夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

ヘーゲル『哲学入門』序論についての説明 五[言語について]

2019年07月19日 | ヘーゲル『哲学入門』

§5

Die Vorstellungen, welche wir uns durch die Aufmerksamkeit erwerben, bewegen wir in uns durch die /Einbildungskraft,/ deren Tätigkeit darin besteht, dass sie uns bei der Anschauung eines Gegenstandes das Bild eines anderen Gegenstandes herbeiruft, der mit dem ersteren auf irgend eine Weise verknüpft ist oder war.


第5節[言語について]

「注意die Aufmerksamkeit 」を通して手に入れたさまざまの表象を、私たちは私たちのうちに想像力によって動かす。想像力の中には活動性が存在している。想像力の働きとは、一つの対象を直観することによって他の対象の形象を私たちに呼び起こすこと、何らかの方法で前者(ある対象の直観)を後者(他の対象の形象)と結び付けること、あるい結び付けたものを、私たちのうちに呼び起こすことである。

Es ist nicht notwendig, dass der Gegenstand, an welchen die Einbildungskraft das Bild eines andern knüpft, gegenwärtig ist, sondern er kann auch bloß in der Vorstellung gegenwärtig sein.

想像力が他の(対象の)形象と結びつけているところの対象が現に存在する必然性はないし、むしろ、また(想像力によって結びつけられた)形象はただ表象のうちにのみ現に存在することができる。

Das ausgedehnteste Werk der Einbildungskraft ist die /Sprache./ Die Sprache besteht in äußerlichen Zeichen und Tönen, wodurch man das, was man denkt, fühlt oder empfindet, zu er­kennen gibt. Die Sprache besteht in /Worten,/ welche nichts An­deres, als Zeichen von Gedanken sind. Für diese Zeichen gibt die /Schrift/ in den /Buchstaben/ wiederum Zeichen. Sie gibt unsere Gedanken zu erkennen, ohne dass wir dabei zu sprechen nötig haben.(※1)



想像力のもっとも宏遠な作品は/言語/である。言語は外にある記号と音調のうちに存在している。言語を通して、人は何を考え、感じているのか、あるいは何を察しているのか、その認識していることを明らかにする。言語は//によって成り立っている。語は思考の記号に他ならない。これらの記号に対しては、/字母/の中の/文字/が、さらにまた再び別の記号を与える。文字は私たちの思想を認識させるものであり、そこでは私たちは話す必要はない。

(※1)     文字:die /Schrift/、あ、a 、Aなど
      字母:der /Buchstabe/、アルファベット、五十音図など

— Die /Hieroglyphenschrift/ unterscheidet sich von der Buchstabenschrift dadurch, dass sie unmittelbar /ganze Gedanken/ in sich fasst. — In der /Rede/ ist ein gewisser Ton sinnlich gegen­wärtig. Wir haben darin die Anschauung eines Tons. Bei die­sem Eindruck bleiben wir nicht stehen, sondern unsere  Einbil­dungskraft knüpft daran die Vorstellung von einem nicht ge­genwärtigen Gegenstand.

⎯ /象形文字/(古代エジプト文字、漢字などの表意文字)は、そのうちに/全体の思想/が直接に表現されていることから、字母文字(アルファベット、仮名など)とは区別される。⎯ /談話/においては、何らかの音が感覚的に現存している。私たちはそこに一つの音を直観する。私たちはこれらの印象のもとに留まらず、むしろ、私たちの想像力はそこに一つの現在しない対象の表象を結びつける。

※[Translator’s Note: Though this passage was written before the Rosetta Stone was discovered and is therefore no longer valid in respect of Egyptian hieroglyphs, Hegel’s comments are still valid for other Asiatic forms of hieroglyphic writing.]
[英訳者注:この文章はロゼッタストーンが発見される前に書かれたものであり、それゆえヘーゲルのコメントは、エジプトの象形文字に関してはもはや有効ではないが、他のアジアの象形文字の形態についての記述は今なお有効である。]

Es ist hier also zweierlei vorhanden, eine sinnliche Bestimmung und eine daran angeknüpfte andere Vorstellung. Die Vorstellung gilt hier lediglich als das Wesen und als die Bedeutung von dem sinnlich Gegenwärtigen, wel­ches hierdurch ein bloßes Zeichen ist. Der /gegebene/ Inhalt steht einem Inhalt, der durch uns /hervorgebracht/ ist, entgegen.

ここでは、それゆえに二種類のものが存在している。一つは感覚的な規定であり、そしてもう一つはそれに結びつけられた他の表象である。表象はここではただ感性的に現在するものの本質として、その意味として認められる。感性的に存在するものはその結果として一つの単なる記号となる。(感覚に)/与えられた/内容は、私たちによって作り出された内容(形象)と対立する。(※2)

(※2)
私たちの感覚の対象と、その記号としての言語と、その言語に想像力によって結びつけられた表象との関係が簡潔に述べられている。人類の偉大な作物である言語の意義は私たちの「認識」を明らかにすることにある。
想像力によって言語と結びつけられた表象が、意味や本質として私たちの感覚的な対象から独立して、対立的に存在するようになる。

記号としての文字と談話において、現在する感覚的な対象や現実から独立した存在として、言語は認識の世界を、観念の世界を作り出す。これによって人間は一方で「虚偽」に悩まされるとともに、他方で、感覚にとらわれることなく抽象的な、観念的な法則についての認識も可能になった。

 

 

 
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ヘーゲル『哲学入門』序論についての説明 四[注意について]

2019年07月09日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

§4

Das theoretische Bewusstsein betrachtet das, was ist und lässt es, wie es ist. Das praktische hingegen ist das tätige Bewusstsein, welches das, was ist, nicht so lässt, sondern Veränderungen dar­in hervorbringt und aus sich Bestimmungen und Gegenstände erzeugt. — Im Bewusstsein ist also zweierlei vorhanden, Ich und der Gegenstand, Ich durch den Gegenstand oder der Gegenstand durch mich bestimmt. — Im erstem Falle verhalte ich mich theo­retisch.

第4節[注意について]

/理論的な/意識は、それが何であるかを考察し、そして、それをあるがままにしておく。これに対して、/実行的な/意識は、現状をそのままにするのではなく、むしろ、そこに変化をもたらし、自ら規定して、様々な対象を作り出す能動的な意識である。
したがって、意識のうちには二つの側面がある。「私」と対象であり、(その二者の関係は)対象によって規定される「私」と、あるいは「私」によって規定される対象である。前者の場合は、私は自ら理論的に行動する。(後者の場合は、実行的に行動する。)

Ich nehme die Bestimmungen des Gegenstandes in mich auf, wie sie sind. Ich lasse den Gegenstand, wie er ist, und suche meine Vorstellungen ihm gemäß zu machen. Ich habe Bestim­mungen in mir und der Gegenstand hat auch Bestimmungen in sich. Der Inhalt meines Vorstellens soll, wie der Gegenstand ist, beschaffen sein. Die Bestimmungen des Gegenstandes an sich sind Regeln für mich.

私は対象の規定を、/それらがあるがままに/私の中に取り入れる。私は対象をそれがあるようにしておき、そして私の表象の方を対象に合致させようとする。私は私の中に規定されたものをもち、そして対象はまた自らのうちに規定されたものをもっている。私の表象の内容は対象のあるがままの性状でなければならない。対象の規定は本来、私にとって基準である。

Die Wahrheit meiner Vorstellungen besteht darin, dass sie mit der Beschaffenheit und den Bestimmun­gen des Gegenstandes selbst übereinstimmen. Das Gesetz für unser Bewusstsein, inwiefern es theoretisch ist, ist nicht voll­kommen passiv, sondern es muss seine Tätigkeit darauf rich­ten, das Gegenständliche zu empfangen. Es kann etwas Gegen­stand für unsere Wahrnehmung sein, ohne dass wir deswegen ein Bewusstsein davon haben, wenn wir unsere Tätigkeit nicht darauf richten. Diese Tätigkeit im Empfangen ist die Aufmerksamkeit.

私の考えが/真実/であることは、私の考えていることが対象自体の性状と規定とに合致しているということである。私たちの意識にとって法則は、それが理論的である限り、完全には受動的ではなく、むしろ対象を感受することに、意識の活動を集中させなければならない。私たちが私たちの活動をそこに集中していないときには、そのためそれについて意識をもつことがないが、それでも私たちの知覚の対象となりうる何物かがありうる。感受するためのこの活動は/注意/である。

 

意識について論じた後、その意識の二つの側面として、「私」と「対象」を取り上げる。「私」と「対象」の二者の関係を意識するのは、「対象」をあるがままに「私」のうちに受け入れる「理論的意識」と、「私」が「対象」を規定し、作り変える「実行的意識」である。「理論的意識」が真実Wahrheitであるためには、私の考えと対象の性状や規定が合致していなければならない。知覚の対象を「私」の意識のうちに取り入れるためには「注意Aufmerksamkeit」が必要である。

 

 

 

 

 
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ヘーゲル『哲学入門』序論についての説明 三[意識について]

2019年07月05日 | ヘーゲル『哲学入門』

 

§3

Beim Bewusstsein haben wir gewöhnlich den Gegenstand vor uns, oder wir wissen nur von dem Gegenstande und wissen nicht von uns. Aber es ist wesentlich in diesen Dingen vorhan­den /Ich/. Insofern wir uns überhaupt nur einen /Gegenstand/ vor­stellen, so haben wir ein Bewusstsein und zwar vom Gegen­stand. Insofern wir uns das /Bewusstsein/ vorstellen, sind wir uns des Bewusstseins bewusst oder haben wir ein Bewusstsein des Bewusstseins.

第3節[意識について]

意識のもとにあっては、私たちは、ふつう私たちの前に対象をもっている。あるいは、私たちはただ対象について知っているのみである。そして私たち自身については知らない。しかし、本質的なことは、この物のうちには「私」が存在しているということである。私たちが一般に、ただ一つの/対象/のみを考える限り、そこには私たちは一つの意識をもっており、そして確かにまた対象ももっている。私たちが/意識/について考えるかぎりは、私たちは、私たちの意識についても意識するのであり、あるいは、意識についての意識をもつ。

— In unserem gewöhnlichen Leben haben wir ein Bewusstsein, aber wir sind uns nicht bewusst, dass wir Bewusstsein sind; wir haben Vieles, auch schon Körperliches, /bewusstlos/; z. B. die Lebensverrichtungen, die zu unserer Selbsterhal­tung gehören, besitzen wir, ohne darum von ihrer genaueren Beschaffenheit auch schon ein Bewusstsein zu haben, das wir erst in der Wissenschaft erwerben. Auch geistiger Weise sind wir Vieles, was wir nicht wissen.(※1)

⎯ 私たちの通常の生活の中では私たちは一つの意識を持っている。しかし、私たちが意識であることを私たち自身は自覚していない。また、すでに肉体的なもの、/無意識的なもの/など、たとえば、なぜそうなのか私たちが科学において手に入れたそれらの正確な構造を意識することもなく、またあらかじめ自覚することもなくして、すでに私たちがもっている生命活動や、自己保存に係るものなど、私たちは多くのものをもっている。精神的には、私たちは知らないことがたくさんある。

— Die /äußeren/ Gegenstände unse­res Bewusstseins sind solche, die wir von uns unterscheiden und denen wir eine von uns unabhängige Existenz zuschreiben. Die /inneren/ Gegenstände hingegen sind Bestimmungen oder Ver­mögen, Kräfte des Ich.(※2) Sie bestehen nicht außer einander, son­dern das, worin sie bestehen, ist Ich. — Das Bewusstsein verhält sich entweder theoretisch oder praktisch.

⎯ 私たちの意識の/外にある/さまざまな対象は、私たちが私たち自身とは区別しているものであり、そうしてそれらについては私たちから独立した存在として私たちが認めているものである。それに対して、/内にある/さまざまな対象は、「私」の規定するものであり、あるいは「私」の能力であり、「私」の力である。それらは互いに外には存在しない。むしろ、それらが存在するのは「私」の内にである。
⎯ 意識は、理論的にか、あるいは実行的にか、自らいずれかにふるまう。(※3)

 

※1

身体の臓器である胃や肺は、私たちが意識することがなくとも、食物を消化し、空気を呼吸する。また、血液が骨髄の中でどのようにして作られているのかも知らない。

※2

Bestimmungen
noun,pl: 規定、決定, 決意, 決断, 決心, 結論
Ver­mögen
noun: 能力, 力, 性能, 才能, 力量, 技量
Kräfte
noun,pl:力,  剛強, 強さ

 ※3

「物」として意識の外に意識がその対象をもつことと並んで、意識が「意識」としてを自らを対象とすること、この意識の、「私」の、自我の二重化、自己内分裂の様相を深く分析し、そのことの人間にとっての意義と必然性を明らかにしたことはヘーゲル哲学の不朽の功績といえる。

 

 
 
 
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