夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

ヘーゲル『哲学入門』第一章 法 第十一節[占有から所有へ、他人の承認]

2020年06月29日 | ヘーゲル『哲学入門』

§11

Der Besitz wird zum Eigentum oder rechtlich, insofern von allen Andern anerkannt wird, dass die Sache, die ich zur meini­gen gemacht habe, mein sei, wie ich eben so den Besitz der An­deren als den ihrigen anerkenne. Mein Besitz wird anerkannt, weil er ein Akt des freien Willens ist, der etwas Absolutes in sich selbst ist und worin das Allgemeine liegt, dass ich das Wol­len Anderer eben so als etwas Absolutes betrachte.

第十一節[占有から所有へ、他人の承認]

私が私のものに作りあげた事物が、他のすべての人によって私のものであることが認められている限り、その占有物は 所有物 になる、もしくは合法的なもの となる。それは私が他人の占有物を彼らの所有物として認めているのと同じである。
私の占有物が 認められる のは、それが自由意志の行為であり、それ自体において絶対的なものであり、そのことのうちには私もまた他人の意志をおなじように絶対的なものと見なすという普遍的なものがあるからである。

Erläuterung.

Besitz und Eigentum sind zwei verschiedene Be­stimmungen. Es ist nicht notwendig, dass Besitz und Eigentum immer verbunden sind. Es ist möglich, dass ich ein Eigentum habe, ohne davon in Besitz zu sein. Wenn ich z. B. einem Andern etwas leihe, so bleibt dies immer mein Eigentum, ob ich es gleich nicht besitze. Besitz und Eigentum sind in dem Begriff enthalten, dass ich ein Dominium über etwas habe. Das Eigentum ist die rechtliche Seite des Dominiums und der Besitz ist nur die äußerliche Seite, dass etwas überhaupt in meiner Ge­walt ist. Das Rechtliche ist die Seite meines absoluten freien Willens, der etwas für das Seinige erklärt hat. Dieser Wille muss von Andern anerkannt werden, weil er an und für sich ist und insofern die zuvor angegebenen Bedingungen beobachtet wor­den sind. (※1)

説明

占有と所有は二つの異なった規定である。占有と所有がつねに結びついているという必然性はない。私は占有することなくして所有することもできる。たとえば、もし私が、他の誰かに何かを貸し出したばあいには、私はそれを占有することがなくても、これらは変わらず私の所有でありつづける。私が何かを支配しているという考えのうちには、占有と所有が含まれている。所有は支配の法的な側面であり、占有とは一般的に或る物が私の力のうちにおかれているという支配の外的な側面にすぎない。法的であることは私の絶対的な自由な意志の側面であり、自由な意志が或る物について法的なものとして宣言するのである。なぜなら、自由な意志は元来そういうものであり、かつ、さきに与えられた条件が守られているかぎり、これらの意志は他人から認められなければならない。

— Das Eigentum hat also eine innerliche und eine äußerliche Seite. Diese für sich ist die Besitznahme, jene der Akt des Willens, der als solcher anerkannt werden muss. Es scheint zufällig oder willkürlich, ob zu einer Besitznahme auch das Anerkennen Anderer hinzukomme. Es muss aber hinzukom­men, weil es in der Natur der Sache liegt. Anerkennen hat nicht den Grund der Gegenseitigkeit. Ich anerkenne es nicht darum, weil du es anerkennst und umgekehrt, sondern Grund dieses gegenseitigen Anerkennens ist die Natur der Sache selbst. Ich anerkenne den Willen des Andern, weil er an und für sich anzu­erkennen ist.

⎯ したがって所有には内的な側面と外的な側面がある。後者はそれ自体としては占取することであり、前者は、そうした(内的な)ものとして認識されなければならない意志の行為である。また一つの占取について他人からの承認がえられるかどうかは偶然かあるいは恣意のように思われる。しかし、それは事柄の本性のうちにあるものだから、もともと承認されなければならないものである。承認は相互性を根拠とするものではない。あなたがそれを認めるから代わりに私がそれを承認するというのではなく、そうではなくむしろ、これらの相互の承認の根拠は事柄の本性それ自体にある。私が他人の意志を承認するのは、それ自体が本来的に承認されるべきものであるからである。

(※1)
 insofern die zuvor angegebenen Bedingungen beobachtet wor­den sind.
「さきに与えられた条件が守られているかぎり」
とは、占有が自由な意志の行為であり、私が他人の意志を私の意志と同じように、絶対的なもの、普遍的なものとして見なすということ。





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ヘーゲル『哲学入門』第一章 法 第十節[意志と占有、その表示]

2020年06月13日 | ヘーゲル『哲学入門』

§10

2) Der Besitz muss  ergriffen  werden, d. h. es muss für die Ande­ren erkennbar gemacht werden, dass ich diesen Gegenstand unter meinen Willen subsumiert haben will, es sei durch  körper­liche Ergreifung,  oder durch  Formierung,  oder wenigstens durch  Bezeichnung  des Gegenstandes.(※1)

第十節[意志と占有、その表示]

2)財物は 取得 されなければならない。すなわち、私がこの対象を私の意志のもとに従属せしめていることを、身体的な取得 を通してであれ、あるいは、形成すること を通してであれ、あるいは、少なくとも対象に 表示する ことを通してであれ、そのことを私は他者に対して認知させていなければならない。


Erläuterung.

Der äußerlichen Besitzergreifung muss der inner­liche Willensakt vorangehen, welcher ausdrückt, dass die Sache mein sein soll. Die erste Art der Besitznahme ist die körperliche Ergreifung. Sie hat den Mangel, dass die zu ergreifenden Gegen­stände so beschaffen sein müssen, dass ich sie unmittelbar mit der Hand ergreifen oder mit meinem Körper bedecken kann und ferner, dass sie nicht fortdauernd ist.

説明

外的な占取には、その事物が私の物であることを表す意志の内的な行為が先行していなければならない。占有の第一の方式は身体による取得である。それには次のような欠点がある。取得する対象物は、私が直接に手をもって取ったり、あるいは私の身体で確保することのできる性状のものでなければならず、さらには、それらが永続的なものではないということである。

— Die zweite vollkomme­nere Art ist die Formierung, dass ich einem Dinge eine Gestalt gebe, z. B. einen Acker bebaue, Gold zu einem Becher mache. Hier ist die Form des Meinigen unmittelbar mit dem Gegen­stande verbunden und daher an und für sich ein Zeichen, dass  auch die Materie  mir gehöre. Zur Formierung gehört unter An­derem auch das Pflanzen von Bäumen, das Zähmen und Füt­tern von Tieren.

⎯ 占有の第二のより完全な方式は、私が一つの物に一つの形状を与えるといった形成を行うことである。たとえば、原野を耕したり、金で杯を作ったりすることである。ここでは、私の物であるという形態が直接に対象物と結びついており、そして、そこから本来的に その素材もまた 私に属しているという表示となる。この形成には、樹木を植えることや、動物を飼いならすこと、養育することも含まれる。

Eine unvollkommene Art des Landbesitzes ist die Benutzung eines Distriktes ohne seine Formierung, z. B. wenn nomadische Völker ein Gebiet zur Viehweide, Jägervölker zur Jagd, Fischervölker den Strand eines Meeres oder Flusses benutzen. Eine solche Besitznahme ist noch oberflächlich, weil die wirkliche Benutzung nur erst eine temporäre, noch nicht auf bleibende, an dem Gegenstand haftende Weise ist.

土地所有の不完全な方式は、土地を形成することなく土地を使用することである。たとえば、遊牧民が放牧のために牧草地を使用し、猟師が狩猟のために、漁民が海岸や河岸を使用する場合である。第一に、その実際の所有は一時的なものにすぎず、なお対象と密接にかかわる永続的な所有の様式ではないために、このような占有はやはり皮相的なものである。


— Die Besitz­nahme durch die bloße Bezeichnung des Gegenstandes ist un­vollkommen. Das Zeichen, das nicht, wie in der Formierung, zu­gleich die Sache selbst ausmacht, ist ein Ding, das eine Bedeu­tung hat, die aber nicht sein eigenes Wesen ist und wogegen es sich also als ein fremdes verhält. Aber es hat auch sonst eine ihm eigene Bedeutung, welche nicht mit der Natur des durch es bezeichneten Dinges selbst zusammenhängt. Die Bezeichnung ist also willkürlich. Von was ein Ding Zeichen sein soll, ist mehr oder weniger die Sache der Konvenienz.

⎯ 対象物へのたんなる表示による占有は不完全なものである。形成におけるように、所有物それ自体を同時に作り変えることのないような表示は、一つの意味をもつものであっても、しかし、その物自体の存在ではなく、したがって、それに対して表示は自らを疎遠なものとしてふるまう。しかし、表示はまたさらに、それを通して表示された物自体の本性とは結びつかない独自の意味をもつ。だから、表示は恣意的なものである。一つの物にどのような表示がされるべきかは、多かれ少なかれ便宜的なものである。


(※1 )
まず意志は物に対して「私の物にする」という意志として現れる。その取得の意志は、また、その物が私の意志の支配下にあることを他者に対して認知させなければならない。その他者への認知は三つの仕方によって行われる。一つは、身体による直接の取得、一つは、物自体に対する私の加工、形成による表示、一つは、たんなる標識によるもの。この一節は「法の哲学§54」の本文においては、占有の形式の、個別から普遍への進展として示されている。



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ヘーゲル『哲学入門』第一章 法 第九節[意志と物]

2020年06月09日 | ヘーゲル『哲学入門』

§9

Die erst in Besitz zu nehmende Sache muss 1) res nullius (※1)sein, d. h. nicht schon unter einen andern Willen subsumiert sein.

Erläuterung.

Eine Sache, die schon eines Andern ist, darf ich nicht in Besitz nehmen, nicht, weil sie Sache, sondern weil sie  seine Sache  ist. Denn nehme ich die Sache in Besitz, so hebe ich an ihr das Prädikat, die seinige zu sein, auf und negiere damit seinen Willen. Der Wille ist etwas Absolutes, das ich nicht zu etwas Negativem machen kann. (※2)

第九節[意志と物]

所有において初めて取得される物は、1) 無主物(res nullius)  でなければならない。すなわち、すでに他人の意志のもとに属している物であってはならない。

説明

すでに他人のものである物を、私が取得して所有することは許されない。というのは、それが物であるからというのではなく、そうではなく 他人の物 だからである。つまり、私が物を取得して所有するということは、他人のもの という述語をその物から取り上げることであり、それによって、他人の意志を否定するからである。意志は、私の否定することのできない絶対的なものである。


(※1)
res nullius ラテン語、法律用語
無主物。放棄されたもの

(※2)
諸論の第一節でこの論考の対象が「人間の意志」であることが述べられているが、この人間の意志の概念は「法理論」へと進展して、その端初である所有(占有)の段階に入る。




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