夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

ヘーゲル『哲学入門』第二章 国家社会 第二十五節 [自然状態について]

2021年02月17日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

§25

Der  Naturzustand  ist der Stand der Rohheit, Gewalt und Un­gerechtigkeit.(※1) Die Menschen müssen aus einem solchen in die Staatsgesellschaft treten, weil nur in ihr das rechtliche Verhält­nis Wirklichkeit hat.

第二十五節〔自然状態について〕

自然の状態 は、粗野で、暴力と不法の状態である。人間はこうした状態から国家社会へと移行しなければならない。というのも、国家社会においてのみ、法的な関係が現実性をもつからである。

Erläuterung.

Der Naturzustand pflegt häufig als ein  vollkomme­ner  Zustand des Menschen geschildert zu werden, sowohl nach der Glückseligkeit als nach der sittlichen Güte. Fürs Erste ist zu bemerken, dass die Unschuld  als solche keinen moralischen Werth hat, insofern sie Unwissenheit des Bösen ist und auf dem Man­gel von Bedürfnissen beruht, unter welchen Böses geschehen kann.

説明

自然の状態については、幸福と道徳的な善良さの両面から、人間のより完全な 状態として説明されることがよくある。このことについて第一に注意されなければならないことは、無邪気さ そのものは、悪について無知であること、そして、それが悪を引き起こす欲望を欠くものである限りにおいて、何らの道徳的な価値をももたない、ということである。

Zweitens ist dieser Zustand vielmehr ein Zustand der  Gewalt  und des Unrechts,  eben weil die Menschen sich in ihm nach der Natur betrachten. Nach dieser aber sind sie  ungleich,  sowohl in Rücksicht auf körperliche Kräfte, als auf geistige An­lagen und machen ihren Unterschied durch Gewalt und List gegen einander geltend. Vernunft ist zwar auch im Naturzu­stande, aber das Natürliche ist das Herrschende. Die Menschen müssen daher aus ihm in einen Zustand übergehen, in welchem der vernünftige Wille das Herrschende ist.

第二に、自然の状態はむしろ、暴力 不法 の状態である。人間は自然の状態においては、まさにその本性にしたがって行動すると見なされるからである。しかし、人間は、その生まれつきからも身体的な能力と精神的な才能のいづれについても 不平等  であり、そうして彼らは暴力と狡知を通して互いに優劣をしのぎあう。理性はたしかに自然状態の中にもまたなくはないけれども、しかし、そこでは自然的なものが支配的である。したがって、人間は自然状態を理性的な意志の支配する状態へと移行させなければならない。

 

※1

人間の自然状態については、さまざまに憶測され、仮説が唱えられている。

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』第二章 国家社会 第二十四節 [国家]

2021年02月15日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

§24

Der  Staat  ist die Gesellschaft von Menschen unter rechtlichen Verhältnissen, worin sie nicht wegen eines besonderen Natur­verhältnisses nach natürlichen Neigungen und Gefühlen, son­dern als Personen für einander gelten und diese Persönlichkeit eines Jeden mittelbar (※1)behauptet wird. Wenn eine Familie sich zur Nation erweitert hat und der Staat mit der Nation  in   Eins zusammenfällt, so ist dies ein großes Glück. 

第二十四節[国家]

国家 とは法的な関係の下にある人間の社会である。国家のうちにおいては、自然の性向や感情による一つの特殊な自然の関係としてではなくて、お互いが人格として認められ、そして、そこでは各人のこの人格性は間接的に主張されることになる。家族が自らを国民にまで拡大して、そして、国家と国民が一つになるそのとき、このことは大きな幸福である。


Erläuterung.

説明。

Ein Volk hängt durch Sprache, Sitten und Ge­wohnheit und Bildung zusammen. Dieser Zusammenhang aber formiert noch keinen Staat. Ferner sind Moralität, Religion, Wohlstand und Reichtum aller seiner Bürger zwar sehr wich­tig für den Staat. Er muss auch Sorge tragen zur Beförderung dieser Umstände, aber sie machen für ihn nicht den unmittel­baren Zweck aus, sondern das  Recht.

ひとつの民族は、言語、慣習そして風俗や教養などを通して結びついている。しかし、この結びつきはまだ国家を形成するものではない。さらに、そのすべての市民の道徳や宗教、福祉そして富などは確かに国家にとってとても重要である。また、国家はこれらの環境の改善に配慮しなければならないが、しかし、国家にとってはそれらは直接の目的ではなく、そうではなく 法 (正義)こそが直接の目的である。

 

(※1)
 diese Persönlichkeit eines Jeden mittelbar  behauptet  wird
「そこでは各人のこの人格性は間接的に主張されることになる。」

というのであれば、mittelbar(間接的な)にではなく、 その対義語である「unmittel­bar(直接的)に、人格性を主張する」とはどういうことかを考えるとわかりやすい。

それは親子や兄弟といった家族関係においてのように人格性を直接に互いに主張しあうのではなくて、国家においては各個人の人格性は法的関係を通して間接的に主張されるということである。

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』第二章 国家社会 第二十三節 [家族]

2021年02月08日 | ヘーゲル『哲学入門』

§ 23


Die  Familie  ist die natürliche Gesellschaft, deren Glieder durch Liebe, Vertrauen und natürlichen Gehorsam (Pietät ) verbunden sind.

第二十三節[家族]

家族は自然社会である。家族の成員それぞれは、愛と信頼、そして、自然な服従(孝順、敬虔 Pietät )によって結びついている。

 

Erläuterung.
説明

 Die Familie ist eine natürliche Gesellschaft, er­stens : weil Jemand einer Familie nicht durch seinen Willen, son­dern durch die Natur als Mitglied angehört und zweitens, weil die Verhältnisse und das Benehmen der Mitglieder zu einander nicht sowohl auf Überlegung und Entschluss, sondern auf Ge­fühl und Trieb beruhen. 

家族は一つの自然社会である。第一に誰もが自分の意志によってではなく、家族の一員として生まれついて家族に属しているからであり、そして、第二に、家族の成員の関係や行動は、思慮や推測に基づくのではなく、感情や衝動に基づいているからである。

Die Verhältnisse sind notwendig und vernünftig, aber es fehlt die Form der bewussten Einsicht. Es ist mehr Instinkt. Die Liebe der Familienmitglieder beruht dar­auf, dass mein Ich mit dem andern einzelnen Ich eine Einheit ausmacht. Sie betrachten sich gegen einander nicht als Einzelne. Die Familie ist ein organisches Ganze. Die Teile sind eigentlich nicht Teile, sondern Glieder, die ihre Substanz nur in dem Ganzen haben und welchen, getrennt von dem Ganzen, die Selbstständigkeit fehlt. 

その環境は必然的であり理性的であるが、しかし、それは意識的な洞察を欠いている。それはよりいっそう本能的なものである。家族相互の愛は、私の自我と他の個々の自我が団結するという事実に基づいている。彼らは互いに自分たちを個人としては見なさない。家族は一つの有機的な全体である。その部分は本来的に部分ではなく、むしろ肢体である。その実体はただ全体の中にあり、そして、その全体から切り離されると自立できない。

Das Vertrauen, das die Familienmitglie­der zu einander haben, besteht darin, dass Jeder nicht ein Inter­esse für sich hat, sondern überhaupt für das Ganze. Der natür­liche Gehorsam innerhalb der Familie beruht darauf, dass in diesem Ganzen nur Ein Wille ist, welcher nämlich dem Ober­haupte zukommt. Insofern macht die Familie nur Eine Person aus. (Nation.) ※1

ある家族のそれぞれが互いにもっている信頼は、家族の誰もが自分のための利益ではなくて、むしろ普通に家族全体ための利益を求めるということのうちにある。家族のうちにある自然な従順は、家族の総体のうちにはただ一つの意志があることによるものである。それはすなわち家長に帰するところのものであるが、その限りにおいて、家族はただ一つの人格から成る。(国民)

※1

家族についてさらに詳細な考察は、法哲学の「第三部 倫理 第一章 家族」の項において行われている。ここに「国民」(Nation.)を付記しているのは、国家において家族的な性格を回復したものが「国民」でもあるからだろう。

なお、この『哲学入門』においては、『法の哲学』に比べれば、家族から市民社会への概念の移行の論理的な展開についての説明もきわめて不十分である。

 

 

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