夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

「an und für sich」をどう訳すべきか

2017年08月08日 | 概念論

 

「an und für sich」をどう訳すべきか

Die Wahrheit des Seyns ist das Wesen.

Das Seyn ist das Unmittelbare. Indem das Wissen das Wahre erkennen will, was das Seyn an und für sich ist, so bleibt es nicht beim Unmittelbaren und dessen Bestimmungen stehen, sondern dringt durch dasselbe hindurch, mit der Voraussetzung, daß hinter diesem Seyn noch etwas Anderes ist, als das Seyn selbst, daß dieser Hintergrund die Wahrheit des Seyns ausmacht. Diese Erkenntniß ist ein vermitteltes Wissen, denn sie befindet sich nicht unmittelbar beim und im Wesen, sondern beginnt von einem Andern, dem Seyn, und hat einen vorläufigen Weg, den Weg des Hinausgehens über das Seyn oder vielmehr des Hineingehens in dasselbe zu machen.Erst indem das Wissen sich aus dem unmittelbaren Seyn erinnert, durch diese Vermittlung findet es das Wesen.—Die Sprache hat im Zeitwort: Seyn, das Wesen in der vergangenen Zeit: gewesen, behalten; denn das Wesen ist das vergangene, aber zeitlos vergangene Seyn.


(Wissenschaft der Logik, Erster Teil Zweites Buch. Das Wesen.Die Wahrheit des Seyns ist das Wesen.)

存在の真理は本質である。

存在は直接的なものである。知識とはその存在に本来的にあるところの真なるものを認識しようとするものであるから、知識は直接的なものとそれらの諸規定に留まってはいない。むしろ、存在の向こうには、なおその存在とは異なった何か他のものが、存在そのものとしてあるという、また、その背後には存在の真理が成立しているという前提をもって、知識は存在を掘り抜いてゆく。

この認識は媒介された知識である。なぜならこの認識は直接に本質のもとにあるものでなければ、また本質のなかに見出されるものではなくて、本質とは他者としての存在から出発して、あらかじめ一つの道を通って、つまり、その存在を超えて出てゆくか、あるいは、その存在へと入り込んでゆく道程をたどらなければならないからである。はじめに、知識は直接的な存在から自身を思い起こして、この道筋を通って本質を見出す。その言い回しは時制の動詞の中にある。過ぎ去った時間の中にある本質は、あったもの( gewesen)として保存されている。というのも、本質とは過去の、しかし時間を超越した過去としての存在であるから。
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先日ツイッターで大論理学の一節を訳したときに、気になった言葉があった。それはヘーゲル哲学では特に重要な概念である「an und für sich」をどのように訳すべきか、という問題に引っかかったからだった。

それでこれまで「an und für sich」がどのように訳されてきたか、少し調べてみると、ふつうは「即自かつ対(向)自的に」などと訳されている場合が多い。その他には「主観的かつ客観的に」とか「潜在的かつ顕在的に」などと訳されているようである。
       
「an und für sich」の原意を正確に理解するためには、ヘーゲルの概念観の核心を正しく理解している必要がある。ヘーゲルはすべての事物はその存在の根拠に概念を持っているとみる。そして、ある事物が事物であるのはすべてその概念によるのであって、概念がまだ事物に潜在的である段階は「an  sich」として、そして概念がその姿を顕在化させてゆく自己反照の段階が「für sich」として捉えられる。

表象をたどって「思考」することは哲学することではないけれども、たとえて言えば「どんぐり」は樫の木の「概念」がまだ潜在的な時の姿であり、その「概念」が発展して顕在化すると、樹木としての「樫の木」が姿を現す。「どんぐり」のその成長は内発的であって他の力を必要とせず、必然的であることから、「an und für sich」は文脈においては「必然的に」とか「独立して」とか「絶対的に」と訳される場合もある。

「an und für sich」の原語の事柄をさらにもっと的確に捉えて言い現すことのできる日本語がないかと考えていて、「本来的に」とか「元来的に」という言葉に思い及んだ。それでツイッターの訳文では「an und für sich」を「本来的に」と訳した。「本」とは「もともと」の意味であり「元々に」はじめに潜在的に存在するものから「出て来た」概念は「出来あがって」その完全な姿を実現する。すべて生命のあるものは、もっとも概念的な存在である。

本来の日本語で言い現してこそ、借り物ではない独自の哲学が生まれて来る。

 

 

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理念と現実─主辞と賓辞

2014年11月06日 | 概念論

§ 269 政治的心的態度は、その特定の内容を、国家の有機的組織が持つ様々の面から( aus den  verschiedenen  Seiten  des  Organismus  des  Staats )手に入れる。この有機体は、理念が自己の区別へと発展し、さらにこの区別が客観的現実性と発展したのである。これら区別された種々の部面がかくて種々の権力であり、またそれらの権力の職務であり活動である。a


これらによって普遍的なものは、絶えず、しかもこれらは概念の本性によって規定されているので、必然的に、自己を産出し、かつそれがまさに自己の産出に前提されているのであるから、自己を失うことなく保持している。 ──このような有機体が政治的国家体制(die politiche Verfassung)である。 b (ibid s 216 )


※先の§ 267においても、この§ 269においても翻訳者である高峯一愚氏は、この両節の訳注のなかで、ヘーゲルが「理念を主辞とし現実を賓辞」としていることに対して、「主辞と賓辞を転倒している」というマルクスの批判をそのまま引用しながら、ヘーゲルのこの個所の記述を批判している。


しかし、これらの批判はいずれも的外れなもので、ヘーゲルの「概念観」を正しく理解し得なかったマルクスに、訳者の高峯氏も無批判に追随しているにすぎない。


【補注】 〔国家の有機的組織〕国家は有機的組織、すなわち理念がその区別へと向かう発展である。これら区別された部面はかくて種々の権力であり、その職業と活動とであり、これらによって普遍的なものは絶えず必然的に産み出されるのである。また、それがまさに自己の産出において a


前提されていることによって、失われることなく保持されるのである。この有機体が政治的国家体制である。この政治的国家体制は永遠に国家から生ずるが、これはまさに国家がこの政治的国家体制によって保持されるのと同様である。もし両者がバラバラとなり、区別された面が勝手な方向に向かえば、b


国家体制がもたらす統一はもはや定立されない。これはあたかも胃袋とその他の身体の部分との寓話に当てはまる。すべての部分が同一性へと向かわない場合、 一部分が独立したものとして定立される場合には、全部が滅亡せねばならないというのが、有機的組織の本性である。c


述語や公理をもってしては国家の評価において一歩も進めることをできない。国家は有機的組織として把握されねばならないから。それはあたかも述語を以てしては神の本性は理解されないのと同様である。神の生命はむしろ、私はこれをそれ自身において直観しなければならないから。 d( s216)


※悟性的思考家である橋下徹氏や大前研一氏、また悟性的憲法学者、奥平康弘氏などは、ここで述べられているヘーゲルの国家有機体説に理解が及ばない。したがって、彼らには立憲君主国家体制もまた理解できない。


 
 
※追記20141106
 
「普遍的なものは、絶えず、しかもこれら(国家など)は概念の本性によって規定されているので、必然的に、自己を産出し、かつそれがまさに自己の産出に前提されているのであるから、自己を失うことなく保持している。 ──このような有機体が政治的国家体制である。」
※注
「普遍的なものは、概念の本性によって規定されながら、必然的に自己を産出する。」この個所をヘーゲルの字義通り解するか、マルクスのように「主辞と賓辞」を倒錯させているとみるか。ヘーゲルの概念観を前提にすれば、当然に上記のような記述になる。この論点がマルクスの誤解、ヘーゲル「観念論」批判の核心だと思われるので、あらためて想起しておきたい。
 
 
 
 
 
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存在・概念・真理・国家

2010年02月24日 | 概念論

 

存在・概念・真理・国家

どんな事物にもその「あるべき姿」ということが、それが自覚されているか否かは別にして、つねに考えられている。人間についても、バラの花についても、また、料理に使われるレモンなどについても、さらには、国家についてもおなじことが言える。

ある事物がその事物であり得ているかどうかについての判断は、人はつねにその事物の「あるべき姿」と比較しながら行っているといえる。だから私たちは「黄色くもなく」「酸っぱくもないもの」をもはやレモンとは呼ばないのである。また、もしその人間が、他者の所有品を盗んでばかりいたり、殺人行為を何らの道徳心ももたずに実行したりする人間であれば、その人間に対して「人でなし」と呼ぶのである。だから、その事物についての「あるべき姿」を頭の中に、その人の所有する観念の中にもっていないとすれば、価値判断も善悪の判断もできないと言うことになる。

個別具体的な赤い薔薇の花を指さして、あの「薔薇の花は赤い」というとき、その人は頭の中に「赤色」の「概念」と現実に目の前にある「薔薇の花の色彩」とを比較して判断している。また、「大輪の花を咲かせている」というときは、花の大小についての「概念」を基準として、その個別具体的なバラの花を見て判断しているということになる。

さらに「赤らしい赤」とか、「男らしい男」などと言うとき、その人は現実の男性や色彩の赤を、その人間が頭の中に所有する典型的で理想的な男性像や赤と、つまり「男性」や「赤」の「概念」と比較して判断しているのだ。私たちが日常にふだんに下す判断中には質的な判断、量的な判断などの本質についての判断のほかに、こうした概念の判断がある。

そして、個別具体的な事物が、人が一般にもっているその事物の「概念」と実際にはかならずしも一致しないということは多々あるものである。その時に人は、その事物ついて「おかしい」とか「変だ」とか判断するのだ。

ある国の国民が他国の軍隊や政府の謀略によって誘拐なり拉致などされて行ったとき、そして誘拐された国民の所属する国家が、その被害にあった国民を誘拐なり拉致から救い出すこともできず、救い出そうともしないとき、その国の国家主権が侵害されているとか、その国はおかしいとか、まともな国家ではない、とかいうのである。このとき、人々が「まともな国家」といった言い方で表している事柄を、哲学の用語では「国家の概念」というのである。

もちろん、にもかかわらず、そうした国家について、とくに「異常」とも「おかしい」とも感じも考えもしない人々、国民もいるものである。その時、「まともな国家概念」をもつ人間からは、判断能力が「低い」と評されたりする。あるいはまたそれを承認できないがゆえに、事物の価値判断をめぐって論争も起きたりするのである。たしかにイヌなどには、嗅覚や視覚については、人間と比較しても何十倍となく優れた感覚器官を持っているかもしれないが、国家や芸術品についての価値判断能力はない。その判断能力の差異は、概念的に判断する能力の差異による。

そして、なんらかの事物が、「まともでない」とか「おかしい」とか、「あるべき姿に一致していない」とかいう判断が求められるのは、その事物が何らかの対象や事件に出会うことによって、その事物の姿が対象や事件に映し出されることによってである。その事物の本質や概念が明らかにされるのは、そうした実験や経験によってである。もし、そうした現象がなければ、その事物の本質や概念も明らかにならない。その意味では、北朝鮮の行った拉致行為やオーム真理教事件などは、日本国民に国家や社会や教育などの現実の異常さを教える契機になっているのである。異常や特異さに気づくのは、その「あるべき姿」、「概念」を自覚することによってである。

現実の具体的な事物の姿、その実際の存在が、その事物の「概念」に一致しているとき、その事物は理想的な状態にあるのであり、真理にあるというのである。ヘーゲルの真理観とはそのようなものであったし、私たちもこうした真理観を継承している。だから、何よりも事物の現実の姿を理解し把握し判断するためには、その事物の概念が明らかにされていなければならないのである。概念論の決定的な重要さの所以である。しかし、このことについて論及してきた者はこれまで誰もいなかった。「真理」などを追求するという文化的な伝統も風土ももともとない民族や国民には、貧弱で虚ろな概念論しか持ちえないからである。宗教的な文化的な形而上学の干からびてしまった戦後民主主義の日本社会についてはとくにその傾向は著しいといえる。

日本国憲法は、果たして日本国をして「国家」たらしめているか、国家の概念があらためて問われなければならない。それが問われ解決されることなくして、多くの諸問題について根本的な解決も得られない。そういう時代の状況に来ているといえる。

 

 

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概念とは何か(ノート3)

2009年06月12日 | 概念論
概念とは何か(ノート3)

概念とは何か。それを比喩的に言えば、概念とは観念的な種子のようなものである。植物にたとえるならば、その種子の中にはレバノン杉や椎の木やダイコンやニンジンの設計図が含まれているのである。現代科学はその設計図の構造をさらに解明して、それを遺伝子の配列として捉える。

動物においてもまたその設計図は、卵子や精子の中に含まれる染色体の中の遺伝子の構造として設計されている。そして、それらの種子や胚珠はやがて、熱、光、水、空気など生育に必要な環境と条件が備われば必然的に萌芽するのである。その鉄の必然性は誰にも押しとどめることが出来ない。

そして、自然界における最高の概念的な存在こそ「自我」である。「自我」あるいは同じことだが「意識」、あるいは「精神」といってもよいが、それは現実的で具体的な生ける「概念」である。

そして、自我による最高の作品が国家である。国家は人類の創造しうる至高の芸術作品であるということができる。

自我も意識も「精神」として、いずれもその思考において、設計図を描くことが出来る。建築家はその頭のなかで構想した住宅の設計図を青写真にすることによって、建築物の「概念」を構成する。そして、この「概念」は、木材、セメント、鉄骨などの素材を得ると、現実に住宅として存在するようになる。画家や彫刻家も白いキャンバスや大理石を前にして、それぞれ美の概念を具体化する。

ヘーゲルなどが用いる概念という用語は、単なる抽象的な普遍的な観念のみを意味しない。単なる共通性にすぎない普遍性と真の普遍性は明確に区別されている。

また、この概念は人間の単なる観念的な生産物を意味するだけではなく、自分自身を産み出すものである。聖書においては神は精神(Geist)であり、万物を創造する主体でもある。言うまでもなく、キリスト教においては三位一体の神として、神は精神として認識されている。

そして、聖書の神話においては、智恵の実のイチジクを食べた人間のみが神に似た存在として、単なる動物とは異なる「精神的な」存在として捉えられている。この人間の自我の、意識の、精神の本質的な構造をもっとも深く分析したのはヘーゲル哲学の仕事であるということができる。しかし、このヘーゲルの概念論を正しく理解し得ているものは今日おいても誰もいないのではあるまいか。彼は忘れられた思想家で、今なお誰もその灯火で明るみに出すことの出来ない、暗黒の彼方にある哲学者である。


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ロゴス(ho logos)・概念・弁証法

2009年01月23日 | 概念論

 

ロゴス(ho logos)・概念・弁証法

新約聖書のヨハネ書の第一章の冒頭に、「はじめに言(ロゴス)があった。言は神と共にあった。言は神であった。言はこの世の存在する前からあり、言は神であり、言ははじめには神と共にあり、すべてのものが言(ロゴス)に由って神に造られた。被造物のなかで言によって造られなかったものは一つとしてなかった」(ヨハネ書1:1~3)と語られている。

そしてヨハネ書の福音書記者が「すべてのものが言(ho logos)に由って神に造られた」と語っているように、イエスの誕生そのものも、十字架上の死もまさに宇宙的な必然性(ロゴス=言、ことば)をもって現象したのである。

そうであるから、もし現実にイエスが救世主でないとすれば、我々人類はふたたび救世主を待たなければならないことになる。しかし、歴史的にはすでに絶対的な必然性をもってイエスはベツレヘムに生まれ、ゴルゴダの丘で十字架に架けられて死んだ。だから、もう人類は救世主の出現を新たに待つ必要はない。ただ、イエスを救世主と認めることのできないユダヤ人だけが、いつまでも空しく待望し続けているだけである。宇宙的な必然性と呼ぶか、ロゴスと呼ぶかはとにかく、絶対的な必然性をもってイエスはこの世に現象し、神との宥和を実現したのである。

そして、イエスの誕生は歴史的にも「神の国」がこの世に現れる端緒でもあった。イエスは何よりも「時は満ちて神の国は近い」(マルコ書1:15)ということばで伝道をはじめた。「時は満ちて」というのは、春が来て初めて櫻が咲くように、また、胎児が母胎のなかで十ヶ月近く生育してから初めて産み出されるように、生誕のための「必然的な条件が揃って」という意味である。この時以来、「神の国の訪れという喜ばしい知らせが告げられ、誰もがその中へ押し入ろうとしている」(ルカ書16:16)

二〇〇九年の初頭に就任したバラク・オバマ、アメリカ新大統領は、リンカーン第十六代大統領が就任の宣誓式で使った聖書を博物館の中から持ち出して、自分もそれに手を置いて宣誓した。このようにアメリカの建国も、この「神の国」の到来の知らせとは無関係ではない。歴史的にもアメリカという国は聖書の上に立脚する国であり、イエスが「まず神の国を求めよ」と命じていることと無関係ではない。そして、新旧の相違はあるけれども、いずれも聖書の基礎の上に立脚した国家という点では、イスラエルも米国と共通する

そして、新約聖書におけるロゴスの思想を近代において「概念」として捉えなおしたのがヘーゲルだった。ヘーゲルにおいては「概念」とは、マルクスが解したような人間の頭脳による観念的な生産物ではなく、ヨハネ書のロゴス(ho logos)のように、万物を産み出す魂のようなものである。それは鉄の必然性の法則性をもつものであり、宗教的には神の摂理とも呼ばれるものである。そして、その法則性は「弁証法」として、プラトン以来の高貴な哲学として近代においてヘーゲルによって復活されたものである。言(ことば、ロゴス=ho logos)は「概念」でもあり、理性であり、弁証法でもあり、かつ、光であり命でもある。それらは同一物のそれぞれの属性である。わたしたちはこれを知り学ぶことによって、永遠の命を得ることができるとされるものである。

 

 

 

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『法の哲学』ノート§272(国家体制、憲法)

2008年08月11日 | 概念論

 

ドイツ語の「Verfassung」には、もともと「書く」「記す」「著作」「起草」「体制」、「統治組織」、「心身の状態」、「身体の調子」などの意味もあるらしい。(三修社現代独和辞典)。憲法は英語では、Constitutionである。

高峯一愚氏の訳業になる『法の哲学』(論創社)において、第272節の標題は「一 国内国家体制自体」と訳し出されている。けれども、それでは原語の「Innere Verfassung fuer sich 」のニュアンスは当然のことながら十分には現し切れてはいない。言うまでもなく、Verfassung は、普通に日本語に訳すのなら、「憲法」と訳し出すはずである。しかし、高峯氏は、ここでは「国家体制」と訳しているから、この日本語訳には「Verfassung」に含まれる「憲法」の意義は現れてこない。したがってこの日本語訳だけを読めば、ここでヘーゲルが「国家体制」だけを論じて、「憲法」についても論じている個所であるということになかなか思い至らない。また、「fuer sich 」を「自体」と訳すだけでは、国家体制(=憲法)という概念の進展の意味合いが消えてしまう。翻訳の困難なところである。

ドイツ人の観念から言えば、国家体制と憲法は、同じ用語で、同じ概念の「Verfassung」で表現される。そして、ヘーゲルに言わせれば、国家体制(=憲法)が理性的であるのは、国家がその概念の本性にしたがって、自己のうちに区別を規定し、また、そうして区別されたそれぞれの要素を相互に作用しあうものとして自己の中に含んでいるからである。国家体制(憲法)が「概念の観念性」にとどまって一個の個別的な全体を構成するとともに、それぞれの要素もみずから個体的なものでありながら一つの全体を構成しているからである。

言うまでもなく、ここでヘーゲルが念頭に置いているのは、国家のおける三権分立であって、国家権力が必然的に立法権、司法権、行政権へと分割されることに、国家体制の概念の本性の理性的な性格を洞察している。しかし、ヘーゲルの三権分立論は、かならずしもモンテスキュウやカントのそれとは同じではない。それがどのように異なるかは、後に君主権を論じる時に詳しく展開しているが、要するに、ヘーゲルの場合は、彼の「概念」が、普遍性――特殊性――個別性という区別された諸要素に定立されるとともに、それらがまた不可分な活きた統一であるところに特色があるからである。「概念」のそうした理性的なものの見方に対して、抽象的で否定をもっぱらとする悟性は、この活きた統一をバラバラにして、活きた概念である生命や国家を殺してしまうのである。抽象的で否定的な悟性的精神で行われたフランス革命が、結局、立法権と行政権が互いに分裂して争い、やがて崩壊していったことを、ヘーゲルはその歴史的な例として挙げる。

ヘーゲルにとっては、国家とは精神が絶対的な必然をもってみずからを形成した理性的な世界である。そして、ヘーゲルにとって精神は自然よりも高く評価されるから、精神の産物である国家は人類至高の芸術作品とも捉えられ、また「国家は地上の神のように敬わねばならない」とも言う。

ヘーゲルの当時も国家体制については多くの人々によって、無限の饒舌が蝶々されてはいた。ヘーゲルは、それらはいずれも、空虚な饒舌の氾濫にすぎないとして嘆いている。というのは、それらの饒舌はいずれも「生半可の空論」や「宗教的な心情や霊感」から生み出されたものであって、「概念」の展開として哲学の認識の対象になるようなものではなかったからである。それは、当時のカント主義者やロマンティカーに対する辛辣な批判の繰り返しであって、若き日の処女作である『精神の現象学』の中でヘーゲル自身がみずからの哲学を打ち立てる中で展開した批判と同じである。

高峯一愚氏は、また自身の訳注の中で、マルクスのヘーゲル法哲学批判を引用して(どの個所からの引用であるかは不明であるが)、次のように言っている。



マルクスはここで、ヘーゲルの「概念の本性にしたがって」を批判し、「それゆえ、憲法の理性は抽象的な論理であって、国家の概念ではない。憲法の概念の代わりに、われわれは概念の憲法をもつ。このような思想はみずからを国家の性質へではなく、むしろ国をできあがった思想へと導く」という。
(P346訳注)



しかし、概念の本性としての普遍性、特殊性、個別性の諸要素についての思想と論理は、当然にまた国家体制(憲法)の思想であり論理でもあるのであって、その概念の本性にしたがった活動の結果として、三権分立の国家体制(憲法)を合理的なもの、理性的なものと見るヘーゲルの国家観は必然的であり、論理的であり、まちがってはいない。この高峯氏の無批判な引用にも、ヘーゲルの概念観についての、根本的な誤解があると思う。

 

 

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hishikaiさんの「都下闃寂火の消えたるが如し」評(2)

2008年07月23日 | 概念論

hishikaiさん、コメントのコメントありがとうございました。

漱石の『私の個人主義』などは昔読んだ記憶はあるのですが、その細部は忘れてしまっています。

先の漱石の日記の見解の論理構造を整理されていると思いますが、hishikaiさんのおっしゃる「その原因の半分に明治以前からの庶民の土俗的信仰習慣の問題(この場合は庶民の側からの自発的な天皇信仰(の欠如)」が「戦後民主主義」はとにかく「日米開戦」にどのようにつながるのか、その論理が今ひとつピンときません。よろしければ、もう少し詳しく説明してください。

ちなみに私の場合は、伝統的に弱い「国民主権」が、結果として(おおざっぱな論理ですが)「日米開戦」や「官僚主権国家」を防ぎ得なかったと考えているからです。加藤友三郎や東郷平八郎元帥らが生きている間は、ワシントン会議に見られるように軍部の主戦論者に対する押さえは利いていたのです。彼らの死後はその重しもなくなってしまいました。しかしいずれにせよ、歴史にIFは禁物です。

そら(ANOWL)

 

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民主党の党首選挙(2)

2008年07月19日 | 概念論

 

もちろん、何も狂信的に何が何でも「党首選」を実行せよ、と言うのではない。
民主党の幹部が、直嶋正行政調会長が主張するように、本当に圧倒的な多数の支持を獲得できるリーダーで、その能力の評価において衆目の一致するところであれば、対抗馬がなく無投票で選出されると言うこともあり得るだろう。しかし、現在の小沢一郎氏は「民主党」のリーダーとして、真実の民主主義者であるといえるのか。そして、現在の民主党には小沢氏の民主主義者としての体質に異議を唱える論者は一人もいないのか。小沢氏に対抗して真実の民主主義者がどういう者であるのか、日本国民に範を示すために立とうという 覇気のある政治家は民主党の中に誰もいないのか。

現在の小沢民主党党首は、かっては自由民主党の幹事長として、自民党総裁選に出馬表明していた宮沢喜一、渡辺美智雄氏らを事務所に呼んで総裁選の実質的な権限を握るほどに、若くして権勢を振るっていた。小沢氏は故田中角栄氏の弟子もしくは申し子として政治家として成長したのである。その後、自民党を離党したが、また、イギリス議会に倣って国会に党首討論を取り入れたり、また濡れ手に粟のような現在の政党助成金制度の導入に能力を発揮し貢献したのも、この小沢一郎氏だった。

確かに小沢一郎氏は、青臭い書生派国会議員の多い現在の民主党の中では、かっての田中角栄氏を師として仰ぎその薫陶を受け、また大衆の機微をわきまえたいわゆる角栄流に日本的に有能な政治家ではあるだろう。だからこそ管直人氏や鳩山由紀夫氏らの支持を得るとともに、同じ民主党内の前原誠司氏らからは批判を受けている。

民主党と対抗する自民党においては、たとえレトリックにすぎないとしても、小泉純一郎氏が「自民党をぶっ潰す」というキャッチフレーズで登場し、郵政解散総選挙で、事実上自民党内のいわゆる「抵抗勢力」を排除して、曲がりなりも自民党内の道路族をはじめとする党内の利権構造にメスを入れようとした。たとえそれが中途半端に挫折に終わったとしても、自民党は旧来の利権政治家集団から脱して、国民政党に脱皮しようという片鱗は見えていた。それゆえにこそ当時は自民党も国民の一定の支持も集めたのである。そして、政策的にも心情的にも、民主党の前原誠司氏などは、氏の日常の言動から見ても、いわゆるこの「小泉改革」に共感するところが少なくないはずである。

それに対して、現在の民主党の党首小沢氏は郵政解散総選挙で自民党を離党した国民党の綿貫氏らと会談し、「郵政民営化を正すためにも政権交代を実現したい」と選挙協力を確認しあっている。そうした郵政民営化をご破算にする動きや農業の個別所得補償や子育て支援などの「バラマキ政治」に故田中角栄氏の旧自由民主党政治を髣髴させるものがある。だから、いわば前原誠司氏などの政治的な立場からすれば、民主党にあって小沢一郎氏は、故田中角栄氏の旧い自由民主党の政治体質を復元しようとしているようにさえ見えるにちがいない。

さらにまた、かっての戦後間もなくの自民党のボス政治家たちのように、小沢一郎氏がいわゆる「料亭政治家」の体質を抜けきっていないことがある。これは政策以前の政治家の体質の問題で、小さなことであるともいえるが、日本の政党政治は、酒席をはずしたところで、アルコールや酒と無縁のところで運営される必要がある。江戸期の大名や明治の元勲たちのように酒席に女を侍らして天下国家を語るような政治文化の名残から日本の政治は足を洗わなければならない。こうした点も小沢一郎氏が「新しい」民主党のリーダーとしてふさわしいか懸念する点である。

一方で、民主党内にあって小沢一郎氏に対抗する政治家として前原誠司氏らが取りざたされることが多い。この前原誠司氏について少し論及するなら、かって氏が民主党の代表の地位にあったときに、いわゆる「偽メール事件」で永田議員が辞職したときの前原代表の対応に見られたように、何よりも前原氏は戦後民主主義の申し子ともいえる。それゆえ前原誠司氏には戦後民主主義を歴史的に相対化する観点も能力もない。この点では、中途で哀れにも挫折したとは言え、少なくとも「戦後政治体制の脱却」をスローガンに掲げた安倍晋三前首相にすら及ばない。

「戦後日本の民主主義」を日本史や世界史の通史の中に、また、人類の全歴史から見たときに、どのように評価され位置づけられるかという、自己相対化の視点や能力が前原誠司氏にはほとんど欠けている。自己の生きる国土と時代を客観的に把握し相対化できないものには、その時代と国民の限界を克服することはできないのである。

何度も言うように、要は国民全体の民主主義における能力の問題である。民主主義が歴史的にその出自がプロテスタントキリスト教にあるのに、この根本的な事実さえも明確に自覚されていない。

だから、いくら民主党が分裂したからといって、そのことが直ちに真実の「民主主義政党」の誕生にはつながらない。最終的には「人」であり「人材」である。真の民主主義を能力として実行、実現できる人材なくして、いくら看板だけを新しく掛け替えても、その中身は旧態依然のままである。

比較的にも少なくとも国民が全体として真実の民主主義を体現できるようになるためには、その前提としてまず優れた思想家、指導者、哲学者たちによって国民に対して、真実の「民主主義の概念」が明らかにされていなければならない。

続いてその「正しい民主主義の概念」を学んだ教育者、政治家たちが、10年、20年、さらに半世紀、100年と倦まず弛まず国民に対して教育活動を行った成果として、大地に雨垂れが染みこむように、正しい民主主義の精神と方法が国民性や文化の一部としてようやく血肉となってゆくものである。

期待したいのは、現在の小沢民主党が真実の「民主主義政党」に変身して行くことである。しかし、これも砂漠に蜃気楼を見るようなものか。

 

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理論と実践

2008年05月22日 | 概念論
 

このブログの記事の中には、いくつかの独自の見解が含まれていると思う。とくにヘーゲルの概念論については、マルクスや「唯物論者」たちなどによって浅薄に誤解された概念観を訂正して、ヘーゲル自身のありのままの概念観を把握しようとつとめた。私の知る限りでは、これまで日本の大学教授や哲学者の中にも、まだ誰も私の示したような概念観を展開した者はいないように思う。

もちろん、それもまだ極めて未熟で内容も不十分であることはわかっているけれども、根本においてはこれまで誰も示さなかった独自の新しい解釈を示しているとは思う。この「概念」についての研究の充実と深化は引き続きこれからの課題でもある。

政治理論の面でも、自由主義者の集結する自由党と民主主義の思想に生きようとする者の集結する民主党によって、理念実行実現型政治に転換することを主張しているのも独自の見解だと思う。自由党と民主党による政権交代可能な政党政治については誰もが着想しそうなことだが、それを明確に定式化して主張した者はいなかったのではないだろうか。考え方や原理は単純であるけれども、それを理念として自覚し実行してゆく意識と能力をもった政治家が出て来ないだけだ。また世界と日本の歴史的な方向としてはそれしかないと思う。

そして、自由と民主主義の理念を深化させながら、人類は少しずつ自己を解放してゆく歴史になるのだと思う。

19世紀、人々は共産主義革命に、未来の明るい生活の展望を見いだそうとした。しかし、人類の解放を目指したこの運動も一世紀も経たぬうちに完全に挫折する。その後をうけて、フランシス・フクヤマの『歴史の終焉』という本も出たが、人類の将来は、自由と民主主義を模索しながら、その方向に進んで行くと思われる。理念としての自由と民主主義の必然性の解明が課題である。とくに、民主主義の否定的な限界こそ明らかにする必要がある。民主主義をただに「信仰」することなく。「信仰」にはすべからく注意深くあらねばならない。

 

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『法の哲学』ノート§2

2008年04月11日 | 概念論

§1で哲学的法学の対象が、法の概念、すなわち自由とその実現過程にあることを述べた後、法学の端初について説明する。哲学的な法律学は、法の概念とその進展を問題にし対象にするから、この法律学においては当然にその始元が問題になる。

こうした問題意識を持つのは、ヘーゲルの哲学が何よりも科学を必然性の追求として捉えたからで、そして哲学の端初は、無前提にして絶対的な端初でなければ必然的とはいえない。

ここで述べられているように、ヘーゲルにおいては法学は、精神哲学の中の客観的精神に位置づけられ、この客観的精神自体もそれに先行する段階の概念から演繹され必然的な成果として現れたものである。それゆえ法学も理念としてはそれに先行する前提を持つものである。だからヘーゲルの哲学的法律学は、自己の出生の由来も知らずにひたすら狭い井戸の中で自己満足している実証的法律家や数学者とはちがうのである。

事柄の概念的な把握を科学と考えるヘーゲルは、法律学の端初について考えるのにちなんで、この§2の補注においても哲学の端初を問題にして触れている。法律学や物理学などの他の諸科学と異なって、哲学は絶対的に必然的な、しかも無条件、無前提であるがゆえに相対的な始元を持たなければならない。この科学的哲学における始元の問題については、すでにこの「法の哲学」に先行する「大論理学」の緒論でヘーゲルは詳説していたが、それをヘーゲルはここでも繰りかえす。

しかし、実際に世界のあらゆる存在はすべて媒介されたものであって、絶対的に無条件に直接的な端初はありえない。とはいえ始元がなくして世界はどうして存在するのだろうか。この問題はほんらい、世界の二律背反の問題と同じであって、この矛盾をヘーゲルの哲学は円環の中の一点に端初を見いだすことによって解決する。

こうして絶対的な哲学の方法と、それとは異なる他の悟性的科学や実証法法学と、科学としての方法のちがいを補注の中でさらに注釈して行く。なぜなら、この科学の方法論こそがヘーゲルの独自とするものであって、彼の自負するところのものでもあったからだ。

ふつうの科学では、たとえそれが感覚や表象にもとづいたものであるとしても、その対象についての定義が要求されるのに、実証法的法学はその定義すら重要視されないと言っている。なぜなら、実証法的法学においては、事柄が合法か非合法か、犯罪か無罪かさえ明らかになればよいからである。ちょうど日本国憲法で自衛隊は軍隊か否かその定義について、八百代言のような政治家の言い分がまかり通るのと同じである。この同じ注釈のなかで、ヘーゲルが古代ローマ社会においてはなぜ人間の定義が不可能であったのかを、その社会の抱えていた矛盾によって説明してるのは卓見で、今日の日本政府にはなぜ自衛隊の定義が不可能であるのか考えあわせると興味深い。

ここでヘーゲルが、他の普通の悟性科学がその科学の方法として行う概念の定義と、概念を必然的に進展するものとして捉える哲学の方法における概念の定義と、その区別について述べているところは、ヘーゲル哲学の本領を示すものとしてきわめて重要である。

この哲学的な認識においては、「概念の必然的な進展」が主要な問題であり、その成果の生成過程の説明が概念の証明として演繹されることになる。これこそがヘーゲルの功績としたところであり、それによって、哲学的認識が、単なる臆見や主観的な内心の確信や俗見の思いこみなどではなくて、「理性」や「理念一般」を対象とする科学となったのである。

ヘーゲルが哲学において何よりも「概念の形式」を要求し、証明という「認識の必然性」を求めたことには、当時の一般の風潮から、単なる主観的な「感情」や「信仰」といった「恣意や偶然性の原理」から哲学の品位をも守ろうとしたためである。それはまた、プラトン、アリストテレスに由来する古代ギリシャ哲学の伝統の復興でもあった。

 

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『法の哲学』ノート§1

2008年04月10日 | 概念論

この『法の哲学』の緒論で、まずヘーゲルは「哲学的な法律科学」が考察の対象としているのは、「法(Recht)=正義」の「概念(Begriff)」、およびこの概念が現実に具体化してゆくその過程であることを明らかにする。

この節の中の補注で、ヘーゲルはイデー(理念)を概念と言い換えている。科学の対象である概念は、普通に人々が考えているような「悟性規定」ではなく、この概念は現実において具体化して行くものである。この概念をわかりやすく説明するために、ヘーゲルは心と身体をもった人間という表象にたとえる。概念が人間の心であるとすれば、概念の具体化されたものが身体にほかならない。

心も身体も同じ一つの生命ではあるが、しかし、心と身体は区別されてもいる。

またさらに、概念とその現実化、具体化を種子と樹木にもたとえている。
概念とは樹木の全体を観念的な力として含んでいる萌芽(種)であり、それが完全に具体化されたとき、現実の樹木全体になるのである。人間の概念は心であり、樹木の概念が種子である。

それに対して、法の概念は自由であるとヘーゲルは言う。そして、この法の概念である自由が具体化され実現されたものが、現実の国家であり憲法であり民法や刑法などの法律の体系である。ヘーゲルの「法の哲学」は、この自由の概念が具体化され必然的に展開されてゆく過程そのものを叙述し論証してゆくものである。

やはり、ここで注意しなければならないのは、ヘーゲルにおいては「概念」という用語が、普通に一般の人たちに使われているような「単なる悟性規定」の意味ではなく、概念が、やがて萌芽から樹木全体にまで進展してゆく可能性を秘めた観念的な種子として、理念と同義に使われていることである。

そして、それが現実に具体化されて存在と一つになった概念、それが理念である。だから理念とは単なる統一ではなく、概念と実在の二つが完全に融合したものであり、それが生命あるものである。


 

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概念論としての桐壺の更衣考

2008年03月11日 | 概念論

これまでの従来の概念観によれば、概念とは、個別具体的な事物についての経験から、その共通点を帰納して作られた単なる「観念」としてとらえられてきた。そうした「概念観」の欠陥は、ふつうの単なる帰納法科学にすぎない生物学や人類学のレベルならとにかく、それを超えた自己運動する生命などを科学の対象にできないことである。

概念とはそのようなものではなく、たとえば光源氏の母、桐壺の更衣の胎内に観念的に宿り、自己内矛盾によって一つの種のように豊かに展開し成長する物語の生命としての存在が「概念」である。この事物に内在する矛盾を認識し、その自己運動を必然性として認識しようとすること、それが事物を概念的に把握するということにほかならない。こうした概念観が重要であるのは、本来の科学とは事物の内在的な運動の必然性を認識し、それを論証することだからである。だから、この科学は、弁証法科学もしくは演繹法科学とも呼びうるが、この概念のもっとも普遍的な運動法則を展開したものがヘーゲルの論理学である。科学としてこの論理学の意義と重要性もここにある。

源氏物語も、橡川一朗氏の提唱するような民主主義の教科書としてではなく、概念論の検証として、弁証法の検証として読むことはできないだろうか。

源氏物語は光源氏の母、桐壺の更衣の描写から始まる。
古典の中の古典『源氏物語』の主人公、光源氏の母である桐壺の更衣は、ただ源氏物語の冒頭の巻『桐壺』に登場するだけである。この冒頭の巻の中に、流星のように現われては果敢なく消えて行く。

多くの女御や更衣たちが帝に仕える中で、その美貌のゆえに帝の寵愛をうけた桐壺の更衣は、帝の寵愛がかえって不幸の種になって短い薄幸の生涯を終える。この桐壺の更衣は、主人公光源氏の母であるから、当然に源氏物語そのものの母でもある。全五十四帖の物語はすべて、この美しい悲劇の女性、桐壺の更衣の胎内に含まれている。

帝に愛されたこと、そして、すべての悲劇の種は桐壺の更衣が必ずしも高貴な身分ではなかったことにある。そのために、桐壺の更衣は帝の正妻である弘徴殿の女御や同僚や下臈の更衣たちの羨望と嫉妬を一身に集めることになる。

芸術家は批評しない。ただ、淡々として事実を芸術的な表象として描写し読者の直観にさらして行くだけである。作者紫式部もこの更衣の悲劇を事実として叙述するだけである。しかし、読者はこの悲劇の原因を目撃している。

傾城の美女の逸話がつとに人々にあまねく知られていたことは、作中に楊貴妃の例が冒頭に挙げられていることによっても分かる。実際に作中に楊貴妃の例を取り上げることによって、帝を取り巻く公卿たちに、帝の桐壺の更衣に対する寵愛振りに眉を顰めさせる。

紫式部は長恨歌をこの源氏物語の構想の下にはっきりと意識していた。そして、彼女は長恨歌と同じモチーフを、彼女の生きた平安期の貴族社会を舞台にして、彼女がその生涯の内に出会い心をときめかした事柄を、源氏物語という大作の中に封じ込めて行く。源氏物語の中には、平安の貴族社会に生きた人々の思考と感情が、紫式部という類まれな女性の意識という鏡の中に見事に映し出されている。

紫式部は道長の娘、彰子に仕えた。源氏物語が紫式部のように宮廷生活に精通した、教養豊かな女性によってしか書かれるはずのなかったことも明かである。私たちは何よりも源氏物語を読むことによって、紫式部の広大な内面世界を垣間見ることになる。

この帝と桐壺の更衣との間に皇子が生まれる。
このような子供の生まれることは、当時の人々にとっては、前世の浅からぬ因縁のゆえである。また一方で、桐壺の更衣との間に生まれた皇子が、正妻の弘徽殿の女御の第一皇子よりも比較にならないほど可愛く美しかったことがますます正妻の嫉妬と猜疑をあおることになる。これが桐壺の更衣に与えられた宿命である。

桐壺の局に住まっていた更衣のもとに頻繁に通われる帝に対して、更衣への人々の羨望も嫉妬も止む得ないものとして、作者も女御や同僚たちの恨みにも同情を寄せてもいる。そして、帝の更衣に対する寵愛が深まれば深まるほど、人々の更衣に対する羨望や嫉妬が深まるという不幸な構図が浮き彫りにされるなかで、これといった、有力な後見人を持たずに宮仕えをせざるを得なかった桐壺の更衣は、ただただ帝の庇護だけを頼りにして、不安で孤独な宮中生活を過ごさざるを得ない。

桐壺の更衣が同僚たちからどのような取り扱いを受けたか、その様子などは実際の宮中生活の体験なくしては描写できなかったように思われる。読者はこの美しい気の毒な更衣の幸せ薄い運命に同情せざるを得ない。

幼き源氏がようやく三歳になって御袴着を終えたばかりの夏には、女御や同僚の更衣たちの嫉妬やいじめが募った心労から病が篤くなり、実家に退出しようとするが、更衣を手許から離したくなかった帝は容易に許そうとはしない。とても可愛らしかった更衣ももうこのときにはすっかり面痩せて、だるげで、意識もあるかなきかの様子である。さすがに帝も拒みがたく、仕方なく退出を許されるが、加持祈祷の他にこれといった治療法もないなかで、その功もなく、更衣は里で果敢なく身罷ってしまう。

桐壺の更衣はもっとも美しい日本的な女性として、中国の傾城の美女、楊貴妃と対比するように描かれている。更衣の容貌は「いとにほいやかに、うつくしげなる人」とわずか二つの形容動詞で描写されているに過ぎないが、「唐めいた粧はうるはしうこそありけめ」と対比的に描写することによって更衣の和風の美人像が描かれる。中国の圧倒的な文化的な影響を脱して、平安期の時代としての、日本的な美意識の成熟がある。唐風の影響も残してはいるが、宮廷生活や気象天候の描写を通じて日本独自のいわゆる国風文化の美意識が作者紫式部によって明確に自覚されていることが見て取れる。

この「桐壺」の舞台は、今もなお存在する清涼殿である。紫式部は現実に存在する宮廷を物語の舞台として設定することによって、その物語の実在感を確かなものにしている。清涼殿の建築構造の正確な描写や御袴着などの宮中儀式の的確な描写を通じて、この物語のリアリズムが揺るぎなきものになっている。物語という言わば「影の国」が、単なる現実よりも現実的でありうるという優れた芸術作品の例がここにある。桐壺の更衣はこの清涼殿のなかで、桐壺の局で帝の寵愛に生き、また、女御や同僚たちのために悩み、苦しんだ。

人間関係における嫉妬、羨望、猜疑や、病気、死などの人間的な真実が、宮中生活の細部に至るまでの克明な描写と、野分や月光や八重葎の生える荒れた庭先などの自然描写を通じて、娘を失って闇に暮れ惑う北の方の心情が描き出される。
そして、このような宮中のさまざまの人間群像の実際の姿を描くことによって、源氏物語もその他の多くの古典作品と同様に人間の普遍的な真実を明らかにしてゆく。

台風一過の後の肌寒さがいっそう募る夕暮れ時の、帝よりの使者、靫負の命婦と更衣の母北の方との二人の婦人の会話、そして、彼女らの会話のなかで命婦の言葉の端々に描写される、最愛の女性を失った帝の失意と落胆の様子、また、若宮の参内の催促に対する北の方の不安と戸惑いなどに、時代を超えた人間の真実が物語として、読者の眼前に展開されて行く。その叙述にはいささかの弛みもなく古典名作の誉れにふさわしい。

ここに登場するのは、平安貴族の、しかも当時の国政の中心をなす帝とその周辺の人々の生活であるが、皇位継承に絡む確執なども唐や高麗などの異国との交流をも織り交ぜながら、藤壺とこの物語の主人公である光る君との関係を機軸とする物語の展開を暗示して桐壺の巻は閉じられる。

桐壺の更衣の死を中心に展開するこの巻の物語はたしかに悲劇とも言い得るけれども、もちろんここには神の意志や裁きといった観念はなく、帝と更衣の出会いと、その皇子光源氏の誕生も、前世の因縁の深かりしゆえと、仏教的な世界観でそれも暗示的に説明されるに過ぎない。

特に帝の性格や行動は、きわめて女性的で、帝を一個の男性として独立的に造形することに紫式部が成功しているとは言いがたい。また当時の一夫多妻制や婚姻制度ももちろん批判的な観点などはなく、貴族や女性たちの性行動も極めておおらかであり、自由で奔放ですらある。
桐壺の更衣の死の後、さらに幾月かが経過して、若宮が六歳になったときに、娘の跡を追うようにして北の方も亡くなる。孤独に取り残された光君は、父桐壺帝をのみ頼りに宮中に移り住む。高麗人の人相見を鴻臚館に招き若宮の顔相を占わせることによって、若宮の姿が描き出される。そして源氏が幼くしてすでにただならぬ存在であることが明らかにされる。そして、この高麗人の人相見から、光る君と呼ばれる若宮の容貌も母と同じく、「にほいやかでうつくし」と描写されるに過ぎない。

七歳になった若宮は学問も音楽などの技芸も上達著しく、それゆえにいっそう、第一皇子の母、弘徽殿の女御や祖父の大臣の疑いを招くことになる。高麗の人相見から若宮の不吉な未来を予言された父帝は、光君の地位を確かなものとするために、源氏姓を賜って臣下に組み入れになる。

やがて十二歳になった若宮は元服され、長い年月の経過も、慰めにはならず、帝は、内侍の勧めに従って、なき更衣の面影を持った藤壺を召し出すが、もちろん桐壺には代わるうるものではないが、それでも自然の人情として藤壺に心が移ろって行くのも感慨深いと紫式部は言う。

幼くして母を失い、その面影さえ記憶にとどめない若宮が、人々から、今はなき母更衣に似た面影を持つと噂される藤壺に心引かれ、また帝も藤壺に若宮を可愛がるようにという。若宮は左の大臣の娘、葵の上を正室に迎えてはいるが、若宮の心は藤壺の姿をたぐいなきものに思い、内裏住まいをのみ好ましく思って、葵の上の許には絶え絶えにしか参上しようとしない。このとき、若宮は元服を終えたばかりの十二歳、藤壺は十六歳。若宮は一途に藤壺に傾斜して行く。
帝の行為が、静かな湖面に投げ入れられた小石のように、無限の波紋を生んで行くなかで、光源氏の運命の歯車が回り始める。

 

「桐壺の巻」の構図
登場人物
帝、桐壺の更衣、母北の方、弘徽殿の女御、光る源氏、靫負の命婦、その他の更衣、女房、乳母、藤壺、葵の上、左の大臣

2005年10月12日

 

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「神の国」とヘーゲルの「概念」

2008年01月29日 | 概念論

「神の国」とヘーゲルの「概念」

キリスト教神学でも、とくに根本的に重要な概念である「神の国」については、その核心的な根拠として、先の記事でもマタイ書第六章とルカ書第十一章から二個所を取り上げた。それは「主の祈り」としてその伝統の中にも要約され織り込まれている。

それを、あらためてヘーゲルの概念論を研究するこのブログおいて取り上げたのも、このキリスト教の中心的な概念がヘーゲルの概念論の核心と無関係ではないからである。

ヘーゲルの概念論については、かって青年マルクスも『経済哲学手稿』のなかに論及したことがあったが、しかし、以前にもそのことに触れたように(『薔薇の名前』と普遍論争 )、そこでの理解はきわめて浅薄なものであった。講壇哲学者であれ在野の哲学者であれ、それを的確に把握しているものは少ないように思われる。そのことは、これまでヘーゲルの「概念」と「神の国」との関連を論じた者がわが国において誰もいなかったことからもわかる。

ヘーゲル哲学の根本的な動機がキリスト教の真理を科学的に把握することにあったように、キリスト教の絶対的な理念である「神の国」は概念でもあるのであって、それは絶対的な原因であると同時に目的でもある。宗教的な天才であるイエスはそれを明確に自覚していた。イエスが「神の御心が天において行われますように」といったのは、「神の国」が「概念」であるということでもあり、「地上においても行われますように」と祈ったのは、哲学的にいえばそれが理念でもあるからである。

比喩的にいえば、概念とは「観念的」な種子でもある。「神の国」もまたそうである。哲学においてはそれを絶対的な理念として捉えなおす。だから、全宇宙はこの一つの種から無限に咲き出でる花に他ならない。
「概念論」をめぐる論議がさらに深まることを期待したいと思う。

 

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法律家と精神分析家の貧しい哲学―――光市母子殺害事件

2007年08月05日 | 概念論

差し戻し審で「責任問えぬ」(中国新聞) - goo ニュース

             

法律家と精神分析家の貧しい哲学―――光市母子殺害事件

弁護士や裁判官、また心理学者、精神分析学者たちの裁判に関する最近の法曹関係者の言動やまた判決などを読んでいると、どうも首を傾げざるを得ない場合が少なくない。先に最高裁判所が、検察の上告に対し広島高裁の判決を破棄し、審理を差し戻した「光市母子殺害事件」もそうである。高等裁判所の裁判官の判決に問題があったから、上級審の最高裁判所が審理のやり直しを命じたといえる。死刑廃止論を主義としているというこの少年犯罪者の弁護団たちの弁護内容にも疑問を感じる。

裁判官が教育カウンセラーになったり、精紳分析家になったり、福祉士になったり、人権論者になったりしては、裁判は裁判であることができない。裁判が裁判であるうるためには、裁判の正しい概念を確立しておかなければならない。このことは、裁判官のみならず弁護士や検察官たちにも、さらには精神鑑定者などを含めて法曹関係者がその職業的な義務を果たしてゆくために必要な前提としておかなければならないことである。また、弁護人の使命は犯罪者の人権の擁護であってもいいが、法律家の人権擁護は正義概念と矛盾するものであってはならず、裁判において重すぎることも軽すぎることもない「正しい刑罰」を期待することによってこそ、犯罪者の人間としての尊厳も真の人権も擁護できるのである。いたずらにただ刑罰は軽ければよいとする弁護人は「八百代言人」でしかない。

                裁判官の人間観

それにしても、裁判の概念や正義の概念は法律学そのものからは導き出されない。正しい人間観、正しい哲学から導き出されるものである。この根本的な前提を誤ると法律家は正しい判決を下すことができず、正義は損なわれ、国民大衆や被害者の正義感や道徳感情は傷つけられて、社会の倫理の基礎を損なうことになる。

西洋の裁判所の建物には、テミスの女神像が正義の女神として飾られている場合が多いらしい。この女神は帯で目隠しをし、右手に剣を帯び、そして左手には天秤を下げている。この女神像には深い真理が象徴されているのではないだろうか。正しい裁判観、正義観を持つ者のみが、この女神の象徴の謎を解くことができるのかも知れない。

女神が右手に剣を持つのはなぜか。剣は権威の象徴であろう。正義が剣をもって実行されるべきことを示している。女神が左手に天秤を提げているのはなぜか。それは、犯罪によって損なわれた正義が正しく回復されるためには、犯罪者によって損なわれた正義に等しい応報の刑罰が執行されなければならないことを示している。それによって、はじめてテミスの女神の持つ天秤の釣り合いが取れて、損なわれた正義が回復する。犯罪者に加えられる刑罰は、重すぎても軽すぎてもいけない。その犯罪の内容にふさわしい刑罰が、犯罪者自身に加えられてはじめて正義は回復し、被害者は癒され、また犯罪者自身も人間としての尊厳を回復する。

それでは正義の女神が帯で目隠しをしているのはなぜか。その理由はよくわからない。その理由を知っておられる方が読者におられれば教えていただきたいと思う。ただ、愚考するに、それは、正義を回復する場である裁判においては、感覚器官に惑わされてはならず、ただひたすら理性による論理の判断にのみ拠らなければならないことを示すためではないだろうか。

人間のみが裁判にかけられ刑罰を執行されるのはなぜか。「善悪についての正常な判断」のできない精神異常者や動物は裁判にはかけられない。犯罪は精神病者や心神耗弱者が起こすのではない。善悪を知る判断力をもった人間が起こすのである。犯罪は「正常な」精神能力をもった人間によって犯されるのである。

そして、この光市母子殺害事件やとくに多くの少年犯罪事件などで、判決に当たるべき裁判官や弁護人に見られる問題点は、彼らの刑罰観である。彼らにとっては、刑罰は犯罪によって失われた正義を回復して、天秤の平衡を回復するためではなく、刑罰の威嚇によって、社会を犯罪という災害から予防するためであったり、あるいは、刑罰という「教育」によって、犯罪者の人格を教育し矯正するためであったり、人権と称して犯罪者の権利を擁護するためであったりする。

そこには、テミスの女神が掲げている、失われた正義を刑罰によってその天秤の均衡を回復するという刑罰観、裁判意識はない。彼らのような刑罰観によっては被害者、遺族と社会大衆の正義感情は平衡を保つことができず、損なわれて傾いたままである。その正当な憤激は、正しく職務を遂行しない「法律の専門家」である裁判官や弁護人、さらには検察官に向けられることになる。

このたびの司法改革で、市民が裁判に参画するようになったことは、従前のわが国の裁判制度からすれば大きな進歩である。長期かつ多数の場合においては、市民や国民大衆のほうが、裁判官や弁護人などのいわゆる「法律の専門家」や、多くの市民の失笑を買って「精神分析学」なるものの信用をまったく失わせるような鑑定書を書く心理学者や大学教授たちにもまさって、裁判と正義の概念にかなった判断を示すものである。

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個別・特殊・普遍の論理⑥  心と身体

2007年04月23日 | 概念論

個別・特殊・普遍の論理⑥  心と身体

概念論の研究

心と身体は、切り離されて存在するのではない。身体なくして心はなく、また、心なくして身体は身体であることができない。そして、身体の成長に応じて心も成長してゆく。個人の心と身体は生涯を通じて変化してゆく。その基本的な区分は、まず子供の段階であり、次に若者から大人へと成長してゆく。

子供においては、その実体的な普遍性はまだ潜在的である。若者に成長するにいたって、主観的な普遍性は主体的に目覚め、現実的で具体的な個別性に鋭く対立するようになる。この時期は普通は反抗期とも呼ばれる。この時期にある若者は両親に反抗したり、現実の社会に反抗して政治運動に身を投じたりする。そして、この年齢を通って大人になる。ヘーゲルはこの大人の段階で、客観的な価値をもった真実の関係に達するといっている。彼の哲学が、若者を高く評価しない老人の哲学といわれる所以である。(第三篇 精神哲学 §396)

子供の内部に存在するまだ潜在的な普遍的な心は、その成長にともなって自己自身を特殊化し、そして、最後には自己を個別性へ、個体性へ規定する。この過程で若者は、身体的には性に目覚めることによって自己と矛盾する欲望の中におかれるが、精神的にも自己の直接的な現実性は、実体的な普遍性と矛盾関係におかれるようになる。自己が自意識に目覚めて、自意識の分裂を自覚する。若者の心は疎外され、自己が自己のあるべき姿に、普遍との矛盾や不一致を自覚するようになる。罪や良心の呵責に目覚め、若者に特有の悩みをかかえるようになる。

動物においてはこの精神的な分裂にはいたらず、たんに身体的な分裂としての性関係において、子孫を単純に再生産するに過ぎず、個体としてはその死によって類の中に埋没する過程を無限に繰り返す。それに対して人間においては、その精神の生において身体からの独立を果たし、独自の精神的な発展を遂げることになる。

 

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