夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

夏が来る

2010年06月24日 | 日記・紀行

 

夏が来る

昨年は少し忙しくて、作ることに手が回らなかった夏野菜も、今年は何とか実り始めた。茄子が紫の美しい花をつけ始め、キュウリも小さな黄色の花の下に実を付け始めた。

いつ見ても、自然の造形と色彩の美には眼を見張る。あえてそこに創造の主体としての「神」のことを言うなら、神の創造の御業は私たちの理解を超えている。私が自然を見ると言うことは、神が私を見ることである。その「存在」を「認識」するのは、また、その由来を問うのも言語を持つ人間のみの特権である。単なる動物にその能力はない。

自然は回帰する。むろん、それは太陽系という宇宙の構造に由来する。しかし、この回帰も、太陽に寿命の存在することを知っている以上、未来永劫の回帰ではあり得ない。

とはいえ、太陽系の存在自体とその再生の必然性のことを考えれば、私たちの生命体を含む存在の「永劫回帰」は、その意味では復活としても認めることはできるのかもしれない。こうした問題の論証は、いずれにしても、もっと厳密に行われるべきだろうけれども。小さな自然の中に宇宙を見る。

                                        

 

 

 

 

 

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生き残り日本兵の顔つきと日本サッカー陣

2010年06月18日 | 教育・文化


生き残り日本兵の顔つきと日本サッカー陣


pfaelzerweinさんが、
ご自身のブログログの中に、サッカー日本チームの対カメルーン戦での、気の抜けたような試合を評されている中で、日本のサッカー選手たちのその気の抜けた表情が、アメリカ人監督ジョセフ・フォン・スタンバーグ脚本で、1953年制作になったかっての「日本映画」『アナタハン』(英語: The Saga of Anatahan)に登場する「生き残り日本兵の顔付き」のようだと述べられていた(『スカンポンなカメルーン西瓜』)。この記事読んでいて、pfaelzerweinさんが、映画『アナタハン』(英語: The Saga of Anatahan)の取り上げるにしても、あまりにもその「批判精神無さ」が気になって、コメントを差し上げようと思った。けれども、コメントとしては長くなりすぎたので、一つの記事として投稿することにしたものです。


pfaelzerweinさん、日本サッカーの根本的な弱点について以前に私も考察したことがあります。そして、この弱点は、オシムから岡田に代わっても、克服され改善されるどころか、さらに退化し悪化しつつあると言えます。選手たちの個人的な能力が同等であるとすれば、監督がサッカーチームの戦力の八割を構成します。それほどに監督に人材を得なければ、世界の強豪チームに伍してゆくのはむずかしいということです。

日本サッカー、対オーストラリア初戦敗退が示すもの

ジーコとオシム


それはさておき、この記事で私がとくに批評したいと思うのは、サッカーのことではなく、この記事の中に取り上げられている映画『アナタハン』(英語: The Saga of Anatahan)についてです。

太平洋戦争の日本の敗北を契機にそれ以降、旧大日本帝国軍人とその軍隊を貶め揶揄する映画が、数多く作られました。日本人の意識改造と民主化政策の名の下に、GHQの占領政策とそれに便乗する反日日本人たちによって、とくに共産主義勢力と、民政局などに所属して当時のアメリカ政府に一定の勢力を占めていた「進歩的知識人」たちは、日本国憲法の制定など、日本人と日本国の改造に深く関与しました。

同時に彼らは、自分たちの太平洋戦争を正当化するために、旧大日本帝国軍人とその軍隊の「残虐さ」や「醜さ」「愚かさ」を、とくに映画などによるプロパガンダを通じて、日本国民を徹底的に洗脳しました。ここでpfaelzerweinさんが取り上げておられる映画『アナタハン』(英語: The Saga of Anatahan)もそうした目的で作られた数多くの映画の中の一つです。

その結果、戦後育ちのいわゆる「戦後民主主義」で教育された日本国民のほとんどが、そうした無自覚なバイアスをもって、旧日本帝国軍人とその軍隊を見るように仕組まれています。

だから事実として、戦後世代のほとんどの日本人は、―――よほど、自覚的に努力して自らの生きる時代と受けてきた教育を相対化して認識しようとしている者を例外として―――自覚的にせよ無自覚的にせよ、旧帝国軍とその軍人に対して否定的で拒絶的な悪感情を持っています。その教育の影響は、とくに戦後世代以降の日本女性に顕著に現れています。

英文学を専攻し英国に留学もしてイギリス人を夫にした元法政大教授の田嶋陽子女史や、フェミニストで社会学者の上野千鶴子女史などはそうした女性の典型的な存在だろうと思います。実際、彼女たちの旧日本帝国軍人に対する憎悪の背後には、何十万何百万の小「田嶋陽子」女史、小「上野千鶴子」女史が存在しています。そして、おそらくpfaelzerweinさんご自身もそうした戦後世代の人たちのお一人であろうと思います。この洗脳の徹底ぶりのために、未だに日本国民の大多数は旧帝国軍人や軍隊に対する深い嫌悪感と憎悪を克服できないでいるのです。それは当然に彼女らの父や祖父、夫や兄弟など男性に対する潜在的な忌避感情につながります。それに併行して国民の間に伝統的な倫理観も破壊されてしまいました。そのために、国民として自らのアイデンティティーを彼ら自身の多くが確立することができないでいます。そして、そのことを彼ら戦後世代は自覚していません。現代日本の退廃と堕落とエゴイズムの深い根もここにあります。

もしそうでないとすれば、アメリカ人が日本人を揶揄しからかうために作った反日プロパガンダ映画『アナタハン』(英語: The Saga of Anatahan)を取り上げ引用するにしても、ここまで徹底的に「批判精神無し」に、日本人と旧帝国軍人を揶揄しからかい貶めることなど考えることができません。さもなければ、大日本帝国憲法国家体制に対して、憎悪と反感を持つ確信犯的な反日日本人か、あるいは、帰化日本人たちの行う意図的な引用としか考えられません。その場合にはもはや議論の余地もないでしょうが。

映画『アナタハン』(英語: The Saga of Anatahan)はもともとアメリカ人監督、脚本制作による反日プロパガンダ映画なのですが、アメリカ映画とするにはあまりにも露骨なので、日本映画として配給されたものです。そこまで日本人がこけにされていることにさえ、ほとんどの日本人は気づかずに、今回のpfaelzerweinさんのように、まったくに「批判精神無しに」、この映画のことを引用したり、語ったりするのです。

太平洋戦争の敗戦以降、戦後世代の精神構造から、さらに幾世代にわたってますます浸透し深刻化しつつある、こうしたGHQの占領政策による洗脳から、日本人が解かれない限り、pfaelzerweinさんのおっしゃるように、「「君が代」を口ずさむ日本人サッカー選手たちの顔付や日本人サポーターの顔付きから、「島で一人の女を争そう「あなたはん」物語の生き残り日本兵のような情けなさ」は消えてなくならないだろうと思います。
 
 
 
 
 
 
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ミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛び立つ

2010年06月10日 | 哲学一般

 

ミネルヴァのフクロウは夕暮れに飛び立つ

たまたま入った喫茶店で、そこにおいてあった新聞に目を通していたとき、「現代のことば」というコラムがあった。そこに、同志社大学教授で国際経済学を専攻する浜 矩子(のりこ)氏が、「再び黄昏か、ポスト鳩山の日本政治」と題する小文を書いておられた。

浜氏は詩篇第百二十六篇から「涙のうちに種蒔くものは、歓びのうちに刈り取る」という一文とオペラ「ナブッコ」の中の一節「行けよ、我が思い。黄金の翼に乗って」を挙げた後、ヘーゲルがその著『法の哲学』の序文に語って以来、しばしば誰にでも引用されるようになった、「夕暮れ時になってはじめて飛び立つミネルヴァのフクロウ」について、次のように述べられていた。少し冗長になるが引用する。

>>

「翼といえば、もう一文。「ミネルバの梟(ふくろう)は黄昏時(たそがれどき)に飛び立つ」というのがある。これは、かの大哲学者ヘーゲルの言葉だ。彼の「法の哲学」の序文の中に登場する。
ミネルバは知恵の女神。フクロウはその使者である。古い知恵の黄昏の中から、新しい知恵の到来を告げつつ、知恵の女神の使者が飛び立ってゆく。そのようにして、人類は歴史の中を前へ前へと進んでゆく。そうヘーゲルは言いたかったのである。

<< 引用終わり。

確かに、①「ミネルヴァの梟はまず、迫りくる黄昏とともにその飛翔を始める。」とヘーゲルは書いているが、この一文は、その前文の比喩的なまとめとして述べられているのものである。その前には次のような文がある。

②「哲学が、その灰色に灰色を重ねてさらに塗り重ねるとき、そのとき生命の姿はすでに年老いたものになってしまっている。そして、灰色の中に灰色を塗ることによっては生命の姿は自らを若返らせることはできず、むしろそうではなく、ただ認識されるのみである。」

そして、②→①と続くこれらの文自体は、さらにその前に以下のパラグラフを受けて述べられたものである。

③「なお、世界はいかにあるべきかを教えることについて、一言言うなら、いずれにせよ、哲学は、そのためにはいつも遅すぎるのである。哲学が世界についての思想を時代の中にまず現すときには、すでに現実はその形成過程を仕上げており、自らを完成させてしまっている。概念が教えることは、必然的に同様に、歴史も教えている。すなわち、現実の成熟することのうちに、観念的なものが、まず現実的なものに対して互いに現れ始め、そして、前者(観念的なもの)は自らを、現実的な世界をその実体において把握して、知的な王国の形に築き上げるのである。」

だから、③→②→①とつながってゆく文脈のなかで、「ミネルヴァの梟はまず、迫りくる黄昏とともにその飛翔を始める。」という一文の示す意味は、哲学が現実の成熟のあとに遅れてやってくるものであるということ、現実が完成されてのちに、はじめて観念の王国、知の王国、哲学の王国が建設されるということを言おうとしているのであって、浜氏の言うように、

>>

「古い知恵の黄昏の中から、新しい知恵の到来を告げつつ、知恵の女神の使者が飛び立ってゆく。そのようにして、人類は歴史の中を前へ前へと進んでゆく。そうヘーゲルは言いたかった」

<<

ということなどではない。浜教授がここで推測しているように、フクロウは「新しい知恵の到来を告げる」ようなもの、ではまったくなく、フクロウに象徴される哲学というものは、現実が成熟した後に、その現実の中にひそむ実体を、知の王国として、観念の形態で、認識するに過ぎないということを言おうとしているのである。だから、ここで浜教授は、ヘーゲルが『法の哲学』の序文で言おうとしていることとはむしろ逆のことを言っている。

たまたま、この「夕暮れに飛び立つフクロウ」は、私のブログのタイトルでもあり、この標語の言葉の正しい真意が伝わらないとすれば、残念なことである。ヘーゲル哲学についてほとんど何の知識も持たない、多くの人々の誤解を避けるために一言しておかなければならないと思った。

このように正しい認識ではなく誤った認識を、大学教授が世間に流布するのも問題であるし、また、京都新聞の編集部には、あまりにも自明なこのヘーゲルの言葉の正しい真意を、浜教授に伝えるものが実際に誰もいなかったのだろうかとも思う。

ミネルヴァのフクロウは、すなわち哲学は、世界がいかにあるべきか、について教訓をたれようとするものではない。そうではなく、哲学は実在する現実の中に理性的なものを探求することであり、事柄の必然性という、現実的なものを把握することである。同じ序文でヘーゲルが言っているように、国家学は――哲学も――国家がいかにあるべきか教えることにあるのではなく、国家という倫理的な世界が認識されるあるがままを教えるものである。

これまでにも何度も繰り返し語ってきたように、国家や国民、民族の文化学術水準というものは、大学や大学院の水準に、それもとりわけ「哲学」の水準に規定されるものである。大学院で学者たちの提供する理論水準以上に、優れた国家を形成することはできないのである。

逆に言えば、国民は自らの民度にふさわしい程度の大学、大学院しかもてないということである。

菅直人首相も、安部晋三元首相も、麻生太郎元首相も鳩山由紀夫前首相も、大学や大学院で教授され教養を積んでから、市民社会に出て、ときには一国の首相の地位に就いたりするのである。だから、彼らが大学や大学院でどのような学問修行を積み重ねてきたのか、大学教授たちが、学生時代の彼らに、いかなる教育訓練の修行をさせてきたのか、それによって、国家や社会の各分野の指導者の資質も規定されるのである。政治においても劣悪な指導者しかもてないとすれば、それは、彼ら「指導者」たちが受けてきた大学、大学院での教育訓練が、事実として劣悪であったということを証明しているにほかならない。

新聞記者も学校教師も政治家も企業家も医師もスポーツ選手も、すべて大学、大学院で教育訓練されて社会に出る。やがて各分野で指導的な地位について行くにしても。だから、国家、国民、民族の運命を決するのは、大学、大学院での教育訓練の実際の内容である。劣化し堕落した大学、大学院での教育改革こそが、国家・国民・民族の死命を制することになるのはそのためである。

現在の多くの大学の憲法学者たちのように、自ら妄想する憲法第九条の「理想」を教え垂れるのではなく、まず、現実の世界史の中にある諸国家の実相をまず学生たちに教えなければならない。

ヘーゲルによれば、過酷な現実の中に見出すことのできる理性の与える満足というものは、憲法九条のような枯れた尾花のように拙く浅いものではない。それは生きたみずみずしい薔薇の花であり、その美しさに歓び踊り心より満たされるものであるという。

 

 

 

 

 
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歴史のパースペクティブ ―――20世紀のインディアン

2010年06月06日 | 国家論
 
 
歴史のパースペクティブ ―――20世紀のインディアン―――歴史の見方

部分的な真実と全体的な真実

歴史を見る場合でも同じことがいえると思う。真相を把握するためには、単に物事を部分的に見るばかりではなく、全体的に見なければならない。事物について思考し判断する場合と同様に、歴史についても部分を精察するとともに、全体を俯瞰し眺望する必要がある。

先に行われた第二次世界大戦の一環として日米の間で戦われた太平洋戦争についても同じことが言える。二〇世紀も中盤になって太平洋を挟んで日本とアメリカが対峙しあった太平洋戦争も、それを大きな歴史的なパースペクティブで捉えることは欠かせない。

アメリカ大陸の東海岸に―――彼らがその地を後にニューイングランドと名付けたように――上陸したピューリタンたちを端緒として、イギリスからの本格的な入植が始まった。やがて、それも産業革命にともないイギリス本国の産業の発展によって、当時のイギリスの植民地としてアメリカ大陸への入植はいっそう活発になった。入植者たちは新しい新天地と富を求めて、西へ西へと向かう西部開拓を押し進めてゆく。やがてカリフォルニアに金鉱が発見され、いわゆるゴールドラッシュによって、アメリカの西部開拓はさらに加速される。

しかしすべてに終末があるように、いわゆるWASPの後裔たちが、西へ西へと活路を求めていった西部開拓も、彼らがやがて北アメリカ大陸の西岸、カリフォルニアにたどり着いたとき、もはや大陸本土での新天地はなくなった。しかし、工業力の発展に伴って彼らが豊かに生み出すようになった商品や植民地での産物の販路を求めるためには、必然的に太平洋の大海原に乗り出さざるを得ない。北アメリカ大陸からは太平洋の大海原の向こうにあるユーラシア大陸の極東岸にも、遅かれ早かれ彼らもたどり着く。そこに日本は地理的に位置していた。

こうしたいわば歴史的な必然のもとに、ペリー提督が神奈川県沖の浦賀に到達したのである。このとき日本は、まだ江戸幕府300年の太平の眠りについていた。北アメリカ大陸においては、西部開拓の途上で、彼らに敵対していた先住民であるいわゆるインディアンたちは、すでにその牙もすっかり抜かれて、ほとんどの部族は消滅させられていた。彼らは土地を奪われ、狭い居留地に押し込められてゆき、多くのインディアンたちは、西洋人の持つ近代的な武器の前に殺されていった。

アメリカ合衆国人の立場からすれば、太平洋を乗り越えて極東で出逢うことになった日本人もまた、二〇世紀における新たなインディアンに他ならない。このことは、俳優の渡辺兼やトム・クルーズらが登場して、西洋人が彼らの視点から日本人を描いてひととき話題になった映画『ラストサムライ』を見ても明らかである。この映画と、アメリカ・インディアンの視点から合衆国軍との戦いを描いたケビン・コスナー監督主演の『ダンス・ウィズ・ウルブズ』の二つの映画の本質的な同質性からも見てとれるものである。アメリカ合衆国人から見れば、十九世紀のアメリカ・インディアンも、二〇世紀にアメリカが極東で出逢い太平洋戦争を戦うことになった私たち日本人も本質的に異なるものではない。
 
すでに日本人は相応の文化を保持していたから、もちろん、アメリカ・インディアンとは異なって、簡単には部族を消滅させられることはなかった。むしろ、黒船来航を機に、日本人は明治維新をやり遂げて強力な軍事力を持つ近代国家を確立して、欧米列強と互角に対峙し得るまでになった。とはいえ、すでに歴史に見るとうり、日本人もまたアメリカインディアンと同様に、最終的には原子力爆弾の投下によって力ずくで壊滅させられ、そして、アメリカ合衆国軍による日本の占領統治は現在にいたるまで事実上続いている。

歴史を大きなパースペクティブから見つめるとき、つまり世界史の視点で自己を客観視するとき、あるいはヨーロッパ人やアメリカ合衆国人の視点で日本と日本人を見つめるとき、アメリカ・インディアンも日本人もさしたる違いはないのである。日本人は二〇世紀のインディアンに過ぎない。これからの世界史を私たちが生き抜こうとするとき、こうした歴史の教訓と立場を自覚しておく必要があるだろう。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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