§45
Treue und Gehorsam in seinem Beruf, so wie Gehorsam gegen das Schicksal und Selbstvergessenheit in seinem Handeln, haben zum Grunde das Aufgeben der Eitelkeit, des Eigendünkels und der Eigensucht gegen das, was an und für sich und notwendig ist.
第四十五節[職業と忠誠]
人間の職業における忠誠と服従 は、運命に対して従順であること や、行為において自己を忘却する ように、本来的なかつ必然的な物事に対して、虚栄心やうぬぼれやわがままを捨て去ることを根拠にしている。
Erläuterung.
説明。
Der Beruf ist etwas Allgemeines und Notwendiges und macht irgend eine Seite des menschlichen Zusammenlebens aus. Er ist also ein Teil des ganzen Menschenwerkes. Wenn der Mensch einen Beruf hat, tritt er zu dem Anteil und Mitwirken an dem Allgemeinen ein. Er wird dadurch ein Objektives. Der Beruf ist zwar eine einzelne beschränkte Sphäre, macht jedoch ein notwendiges Glied des Ganzen aus und ist auch in sich selbst wieder ein Ganzes. Wenn der Mensch etwas werden soll, so muss er sich zu beschränken wissen,(※1) d. h. seinen Beruf ganz zu seiner Sache machen. Dann ist er keine Schranke für ihn. Er ist alsdann einig mit sich selbst, mit seiner Äußerlichkeit, seiner Sphäre.
職業は普遍的にしてかつ必然的なものであって、とにかく人間の共同生活の一面を構成している。したがって、職業は 人間の事業全体の一部 である。人間は職業をもつことによって、普遍的なものに関与し協力することになる。人間はそれによって客観的なものとなる。職業はたしかに一個の限られた分野ではあるが、それでも全体の一つの必然的な環を構成するものであり、かつそれ自身においてもまた一つの全体である。人間が 何か一廉のものになるためには、自己を制限することを知らなければならない。(※1)すなわち、自分の職業を完全に自分の仕事としなければならない。その時には職業は彼にとって何ら拘束ではなくなる。その時、人間は自分自身と、自分の外面性と、自身の職分と一体となっている。
Er ist ein Allgemeines, Ganzes. — Wenn der Mensch sich etwas Eitles d. h. Unwesentliches, Nichtiges zum Zweck macht, so liegt hierbei nicht das Interesse an einer, sondern an seiner Sache zu Grunde. Das Eitle ist nichts an und für sich Bestehendes, sondern wird nur durch das Subjekt erhalten. Der Mensch sieht darin nur sich selbst; z. B. es kann auch eine moralische Eitelkeit geben, wenn der Mensch überhaupt bei seinem Handeln sich seiner Vortrefflichkeit bewusst ist und das Interesse mehr an sich als an der Sache hat. — Der Mensch, der geringe Geschäfte treu erfüllt, zeigt sich fähig zu größeren, weil er Gehorsam gezeigt hat, ein Aufgeben seiner Wünsche, Neigungen und Einbildungen.
職業は一個の普遍的なものであり、全体である。──人間が虚しいことを、すなわち非本質的な、取るに足らないことを目的にする時には、 一個の事柄そのものに対してではなくて、自分自身に対する関心がその根底にある。(※2)虚しいことは本来的に存在するものではなく、ただ主観を通してのみ保持されているにすぎない。人間は虚しさの中に自己自身を見るのみである。たとえば、一般に人間が自分の行動そのものにおいてその卓越性を認識し、事柄そのものよりも自己自身に関心をもっているような場合には、それはまた一つの道徳的な虚栄心 でありうる。取るに足らない仕事でも忠実に遂行する人間は、より大きな仕事も果たす能力のあることを示している。というのも、彼は従順である ことによって、自分の欲望、意向や自尊心を投げ捨てうることを示しているからである。
(※1)
小論理学の第80節において悟性の意義と限界について考察したときにも、ヘーゲルは次のように語っている。
「 行為するには、あくまで性格が必要であるが、性格を持つ人とは、一定の目的を念頭に持って、それをあくまで追求する悟性的な人である。何か偉大なことをしようとする者は、ゲーテが言っているように、自己を限定することを知らなければならない。 これに反して、何でもなしたがる者は、実は何も欲しないのであり、また何もなしとげない。世界には、スペインの詩や科学や政治や音楽や、興味をひくものが澤山ある。これらはすべて興味あるものであって、それらに興味を持つからといって、誰もそれをとがめ立てすることはできない。しかし限られた境遇にある一個人としてひとかどのことをなしとげるためには、人は特定のことを固く守って、その力を多くの方面に分散させてはならない。同様にどんな職業においても、それを悟性をもって行うことが必要である。」(岩波文庫版上巻s.242)
(※2)
ヘーゲル『哲学入門』第二章第三十八節では次のように述べられている。
「結果を打算に入れる悟性は、少ない満足よりも多い満足をより好む。それに対して理性は 質的な 区別を行う。すなわち、その内容に関して区別をつける。
理性は満足についても価値のないものよりも価値のある満足の対象の方を優先する。だから理性は対象の本性をそれぞれ比較することについて 自らこだわる。この点で、理性はもはや主観的なもの、つまり快適な感覚(満足)ではなくて、客観的なものについて考える。理性はだから人間の(満足の)対象として何を自分自身のために欲求すべきかを教える。」
ヘーゲル『哲学入門』第二章 義務と道徳 第三十八節 [理性と衝動について] - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/oQd7ON