北東アジアの夢―――六カ国協議の遠い行方
北東アジアには、中国、南北朝鮮、ロシア、それにわが日本という民族と国家が存在する。これは、ユーラシア大陸の東に何億年、何千年という歳月をかけて形成されてきた地理と自然と、その上に育まれてきた民族の歴史に由来する。その近隣関係の因縁はどうしようもない宿命のようなものである。
たった六十年前には、これらの諸国にアメリカが加わって、第二次世界大戦の一角として太平洋戦争が戦われたばかりである。政治思想家ホッブスが、国家をレヴィアタンとかビヒモスとかの怪獣に喩えて呼んだように、これらの六カ国は、あたかも唸り声を上げてお互いを威嚇しあうレヴィアタンやビヒモスのように、みずからの生存と威光を相手に承認させるために、虚々実々の駆け引きを展開している。国家や民族の関係というのは、動物の世界と同じで、残念ながら個人の人間関係のようにモラルの面でほとんど進展はしていないのである。
今その北東アジアで朝鮮民主主義人民共和国、北朝鮮の国家体制はもっとも危機的な状況にある。そもそも歴史の大きな流れの骨格からいえば、それは、いわゆる東側の社会主義国家群の崩壊の最終過程として捉えることができる。ソ連や東ドイツその他の東欧の共産主義国家は、1991年のソ連邦崩壊にともなって軒並みに崩壊して行ったのであり、旧社会主義国で今日もなお残存しているのは現在は中国、北朝鮮、キューバくらいだろう。
これらの国は、社会主義経済のままでは国家体制の存続は危ういので、資本主義的な原理を取り入れざるをえなかった。社会主義の計画経済が破綻を招いたために、いわゆる市場主義原理を導入せざるをえなかった。しかし、その経済政策の転換に失敗して、旧社会主義諸国の中で最後の断末魔のうめきと足掻きのなかにあるのが北朝鮮である。そうした歴史的な眺望の中に現在の国際関係の姿を捉える必要があると思う。
中華人民共和国、中国は鄧小平の改革開放路線によって、政治的には共産党による一党独裁体制を堅持しながら、市場の自由化を促進せざるを得なかった。現在のところそれにかなり成功して、中国は政治的にはかろうじて社会主義体制の存続を維持している。そして、経済的により「成功している」中国が、より「危機に瀕している」兄弟国家、北朝鮮の崩壊を支えている。これが現在の北東アジアの国際情勢の客観的な構図である。そうして、北朝鮮の崩壊は直ちに中国の国家的な危機に直結する。しかし、中国の危機も北朝鮮の危機も本質的には同根である。私たちの立場からすれば、中国も、北朝鮮もその国家的な政治的な本質が社会主義にあることは同じである。
そして、今度の六カ国協議の合意で、北朝鮮が取引に使った核保有政策の根本的な目的が、みずから体制維持にあることはいうまでもない。核兵器と言う武器を手に、体制維持のための経済援助を取引しようというのである。
こうした状況にあるとき、日本のなすべき事は何か。まず、経済的な、軍事的な侵略を招かないためには、国内の軍事的、経済的な安全保障の確立を第一の絶対的な課題にしてゆかなければならない。
その方策はどのようなものであるべきか。
残念ながら日本は太平洋戦争の敗北の結果として、精神的にも、また、実際上の軍事上の能力においても、すっかり、骨抜きにされた国家、国民に成り下がっている。だから、太平洋戦争前のように最小限の自力ですら国家の防衛を果たすことはできない。日露戦争時にもまだ発展途上の貧弱な国家に過ぎなかった大日本帝国が対ロシアとの脅威に対抗するためには、英国と同盟を結ばざるをえなかったように、日本は国家防衛のために、その足りないところは、アメリカとの安全保障条約によって補い、強固にしてゆくしかない。さらには、オーストラリア、ニュージーランド、インドなどのいわゆる自由民主主義国と友好関係を深めて、協力、連携を強めてゆくことだろう。
六カ国協議の問題のより深い本質は中国問題であり、日本問題である。共産主義国家体制の中国と、自由民主主義国家体制の日本との間に存在する矛盾が問題の本質である。だから、当面の北朝鮮問題の、六カ国協議の最終的な問題の解決は、中国の民主化に待つしかない。それは長く困難に満ちた道程であるにしても、その最終目的は見据えておく必要があるだろう。
中国も北朝鮮ももちろん、自分たちこそが本当に自由で民主的な国家だと思っている。だから、問題はいずれが本当に自由で民主的かということである。それぞれの国家体制の概念が問われている。そして、真実にその概念にふさわしい国家こそが、真理として存続できる。そうでない国家は歴史の中で崩壊してゆくしかない。
そして、立憲君主国家日本の自由と民主主義の体制が、少なくとも私たちにとって絶対的であるかぎり、私たちは北朝鮮や中国に、お互いの立場の承認を求めざるをえない。
今回の六カ国協議の合意でアメリカは、明らかに北朝鮮に譲歩するという政策転換をはからなければならなかったのはなぜか。アメリカの立場からすれば、明らかに、北朝鮮問題よりもイラク問題が優先されることはいうまでもない。
極東の小国日本のようにひたすら中国の台頭や北朝鮮の核武装にかまけているだけにはゆかない。アメリカは冷戦に勝ち残った唯一の世界の大国として、世界の秩序の維持にそれなりの責任をになっている。アメリカの立場から緊急を要するのは、イラク問題であり、さらには、イランの核問題である。そして、イラクですでに手負いのライオンになったアメリカは、イラク・イランと北朝鮮の両方に対して同じ比重でかかわることができない。おそらく、イランとの戦争の危機さえ覚悟し始めたアメリカにとって、北朝鮮問題は中国の仲介による当面の安定を期するしかなかったのであろう。それによって北朝鮮の金正日体制の崩壊の危機は先延ばしにせざるをえないのである。
今のアメリカにとって切実なのは、イラク・イラン問題である。そして、そうである以上、アメリカは北朝鮮問題に本格的な力を振り向けることはできない。そして、アメリカの本格的な関与なくしては北朝鮮問題の根本的な解決は期待できない。何らかの体制的な危機は起こりうるかもかもしれないが、中国もアメリカも北朝鮮の体制崩壊を望まない以上は、国民を苦しめながらも、基本的にはまだ現在の金正日体制が存続してゆくだろう。
本当の危機は十数年後に、もちろん、それがいつになるか正確にはわかるはずもないが、中国の共産主義独裁体制が揺らぎ始めるときだろう。北朝鮮の崩壊があるとすれば、それは中国とともにその命運が尽きるときである。すでに、中国は1989年の天安門事件で体制的な危機に面していた。もし、あの時に反体制側の戦略が効を奏するだけのものであったなら、中国もすでにロシアや東欧と同じように民主化が実現されていたはずである。
しかし、人民解放軍の戦車の前に、中国の反体制勢力は鶏のように眠り込まされてしまった。しかし、それは今も眠り込まされているだけであって、死んでしまったわけではない。問題の真実の解決は、北朝鮮と中国の国民が自らの手で、民主化を実現するしかない。金正日の北朝鮮と共産中国がどのようにして平和裏に、生命の損失を最小限に抑えながら、その歴史的な体制変革を図るか、それが鍵になる。そこに至る過程が比較的に穏やかな道を辿るのか、あるいは、嵐に満ちたものになるか、それは分からない。
日本が自らの自由と民主主義を絶対的なものとするかぎり、経済と文化と軍事において自由と独立を確保しながら、その一方で、アメリカやその他の自由主義諸国と協力連携しながら、北朝鮮と中国の平和的な体制変革をあらゆる手段で期するしかない。
そして、やがて金正日の北朝鮮と共産主義中国の独裁国家体制が遠い過去の話しとなり、日本やアメリカのように自由で民主的な国家体制が、中国大陸と朝鮮半島に実現するときこそ、北東アジアに安定した平和が訪れるときなのだろう。
その時こそ、ユーラシア大陸を挟んで、西のヨーロッパ連合(EU)に対して、アジア連合(ASIAN UNION)が建設に着手されるときなのだろう。そうして中国人はより中国人になり、朝鮮人はより朝鮮人に、日本人もさらに日本人らしくなって、それぞれ民族としての特質を深めながら友好がはかられる。おそらく今世紀中には実現されるだろうが、もちろん、私たちはそのときまでは生きてはいない。