「一度あることは二度ある」少なくとも一国の国防の軍事指導者は並みの人物で務まるポストではない。高度の見識、経験、能力を必要とする。国民から尊敬され憧憬される軍隊を持たない国家に品位と安定はない。... goo.gl/mpVisM
— review (@myenzyklo) 2017年6月28日 - 23:39
稲田大臣の「自衛隊発言」に野党の批判強まる 4日後に都議選を控え、自民党内でも深刻視 | 日テレNEWS24 - 東洋経済オンライン http://toyokeizai.net/articles/-/178323 @Toyokeizaiさんから
最近になって失望することになった女性の政治家が二人いる。現在東京都知事として都議選を戦っている小池百合子さんと、一昨日にその都知事選に応援演説をかって出た現在の防衛大臣、稲田朋美氏である。もちろん、言うまでもなくその資質と能力を厳密に判定することなくして、女性だからという理由だけで評価を左右することはない。かって、イスラエルにはゴルダ・メイアという優れた女性首相がいたし、イギリスには「イギリス病」を克服するのに大きな貢献したサッチャー首相がいた。現在のイギリスのメイ首相の能力については未知数であり判断するだけの根拠をもっていない。
お隣の韓国で朴槿恵氏が大統領に選ばれた時に、韓国民はきっと後悔する時が来るだろうと書いたが、結果としてその通りになった。そのように判断したのは、就任したばかりの朴槿恵大統領の反日政策とそこに現れた彼女の所信などから、彼女の「政治哲学」に大きな問題を感じたからである。
稲田朋美防衛相が東京都議選の応援演説で行った発言が問題になっているのは、「自衛隊という実力組織を政治利用する」とも受け取られかねない発言を行って、政権批判を手ぐすねを引いて待っている野党に、そのための格好の悪材料を与えたからである。
この問題の背景にあるのは深刻な政治家の資質の問題である。ここで言う政治家の資質とは、何も稲田朋美という女性政治家のみではない。それ以上に彼女を任命した安部晋三首相の政治家としての資質に問題がある。というのも、こうした問題は初めてではなく、既視感を覚える事柄だからである。安倍晋三氏はまた同じ問題を繰り返している。
それはほぼ十年ほど前の第一次安倍晋三内閣のときに現在は東京都知事に就任している小池百合子氏を、現在の稲田氏のように防衛大臣に任命したときに、防衛省の事務次官人事をめぐって党内外に波紋と混乱が生まれた。このときに見て感じたことを記事にした記憶があるからだ。それから十年、野党の体たらくに乗じて復活したかのように尊大になった現在の安倍晋三氏には、この時の人事の失敗のことなどもうお忘れかもしれない。
そのときにも防衛相の人事について次のように書いた。
「少なくとも一国の国防の軍事指導者は並みの人物で務まるポストではない。高度の見識、経験、能力を必要とする。国民から尊敬され憧憬される軍隊を持たない国家に品位と安定はない。その人事を誤れば、潜在敵国からは侮られ、同盟国からは不信を買い、部下の軍人武官からは軽侮を買って、その文民統治の原則にもひびを入れかねない。」
十年前に比べて、北朝鮮や中国、ロシアなどを巡る国際情勢は、とりわけ北朝鮮がこの十年の間に核開発やミサイル技術を向上させることによって、日本国民への脅威は著しく増大している。「二度あることは三度ある」という我が国のことわざを軽く見てはいけない。東京都民の頭上にどこかの国の核爆弾が炸裂しないという保証はどこにもない。それは当時の広島市民や長崎市民にも夢にも想像しなかったことである。
なお一層深刻化しつつある国際軍事情勢で、一国の国防をめぐる判断は寸分の過ちも許されないはずである。一国の滅亡は、外部からではなく内部から崩壊してゆく場合が多い。政治家も大学教授たちもそして国民一般も我が国のその現状をどのように見るか。
※ 十年ほど前、第一次安倍晋三内閣の登場時に書いた記事。
三流国家としての日本の現状
、つまり潜在的かつ顕在的に存在する普遍性のうちに、特殊者、すなわちそれぞれが彩なす現実性をなしている家神、市民社会と諸民族の精神が、たんに観念的なものとして存在しており、この地盤における精神の運動は、この観念的なものを表現することにあるからである。(C 世界史)
— review (@myenzyklo) 2017年6月27日 - 00:05
§341
— review (@myenzyklo) 2017年6月26日 - 23:58
普遍的精神の具現する地盤、それは芸術においては直観と形象、宗教においては感情と表象、哲学においては純粋な、自由な思想であるが、世界史においては世界史の内面性と外面性との全範囲における精神の現実化である。世界史は一つの法廷である。なぜならこの法廷は、絶対的に存在する
「6月15日(木)のTW:「平等」の強制」ここで中川八洋氏の述べているように、抽象的な概念である「平等」を、それの認められる具体的で理性的な条件もわきまえずに、その限界を超えて抽象的一般的に狂信... goo.gl/dWojoD
— review (@myenzyklo) 2017年6月21日 - 23:13
— chaste (@chaste_japan) 2017年6月14日 - 18:51
※20170621追記
ここで中川八洋氏の述べているように、抽象的な概念である「平等」を、それが認められる具体的で理性的な条件もわきまえずに、その限界を超えて抽象的一般的に狂信的に主張すること、つまり「悟性的な思考」によってもたらされるその破壊的な作用については警戒される必要があります。
たとえば、「親と子」「教師と生徒」「男性と女性」などの間に「絶対的平等」を主張すれば、秩序は崩壊し生命は死にます。
また「男女共同参画法」などのように、抽象的な男女平等イデオロギーに基づいて、法律的な強制によって男女の区別を無分別に解消しようとするとき、ときには男女の概念的本性を不自然に歪めて「角を矯めて牛を殺す」ようなことになりかねません。不合理な習俗文化、生活習慣などの改善は、法的な強制によるのではなく、できうるかぎり教育や啓蒙活動を通じて実現してゆくほうが弊害は少ないと思います。
もちろん「平等」概念の意義も、ただに全面的に一般的に否定されるのではなく、「平等」が正当に評価され、肯定される一定の具体的な条件を明らかにした上で認められるべきものです
要するに、「自由」や「平等」、「人権」、「平和」といった抽象的な概念についても、その意義の認められる限界を超えて、一般的に抽象的にその普遍性を狂信的に主張することによってもたらされる破壊性や害悪ついて認識する必要があります。
またたんに「平等」だけでなく、「民主主義」や「階級闘争史観」などのより複雑な抽象的概念についても同じことがいえます。「民主主義」や「階級闘争史観」などの概念、抽象的なイデオロギーを狂信して行われた政治的運動が、大衆の劣情を呼び起こして破滅を招くことになった事例は、古今東西において歴史的にも事欠きません。悟性的な政治運動ではなく、理性的な政治運動とは何か、が追求されるべきだと思います。
※
「平等」や「自由」「人権」などの、普遍的概念(抽象的概念)による「悟性的な思考」のもたらす問題については以下の論考などで論じています。
Allgemeine Begriffe(普遍的概念)がもたらす恐ろしい不幸
悟性的思考と理性的思考
「悟性的思考」と「理性的思考」2
10月10日(月)のTW:〔契約国家説批判〕
11月23日(日)のTW:天皇を「自然人」としてしか見れない奥平康弘氏
「本書の目的は、日本国憲法及び皇室典範を中心とする、皇室に関する法制の解釈運用に関する原理を探求することにある。」(園部逸夫著『皇室法概論』序ⅰ)a
— review (@myenzyklo) 2017年6月14日 - 21:30
「既に述べたように本書は、皇室法に関する研究の第一歩に当たるものと考えている。こうした研究から始めて、最終的に国家と皇室との b
規範上の特別な関係を理解するところまでたどりつけるかどうかは定かではない。ただ個々の制度の意義を考え規範を解釈するに当たっては、常に最終的な目標を意識し努めたところであり、僅かではあっても目標に向かって進みつつあることを願う次第である。」はじめに(ibid.s4)c
— review (@myenzyklo) 2017年6月14日 - 21:31
「筆者(園部)の問題関心としては、まずこのように定められている現行制度とその運用を前提にして、国家と皇室との規範上の関係をどのように体系的に理解することができるかというところにある。・・・・本書では、そのためにもまず国家と皇室との現行制度上の a
— review (@myenzyklo) 2017年6月14日 - 21:46
規範関係を理解することに努めている。・・・・本書では皇室に関する成文法たる憲法及び皇室典範を主たる対象としている。」はじめに(ibid.s 1、2)
— review (@myenzyklo) 2017年6月14日 - 21:55
先週に図書館から園部逸夫著『皇室法概論』借りてきた。時間が少しできたので、ツイッターでメモノートをとりながら読みはじめた。
昨年平成28年8月8日に天皇陛下より「象徴としてのお務めについてのおことば」があって、それ以降の展開として、天皇陛下の譲位を可能にする特例法が今年の平成29年6月9日午前の参院本会議で可決、成立した。そうしたこともあって、私なりに国家と皇室との関係について少しでも理解が深まれば
— review (@myenzyklo) 2017年6月14日 - 22:26
と思って、図書館で借り入れていた。本書は600ページを超える大著で、時間にも余裕のない私には、どこまで興味が続くか、最後まで読み切れるかどうかすらおぼつかない体たらくぶり。これまでの皇室に関連する報道の中で時々著者の園部逸夫氏の名前を眼にしたこともあって本書を手にしたにすぎない。
— review (@myenzyklo) 2017年6月14日 - 23:49
園部逸夫氏については元裁判官ぐらいの知識しかない。いずれにせよ、私は皇室に関してはほとんど門外漢である。ただ、これまでヘーゲルの「法の哲学」については少し読んだこともあって(実際はこれも読みかじった程度)君主制については人並みよりは少しぐらいの知識はあるかもしれない。
— review (@myenzyklo) 2017年6月14日 - 23:49
それで、以前にも同じような関心から奥平康弘氏の『「万世一系」の研究』を読んでみたが(読みはじめた時は奥平氏はまだ存命中だったが、私がツイッターとブログで批判し始めている間に亡くなられたらしい。)、そこで気づいたことは、奥平氏にはヘーゲルの「法の哲学」を研究した形跡が
— review (@myenzyklo) 2017年6月14日 - 23:50
まったくないことだった。これでは奥平康弘氏には「君主制の概念」を認識できていないはずだ。それにも関わらず、奥平康弘氏は『「万世一系」の研究』を公刊されておられる。
— review (@myenzyklo) 2017年6月14日 - 23:51
少なくとも『「万世一系」の研究』と銘打って「皇室」の問題を研究しようとするのなら、先ずヘーゲルの『法の哲学』に学んで
自らの「君主制の概念」を批判的に検証することから始めるのが科学研究としての道筋であるべきはずだ。それによってまず「君主制の概念」「君主制の普遍的な本質」を確認した後に、その特殊的な形態である日本の「皇室」についての問題を論じるべきである。さもなければ、立憲君主国家体制の
— review (@myenzyklo) 2017年6月14日 - 23:51
意義と必然性の是非を論証することもできないし、したがって君主制の特殊形態である我が国の「皇室」の存在の意義と必然性の是非の検討もできないはずである。
— review (@myenzyklo) 2017年6月14日 - 23:52
奥平康弘氏の場合もそうだったし、浅学な私の知る限りにおいては、憲法学会の大御所といわれる樋口陽一氏もそうだが
(憲法学については知らない)、それ以前に、これら憲法学者たちの「国家観」や「君主制」についての「哲学」が惨めなほど貧困だという印象を(自分を棚に上げて――これが日本の大学教授か?)うける。
— review (@myenzyklo) 2017年6月14日 - 23:53
今手にしている園部逸夫氏の『皇室法概論』についても、先に述べた憲法学者たちの同様、
それらの著書とほぼ同じ印象で、確かにそこに「皇室」に関する法令や解釈や儀礼などについての膨大な知識には感心させられるけれども、「君主制」について、「皇室」についてその意義と必然性の是非について科学的に哲学的に論証するという問題意識がないゆえに、
— review (@myenzyklo) 2017年6月14日 - 23:53
研究論文としては三流以下という印象をうける。(最後まで読んでいないのにこんなこと言っていいのか?)そして、今こうしてこのツイッターを書いているときに、たまたま私のフォローして人のツイッターで以下のような投稿のあるのを知った。
— review (@myenzyklo) 2017年6月14日 - 23:53
園部逸夫氏の「皇室法概論」(本人の著作でなく共産党の作という説も)は、共産党の皇統断絶バイブルとなっている。彼は京大法学部時代から「民青」(共産党学生組織)の生粋の共産主義者であり、有識者会議でも議論を天皇廃止の方向へ煽動した極左活動家でもある彼が、現宮内庁参与であるという悲劇。
— 皇室の悠久 (@dankeidanshi) 2017年6月14日 - 19:16
それによると園部逸夫氏は「京大法学部時代から「民青」(共産党学生組織)に属していた生粋の共産主義者である。」とのことである。この記述の真偽を確認する手立てを私は持たないけれども、ただ、奥平康弘氏の著書の場合もそうだったけれども、これらの著書が何のために書かれたのか、
— review (@myenzyklo) 2017年6月14日 - 23:54
著者の研究の動機、問題意識が根本的に重要であることは言うまでもない。奥平康弘氏の著書『「万世一系」の研究』は「天皇制は民主主義と両立しない」ことを論証することにあったようだけれども、園部逸夫氏の大部の研究『皇室法概論』は一体何を論証しようとしているのだろうか。
— review (@myenzyklo) 2017年6月14日 - 23:54