夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

伊勢物語の杜若(かきつばた)

2005年06月24日 | 芸術・文化

 

 

梅雨の季節で、本来ならもっと雨が降ってもよいはずだが、かなり長いこと晴れ間が続いている。雨が降っても、すぐに止んでしまう。今年の夏は空梅雨かもしれない。

梅雨入りどきには、アヤメやカキツバタがきれいに咲く。カキツバタを見て、いつも思い出すのは、伊勢物語の第九段の東下りの中で、この物語の主人公である在原の業平が、八橋で見たとされるカキツバタである。

業平自身は平城天皇を祖父とし、父を阿保親王とする名家の出だった。しかし、祖父や父が「薬子の乱」に連座して失脚したこともあって、政治の中枢を歩むことは難しかった。彼の仕えた惟喬親王も、没落しつつあった貴族、紀名虎の娘清子を母とし、業平自身もこの紀の家と姻戚関係にあった。父、阿保親王の悲運の生涯と、当時興隆しつつあった藤原家に比例して時の権力の中枢からはずれざるをえなかった業平自身の宿命が、伊勢物語の背景にある。

伊勢物語には、業平が多くの女性を愛したことが記されている。その中でも、とくに業平の運命に大きな影響を及ぼしたのは、二条の后、高子との恋だった。この身分違いの恋が、京の都での生活を絶望的なものにし、業平に関東行きを決意させる。友人と連れ立つ旅の途上、業平が惑いながら行きついたところが、今の名古屋鉄道の三河八橋駅付近だという。

昔、そのあたりには沢があり、橋が八つ掛かっていた。その沢のほとりに、カキツバタがとても美しく咲いていた。それを見て、ある人が、カキツバタを句の上に据えて歌を読めと言い出した。そのとき業平が読んだ歌。

  

から衣、きつつなれにし、つましあれば、はるばるきぬる、たびをしぞ思ふ

 

 私には着馴れた衣のように慣れ親しんだ妻が都にいます。都を遠く離れて来てしまったこのつらい旅のことを思うと、妻がますますいとしくなります。

 
高校の古典の授業などで誰もが習うこの歌は、歴史に残る旅の名歌として、藤原定家は古今集にも選び、江戸期の尾形光琳はこの業平の故事を念頭に、八橋蒔絵硯箱を造っている。

コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする