夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第十七節[知覚から悟性へ2]

2023年06月27日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第十七節[知覚から悟性へ2]

C. Der Verstand

§17

Der Gegenstand hat nunmehr die Bestimmung, α) eine schlecht­hin accidentelle Seite, (※1)aber β) auch eine Wesentlichkeit und ein Bleibendes zu haben. (※2)Das Bewusstsein, indem der Gegenstand für dasselbe diese Bestimmung hat, ist der Verstand, dem die Dinge der Wahrnehmung nur als  Erscheinungen  gelten und der das Innere  der Dinge betrachtet.

 

C. 悟性
  
第十七節 [知覚から悟性へ]
  
対象は今や、α) まったく偶然的な一面をもつが、しかし、β) また、本質的で恒久的な側面をもつ規定をももっている。対象が意識に対してこのような(本質的で恒久的な側面)規定をもつとき、その意識は悟性である。悟性においては、知覚にとっての物はただ 現象 として見なして、そして物の 内的なもの を考察しようとする。

 

※1
物がさまざまな属性をもつものであり、その属性も変化することによって生成し、かつ消滅する偶然的なものであることを知覚は意識するが(§15)、その生成と消滅のうちに、恒久的なもの、存続するもの、内的なものを意識する悟性へと移行する。

※2
悟性にとっては、知覚に現れる物を現象と見て、さらにその奥に恒久的なもの、存続するもの、内的なものを探ろうとする。この過程の認識論の詳細については、「論理学」の「本質論」において考察されている。

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般    第十六節[知覚から悟性へ]

2023年06月20日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般    第十六節[知覚から悟性へ]

§16

In dieser Veränderung ist es nicht nur Etwas, das sich aufhebt (※1) und zu einem Andern wird, sondern auch das Andere vergeht. Aber das Andre des Andern oder die Veränderung des Veränderlichen ist Werden des Bleibenden,(※2) an und für sich (※3 )Bestehenden und Inneren.

第十六節[知覚から悟性へ] 
  
この変化においては、物は、ただに自分を止揚して、かつ他者になるような或る物にすぎないだけではなく、その他物もまた消えゆくものである。しかし、その他者の他者、あるいは、変化するものの変化は、恒久的なものの生成であり、必然的(本来的に)に存在するものの生成であり、かつ内的なものの生成である。

※1
aufheben (keep preserve)保存しておくこと。
哲学では「揚棄する」とか「止揚する」と訳される。
弁証法の認識で「対立物の統一」という意味で使われるようになって一般化した。

※2
Bleibenden 恒久的なもの、永続するもの
Bestehenden 存続するもの
Inneren  内的なもの

「変化するものの変化」とは、「外的なものから内的なものへ」の変化のことである。
ここで意識の対象が外的なものから内的なものへと、「悟性」の領域へと移行し、意識の対象が「私」「自我」そのものへと代わる。「私」のうちに見出されたものは、「Bleibenden 恒久的なもの」であり「Bestehenden 存続するもの」「Inneren  内的なもの」である。

※3
an und für sich  自ずから、本来的に、必然的に、絶対的に、独立的に、などと訳せる。
岩波文庫版の訳者である武市健人氏は「即自向自に」と訳しているが、これでは、「恒久的に存続する内的なものの生成」が必然的で絶対的であることがよくわからない。

an und für sich」をどう訳すべきか - 夕暮れのフクロウ https://is.gd/tPnAPg

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般    第十五節[物の生成と消滅]

2023年06月19日 | ヘーゲル『哲学入門』

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般   第十五節[物の生成と消滅]

§15

Insofern die Eigenschaften wesentlich vermittelte(※1) sind, haben sie ihr Bestehen in einem Andern und  verändern  sich. (※2)Sie sind nur Akzidenzen. Die Dinge aber, da sie in ihren Eigenschaften bestehen, indem sie sich dadurch unterscheiden, lösen sich mit der Veränderung derselben auf und sind ein Wechsel des Ent­stehens und Vergehens.(※3)

第十五節[物の生成と消滅]

属性が本質的に媒介されたものであるかぎり、属性はその根拠を他者の中にもち、そして、変化するもの である。それはただ偶然的なものにすぎない。 しかし、その属性において存立する物は、その属性によって区別されるものでもあるから、変化そのものによって自ら消え失せ、そして、生成と消滅の交替を繰り返すものである。

 

※1
sind vermittelte  媒介された
「物の属性」が「媒介されたものである」というのは、たとえば「塩」という物の属性は「白く」あり、「辛く」もあり、結晶においては「立方体」でもあるが、「白い」という属性は「シラサギ」や「白紙」や「絹」のような他の物と比較によってはじめて規定されるものだからである。「辛い」というのも、「唐辛子」や「海水」などの他物との比較、抽象によって規定される。したがって、属性はその根拠を他者との関係の中にもつ。(§14)

そして、物がその物であるのは、その属性によるのであるから、もはや「黄色」くも「酸っぱく」もないものは「レモン」とは呼ばないのである。

※2
verändern sich  変化する
感覚(感性的意識)は、空間に対する直覚でもあるが、それに対してここでヘーゲルは「変化」という時間に対する直覚によって「生成」と「消滅」という概念を導き出してくる。カント哲学がカテゴリー表で静的に並べたにすぎないものを、変化、運動として動的にとらえる。ヘラクレイトスの「万物は流転する」という思想を引き継いでいる。

※3
さまざまな属性をもった「物」は「感覚(感性的意識)」(§11)の対象であると同時に、「知覚」の対象でもある。

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第十四節[知覚の対象としての物]

2023年06月13日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第十四節[知覚の対象としての物]

§14

Der Gegenstand dieses Bewusstseins(※1) ist daher das  Ding   mit sei­nen  Eigenschaften. Die sinnlichen Eigenschaften sind α)  für sich  sowohl unmittelbar in dem Gefühl, als auch zugleich be­stimmt durch die Beziehung auf andere und vermittelt; (※2)β) gehö­ren sie einem Dinge an  und sind in dieser Rücksicht einerseits in der  Einzelheit  desselben befasst, anderseits haben sie  Allgemeinheit,  nach welcher sie über dies einzelne Ding hinaus gehen und zugleich von einander unabhängig sind.(※3)

第十四節[知覚の対象としての物]

この意識の対象は、したがって、さまざまな 属性 をもった である。感覚的な属性は、α) それ自体が 感覚の中で直接的にあるのと同時に、また他者との関係によっても規定され、かつ、媒介されたものとしてある。β)  感覚的な属性は物に属しており、かつ、この点からすれば、物の属性は、一面おいては、個別性 それ自体にうちに把握されるが、他面においては、それらは 普遍性 をもっており、そのことによって物の属性は個別的な物を超えていき、そして同時に、互いに相切り離されて独立してある。

 

※1
dieses Bewusstseins  「この意識」とは「知覚としての意識」

※2 
物の属性が「媒介されたものとして」あるのは、それが他者との比較、類推などによってはじめて、その物に含まれる普遍的な属性(Einzelheit)として捉えられるからである。

※3
知覚の対象としての物は、「精神の現象学」の本文の中では「塩」が事例として取り上げられているのはよく知られている。 
物としての「塩」は、「白く」もあり、「辛く」もあり、「立方体」の結晶でもあるが、「白い」「辛い」「立方体」といったこれらの「塩」の属性は同時にそれぞれ普遍的であり、切り離されて独立してある。

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第十三節[感覚と反省の混成としての知覚]

2023年06月12日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般 第十三節[感覚と反省の混成としての知覚]

B. Das Wahrnehmen

§13

Das Wahrnehmen (※1) hat nicht mehr das Sinnliche(※2), insofern es un­mittelbar, sondern insofern es zugleich als Allgemeines ist, zum Gegenstande. Es ist eine Vermischung von sinnlichen und von Reflexionsbestimmungen.(※1)

B. 知覚

第十三節[感覚と反省の混成としての知覚]

知覚は、感覚的なものが同時に普遍的なものとして対象にあるかぎりにおいては、もはや直接的な対象としての感覚的なものを対象にもたない。知覚とは、感覚的な規定と反省規定との混成物である。

 


※1
Das Wahr~nehmen    知覚、英語では Perceive、 Perception
                                 「真を捉えること」
Wahr  真なるもの
nehmen   捉える

※2
das Sinnliche
 感覚的なもの。ここでは具体的な個別的な対象でもあるが、知覚においてはその対象を同時に普遍的なものとしてもつ。

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般  第十二節[感覚から知覚へ]

2023年06月08日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般  第十二節[感覚から知覚へ]

§12

Sowohl dieses  Jetzt  als dieses  Hier  ist ein Verschwindendes. Jetzt ist nicht mehr, indem es ist und ein anderes Jetzt ist an seine Stelle getreten, das aber eben so unmittelbar verschwun­den ist. Zugleich bleibt aber Jetzt. Dies bleibende Jetzt ist das  allgemeine,  das  sowohl  dieses als jenes Jetzt ist, als auch  keines  von ihnen ist. — Dieses Hier, das ich meine und aufzeige, hat ein Rechts und Links, ein Oben und Unten, ein Hinten und Vorne ins Unendliche, d. i. das aufgezeigte Hier ist nicht ein einfaches also bestimmtes Hier, sondern ein Inbegriff (※1)von Vie­lem. Was also in Wahrheit vorhanden, ist nicht die abstrakte sinnliche Bestimmtheit, sondern das Allgemeine.(※2)

 

第十二節[感覚から知覚へ]

この「」も、この「ここ」と同じように、ともに消え去るものである。「今」は、他の「今」にその場所を取って代わられもはやなく、しかし、その今もまったく同じようにすぐに消え失せてしまう。しかし同時に「今」は残っている。この残された「今」は、この「今」 でもあれば、あの「今」でもあって、また同じく、それらのいずれでもない普遍的な「今」である。私が思って指し示すところの、この「ここ」は右や左にもあり、上にもあれば下にもあり、後ろにもあれば前にも限りなくある。つまり、指し示された「ここ」は単純に指定された「ここ」ではなくて、むしろ、多くのものを総括した「ここ」である。したがって、真に存在するのは、抽象的で感覚的な確実性ではなくて、普遍的なものである。

 


※1
ein In~begriff 総括、師表、真髄
der Begriff (名詞) 概念、観念、知覚、受胎
begreifen  (動詞)把握する、理解する、思いつく
 
※2
ここでヘーゲルはとくに指摘してはいないけれども、「私」が感覚的な意識によって、「今」「ここ」「これ」を指し示すときには、「今」「ここ」「これ」という「言葉(記号)」を使って指し示すしかないのであり、「言葉(記号)」を用いて、感覚的な意識の対象を指示するときには、すでに同じく普遍的なものを指示することになる。「言葉」は普遍的なものしか言い表せないからである。

この段階で「感覚的な意識」から、言語をもって対象を把握する「知覚的な意識」へと移行するが、こうした概念の移行の把握をヘーゲルは「概念的把握」といい、その移行をより高い「真(Wahrheit)」として捉える。

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般  第十一節[感覚的な意識]

2023年06月06日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般  第十一節[感覚的な意識]

A. Das sinnliche Bewusstsein

A. 感覚的な意識


§11

Das einfache sinnliche Bewusstsein ist die unmittelbare Gewissheit von einem äußerlichen Gegenstande. Der Ausdruck für die Unmittelbarkeit eines solchen Gegenstandes ist, dass er  ist,  und zwar  dieser, jetzt der Zeit und  hier  dem Räume nach, durchaus von allen andern Gegenständen verschieden und vollständig an ihm selbst bestimmt.(※1)

第十一節[感覚的な意識]

単純な感覚的な意識というのは、外にある一つの対象についての直接的な確実性である。一つのそうした対象の直接性についての表現の仕方は、「それはある」であり、そして、確かに「これ」であり、時間からすれば「 」であり、空間からすれば「ここ 」である。外にあるその対象は、他のすべての対象とはまったく区別されて、そして、それ自体において完全に規定されている。

※1

「感覚的な意識」はかならず、「今、ここにある、このもの」についての、すなわち個別的なものについての意識であるから、それ自体において完全に規定されている。 

この部分は、「精神の現象学」すなわち「意識の経験の学」の中の、

A  意識、
I 感覚的な確信、あるいは、このものと私念
( Die sinnliche Gewißheit;  oder das Diese und das Meinen)

の個所の要約になっている。

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般  第十節[意識一般の区分]

2023年06月05日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一段 意識一般  第十節[意識一般の区分]

 

Erste Stufe. Das Bewusstsein überhaupt.

§ l0

Das Bewusstsein überhaupt ist 1) sinnliches; 2) wahrnehmendes; 3) verständiges.(※1)

第一段  意識一般

第十節[意識一般の区分]

意識一般は、次の三つの段階に区分される。1)感覚的な意識、2)知覚的な意識、3)悟性的な意識

 

※1
前第九節と同じように、意識一般の進展が、この三つの段階をたどる必然性が論証されていなければならない。

 

 

 

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ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第九節[意識の三つの段階]

2023年06月01日 | ヘーゲル『哲学入門』

ヘーゲル『哲学入門』中級 第一篇 序論 第九節[意識の三つの段階]

§9

Das Bewusstsein hat im Allgemeinen nach der Verschiedenheit des Gegenstandes überhaupt drei _Stufen._ Er ist nämlich ent­weder das dem Ich gegenüberstehende Objekt; oder er ist Ich(※1) selbst; oder etwas Gegenständliches, das eben so sehr dem Ich angehört, der Gedanke(※2). Diese Bestimmungen sind nicht empi­risch von Außen aufgenommen, sondern Momente des Bewusstseins selbst.(※3) Es ist also:

1) Bewusstsein überhaupt;  
2) Selbstbewusstsein;  
3) Vernunft.(※4)

第九節[意識の三つの段階] 
  
一般に、意識には対象の区別に応じて三段階がある。すなわち、1) 対象が「私」にふつうに相対する客体であるか、あるいは、2) 対象が、「私」自身であるか。あるいはさらに、3) 対象がまったく同じように「私」に属するものであるような客体物の或る物、たとえば思想のようなものであるか。これらの規定は外から経験的に把握されるものではなくて、意識それ自身の要素である。

意識には、したがって、以下の三段階がある。 
  
1)  意識一般
2)  自己意識   
3)  理性


※1
Ich 「私」、自我、自分

※2
Gedanke
思考の結果生まれたもの。観念、思想、概念、思考、想像、意見などの訳語が考えられる。

※3
Momente des Bewusstseins selbst. 意識それ自体の要素
Moment 契機、要素、要因、動機、境界 
1)  意識一般 2)  自己意識   3)  理性 の三つの段階が、私たちの意識の要素である。

私たちの意識の要素、契機としては、この三つ段階「1)  意識一般 2)  自己意識   3)  理性」の他にはなく、それらだけで尽きているのか、必要にして十分であるのか、そのことが論証されていなければならない。

※4
Vernunft. 理性 とは、ここでも明らかなように、「「私」に属するものであるような客体物」。すなわち、観念、思想、概念、ロゴスなど。これは哲学の主題でもある。

 

 

 

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