夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

ヘーゲル哲学辞典

2005年09月30日 | 哲学一般

久しぶりに、ヘーゲル哲学辞典で「世論」の項目を挙げる。

ドイツ語では世論は「oeffentliche  Meinnung」で「公衆の私見(思いこみ)」という意味が現われている。ヘーゲルの時代はすでに市民社会を形成しつつあり、単に封建的な権力によるのではなく、市民の意見や説得が社会的な力を持っていたことが分かる。その意味ではヘーゲルの時代はわれわれと本質を異にするものではない。ゲーテの文学作品でも、とくに『ウィルヘルム・マイスターの修行時代』などにはすでに近現代の様相が読み取れる。

このブログは「哲学」の研究を目的としていると言えます。同好の方や問題意識を共有される方は、老若男女を問わず、大いに議論しあって互いに啓発できればと思います。今日の教育力の低下した大学に代わって、新しい教育、研さんの実験場になるかも知れません。

ブログなどはそのために大いに活用できるのではないでしょうか。同好のサイトやブログをお持ちの皆さんと、さまざまなテーマで議論し交流できれば幸いです。

個人的な勉強のために『ヘーゲル哲学辞典』なども作成してきました。何の解説もない、単なる抜粋ですが、それでもヘーゲル哲学の一端を知るのにいくらかでも参考になるのでないでしょうか。興味の持てそうな方は覗いてみてください。まだ、はじめたばかりの、また、更新もサボりがちな未完成な「辞典」ですが。

「哲学」という言葉から、さまざまな先入観や思いこみを取り外し、気楽に、しかし深く考える楽しさを見つけてくれればと思います。「哲学」とは物事を白紙から、根本から疑い考え直す試みでもあると思います。そして、日本人がさらに哲学的に深い民族になることを願って。これはちょっと大げさですか。(⌒_⌒)

 

 

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宗教的狂信について

2005年09月29日 | 哲学一般

哲学者ヘーゲルは宗教的な狂信についてはおよそ次のように論じている。

宗教的な狂信家は言う。
「正しい人間には法律は存在しない。敬虔であれ。敬虔でありさえすれば、あなたはつねにあなたの欲することを欲しいままに行えるのだ。あなたは、自分の欲する意志と情熱に身をゆだねることができる。それによって不法な被害をこうむる他人には、宗教の慰めと希望に頼るように勧め、それでも、困った場合には、彼らを非宗教的であると非難し、呪ってやればよいのだ。」

そして宗教的な狂信家は

「主なる神を求める自分の無教養な思いこみのなかに、すべてを実際に持っていると思いこみ、自分の主観的な思いこみを、さらに真理の認識へと、そして、客観的な義務と権利の知識へと高める努力を自分に課することをしない。そういう人々によっては、ただ、すべての倫理的な関係を破壊する愚行と非行が生まれるだけである。」

このような宗教的な自惚れ屋は、

「思い込みばかりで客観的な真理の認識をあきらめ、また、その能力もなく、時には権威には卑屈になり、時には横柄になり、法律や国家制度がどのようにあらねばならないのか、どのように作られなければならないのかを示すこともできず、それらをすべて自分の信仰のうちに持っていると思いこんでいる。しかし、それは宗教的な感情の強さのゆえではなく、無能力のせいである。


しかし、宗教が、それが真実の宗教であるなら、国家に対してそのような否定的な挑戦的な態度をとるものではない」   (法哲学§270)

ヘーゲルは宗教の否定的な側面も深く洞察していた。日本人は先の太平洋戦争やオーム真理教事件で、政治的狂信や宗教的狂信の結果を体験している。実際、イラクのテロリストや自爆信者、平岡公威や松本千津夫その他の宗教的狂信者、政治的狂信者の犠牲になるのは誰か。いつも無実の国民である。

 

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ヘーゲル「国家論」①

2005年09月29日 | 国家論


ヘーゲルの国家観①

 ヘーゲルは国家というものをどのように考えていたか。哲学概論に次のように論じている。

「家族という自然的な社会は、一般的な国家という社会に拡大される。国家という社会は、自然に基づいて建設された社会であるとともに、また自由意志によって結ばれた結合体でもあり、法に基づくとともに、道徳にも基づくものである。しかし、一般的にいえば、国家という社会は、本質的には個人によって成り立つ社会というよりは、むしろ、それ自身として統一した、個性的な民族精神と見られるものである。(哲学概論 第三課程§194)」

つまり、彼は国家というものを、一つの独立した主体であり、有機的な組織であるとみなしている。(法哲学§269)だから、国家は神と同様に悟性的な思考では捉えきれない。そして、ヘーゲルの根本的な国家観は次の言葉に要約せられる。

「国家とは、精神がみずからを現実の形にした、そして、みずからを世界の有機的組織へと展開した、現実に存在する精神としての神の意思である。」(法哲学§270)

そして、宗教の形式にいつまでも留まって、国家を無視する者は、認識において本質論にのみ留まり、抽象から具体へと進もうとしないときに正しい認識を持っていると信じる者であり、抽象的に善を叫ぶのみで、善が何であるかを具体的に決めようとはしない人々と同じ態度をとる者であると言う。

 

 

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私の哲学史(1)──ルソー(自由について)

2005年09月27日 | 芸術・文化


私の哲学史(1)──ルソー(自由について)

  

私がルソーを読むようになったのは、いわゆる自我の目覚めのとき、中学生から高校生に至るときである。ルソーには社会思想家、教育思想 家として、『社会契約論』や『エミール』などの作品がある。だが、当時の私には、そのような著作は十分に理解する力はなかったし、ルソーにそのような作品 があることも知らなかった。私が出会いもっぱら読んだのは『告白録』である。一種の小説や伝記のように、青少年にも読みやすかったからだと思う。だから、 私のルソーの理解は、文学的なものだった。

ルソーはスイスのジュネーブに時計職人の子として生まれ、フランスに渡り、そこで初恋の人であるヴァラン男爵夫人に庇護されな がら独学で学問の素養を蓄えた。そして「文明は人間性を向上させたかどうか」というアカデミーから提出されたテーマの懸賞論文に『学問芸術論』で応募して 入選し、それを背景に『人間不平等起源論』を書いた。そこから、ディドロやダランベールといった学者との交流が生まれ、思想家としての生涯が始まる。下層 階級の子供として生まれ育ったルソーだったが、運命の経緯から上流階級の世界で生活することになり、そこで疎外と階級矛盾を体験する。それは、ちょうどル ソーの死後、わずか11年にして起きたフランス革命という歴史的な事件の社会的な前兆を反映している。

 



私が高校生のころは、1960年代の後半にあたり、日本がいわゆる高度経済成長期のピークを迎えつつあるころだった。東京オリンピック が開催され、東海道新幹線も走るようになった。新幹線のいわゆる新幹線ブルーとアイボリーのツートンカラーの優雅な車体は、その頃の私たち中高生の目にも 新鮮だった。阪急京都線の電車の車窓から眺める外の景色も日々刻々に変化し、見る見るうちに田畑は埋め立てられ、新興住宅地に変わっていった。しかし、そ こには統一ある都市政策や都市計画などの片鱗も見られず、アジア的な無秩序で乱雑な郊外の風景が現れた。

お隣の中国では毛沢東が紅衛兵を使って文化大革命をはじめた。冷戦の構造はいささかの揺るぎも見られなかった。アメリカはベト ナムで北爆を開始した。ベトナム戦争の泥沼化はまだ始まっていなかった。街にはビートルズの音楽があふれ、彼らが来日したときには、大勢の女性ファンが羽 田空港に押し寄せた。

ルソーの『告白録』では年上の女性であるヴァラン男爵夫人に愛される場面などに惹かれた。学校では中学高校とも男女共学だった が、徐々に生まれつつあった異性に対する関心は同級生にではなく、宝塚歌劇の再演を文化祭で演じた上級の女子生徒や、また、通学の電車の中で時折出会う美 しい女性に惹かれた。近所に住んでいるきれいな既婚婦人が家の前を通り過ぎるのを窓から眺めたりもしていた。まだ女性に幻滅も失望も持たなかった時代であ る。

上流階級との生活の中で、やがてヴァラン夫人の寵愛も失い、彼自身の出身階級を自覚させられたルソーは、次第に民衆の階級に自 己のアイデンティティーを見い出すようになる。ルソーは下着や服装なども、豪奢な貴族階級のものから、質素で素朴な庶民のものに着替えはじめる。当時の隣 国の中国でも、周恩来や毛沢東たちの指導者たちは、人民服をまとい、民衆といっしょに貨車を引いたりしていた。江青や王洪文たちが毛沢東の支持を受けて権勢 を振るっていた。当時の朝日新聞やいわゆる進歩的な知識人は、それらを理想社会実現の試みとして評価する者も少なくなかった。

プロレタリア階級の独裁を目指していた共産主義革命は、フランス革命にひとつの模範を見ていた。そして、フランス革命はルソー の『社会契約論』などに現れた思想の影響を受けている。ルソーはそこで「全体の意思だけが国民全員の幸福のために国家権力を行使できる」という思想を明ら かにした。ヘーゲルはこの「全体の意思」を単なる多数意思ではなく、概念として理解しなかったことがルソーの限界であるといっている。

いずれにせよ、ルソーは「全体の意思」が「共同体の意思」となり、それが国民の個々の意思と一致しない限り自由はないことを明 らかにして、民主主義が国民の自由と不可分であることを明らかにしたのである。こうしたルソーの民主主義思想は、日本国民にどれだけ自覚されているか否か はとにかく、国民主権の思想となって現代の日本国憲法の原理にもなって流れている。民主主義とは、国民全体の意思が、市民共同体や国家の意思となることで ある。ルソーの思想に民主主義の淵源を見ることができる。

しかし、ルソーは英国流の代議制民主主義の限界にも気づいていた。国民は政治家を選挙することによって、代議士に自分たちの意 思を代弁させていると一見自負している。しかし、それは一時的なものである。やがて、政治家代議士は、国民の利害から離反し、さらには特権階級化して対立 するまでに至る。

日本の場合には、国民によって選挙された政治家が、職業的行政家である官僚を、支配することも管理することもできないでいる。 そうして彼らは選挙されずに行政権を手にしている。それは、政治家のみならず、官僚の(国民主権を標榜する日本国には「官僚」は存在せず「公務員」が存在 するのみであるはずであるが。)特権化をも許すことになっている。「統治される国民が、同時に統治する者でもある」という、治者と被治者の一致にこそ、国 民の自由があるとすれば、日本国民はまだ真の自由を手に入れていないといえる。不幸な国民は、自分たちの政治家や「官僚」を自由に入れ替える能力をまだ完 全には手にしてはいない。

それにしても、ルソー流の「自由」は、まだ、自由の真の概念を尽くすものではない。その自由と民主主義の思想には、嫉妬や怨恨 からの自由はない。それは基本的に否定の自由であって、肯定の自由ではない。だからこそ、フランス革命も、中国文化革命も、後期においてはその自由は、剥 き出しの凶暴性を発揮することになった。ここにルソー流の民主主義の限界の現実を見ることができると思う。

そのもっとも象徴的な事件が、連合赤軍などに属する若者たちによって引き起こされた、浅間山荘事件や日航機ハイジャック事件などの一連の事件だった。それらは当時の学生運動の論理的な帰結としておきたものである。ルソーの思想と深いところでつながっている。

晩年のルソーは、植物採集などに慰めを見出しながら『告白録』を完成させ、また、『孤独な散歩者の夢想』を書いて、後年のロマ ン主義文学に影響を残した。また、その自由と民主主義の関する思想はカントなどにも影響を与えている。わが国においては、植木枝盛などの自由民権論者に、 また中江兆民などのフランス系学者を通じて、幸徳秋水や大杉栄などの社会主義者、無政府主義者たちに影響を及ぼしている。

 

 

 

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スーラーの絵

2005年09月20日 | 芸術・文化

スーラーは後期印象派の画家として知られている。

印象派がなによりも捉えようとしたのは光である。丘の上で風に吹かれながら日傘をさす貴婦人に注がれる陽光のきらめく自由な美しさ、水平線の彼方から霧を透かして朝日が上るとき、海原に揺らめき反映する赤い光の美しさを画布に捉えようとした。ルノアールやモネらの印象派の画家たちは型にはまりつつあった古典派の画家たちから離れて、色彩にあふれた自由な自然を再発見し、光の変転極まりない動きと色彩を瞬間において捉えようとする。


新興のブルジョアが機械と動力を用いた工業的生産によって豊かな富と作りだし、それによって自由と快楽に満ちた個人主義の都市生活を享受しつつあるとき、伝統的な貴族社会が崩壊して、かっての宮廷画家たちの長い徒弟修業の後に習得される古典的な技巧によって確立された様式美は、時代精神には合致しなくなった。


資本が産業や工業の世界で作り出す都市での豊かな富と自由な生活は、モネやマネ、ドガたちの絵画にも見られるように、古典的な技巧から絵画を解放し、色彩という人間の感覚と不可分な光を捉えることによって、精神は自由な色彩の表現へと、さらに、具象から抽象へと進もうとする。やがてそれらはカンデンスキーらの純粋抽象へ橋かけるものである。

絵画は線と面と色彩という二次元の世界で思想や精神を表現するものである。上の「アニエールの水浴」と呼ばれているスーラの絵は、セザンヌの水浴の裸婦たちのような、三次元の立体を色彩と線と面によって抽象化を力強く進める芸術家の対象把握と自然の理念化とは少し異なり、ロマン的な感情移入を色濃く残している。

キャンバス画面は、遠景の橋によって、上下1対2に分割構成され、さらに、左上から右下へと大きく伸びる対角線によって斜めに二分割されることによって、静かな画面に動きを呼んでいる。私たちの視線は導かれるようにして、画面の中央に座っている少年へと注がれる。

川辺の芝草の上に座し、あるいは寝そべっている男たちの視線はみなそれぞれ対岸へと向かっている。ただ、中央の少年の右脇にあって、背をこちらに向けて、胸まで浸かっている金髪の少年だけ、他の人物たちとは視線の動きが逆になっている。

画面右下で、川の瀬に半身を浸からせている小年の口に手を当てるしぐさは、水平と垂直の構図から漂う静寂の中に、何らかの音の響きを感じさせる。

画布の中の男たちのそれぞれの造形は互いに自由で独立的で共通性がなく、都会生活の中の孤独と不安を感じさせる。遠く橋の向こうにたちこめる煙りは、工場の煙突から吐き出るものだろう。スーラの精神的内面はすでに現代人のものを予感している。

 

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