夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第六十八節[分別心の自己に対する義務]

2022年11月17日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第六十八節[分別心の自己に対する義務]

§68

Die Pflicht der Klugheit  erscheint zunächst als eine Pflicht gegen sich selbst in den Verhältnissen zu Andern, insofern der Eigen­nutz Zweck ist. — Der wahre eigene Nutzen  wird aber wesent­lich durch sittliches Verhalten erreicht, welches somit die wahre Klugheit ist. Es ist darin zugleich enthalten, dass in Beziehung auf moralisches Betragen der eigene Nutzen zwar Folge sein kann, aber nicht als Zweck anzusehen ist.

第六十八節[分別心の自己に対する義務]

分別心 の義務は、自己の利益が目的である限り、さしあたっては他者との関係において自己自身に対する義務として現れる。── しかし、本質的に本当の 自分の利益 というものは、それゆえ真の分別心であるところの倫理的な行為を通して得られるものである。そこには同時に次のことが含まれている。すなわち、道徳的な行為については、自己の利益というものは結果としてあるべきであって、決して目的として見られてはならないということである。


※1
die  Klugheit. 訳語としては、慎重、 自重、思慮、 賢明、 善心、 善徳、世才、 分別心、などがある。
ここでは分別心と訳した。

※2
Der wahre eigene Nutzen wird aber wesent­lich durch sittliches Verhalten erreicht, welches somit die wahre Klugheit ist.
本当の自分の利益は、本質的には倫理的な行為を通して実現される。だから、倫理的な行為こそが、本当の分別心の義務である。

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第六十七節[人間愛について]

2022年11月14日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第六十七節[人間愛について]

§67

Die Pflicht der allgemeinen Menschenliebe(※1) erstreckt sich näher auf diejenigen, mit welchen wir im Verhältnis der Bekannt­schaft und Freundschaft stehen. Die ursprüngliche Einheit   der Menschen (※2)muss freiwillig zu solchen näheren Verbindungen ge­macht worden sein, durch welche bestimmtere Pflichten ent­stehen.

{Freundschaft  beruht auf Gleichheit der Charaktere, besonders des Interesses, ein gemeinsames Werk mit einander zu tun, nicht auf dem Vergnügen an der Person des Andern als solcher. Man muss seinen Freunden so wenig als möglich beschwerlich fallen. Von Freunden keine Dienstleistungen zu fordern, ist am Delikatesten. Man muss nicht sich die Sache ersparen, um sie Andern aufzulegen.)

第六十七節[人間愛について]

普遍的な人間愛  の義務は、知人や友情の関係にある人々に、より身近に向けられる。人類の根源的な一体性は、自由な意志によってそうした身近な結びつきへと造り上げられなければならない。そうした結びつきから、さまざまな義務が生まれてくる。

友情 は、人格の平等にもとづいており、とくに共通の仕事を一緒に行うことへの利害にもとづくものであり、相手の人格そのものに対する満足にもとづくのではない。人は友人たちにはできうるかぎり迷惑をかけないようにしなければならない。友人たちに奉仕を求めることがないのは、何より結構なことである。人は自分が楽をするために、他人に仕事を押しつけてはならない。)

 

※1
der allgemeinen Menschenliebe  普遍的な人間愛
こうした一節を見てもわかるように、ヘーゲル哲学がキリスト教を背景にしていることは疑いのないことである。この哲学はドイツ民族の宗教と倫理を母胎として、その結晶として生まれた。

※2
Die ursprüngliche Einheit der Menschen 人類の根源的な一体性、一者性。
人間の一者性、一体性の認識は、人間の抽象的な思考能力から生まれてくる。万人同一な一般人として「私」を把握するのは思考である。個人を普遍の形式によって意識する。

その根源的(ursprüngliche)な認識は、人間の「概念」として捉えられ、そこから、普遍的な「人類」意識が生じる。

普遍の次元は思想の段階であるが、この抽象的な「人類」という認識は、マルクス主義の「労働者」などと同じく、往々にして「祖国」や「民族」や「国家」などの個別具体性と対立的に、ときには敵対的に二律背反的に捉えられる。そのことによってもたらされる災いは深刻である。

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第六十六節[他者への奉仕]

2022年11月03日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第六十六節[他者への奉仕]

§66

Welche Dienste  wir andern Menschen zu erweisen haben oder erweisen können, hängt von zufälligen Verhältnissen ab, in denen wir mit ihnen stehen, und von den besonderen Umstän­den, in denen wir uns selbst befinden. Sind wir im Stande, einem Andern einen Dienst zu tun, so haben wir nur dies, dass er ein Mensch  ist, und seine Not  zu betrachten.

第六十六節[他者への奉仕]

我々が他者にどのような 奉仕 をなさなければならないか、あるいは奉仕することができるかは、その人たちとどのような関係にあるのか、その偶然の関係と、我々自身の置かれているさまざまな状況次第である。我々が他者に奉仕する立場 にあるということは、その他者が人間 であること、そうして、他者にその 必要性 が認められるということ、ただその場合にのみである。

Erläuterung,

説明

Die erste Bedingung, Andern Hülfe zu leisten, be­steht darin, dass wir ein Recht dazu haben, nämlich sie als Notleidende zu betrachten und gegen sie als solche zu handeln. Es muss also die Hülfe mit ihrem Willen geschehen. Dies setzt eine gewisse Bekanntschaft oder Vertraulichkeit voraus.

他者を助けるための第一の条件は、我々にそうする権利が、すなわち、彼らを困窮する人々と認め、かつ、彼らに対してそのように行動する権利があるということである。だから、援助は 彼ら他者の意志に もとづいて行われなければならない。このことは、彼らと特別な関係にあること、あるいは信頼関係にあることが前提となる。

Der Bedürf­tige ist als solcher dem Unbedürftigen ungleich. Es hängt also von seinem Willen ab, ob er als Bedürftiger erscheinen will. Er wird dies wollen, wenn er überzeugt ist, dass ich ihn, dieser Ungleichheit ungeachtet, als einen mir Gleichen behandle und betrachte. — Zweitens muss ich die Mittel in Händen haben, ihm zu helfen. — Endlich kann es auch Fälle geben, wo seine Not offenbar ist und darin gleichsam die Erklärung seines Willens liegt, dass ihm geholfen werde.    (※1)

困窮する者は、言うまでもなく困窮しない者とは同じではない。だから、彼が 困窮する者として 認められたいかどうかは、彼自身の意志次第である。この違いに関係なく、もし私が彼を同等な者として扱いまた認めていることを彼が確信しているなら、彼は自分が困窮者として認められることを望むだろう。── 第二に、私は彼を助けるための手段を手に入れなければならない。──  最後に、彼の欠乏が明白であり、かつ、そこで直ちに彼が援助を求める意志を明らかにする場合もありうる。

 


※1
この現在の第六十六節の文脈は、第一教程の第二章にあって「義務または道徳」について論じられている。その内、第五十九節から第七十節までは「Ⅳ 他人に対する義務」についての考察である。

第六十六節の主題は、私たちが困窮する他者に対して、奉仕し援助を差し向けるに際して必要な条件とは何かである。私たちがその他者とどのような関係にあるのか、その他者が、奉仕なり援助なりを求める意志があるのかどうかが条件となる。
また、彼らに奉仕し援助する手段が私たちになければならない。

 

 

 

 

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