全廃棄」をトランプ大統領は実現させるのか、それとも、アメリカにとって自らの直接の脅威となる核と長距離弾道ミサイルの廃棄だけを求めて、同盟国である韓国や日本に対する脅威となる短中距離弾道ミサイルの存在を許し、核兵器の段階的廃棄を認めて妥協するか、です。

歴史的な名声とノーベル平和賞に眼がくらんだトランプ大統領が、米朝会談の決裂を避けるために、核兵器と弾道ミサイルの完全廃棄を絶対的に拒否する金正恩に譲歩するということもありえます。

文在寅たちのつくりあげた「平和」を求める国際世論の醸成とノーベル平和賞という撒き餌につられて、トランプ大統領が、もし自国アメリカのみの当面の安全保障に満足して金正恩との交渉を妥結することになれば、北朝鮮の核ミサイルという深刻な脅威は、同盟関係にあるはずの、とりわけ日本には残されたままになります。その時に安倍首相はトランプ大統領をどこまで説得できるでしょうか。

確かにそこで「平和」という体裁はいちおう保たれるでしょう。しかし、この米朝会談によっては残念ながら同盟国であるはずの日本の安全は保証されません。北東アジアにおいて日本は、ロシア、統一朝鮮、中国、アメリカといった軍事強国に包囲された単なる「経済大国」として残されることになります。その場合には日本は、これらの軍事強国に対する「現金支払機」の地位に留まることになるでしょう。統一朝鮮から莫大な資金援助をもとめられ、それがまた自らの首をしめることになります。

「平和」の継続としてそれを日本国民の多数が受け入れるのならそれも仕方がないでしょう。実際にそうした未来は、これらの周辺諸国民にとっても「平和」の維持、継続する最も好ましい状況として受け入れられるでしょう。ただ、そのとき日本国民は第二次世界大戦当時のユダヤ人が周辺諸民族から受けたような境遇をたどることになるはずです。かってのユダヤ人たちも今日の日本人とおなじように、経済的には相応の地位を占めていたけれども、まともな国家も軍事的主権ももっていませんでした。大東亜戦争における日本の戦争と統治に対する中国人や朝鮮人の憎しみと復讐心も、観念的にイデオロギー的に強められこそすれ、今なお消えてはいません。

トランプ大統領はこれまでの閣僚人事において、対北朝鮮との交渉に融和的なビジネスマン出身の国務長官ティラーソンや軍人出身のマクマスター大統領補佐官を更迭し、CIA 長官に任命したポンペイオをさらに新たな国務長官に、また軍事力の行使に優柔不断な軍人出身のマティス国防長官などを差し置いて、大統領顧問にボルトンを迎え入れました。

また、前アメリカ太平洋軍司令官ハリスを次期の駐韓米国大使に予定するなど、こうしたトランプ政府の閣僚人事だけを見れば、現段階においてトランプ大統領は北朝鮮に核とミサイルの「完全廃棄」させることを放棄していないということは言えます。しかし、いずれにせよ、やはり最終的な決断はトランプ大統領自身が下すことになります。ボルトンの「リビア方式による核兵器廃棄」などの進言を彼に受け入れることができるかどうかは最後までわかりません。日本の官僚たちもそうした状況は十分にシュミレーションしていると思いますが。

 
 
 
 
 
 
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退位か、ご譲位か

2017年12月08日 | 歴史


先日、現在の内閣総理大臣である安倍晋三氏のFacebookをたまたま見ていた時に、皇室典範特例法の施行日が、平成31年4月30日とすべき旨の皇室会議の意見が決定されたことを、安倍晋三氏が皇室会議の議長として報告されている記事を読みました。その時に、この記事に何となく違和感を感じたので、以下の記事をコメントとして投稿したものです。

安倍 晋三
12月1日 13:41 ·
FaceBook

https://www.facebook.com/abeshinzo

本日、皇室会議が開催され、皇室典範特例法の施行日について、平成31年4月30日とすべき旨の皇室会議の意見が決定されました。

天皇陛下の御退位は、約200年ぶりのことであり、憲政史上、初めての事柄であります。本日、滞りなく皇室会議の意見が決定され、皇位の継承に向けて大きく前進したことに、深い感慨を覚えております。

政府といたしましても、この皇室会議の意見を踏まえ、速やかに施行日を定める政令を制定するとともに、天皇陛下の御退位と皇太子殿下の御即位が、国民の皆様の祝福の中でつつがなく行われるよう、全力を尽くしてまいります。

 

退位か、ご譲位か

総理である安倍晋三氏や新聞、テレビなどのマスコミは、意図的にか無自覚にか、このたびの天皇陛下の「ご譲位」について「退位」としか表現していません。

しかし、 皇室典範、第一章 第一條  の「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」との規定からすれば、この度の天皇陛下の「ご譲位」をもって「退位」と表現し、説明するのは、明らかにこの皇室典範、第一條に違反しています。少なくとも、この皇室典範の規定に即した正しい用語ではないことは明らかです。

安倍晋三内閣総理大臣はじめ政府関係者にはこの点についての明確な判断と自覚がありません。また、新聞やテレビなどのマスコミ関係者や大学教授などの学識経験者は意図的か無自覚かは問わず、ご「譲位」という用語が正しいにも関わらず、「退位」という誤った表現を多用しています。

· 返信 · 12月2日 19:28


皇室典範、第一章 第一條  の「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。」との規定からすれば、「退位」という用語は、誤りではないけれども正確ではないということになると思います。数学的に表現すれば、必要条件は満たしているけれも、十分条件は満たしてはいません。皇室典範、第一條の規定を説明する際に、「退位」という概念は、たしかに退位という一面は満たしていますが、皇位の継承の意義を含んでいない点で不正確、不十分で、この点において誤っています。この第一條の規定の意義を必要十分に説明する概念をもつ用語は「譲位」しかないと思います。
裁判官、弁護士などの法曹家、政治家、新聞記者や大学教授などの、いわば「言葉のプロ」である人たちが、こうしたことを知らないはずがないと思います。

 

 

 

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9月2日(火)のTW:戦争と真実

2014年09月03日 | 歴史

 

戦争の最初の犠牲者は真実である。(アイスキュロス) Im Krieg ist das erste Opfer die Wahrheit.

shuzo atiさんがリツイート | RT

占 領軍はその国の青少年を、家庭や教会や民族的伝統から早急に引き離す必要があるのだ。彼らを新体制に役立つようにするために、また、彼らが新しい時代に熱 狂するようにするために、洗脳する必要があるのだ。そのため、新聞やラジオ、テレビなどが宣伝に用いられる。(スイス政府『民間防衛』)

shuzo atiさんがリツイート | RT

国 内の敵は、政府と国民を引き離すため、刃向かうものすべてを中傷し、とくに政府や州当局の要人に対して疑惑の目を向けさせることによって、政府の権威を根 底から覆そうとする。国民がこれら当局者を信頼しなくなったときこそ、国民を操縦するのに最も容易なときである。(スイス政府『民間防衛』)

shuzo atiさんがリツイート | RT

 
 
※20140903追記

歴 史は勝者によって書かれる。しかし「書かれた歴史」がすべて「歴史の真実」を語るものではないことぐらいは、歴史研究者にはイロハのイであることは言うま でもない。敗者の歴史は失われ隠される。それにしても、古代ギリシャでマラトンの戦いやサラミスの海戦に従軍したとされるアイスキュロスは、戦争によって 真実が犠牲にされることを、様々の意味で経験したのかも知れない。どのような具体的事例でアイスキュロスがそのことを言っているのか、ここではそれは分か らない。

前の太平洋戦争(大東亜戦争)で敗北した我が国においても、敗戦後の歴史と政治は、勝者であるGHQ連合国の主導で書かれ、行わ れた。GHQ占領軍は、大日本帝国憲法を廃止するなど、あらゆる側面で日本人と日本国の改造に乗り出した。社会主義、共産主義勢力も一体となって、大日本 帝国体制、旧帝国陸海軍などを徹底的に貶めた。
 
そ の戦争指導者たちは「戦争犯罪人」として処刑され、靖国神社に祀られることも今なお問題にされる。戦争犯罪人によって指導された大日本帝国政府といった価 値観を植え込まれて戦後民主主義時代に育った世代が、今なお「自虐史観」や「階級闘争史観」を克服できないでいるのが現状である。敗戦国の混乱は一世紀く らいでは収まらないのだろう。とはいえソ連や中国の全体主義国ではなく、民主主義アメリカのGHQに占領されたことは、それでもまだ不幸中の幸いであった といえるかも知れない。

勝者アメリカによって書かれた歴史ではなく、また負け惜しみの大日本帝国の戦争指導者たちの主張する歴史観でもなく、より客観的で全面的な真実の歴史が明らかにされなければならないのに、未だこの困難な作業は実現されていない。
 
【戦争の最初の犠牲者は真実である。(アイスキュロス) Im Krieg ist das erste Opfer die Wahrheit.】
 
 
 
 
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8月6日(水)のTW:政治から自由な歴史研究は可能か?など

2014年08月07日 | 歴史

 

空っぽの五つの椅子が海沿いのホテルでしんと空を見ている ,(早坂類) ,『風の吹く日にベランダにいる』

shuzo atiさんがリツイート | RT

今 日では大規模な空挺作戦が可能なので、わが国土も瞬時にして戦場となり得る。その場合、住民の疎開は不可能であり無意味である。地上で戦闘が行なわれ、ま たは地表が放射能や毒物で汚染された場合には、住民は地下の避難所で生き延びなければならない。(スイス政府『民間防衛』)

shuzo atiさんがリツイート | RT

全面的で科学的な歴史観は可能か?「歴史戦」?まさか戦争ではあるまいし。歴史に政治を持ち込むな小堀さん。歴史研究は政治からは超然とした真理追究が課題。左が左なら右も右。【正論】小堀桂一郎「8・15」に思う「国連憲章史観」改訂求める秋だ goo.gl/X8Dbq2


2006年夏の岡崎久彦氏「遊就館から未熟な反米史観を廃せ」
ためになる論考。今日の靖国神社問題は神道指令にその原点があるといってよい。しかし問題を解決したくない「営業保守」はその解明を回避する。この解明こそ遊就館の優先事項なのに。
okazaki-inst.jp/060826-sankei.…

shuzo atiさんがリツイート | RT

 
 
 
※ 追記20140807
 
歴 史家は歴史家であるなら、政治から超然として歴史の真理の把握を目的とすべきだと思います。その結果もたらされる必然的な政治的影響については政治家たち に任せるべきだと思います。歴史家が政治活動をしてはならないとは言いませんが。政治家の書いた「歴史」など、プロパガンダ文書にすぎません。
 
 
 
 
 
 
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8月26日(月)のTW:世界史と理性

2013年08月27日 | 歴史

 

2013年08月27日 | ツイツター

 

太陽系の運動は不変の法則にしたがって行われている。すなわち、この法則は太陽系の理性である。しかし、太陽も、この 法則に従って太陽の周りを回っている遊星も、この法則についての意識を持ってはいない。それで自然の中に理性があるとか、自然が一般的法則によっていつも 支配されているとかいう a

 

思想には、我々は一向に驚かない。我々はこのような思想には慣れているので、それを別に大したこととも思わない。にも かかわらず、私がこの思想の歴史的ないきさつを述べるのは、このように今日の我々には陳腐に見える思想でも、必ずしも世に行われていた訳ではなく、した がってこのような思想の出現は

 

むしろ人間精神の歴史に一時期を画したものだという歴史の教訓に注意を促すためである。アリストテレスは、この思想の 創始者アナクサゴラスについて言っている。彼は酔いどれたちのなかで一人素面の人のように見えた、と。アナクサゴラスのこの思想はソクラテスに受け継がれ た。

 

そしてこの思想は一切の出来事を偶然に帰したエピクロスを除けば、およそ哲学における支配的な思想となった。プラトン はソクラテスに言わせている。「私はこの思想を知って歓んだ。そして理性に従って自然を解釈し、特殊なもののなかには特殊な目的を、全体の中には一般的な 目的を指示してくれる

 

一人の教師を見出したと信じた。私はどんなことがあってもこの期待を捨てまいと思った。けれども、私がアナクサゴラス 自身の書いたものに熱心に当たってみて、彼が理性の代わりにただ空気だとか、エーテルだとか、水などといった、外的原因だけを挙げているのを知って、どん なに失望したことか」と。

 

すなわち、ソクラテスがアナクサゴラスの原理に見出した不満が、原理そのものにあるのではなくて、むしろ具体的自然に 対する原理の適用上の欠陥、つまり、自然がこの原理に基づいて理解され、把握されておらないこと、一般にその原理が抽象的に見られているに過ぎないという こと、

 

自然がこの原理の発展として、理性に基づいてそこから産み出された一つの組織として捉えられていないという点にあることが分かる。【A:原理としての理性の哲学的考察】

 

次に問題になるのが、理性が世界を支配しているというこの思想の型態が、進んで適用されて我々に周知の思想に関連して いる点である。――すなわち、世界が単に外的な偶然の原因に委ねられているものではなくて、むしろ摂理が世界を支配しているという宗教的真理の型態をとる 場合である。(s36 )

 

ところで、ある摂理が、それも神の摂理が世界の諸々の出来事を支配するという真理は、理性が世界を支配しているという 先の原理に対応している。なぜなら、神の摂理とは、その目的、すなわち世界の絶対的な、理性的な究極目的を実現するところの無限の力という面から見た智慧 であり、

 

理性はまったくに自由に自分自身を規定するところの思考だからである。けれども、ここでふたたびアナクサゴラスの原則 に対するソクラテスの不満と同じ形で、この信仰と我々の原理との差異、とういうよりもむしろ対立が現れてくる。この信仰もまた同様に漠然としたものであ り、摂理一般への信仰と

 

呼ばれるものであり、それは進んでさらに規定されたものとなり、全体への適用、すなわち世界史への全行程への適用とな るところまで行かない。しかし、歴史を説明すると言うことは、人間の情熱、その天才、その活動の力を明らかにすることを意味する。そしてこのような摂理の 規定性(歴史の実現過程)は

 

通常、摂理の計画と呼ばれる。けれども、この計画は我々の眼には隠されているとされ、これを認識しようとすることは僭 越なこととされている。理性がどういう形で現実の中に啓示されているのかについてのアナクサゴラスの無知は無邪気なものだった。彼を始め一般にギリシャに おいては、

 

思想の意識はまだ幼稚だった。彼はこの一般的な原理を具体的なものに適用し、具体的なものをその原理から認識することは出来なかったのである。ソクラテスがはじめてこの点で一歩を進め、具体者と一般者との結合を遂行した。従ってアナクサゴラスは、

 

必ずしもこのような適用に反対の立場をとったのではない。ところが今いう摂理に対する信仰は、少なくとも一般的には適 用に反対しており、摂理の計画の認識に対して反対している。というのも人々が摂理の存在を認めるのは、特殊な場合だけであって、それは敬虔な心の人が、 個々人の突発的な事故の中に

 

偶然ではなく神意を視るような場合に過ぎないからである。しかし、このような目的はそれ自身限られた狭い範囲のもので あり、単に一個人の特殊な目的に過ぎない。 ところが我々が世界史において問題にするのは、民族という個体であり、国家という全体である。だから単に抽象的な無規定的な信仰に

 

 

かかづらわっているわけにも行かない。むしろ本気に歴史の中における摂理の道程、その諸々の手段、現象を認識することを問題にし、それを上述の一般的な原理に関係づけることを問題にしなければならない。(ibid s 38 )

 

 

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8月4日(日)のTW:民族は歴史から何を学びうるか

2013年08月05日 | 歴史
 
実際、歴史はしばしば道徳的教訓のために編纂された。しかし善人が心情を高め、また児童の道徳的教育にあたり立派なこ とを児童の頭に染み込ませておくために、善人の例を用いるべきだとは言いうるとしても、民族や国家の運命、それらの利害、それらの状態や葛藤などは道徳と は領分がちがうのである。
 
人々は君主、政治家、民衆に向って、歴史の教訓から汲むべきだと説く。けれども経験と歴史の教えるところこそまさに、 人民や政府がかって歴史から何ものをも学ばなかったということであり、また歴史から引っ張り出されるような教訓にしたがって行動したこともなかったという そのことなのである。

各時代はそれぞれ特有の境遇を有し、それぞれ極めて個性的な状態にあるものであるから、各状態の中で各状態そのものに よって決定されなければならないものであり、またそうしてのみ決定され得るものである。

世界のいろいろな出来事の雑踏の下では、一般原則もいろいろな類似 の関係への回想も何の役にも立たない。なぜなら色褪せた回想などといったものは、現在の生命と自由に対しては何の力も持たないからである。

                                                                       (歴史哲学上s28)

 
 
 
 
 
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歴史認識を疑う。森の防潮堤

2013年06月11日 | 歴史

 

 

日中戦争の真実――日本は中国を救おうとした p.tl/e2a8

 

日韓併合時代の真実――日本と朝鮮が手を取り合って生きた時代 p.tl/ZBi0

 

中国の「正しい歴史認識」の正体 p.tl/Mnr1

 

森の長城プロジェクト。東北の防潮堤はこの方式で。>><<FNNニュース: 宮城・岩沼市で津波一... p.tl/O8Vg

 

 

 

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YOUTUBE と歴史資料

2013年04月18日 | 歴史

 

YOUTUBE  と歴史資料


歴史に興味と関心のある者にとって、インターネット上に、とくにYOUTUBEなどに映像をともなった様々な歴史的資料ともいえるものが豊富に提供されつつあるのはうれしい。

歴史とは何か。この根本的な問いは常に問われ、確認される必要がある。しかし、さしあたってここでは歴史とは、現在を生きる個人が、自らが置かれ含まれる特定の国家、民族の現在と過去の流転と変化その発展を、環境として客観的対象として認識し把握する行為である。ただ、そこで認識される歴史的な真実とは何か。

これは哲学上の認識論にもかかわる問題であるが、基本的にここで確認しておくべきは、有限な存在である個人には有限な認識しかできない、ということである。「個人」として認識するのは現象であって、本質でも、ましてや概念ではあり得ない。それは全ての個人が持つ「限界」でもある。歴史研究とは、そうした個人の有限性を克服して、普遍的な認識を得ることである。

人間は文化的存在であるから、彼は特殊的に規定された自らの文化において環境を認識する。特定の言語、特定の歴史認識という枠組みにおいて、すなわち、何らかの特定の価値観をもって対象を、環境を、歴史的事象を認識し把握する。

個 人がどのような偶然と必然の経路をへてそうした特定の価値観をもつに至るかは、今ここでは問わない。同じ一つの歴史的事象についても、その認識と把握は、 個人の価値評価はそれぞれに異なる、という基本的事実を確認しておけば足りる。ただ、その異なる価値評価は、それぞれに真理の「一面性」を現すものでありうる。

それは、全ての現象はそれなりの根拠と必然性を背景として存在している、ということである。しかし、単な る現象の集積を歴史とは言わない。「現実的なものは理性的であり、理性的なものは現実的である」と言われているように、事象の中に「理性的なもの」を認識 し把握することが歴史の事柄である。

世界の事象、事物は、言うまでもなく「私」という観点から全てを眺め、認識し、把握する。しかし、こ の「私」という存在は、天から降って来たのでもなければ、地から湧き出たものではない。歴史という媒介を経て、今、ここに「存在」している。「私」という 存在は、時間と空間によって規定された存在である。つまり、全ての「私」は歴史的存在であり、全ての個人がそうであるように、時代と民族の子であり、この 規定から逃れうる「私」個人は存在しない。

私たちが、歴史を探究し認識するのも、全ての個人が歴史的に規定された存在であり、それゆえ に、個人が「私」として自己を知ろうとするとき、その個人の置かれている時代と民族の歴史を知ることなくしては、「自分自身を知る」ことができないからで ある。そして、個人としての人間はすべて、彼の「過去」と「現在」を知ることなくして、すなわち、彼の歴史を知ることなくして、理性的存在である人間は 「未来」を生きることができないのである。

人間は歴史的存在であるように、また、政治的動物でもある。全ての個人は政治的に規定された存在でもある。どのように政治的に規定されているかを知ることは、その歴史を認識することでもある。

と くに、現在の私たち全ての個人の生きる場所は、国家、民族としてであり、時代としては、二〇世紀の後半以降である。そして、とくに私たちを決定的に規定し ている歴史的事件としては、第二次世界大戦が、とくに大東亜戦争(太平洋戦争)が存在する。この事実とその思想的な哲学的な背景を認識し理解することなく して「私」自身を客観的に知ることができない。

確かに、私たち個人は全て、何らかの意味では「歴史教育」を受け、また、どれだけ自覚的 か、客観的であるかはとにかく、いずれにしても特定の何らかの「歴史観」をもって生きている。その基本的な要素は、学校教育から得たものであるとしても、 それ自体何らかの政治的に規定されたものである。

ただ、そうした段階にとどまる歴史観は決して反省されたものではなく、また自由で主体的 な歴史観ではないということである。いわば、それは子供の「歴史観」であり、主体的な自覚された、客観的な大人の歴史観ではない。それはまだ親離れしない 子供が、両親の価値観をその真偽を疑いもせずに受け継いでいるようなもので、自己と両親とを疑い、反抗期をへて反省した、新たに主体的に形成しなおした価 値観ではない。学校で教育されたままの歴史観とはそうしたものである。

とくに現在に支配的な歴史観は、大東亜戦争(太平洋戦争)の敗北と いう日本歴史においても未曾有の歴史的事件の直後に、とくにGHQの占領統治下に制定された日本国憲法下に規定された教育環境の中で形成され教育されたも のであるということ、その歴史教育そのものの政治的環境を反省することなくして、主体的な自由な歴史観の形成はあり得ない。

インターネッ ト環境の普及と充実によって得られる様々な歴史的資料は、その点において、とくに特定の政治的環境のなかで教育された戦後世代が―――もちろん、人間が政 治的動物である以上、戦前世代と同様に、全ての世代が、何らかの特定の政治的な歴史的な環境の中で教育され生育してゆくのだけれども、――――とくに政治 的にも限定された学校における歴史教育の限界を超えて、自らの世代の自画像を明確に全面的に客観的に知る上でも、さらに主体的な歴史観をみずから確立して 行く上でも、YOUTUBEなどに提供されつつある充実した歴史的映像は、とくにその意義は大きいといえる。

 

ブログ管理人の基本的な歴史認識


歴史のパースペクティブ ―――20世紀のインディアン

日本族インディアン国酋長の感謝と詫び状―――歴史のカリカチュア

生き残り日本兵の顔つきと日本サッカー陣

                      その他

 

南京大虐殺証拠写真を検証する. 2007年9月29日- YouTube http://goo.gl/2ZbwV

知ってはいけない日帝時代の真実:学校では教えられない日帝時代の実像               【알아서는 안 되는 일제시대의 진실 】http://yeoksa.blog.fc2.com/page-0.html

 

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柳条湖事件

2012年09月18日 | 歴史

今 から81年前に、柳条湖事件 があったそうです。ここから満州事変へと発展してゆく端緒になったとされる事件です。中国では本日この日に反日デモが行われ、暴徒化しています。この事件 の歴史的な背景をあらためて概略的にも知っておくために、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から、〔柳条湖事件〕の項を参考にさせ ていただきました。GOOブログでは字数制限の関係で、全文は引用できませんでしたので、項目全文は、次のブログに引用掲載してあります。

夕暮れのフクロウ:柳条湖事件

http://anowls.blogspot.jp/2012/09/blog-post.html

この事件を契機にして、満州事変から1945年8月15日のポツダム宣言の受諾による日本の敗戦に至るまでの、東アジア大陸において中国と日本の間で戦われた日中戦争と太平洋を挟んで日本と主にアメリカを中心とする連合軍との間に戦われた戦争については、このブログではさしあたっては『東アジア戦争』と呼んで、その歴史研究を進めてゆきたいと思います。従来この戦争の呼称については、「太平洋戦争」とか「大東亜戦争」が一般に用いられていますが、このブログでは、原則としては『東アジア戦争』という用語を用いることにします。

柳条湖事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
事件直後の柳条湖の爆破現場

柳条湖事件(りゅうじょうこじけん、英語: Liutiaohu Incident)は、関東軍謀略によって起こった、満州事変の発端となる鉄道爆破事件[1]1931年昭和6年、民国20年)9月18日午後10時20分ころ、満州(現在の中国東北部)の奉天(現在の瀋陽市)近郊の柳条湖(りゅうじょうこ)付近で、日本の所有する南満州鉄道(満鉄)の線路が爆破された事件である[2]。事件名は発生地の「柳条湖」に由来するが、長いあいだ「柳条溝事件」(りゅうじょうこうじけん、Liutiaogou Incident)とも称されてきた(詳細は「事件名称について」節を参照)。

なお、発生段階の事件名称としては「柳条湖(溝)事件」のほか「奉天事件」「9・18事件」があるが、その後の展開も含めた戦争全体の名称としては「満州事変」が広く用いられている[3][注釈 1]

目次

[非表示]

※出典

ウィキペディア:フリー百科事典

柳条湖事件

http://goo.gl/TAFsf

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韓国の李明博大統領の謝罪要求

2012年08月21日 | 歴史

 

韓国の李明博大統領の謝罪要求

韓国の李明博大統領が先の2012年8月14日に、天皇陛下について「韓国を訪問したければ、独立運動で亡くなった人々を訪ね、心から謝罪してほし い」などと謝罪要求した。それに対して、日本国内に反発がおきている。ネット上での低劣な韓国批判は珍しくないが、今回の発言をきっかけとする批判は、従 来の「ネットウヨ」に火を付けたうえに、さらに一般的にそれらとは質を異にする「教養層」からのものも追加することになったようである。

李明博大統領は2012年8月10日に現在日韓両国で帰属問題に紛争のある竹島に上陸して、多くの日本国民の間に反韓感情を引き起こしたのに続い て、忠清北道の大学で行われた教員らとの会合の席上で行った、天皇陛下訪韓など対日関係に関する発言が再び論議を呼び起こすことになった。

そこでの李明博大統領の発言の精確なところは定かではないが、ネット上などのニュースで漏れ聞くところによれば次のようなものであったらしい。

「(天皇も)韓国を訪問したいならば、独立運動をして亡くなられた方々のもとを訪ね、心から謝罪すればいい。何か月も悩んで「痛惜の念」などという言葉一つを見つけて来るくらいなら、来る必要はない。」

以上の発言が間違いのないものとしても、今年の年末には降板する予定の李大統領がこうした発言を行った背景については、いろいろと憶測されている。

しかしいずれにしても、李大統領の発言の背景には、韓国社会における特異な言論空間が存在していることを予想させる。

その言論空間は金大中元大統領から、さらに盧武鉉元大統領に至るまでの親北朝鮮政権においてとくに確立されたものであるといってよい。

戦前の日韓併合時代に生まれ育った世代が少数になり、その後の韓国社会に政治的に形成された観念的な反日的意識のなかで教育され生育した戦後世代をその背景としていることが、その特徴である。そのためにその「反日」は観念的でイデオロギー的な色彩が強い。

その言論空間の特色は、盧武鉉政権当時に制定せられた、いわゆる『親日法』(正式的には『親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法』と呼ばれる。)にとくに、よく現れているように思われる。

この『親日反民族法』は、日韓併合統治下の韓国において、親日反民族行為を行ったと認定された者、あるいはその子孫に対して、「親日行為」によって取得した土地や財産を没収させるというものである。

それは、法の不遡及を原理とする近現代法の原則に反する点においても、また、罪刑を近親者にも及ぼす連座制の性格の濃いことからも、前近代的できわめて封建的な性格の強い法律だと言わざるをえないものである。

こうした立法が為されるということ自体に、現代韓国社会における前近代的性格と非民主的な性格が現れていると思う。しかし、それが現実である。北朝 鮮が「社会主義」を自称しているにもかかわらず、実質的には封建的な「金王朝」であるといわれるように、南北朝鮮ともにまた、言論や思想の自由を抑圧する 傾向においても、名目的にはとにかく「自由と民主主義」のその実質的な水準は必ずしも高くはない。

先の李明博大統領の竹島訪問や天皇陛下への謝罪請求といった対日強行発言には、退任後に次期政権から、とくに日本生まれの李明博大統領に対する「親 日反民族行為」訴求に対する防御線を張っておくためであると考えられる。この時期における李大統領の発言の核心は、本年末の大統領職の離任後、韓国民と次 期政権からの「親日派批判」を封じておくことにあると推測するのがもっとも妥当だろうと思う。李大統領の一連の「反日的」言動の背景には、さらに韓国社会 の不自由で画一的な言論空間が存在している。

いま軍事的にも強大化しつつあり、太平洋に覇権を追求しつつある「共産中国」を隣国に持つ韓国の、しかもその大統領が、何を血迷ったか日韓関係に意図的に亀裂をもたらすような言動に出る。「自由主義国家」として連帯を求めるべきは日本であるはずではないか。

それにしても、韓国のみならずさらに中華人民共和国の両国から執拗に行われる日本の政治家に対する靖国神社参拝批判や、天皇陛下に対する謝罪要求の 思想的な背景について(北朝鮮は論外として)、日本国民の了解しておかなければならないことは、韓国と中国の歴史観がいずれも、根本的にはマルクス主義の 影響下にあるということである。その論理的帰結としての対日批判である。

したがって、韓国や中国からの対日批判には、全体主義国家、共産主義国家、もしくは疑似共産主義国家からの、自由民主主義国家日本に対する思想的批 判という色彩を持っている。これらの両国からの対日批判の本質は、「全体主義国家」の「自由民主主義国家日本」に対するイデオロギー政策、批判として捉え なければならない。

少なくとも、その批判の潜在的な、あるいは自覚的な意図には、自由民主主義国家日本の共産主義化という目的のうえに行われていると考えるべきだろ う。したがって、日本国内にある日本人共産主義者、あるいは帰化中国人や帰化朝鮮人などの共産主義者たちも、自由民主主義国家日本に対する韓国や中国から の批判に同調し、共同戦線を組むことは予想されるものである。

実際にその歴史的な事例としては、かって著名な日本のマルクス主義歴史学者だった故井上清氏などの活動に典型的に見ることができる。日本の解体に手 を貸して、共産中国、北朝鮮と連帯しようとするものである。朝日新聞などもその論調は、十分に親中国、親北朝鮮の色彩が濃い。もちろん、たとえ不十分なが らも「自由と民主主義」を国是とする日本国においては、「親韓反民族行為法」などはまちがっても制定されることは考えられないし、私たちの言論による批判 の自由とともに、朝日新聞にも完全に「言論の自由」は保障されている。

韓国の言論空間は、日本以上に非民主的であり画一的で不自由であることが予想される。私たち日本国民は、共産主義中国や親北朝鮮の韓国からの対日批 判の本質が、日本社会の共産主義化にあるということ、日本国を全体主義化させて彼らの国家体質に同化、従属化させることにあるということを自覚しておく必 要があるだろう。その自覚の上に、日本国における「自由と民主主義」を防衛し、中国と韓国社会における「自由と民主主義」のさらなる実現と拡大のために戦 う必要がある。

 

알아서는 안 되는 일제시대의 진실

학교에서 배우지 않는 일제강점기의 실상

(知ってはならない日帝時代の真実、学校では教えられない日帝時代の実像)

 http://yeoksa.blog.fc2.com/

 

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中東の自由化と中国

2011年02月15日 | 歴史

 

中東の自由化と中国

 

最近になってエジプトのムバラク大統領が退陣に追い込まれた。

中東におけるこうした一連の反政府運動は、先に北アフリカでチュニジアでベンアリ前大統領が退陣に追い込まれたことに端を発している。このチュニジアの反政府運動はエジプトに飛び火し、イエメンやバーレーン、さらにイランにおいてもデモや騒乱が起きている。

こうした民衆の自由を求める歴史的な運動については、すでに200年以上も前に哲学者カントがそうした歴史的な運動を洞察して、自由を歴史の目的として定式化し、理念として認識したところである。

中東は日本からは地理的にも比較的に遠く、その影響も必ずしも大きくはないかもしれないが、それでも、私たち日本国民は生活に欠くことのできないエネルギーである石油の大半を、これらの中東の石油産出国に依存している。

私たちにとって問題は、こうした中東諸国における反政府運動が、経済的にも軍事的にも台頭の著しい隣国中国に果たしてどのような影響を及ぼすかということである。国民の自由の状況については共産主義中国も、これらの中東のアラブ産出国と中国は似たり寄ったりとも考えられるからである。

隣国中国の政治的な状況は、日本の独立にとっても重大な意味を持つ。中国の「民主化」は日本の政治状況にも大きく影響を及ぼさざるをえない。

先に中国はノーベル平和賞を授与された中国における民主化運動のリーダー劉暁波氏に対して、受賞のための国外出国も許さず、今も獄中にあって拘束されたままであるという。

中華人民共和国は国内にチベットやウィグル族やその他数多くの少数民族の問題を抱えており、それらに対する対応を誤れば共産主義国家体制の屋台骨も揺らぎかねない。また上海万博以降、中国の経済状況も、貧富の格差が拡大してバブルの様相を呈し始めているらしいことは、ネットなどのメディアからも漏れ聞こえて来るところである。

いずれにしても長期的には中国においても民主化の動きを止めることはできないだろうが、その民主化がチュニジアの「ジャスミン革命」ように比較的に平穏裏に遂行されるかどうかである。かって中国では1989年の天安門事件で民主化運動は、人民解放軍の戦車の下に押し潰されたという過去がある。

かって孫文の辛亥革命を日本人が支援したように、現代の日本国民もあらゆる機会を捉えて、欧米の自由主義諸国と連携しながら、中国の民主化を支援してゆく必要がある。人民解放軍野戦司令官を自称する小沢一郎氏にその例を見るまでもなく、日本の政治家たちの多くにそうした問題意識はない。このこともまた、彼らの哲学の貧困と無能力のゆえである。それはまた現在の日本の国内外の哀れな政治的状況とも無関係ではない。

 

デモ、中東各地に波及 原油市況に影響も 

 

 

 

 

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日本族インディアン国酋長の感謝と詫び状―――歴史のカリカチュア

2010年08月15日 | 歴史




日本族インディアン国酋長の感謝と詫び状―――歴史のカリカチュア



アメリカ・インディアンも日本人も同じモンゴル人種で、気の遠くなるような遙か遠い昔に、一方は、モンゴル平原やシベリア大陸からベーリング海峡を越えて東に向かい、南北両アメリカ大陸に渡った。もう一方ではユーラシア大陸の東辺境に沿って南に降りて行った。前者がいわゆるアメリカ・インディアンたちで、後者はやがて、満州族や朝鮮人となり、さらに日本人となった。

同じインディアンでも、北アメリカに渡ったアメリカ・インディアンたちは、二百年ほど前に、西部開拓を押し進める南北ヨーロッパからの白色人種の移民たちによって、殺されたり追い払われたりした。今は狭い居留地に閉じこめられて、自閉的で退廃的な生活を過ごしているらしい。

それから約百年も経たないうちに、ヨーロッパからの白人移民たちはアメリカ人となって、北アメリカ大陸の西海岸に行き着いた。しかし、そこで彼らは行き所 を失って海に、広い太平洋に出ざるを得なかった。そして、彼らがやがて辿り着いて出会ったのが、ユーラシア大陸の東の半島や島々の辺境地に住み着いていた 満州族や朝鮮族、日本族のインディアンたちだった。

とりわけ日本族インディアンたちは、アメリカ・インディアンを退治するようには簡単に始末できなかった。南太平洋の島々でさんざん梃子づらせたあげくに、広島と長崎に原子爆弾を二発投下してようやく、彼らを力づくで押さえ込むことができた。

そして、マッカーサーを首領として日本列島に乗り込んできたアメリカ人たちは、彼ら日本族インディアンたちが二度と反抗することのないようにと、武器を二度と持たさせないために「平和憲法」を拝ませてやる代わりに、被害者意識で日本族インディアンに対する憎悪に凝り固まった漢族共産主義者たちから、彼らを守ってやらなければならなくなった。

アメリカ・インディアンと同様に今やテレビやサッカーなどの娯楽に夢中で、昔のサムライ精神を忘れて腰抜けになった今の日本族インディアンたちには、これからも狭い日本列島におとなしく居留させてやる代わりに、自分を守れない彼らをアメリカ人は保護してやる責務がある。

すでに、日本族インディアンがアメリカ人にやっつけられてから今年で六十五年目に入った。今年もまた日本族インディアン国首相である菅直人氏は、靖国神社にはA級戦犯たちが祭られているという理由で、参拝にも行かないそうだ。

敗戦で属国になってしまった国の酋長、菅直人氏は、やはり宗主国の意向に逆らう度胸もなく、今となってはアメリカ合衆国日本州の知事でもあるのだから、勝者であるアメリカ合衆国が六十五年前に厳かに宣言した東京裁判の判決を、唯々諾々と踏襲するのも、もはや当然といえば当然のことなのかもしれない。

A級戦犯というのは、確かアメリカ人たちが自分たちに反抗する日本族インディアンの酋長たちに被せた罪名だったはずだった。が、戦争が終わってすでに六十五年にもなるというのに、アメリカ人たちが反抗日本族インディアンたちを懲らしめるために裁判でつけたこの罪名を、今なお後生大事に守っている。

同じ日本族インディアンの酋長である菅直人氏は、七十数年前に強大な敵に立ち向かって誇り高く戦った同胞の先輩たちを、A級戦犯と呼んで今なお何の疑問を持つことも恥じることもない。

自分たちの占領政策のこれほどの絶大な効果に、きっとアメリカ人たちは、眼から涙を流して腹の皮のよじれるくらいに笑っているに違いない。それなのに、愚かにも愚かな日本族インディアンの酋長、菅直人氏の、アメリカと全世界に対する感謝と詫び状は、六十五年度目に入った今年もまた以下のようなものであったらしい。

★敗戦65周年記念、敗戦日本族インディアンの酋長菅直人氏の感謝ならびに詫び状(別名、全国戦没者追悼式内閣総理大臣式辞 )

本日ここに、天皇皇后両陛下の御臨席を仰ぎ、戦没者の御遺族並びに各界代表多数の御列席を得て、全国戦没者追悼式を挙行するに当たり、政府を代表し、式辞を申し述べます。

 終戦から六十五年が過ぎ去りました。祖国を思い、家族を案じつつ、心ならずも戦場に倒れ、戦禍に遭われ、あるいは戦後、異郷の地に亡くなられた三百万余の方々の無念を思うとき、悲痛の思いが尽きることなく込み上げてきます。改めて、心から御冥福をお祈りいたします。

 また、最愛の肉親を失われ、決して癒されることのない悲しみを抱えながら、苦難を乗り越えてこられた御遺族の皆様のご労苦に、深く敬意を表します。

 先の大戦では、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対し、多大の損害と苦痛を与えました。深く反省するとともに、犠牲となられた方々とそのご遺族に対し、謹んで哀悼の意を表します。

 戦後、私達国民一人一人が努力し、また、各国・各地域との友好関係に支えられ、幾多の困難を乗り越えながら、平和国家としての途を進んできました。これからも、過去を謙虚に振り返り、悲惨な戦争の教訓を語り継いでいかなければなりません。

 世界では、今なお武力による紛争が後を絶ちません。本日この式典に当たり、不戦の誓いを新たにし、戦争の惨禍を繰り返すことのないよう、世界の恒久平和の確立に全力を尽くすことを改めて誓います。

 戦没者の御霊の安らかならんことを、そして御遺族の皆様の御健勝をお祈りして、式辞といたします。

平成二十二年八月十五日
内閣総理大臣 菅直人


ところで、平成二十二年に棚からぼた餅で酋長になった菅直人氏の談話の前にも、とくにその馬鹿さ加減で歴史に名を残すことになったのは、ちょうど敗戦後50周年に当たる年に、たまたま日本族インディアンの酋長の地位にあった村山富市氏の酋長談話である。今年の酋長、菅直人氏の談話も、この村山富市氏の感謝ならびに詫び状を踏襲されたものであるから、この村山富市氏の談話も併せてここに記録しておくことにする。

★敗戦50周年記念、敗戦日本族インディアンの酋長村山富市氏の感謝ならびに詫び状(別名、村山内閣総理大臣談話)
「戦後50周年の終戦記念日にあたって」

戦後五十年の節目に当たりまして、総理大臣としての談話を述べさせていただきます。

 先の大戦が終わりを告げてから、五十年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。

 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様一人一人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。

 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを二度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。特に近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この二つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。

 いま、戦後五十周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。

 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に過ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。

 敗戦の日から五十周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。

 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。

平成七年八月十五日
内閣総理大臣 村山富市

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

向後百年後、二百年後の日本国民にこれらの歴代首相たちの談話の再評価に期待したい。が、しかし、すでに退廃的で自閉的になった日本人には村山富市氏や菅直人氏らと同じように、相も変わらずの、アメリカと世界に対する「感謝と詫び状」を見直すだけの気概も主体性もすでに持ち合わせないかもしれない。

その場合には、アメリカ・インディアンと同じ運命が、哀れにも日本族インディアンたちをも襲ったことの証明にはなるだろう。歴史の非情に涙せざるを得ない。



参照

生き残り日本兵の顔つきと日本サッカー陣

歴史のパースペクティブ ―――20世紀のインディアン











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