夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

「議論となる要点」について、 pfaelzerweinさんへ。

2007年04月27日 | 国家論

「議論となる要点」について、 pfaelzerweinさんへ。

pfaelzerweinさん、コメントありがとうございました。

先日の私の「ドイツ文化と日本文化」の小論が、趣旨の不明確な取り留めのない駄文であったために、テーマの整理に余計な苦労をおかけしたかもしれません。そこでのテーマは「日本において民主主義の可能性はあるか」というもので、さし当っての私の結論は、「そのための前提としては、日本国民の宗教改革が必要である」というものでした。

とりあえず、pfaelzerweinさんがコメントで提起された論点について、さらに逐条的に私の考えを書いておきたいと思います。こうしたテーマに興味を持たれる方もおられるかと思い、新しい記事として投稿しました。くどくなるかもしれませんが、お許しください。


①ヨーロッパの集合体は、その個の特徴を際立たせながらキリスト教的「文化的共通性」でEUとして存在していないか?


ヨーロッパの諸民族、ドイツ、イギリス、フランス、スペイン、イタリア、ポーランドなどは、それぞれに民族的な特徴を際立たせていると思いますが、一方で、キリスト教という伝統的な「文化的共通性」も保持している点も、これらヨーロッパ諸国の特徴であると思います。私の論考ではヨーロッパ諸民族の個性を強調しましたが、それは、キリスト教という共通の文化的土壌の存在を否定するものではありませんでした。むしろ、キリスト教の普遍性は、それぞれの民族の特殊性、個別性を十分に発展させるところにこそあると思います。

②東アジアは、儒教的な世界観の文化的共通性を強調して大東亜共栄圏の集合体とすることが出来るか?

これだけ思想や価値観の多様化した現代およびこれからの将来においては、「儒教的な世界観の文化的共通性」を土台として、東アジアの共同体を形成するのはむずかしいだろうと思います。共同体の形成の前提としては、やはり、キリスト教の完成とその帰結としての「自由と民主主義」が原理になるだろうと思います。
        
参照  北東アジアの夢


③近代化の手順として、立憲体制の確立は、また国体をその基礎においたのは、主体的な導入への苦肉の策ではなかったのか?


明治維新とその後の「大日本帝国憲法」の制定による、日本の立憲君主体制の成立は、その議会制民主主義という点で、多くの特殊日本的な欠陥と弱点を抱えてはいたものの、それは「主体的な導入への苦肉の策」というよりも、やはり日本が選択せざるを得なかった必然的な政策だったと思います。現代の国家は、その歴史的、伝統的制約の中で、民主主義体制としては、大統領制か立憲君主制を選択するしかないのだろうと思います。

④インドや香港、フィリッピンなどの植民地は、近代的国家で日本より民主化している(いた)のか?

私の伝えたかったことは、インドや香港、フィリッピンなどの植民地化された国民や民族の国家や民主主義は、日本と比較して、それらの民族固有の伝統文化の基盤の弱さのゆえに、十分な主体性を欠いたものとなったのではないかというものです。植民地化されたこれらの国々の民主主義は、その民族固有の精神を失った、あるいは少なくともそれらを十分に媒介しない、いわば植民地的「民主主義」になっているのではないかというものです。だから、肯定的な評価ではなく、むしろ否定的なものです。それは、日本が欧米文化を翻訳を通じて受け入れたのに、それらの国では、旧主国の言語である英語を通じてそのまま直接に受け入れたことにも現われています。

⑤敗戦によって否定されたのは、「自由と民主主義」への動きでなく、時代遅れの植民地主義やそのもの国体ではないのか?


その通りだと思います。明治の「自由民権運動」や大正時代の「普通選挙運動」は決して、否定されてはいないし、否定されるべきものでもないと思います。問題にしたいのは、戦後の日本の「民主主義体制」が、太平洋戦争の日本の敗北によって、占領軍によって直接的にもたらされたものであって、明治の「自由民権運動」や大正時代の「普通選挙運動」などの日本国民の主体的な運動の延長として獲得されたものではないというこの一点です。

⑥戦後の民主主義は、戦前の民権運動などとどのように違うのか?少なくとも天皇制を自ら護持した一方、そこに文化的な主体性は本当になかったのか?


これは⑤の論点ともダブりますが、「天皇制を自ら護持」するなど「文化的な主体性は」日本国民にまったくなかったと言おうとするものではありません。ただ、日本の戦後の民主主義で問題にしたい点は、マルクス主義のいわゆる「ブルジョア国家性悪説」の影響もあるせいか、あるいは戦前の軍国主義の反動のためか、それが「国家意識」を否定するか、もしくは喪失していることと、戦後日本人の植民地文化的なアメリカ型民主主義の浅薄で表面的な模倣です。


⑦欧米諸国の価値観とは「自由と民主主義」を指すのだろうが、その刻々と変化し変遷する価値観を、どのようにして確認して現実化していくのか?


「自由と民主主義」は欧米諸国の価値観ではあると思いますが、それは決して特殊な、すなわち、欧米諸国の独自の「固有の」価値観であるとは思いません。「自由と民主主義」は、民族を超越した普遍的な価値観であると考えています。それは、キリスト教が特殊な民族宗教でないのと同じだと思います。
また、「自由と民主主義」の現実化の問題については、それはキリスト教が実質的に日本国民の支配的な宗教となることによって実現されると思います。


⑧キリスト教の意識なくして、「自由と民主主義」が無意味か?そもそも宗教改革の意味と近代の「自由と民主主義」は同義か?むしろ出自はフランス革命や市民革命ではないのか?


キリスト教の意識なくして、「自由と民主主義」は無意味だとは思いません。なぜなら、民主主義とは「完成された」キリスト教のことだと考えるからです。民主主義においてキリスト教はアウフヘーベンされていると思います。民主主義は世俗化されたキリスト教でありながら、キリスト教とは独立したそれ独自の価値を形成していると思います。
また近代の「自由と民主主義」の真の出自は宗教改革であると思います。イギリスの市民革命は、この宗教改革の上に成立した政治革命であると思いますが、フランス革命や日本の「戦後民主改革」は「宗教改革」なき単なる政治革命であり、そうした革命は、フランス大革命や毛沢東の「文化大革命」、北朝鮮の「千里馬運動」などに同じ運命をみるように、誤ったものです。

⑨大ドイツ統一の市民革命が頓挫して、プロテスタンティズムの自由主義や工業化へと向けられたドイツが進むのも結局は遅れた植民地主義ではなかったのか?

ドイツでは、プロテスタンティズムとして宗教改革は実現しましたが、イギリスやフランスのような市民革命、政治社会革命、民主主義革命には失敗しました。それが、ドイツがナチスドイツのような全体主義、民族主義に傾斜してゆく原因になったと思います。

⑩プロテスタンティズムの実現として最も代表的なのは英米の社会や経済ではないのか?

宗教改革(プロテスタンティズム)の上に立脚した政治革命(名誉革命や独立革命)を実現したのはやはり英米で、その社会と経済が代表的であると思います。中国やフランスやロシア、ドイツ、日本等のそれは、宗教改革なき政治革命か、あるいは政治革命なき宗教改革という点で、典型的概念的ではないと思います。


⑪消費社会としての日本や、躍進する中国の精神的な基盤や世界観は、プロテスタンティズムの影響を受けていないのだろうか?また、そうした批判が出ない理由は何処にあるのか?

現代の日本や中国などの諸国が、政治的な統治原理として民主主義を標榜しているかぎり、その「精神的な基盤や世界観」において、プロテスタンティズムの影響を受けていないことなどありえないと思います。現代民主主義そのものがプロテスタンティズムの帰結であると考えるからです。それに、グローバリズムの嵐は、アメリカ・プロテスタンティズムを源流としています。プロテスタンティズムの影響は世界史的なもので、どのような個人、民族、国家もその影響からのがれることはできないと思います。

 

以上pfaelzerweinさんのさまざまな問題提起について、さし当って私の考えるところを記しました。これまで、こうしたテーマでブログを書いていても、なかなか議論の成立しないのは、日ごろ残念に思っている点です。これは、日本の学校における民主主義教育の未熟と無能力の問題として、とくに政治家、学校関係者などに深刻に自覚して欲しいと思っているところです。それを補うものとしてこのようなネットにも、教育改革の一つの可能性を見出せればよいのですが。

pfaelzerweinさんのお住まいのドイツでは、その民主主義やブログ上の議論の実情はどのようなものでしょう。私のドイツ語や英語の語学が弱く、せっかくインターネットという手段を手にしながら、まだ直接に海外に発信して議論できないのは残念に思っています。

なお、私のブログ上での議論についての考え方は、次の記事に書いてあります。(ブログでの討論の仕方)

少しくどくなりましたが、とりあえず、pfaelzerweinさんの提起された論点について、逐条的に私の考えを書いておきました。また興味の持てるテーマがあれば議論しましょう。また、これからも引き続きあなたのブログで、ドイツからの風を極東の日本にもお送りください。

                                             そら(私のHNです)

 

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ドイツ文化と日本文化

2007年04月25日 | 国家論

 

ここしばらく、個別・特殊・普遍の論理を事物の発展の中に検証しているが、特に人類の精神の発展について考察しているときにやはり興味がもたれるのは、人種や民族のそれぞれの精神の特殊性についてである。民族の精神をもっとも個性的に発展させているのはヨーロッパの諸民族であるように思われる。ドイツ、イギリス、フランス、スペインなどは、それぞれに民族的な特徴を際立たせている。

それと比較して、東アジアの諸民族の文化、特に中国、朝鮮、日本のそれぞれの文化は、それぞれの個性よりもむしろ共通的な性質の方が濃厚であるように思われる。これらの後方東アジア人、モンゴル人種の文化的な共通点は、儒教文化圏として、その特殊性を包括的に捉えることができるのではないだろうか。いまだなお、これらの諸民族においては、戦前の日本の天皇制軍国主義や毛沢東の文化大革命、北朝鮮の個人崇拝などに見られるような、家父長制的な精神構造がなお支配的であると思われる。

それにしても、これらの民族精神を根本的に規定する要素は何かという問題については、繰り返し問う価値のある興味あるテーマであると思う。民族精神の形成においては、その地理的な条件や気象条件などの自然的な条件がやはり決定的であると考えられるけれども、宗教などの人文的な条件も大きな影響をもっていると見なさざるを得ない。

いわゆる市民社会を、マルクスの用語で言えば資本主義社会をもっとも早く発展させたのはヨーロッパであり、とくにその経済的な背景としてイギリスの産業革命は世界史的にも特筆されるが、この市民社会の発展と膨張は、必然的に人類の諸民族のすべてを同一の世界史の土壌にのせることになった。現代においては、グローバリズムとして、世界史の新たな質的発展の段階に入ったと思われる。

ユーラシア大陸の極東に位置する日本も、ぺリー提督の黒船来航以来、精神文化においても科学技術においても、欧米文化の圧倒的な影響下に置かれてきた事実は、現代日本人の生活に見るとおりである。

それでも百年や二百年ぐらいの歳月は、民族精神の変化や変質に要する時間としては十分ではない。ただ、議院内閣制や民主主義を導入しても、一方において象徴天皇制を保持しているように、日本人の精神的な民族的な特徴に本質的な変化はないと思われる。

それに対して、インドや香港、フィリッピンなどの植民地化された国民や民族の場合は、精神的にもより本質的に欧米の影響を受けやすかったといえる。香港人やフィリッピン人が、キリスト教の洗礼名を公的に使用していることなどがその端的な例である。

ただ、日本人の場合は、キリスト教の受容においても、過去の仏教や儒教の受容の場合と同じく、島国という特性もあって、他の大陸諸民族や熱帯、亜熱帯民族に比べても、その文化的な受容は、伝統的にも地理的にもきわめて主体的に行われたといえる。

ただ、今日の現代日本の、とくに太平洋戦争の敗北という未曾有の歴史的な混乱の後に生きる現代日本人の民族的な精神的な混乱状況は、もっとはっきりいえば、その腐敗と退廃の文化状況は、戦後の日本人が、その政治的な、文化的な歩みを、十分に主体的に進めることができなかったことに根本的な原因があるように思われる。

その意味で、現在の半植民地的な文化的状況から、真に日本に文化的な主体性を回復するためにも、現在の安倍内閣が目指しているような、憲法改正を契機とする戦後の連合国占領統治体制からの脱却は、その目的とするところは評価はできる。ただしかし、問題は、安倍晋三氏の目指すいわゆる「美しい国」のその具体的な内容である。その回復しようとする政治と文化状況の内容である。

確かに、安倍晋三氏は「自由と民主主義」を否定はしていないし、むしろ、欧米諸国とその点で、価値観を共有してゆくことを明言さえしている。それは肯定できるとしても、問題はその方法論である。

安倍晋三氏は、その保守的な思想の動機としては、岸信介や安倍晋太郎という保守的な政治家を、たまたま祖父、父に持ったこと以外に見当たらないのである。氏の「自由と民主主義」に何となく浅薄さを感じる理由である。

自由も民主主義も、思想的な出自、宗教的な出自としては、事実としてキリスト教を背景にもっている。にもかかわらずキリスト教の自由と人権意識なくして、「自由と民主主義」が論じられているように思う。そのせいか、非キリスト教徒の「自由と民主主義」論に直観的に胡散臭さを感じる。丸山真男氏や樋口陽一氏の「民主主義論」についても同じである。

おそらく、宗教改革という文化革命を日本国民が通過しないかぎり、そして、実質的にプロテスタント・キリスト教が日本国の支配的な宗教とならない限り、日本国民は主体的に「自由と民主主義」を国民自身のものにできず、したがって真に「美しい国」も現実的な可能性を持ち得ないのではないのかと思う。

だから、いくらスローガンとして「美しい国へ」を、掲げようと、日本国が真の自由と民主主義国家に生まれ変わることができず、民主主義の奇形とも言える現代全体主義への変質の可能性は、消えてなくならないのである。

とくに現代日本の政治家、教育者、マスコミ関係者たちの、「自由と民主主義」についての、その宗教的、思想的な未成熟と教養の不足は、日本国民にとって根本的な欠陥となって、悪循環を再生産しているように思われる。ドイツやイギリスやデンマークやオランダは、いずれもプロテスタント諸国である。そうした諸国の精神的、文化的な特質を、日本国民が民族の精神として主体的に自らのものにするに至るまでは、それらを手にすることはできないのではないかと思う。個別・特殊・普遍の論理を検討する中で、それぞれの民族の精神、それぞれの国民のもつ精神について思い至るとき、このような印象をどうしても拭い去ることができない。

参考    toxandoriaドイツの旅行記 

      日本の内なる北朝鮮 

 

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個別・特殊・普遍の論理⑥  心と身体

2007年04月23日 | 概念論

個別・特殊・普遍の論理⑥  心と身体

概念論の研究

心と身体は、切り離されて存在するのではない。身体なくして心はなく、また、心なくして身体は身体であることができない。そして、身体の成長に応じて心も成長してゆく。個人の心と身体は生涯を通じて変化してゆく。その基本的な区分は、まず子供の段階であり、次に若者から大人へと成長してゆく。

子供においては、その実体的な普遍性はまだ潜在的である。若者に成長するにいたって、主観的な普遍性は主体的に目覚め、現実的で具体的な個別性に鋭く対立するようになる。この時期は普通は反抗期とも呼ばれる。この時期にある若者は両親に反抗したり、現実の社会に反抗して政治運動に身を投じたりする。そして、この年齢を通って大人になる。ヘーゲルはこの大人の段階で、客観的な価値をもった真実の関係に達するといっている。彼の哲学が、若者を高く評価しない老人の哲学といわれる所以である。(第三篇 精神哲学 §396)

子供の内部に存在するまだ潜在的な普遍的な心は、その成長にともなって自己自身を特殊化し、そして、最後には自己を個別性へ、個体性へ規定する。この過程で若者は、身体的には性に目覚めることによって自己と矛盾する欲望の中におかれるが、精神的にも自己の直接的な現実性は、実体的な普遍性と矛盾関係におかれるようになる。自己が自意識に目覚めて、自意識の分裂を自覚する。若者の心は疎外され、自己が自己のあるべき姿に、普遍との矛盾や不一致を自覚するようになる。罪や良心の呵責に目覚め、若者に特有の悩みをかかえるようになる。

動物においてはこの精神的な分裂にはいたらず、たんに身体的な分裂としての性関係において、子孫を単純に再生産するに過ぎず、個体としてはその死によって類の中に埋没する過程を無限に繰り返す。それに対して人間においては、その精神の生において身体からの独立を果たし、独自の精神的な発展を遂げることになる。

 

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個別・特殊・普遍の論理⑤  心と身体

2007年04月22日 | 哲学一般

個別・特殊・普遍の論理⑤  心と身体

概念論の研究

これらの概念としての精神、普遍的な精神は、さまざまな人種の精神として特殊化されてゆく。アフリカ大陸や赤道直下という地理的な気候的な制約を受けて、アフリカ人種には、無邪気な快活性と同時に激しい興奮性といった特有な精神的な特徴を形成することになったし、シベリアやモンゴル平原に生活するモンゴル人種は、その実利的な精神に強固な家族制度と家長的な国家制度を発達させてきた。一方、同じアジア人としても、人種的にはコーカサス人種であり、赤道直下の熱帯、亜熱帯地方に暮らすインド人は、途方もない空想力と抽象的な精神を発達させて、数学や天文学に秀でるとともに、また一方で、カースト制度という政治国家を形成するという精神的な特徴を備えている。

近代において、世界史的に大きな意義をもちえたのは、ユーラシア大陸の西部に位置するコーカサス人種であり、特にヨーロッパ人である。これらの人種が近代現代世界において果たした精神的な意義は、国家制度や法律、宗教、芸術などから科学技術にいたるまで、人類の歴史に及ぼしたその影響は他の人種とは比較にならないものがある。それらは現代世界を実際に観察すれば、自明の事実として認められるだろう。

彼らの精神的な特徴は、何といっても、精神を精神として局限まで発展させることにより、精神の自然からの完全な自立を果たしたことである。そして、それによって、人類にはじめて、自由という観念に明確な自覚をもたらした。

精神の区別はこのように特殊な区別へと進展してゆくが、それら人種や民族の特殊な精神は、さらに職業や家族の生活様式を通じて、さまざまな個人の気質や性格、才能へと個別具体的な個人の精神へと無限に形成されてゆく。そして、すべて個人の個別的な精神には、人種や民族の精神的な特徴が刻印されおり、その影響から免れることはできない。この意味で、すべての個人は民族と時代の子なのである。人類の精神の発達過程の領域においても、宗教や国家の領域と同じように、この個別――特殊――普遍の三重の論理は、貫かれているといえる。この弁証法的な過程を通じて、精神の生は自己の認識を発展させてゆく。

 

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個別・特殊・普遍の論理④  心と身体

2007年04月18日 | 概念論

個別・特殊・普遍の論理④  心と身体

概念論の研究

これまでヘーゲル哲学の発展の論理は、正(テーゼ)――反(アンチテーゼ)――合(ジンテーゼ)の側面からのみ捉えられるのが一般的で、個別――特殊――普遍の視点から捉えられることはほとんどなかった。そのことも、ヘーゲルの論理が現実を分析するための有効な道具にならなかった要因の一つではなかったかと思われる。前にキリスト教の三位一体の思想の中に、この個別――特殊――普遍の論理を洞察したが、さらに、人間の心の発展の論理として、その意義を検討してみたい。

人間の心は、ヘーゲルの哲学体系のなかでは、主観的精神の中の人間学の対象として捉えられている。いうまでもなくヘーゲルにおいては、精神は自然の真理として生成されるものであるが、この精神は、さしあたっては、人間の心として現われる。

この心の特質はその非物質性にあり、それは身体という物質的な生命と対比して「自然の単純な観念的な生命」(第三篇 精神哲学 §389)として捉えられており、この観点は、宗教における「永遠の生命」を考察するうえでも興味をもてるが今ここではこれ以上立ち入らない。

精神もまた、さしあたっては心として実体的なものであり、精神のあらゆる特殊化と個別化の絶対的な基礎として、すなわち普遍として捉えられている。この実体(Substanz)としての心は、まだ精神の基礎として存在し、それは、さらに「意識」から「精神そのもの」へと進展する。人間の心は、まだ眠りの段階にある精神として捉えられている。それは、さしあたっては、自然のままの心であり、そうした段階にある心は、自然の現象と深く共感し合い、またそれに規定されている。

人間の心は、夜と昼などの時刻によっても左右される。夜は瞑想的になるのに、昼は開放的であり活動的である。また、春の陽気な気分と厳冬の陰鬱な閉鎖的な心のあり方など、自然の四季などの外部的な環境によって影響されやすい。その事例は多くの詩歌の中に見て取れる。

そうした原始的な心は、地球や自然の運行と共に生きている。その典型は、十分に発達した心を持たない、イヌやサルなどの動物に見られる。彼らはいまだ自然的な本能に規定されて生きているのであって、心はその身体から分離せず、十分な自立性と独立性を獲得していない。彼らの本能は、いわば、まだ自然のなかに埋没してある精神であってこの低い段階にある動物は、天体や自然の運行によって規定されている。

彼らは季節の交代によって交尾に駆り立てられ、また、冬眠し、また越冬のために大陸を横断する。しかし、動物と異なって、人間の心と自然との関係は、もっと自覚的、意識的なものである。確かに女性の月経のように、人間の身体も自然や天体の運行に影響を受け、それに伴って心もそれらに影響されることもあるが、しかし、人間の心は、動物と比較して、自然環境からはるかに自立性、独立性を得るまでに発達している。

確かに原始人や古代人は、日食や月食、流星などの天体現象などの影響を受けて政治的な判断をしたり、また動物の骨片を焼いて、そのひび割れという偶然的な自然現象から、運命的な事柄を占ったりする。自然にまだ内在的な精神、普遍的な精神は、さしあたっては、こうした人類の心として存在するが、それはやがて、この地球上のさまざまな自然環境に応じて、分化され、特殊化された人種や民族の精神として、具体的にさまざまな区別へと進展してゆく。

 

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熊本市長の『赤ちゃんポスト』再論

2007年04月09日 | 国家論

熊本市長の『赤ちゃんポスト』再論

このような虚しいテーマに時間を使いたくないが、日本の民主主義や国家としての弱点も不完全性をも証明している面もあり、もう少し論じておこうと思う。

熊本市の幸山政史市長が、慈恵病院の『赤ちゃんポスト』を認可するにあたって、厚生労働省に法解釈や法整備などについて意見を求めたそうであるが、そのときの厚生労働省の意見というのは「反対する合理的な理由が見当たらない」というものだったらしい。

こうした問題で、厚生労働省のとっている姿勢は全くもって、開いた口がふさがらないというべきか。この事案についての厚生労働省の辻次官の示した見解は、①「そういうことは考えづらい」②「法律的には、認めない合理的理由はないという見解は変わっていない。こうした見解はすでに熊本市に伝えており、十分議論して結論を出していただきたい」③「明らかに違法とは言い切れない」
というようなものだったらしい。

国民の生命、健康を守るべき使命を持つ官庁のトップが、この程度の見解しか示せないのだから、日本の国民も哀れなものだ。『赤ちゃんポスト』の本質は、児童虐待であり、保護責任者遺棄ではないか。法律の番人でもある行政官僚がなぜ、この本質を見抜けず、法律違反であり犯罪であると言い切れないのか。そうした行為が犯罪であることを、国家のトップである安倍首相や厚労省の柳沢大臣も、はっきりと国民に向かって言明しなければならない。

現実に起きている乳幼児の保護対策については、『赤ちゃんポスト』のように養育責任の放棄を肯定するような形で行なうべきではなく、厚労省が自らの行政責任として、民生委員の相談窓口の広報や教育の充実、病院に対する指導などを通じて、そのような乳幼児遺棄事件を防いでゆくべきものである。厚労省の辻次官の発言からも、行政責任者としての当事者としての自覚が全く感じられない。なぜ厚労省は熊本市や慈恵病院にそのような指導ができないのか。児童虐待や乳幼児遺棄を防ぐことは、自らの責任問題であり、職業的な義務ではないのか。そのことをこの次官は本当に自覚できているのか。

安倍首相は「匿名で子どもを置いていけるものを作るのがいいか、大変抵抗を感じる」といい、塩崎官房長官は「法的解釈の前に、親が子を捨てる問題が起きないよう考えるのが大事」と話し、高市少子化相も「無責任に子どもを捨てることにつながっては元も子もない」などという異論を出しておきながら、だれ一人指導力を発揮して厚生労働省の『赤ちゃんポスト』の設置容認を中止させようとしない。


これがわが国の「民主主義政治」の現実である。まともな国家としての体をなしていないのである。そこには首相による行政上の指導も意思統一もなく、戦前の軍部が政府の統制も効かずに暴走した頃から、ほとんど進歩も見られなければ、その反省も生かされてない。

カトリック教徒であるらしい慈恵病院の蓮田晶一院長は『赤ちゃんポスト』を設置しても、捨て子は増えていないと反論しているようであるけれど、問題の本質をこの院長は理解していないように思う。それともこの院長には日本の伝統的な倫理意識は壊れてしまっているのか。ヨーロッパがすべて先進であるわけではない。両親の子供に対する養育責任という人間としての本能や倫理という本質を破壊しておきながら、善人気取りに目先の乳幼児の生命の保護を優先したつもりになっている。

近視眼の善意によって、真の倫理と本当の善意を長期に破壊することを、いみじくも「地獄への道は善意で敷き詰められている」というのである。目先の善意を装った甘い誘惑によって日本の伝統的な健全な倫理的な本能を破壊すべきではないだろう。過激なフェミニズムが問題にされるのも、それが狂信的な平等意識を正義の御旗として、男女の区別や親子の秩序を解消し家庭を崩壊させかねないものになっているからである。

2007/04/07

参考資料

揺れる「赤ちゃんポスト」

ニュース①
厚労省「容認」文書を拒否…熊本市、許可判断へ詰め  (07.03.09)
 熊本市の慈恵病院が計画している「赤ちゃんポスト」設置を巡り、厚生労働省の辻哲夫次官は8日の記者会見で、熊本市が求めている文書での「容認」回答について、「そういうことは考えづらい」として応じない考えを示した。

 これを受け、幸山政史市長は「文書を出す出さないの問題でいたずらに時間をかけたくない」と述べ、再度、厚労省の見解を確かめたうえで、文書なしでも設置許可について判断する詰めの協議に入る考えを明らかにした。

 厚労省は先月22日、幸山市長に対し設置を容認する見解を口頭で示していた。

 辻次官は8日の会見で、「法律的には、認めない合理的理由はないという見解は変わっていない。こうした見解はすでに熊本市に伝えており、十分議論して結論を出していただきたい」と述べ、国に“お墨付き”を求める熊本市の姿勢に疑問を呈し、文書なしで協議を進めるよう促した。

 辻次官はこれまで「容認は今回限り」との認識を示しており、文書回答することで「指針」を示す形となって他にもポスト設置の動きが広まることを警戒したものとみられる。

慈恵病院の蓮田晶一院長は9日午後、同病院で会見した。ポスト開設が捨て子を助長するとの批判に対し、「ポストを設ければ、親が後で取り戻すこともできる。(先進地の)ドイツでも(ポスト設置後に捨て子は)増えてはいない」と反論した。

ニュース②
国が設置容認、厚労省「違法と言い切れぬ」  (07.02.23)
 熊本市の慈恵病院(蓮田晶一院長)が昨年12月、親が養育できない新生児を預かる国内初の「赤ちゃんポスト」の設置を同市に申請した問題で、厚生労働省は22日、「明らかに違法とは言い切れない」として設置を認める考えを市側に示した。これを受けて熊本市は、設置を認める方向で最終調整に入る。

 ただ同省は今後、同様の施設を設置する動きが出たとしても、「一律に容認する訳ではない」との方針。新生児が直ちに適切な看護を受けられ、生命や身体が危険にさらされることがない環境かどうかを検証し、児童虐待防止法などに抵触しないかどうかを個別のケースごとに慎重に判断するとしている。

 赤ちゃんポストを巡っては、「失われる命が助かる」と評価する一方、「捨て子を助長しかねない」との批判もあった。また、〈1〉新生児を手放すことが児童虐待防止法の虐待にあたらないか〈2〉病院が刑法の保護責任者遺棄罪のほう助に問われないか――などの法的問題が浮上していた。

 これらの点について熊本市の幸山政史市長が22日、厚労省を訪れ、見解を求めたところ、同省は、「安全な病院内で直ちに適切な看護が受けられるなら、虐待に当たるとは言い切れない」と説明。保護責任者遺棄罪については、「ケースバイケースで判断され、直ちに法に抵触するとは思われない」と述べた。

 ただ同省は、設置を同市が許可する場合には、〈1〉ポストの付近に、児童相談所などに相談するよう親に呼びかける掲示をする〈2〉預かった場合は必ず児童相談所に通告する〈3〉赤ちゃんの健康と安全への配慮を徹底する〈4〉親が考え直した場合には、引き取ることができるような仕組みを考える――の4点を検討するよう要望した。

ニュース③
柳沢厚労相「今後は慎重に」、安倍首相は「抵抗感じる」  (07.02.24)
 熊本市の病院が申請した、親が養育できない新生児を預かる「赤ちゃんポスト」の設置を厚生労働省が容認する見解を示したことについて、柳沢厚生労働相は23日の閣議後の記者会見で、「活動や推移を慎重に見ていく姿勢が必要だ」と述べた。今後、他の申請が出てきた場合は、慎重に判断する考えを示したものだ。

 安倍首相も同日、首相官邸で記者団に、「子どもを産むからには親として責任を持って産むことが大切ではないか。匿名で子どもを置いていけるものを作るのがいいのかどうかというと、私は大変抵抗を感じる」と語った。




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