夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

ルイス・フロイス

2008年01月30日 | 芸術・文化

 

ルイス・フロイス

昨年の秋頃から関わり始めた畑仕事の仲間から、京都府庁で展示会をやっているという話は耳に挟んでいた。しかし、忙しさにかまけてすっかりそのことを忘れていたところ、昨日、リーダーのHさんより電話があり、行ってみられてはどうかというお誘いを受けた。それで、初めて、その展示会が今月末までであることを思い出した。何とか明日中に行くことにしますと返事はしたが、もともと興味がなかった訳ではなく、行くつもりにはしていたのだが、すっかり忘れてしまっていた。

その展示会は京都府庁の旧庁舎の中で行われていた。人間の原点としての農業とその意義を少しでも伝えようとしたものである。利益と効率を第一におかない農業を目指そうとするものである。それはまた、私たちの生活や人生を本当に豊かにするものとしての農業が目指されている。自然は奥深く苦しいが、美しくまた楽しくもあることが教えられる。

現在の京都府庁の一角に残されたこの旧庁舎本館に一歩足を踏み入れたとき、この洋館造りの建築物の気品に打たれ、その風格に驚いた。重要有形文化財にも指定されているらしい。そこに感じたのは何よりも、「西洋」である。この建築物に足を踏み入れて思ったのは、日本人が初めて出逢って目に映じ感じたヨーロッパの姿である。また江戸期の文化の水準もよくわかる。この府庁旧本館は明治37年(1904年)に竣工されたそうである。だから、すでに百年以上の歳月を閲しているが、このような建築物一つをみても、明治人のヨーロッパ文化、文明に対するその摂取と消化のレベルの高さがよくわかる。昭和や平成の御代の日本人よりもよほど、西洋を奥深く理解していたのではないだろうか。西洋建築といっても、表面的で軽佻浮薄な植民地文化の産物ではない。

以前にも府庁には何度も来たことはあり、確かこの旧本館にも訪れているはずだが、私の方にそうした問題意識もなかったために、文化としての建築について、記憶をとどめることもほとんどなかったのだろう。デジタルカメラに記録しておこうと思ったけれど、あいにく電池切れで動かなかった。

(ネットでその面影は見られます。京都旧庁舎http://www.chigirie.i-ml.com/blog-rutiler/2007/04/post_67.html)

久しぶりに京都の「官庁街」にきて、少し懐かしさが募ったのか時間もあったので、若い日に多くの時間を過ごした「土地」と「街」をふたたび訪れてみようと思った。しかし、わざと烏丸通りを北上することなく、少し裏通りの智恵光院通りを北にあがった。とくに洛北の国際会議場とその前にある宝ヶ池プリンスホテル、今は改名されているらしいが、を目的にしようと思った。

このホテルはかって西武鉄道の総帥として権勢を誇っていた堤義明氏が、国際会議場の受け皿となる宿泊施設として、肝いりで建設したものである。村野藤吾という今はなき建築家が設計したヨーロッパの城館をイメージしたホテルである。確かこれが遺作となったはずだ。もし京都に来られて機会があるならぜひ一度宿泊されるのもよい思い出になるかもしれない。

考えればいったい何年ぶりだろうか。話にもならないほど近くに住んでいながら訪れることもなかったせいか、それにしても、紫明通り、出雲路橋からその経路をすぐに思い出せない。鴨川沿いの立派な桜並木は今はすっかり葉を落としているが、そぎ落とされた殺風景なその枝振りの偉容だけでもさすがだ。

とにかく北へと思って走るが、かすかに記憶にある宝ヶ池に通じる道が見あたらない。それで、二度ほども上賀茂神社の裏手の清流が豊かに流れる閑静な町中を間違って走ることになった。そして道を探している間にも、岩倉あたりに出てしまう。この土地も思えば懐かしいところである。学生時代に友人が三宅八幡の駅近くに下宿していた関係でよく訪れたものだ。それも昔のことである。後年になって知り合った女性も岩倉に住んでいて、その関係でよく来たことがある。だから実相院や病院のある一帯もよくうろついていたのでそれなりに土地勘はあって、迷うという感じではなかったものの、探そうとする道になかなか出くわさない。その街の面影は大きく変貌しているとはいえ、ただ懐かしい。

とうとう、柊の別れあたりにまで出てしまう。さすがに方角を大きく間違えてしまったので引き返す。

深泥が池の畔まで出る。この池の印象に残っているのは夏の姿だったが、今はその周辺はすっかり冬枯れの景色になっていて、池の中央の砂州に枯れた葦が群生しているだけだった。水辺でおしどりがくちばしを水中に入れ餌を漁っている。この池を右手に見下ろしながら北に走ってようやく、プリンスホテルの銅さびた屋根が冬の寂れた木立の上に眺められた。

すっかり北に走り過ぎてしまっていたようである。それでホテルの姿を見失わないように南方に戻り宝ヶ池通りに入ってようやく、左手に国際会議場が、右手にプリンスホテルが見えた。この会議場ではかって環境問題が話し合われ、今ではほとんど有名無実になってしまった京都議定書の議決されたところである。余裕があればホテルのロビーでお茶でも飲んで時間を過ごしてもよかったが、それはまたの機会に譲って、まっすぐ市街地の方へ戻ることにした。

トンネルを抜けて少し走ると昔と同じように狐坂があるはずだったが、峠に出てみると、そこにも高架道路が造られ、その高みから市街地が見下ろせるようになっていた。昔は宝ヶ池に出るには、木々のうっそうと繁った山間の狐坂を抜けるしかなかった。デンマークのキルケゴールという詩人哲学者が『反復』という著書の中で、「人生の反復」を試みようとしたが、彼と同じように、「反復」の不可能を実感するしかないようだ。

北山通りに出る。このあたりも変貌著しいけれど、それでも骨格はそのままで、やはり懐かしい。この通りの植物園の傍らに府立総合資料館がある。この資料館へは昔、結婚してまだ間もない頃、弁当を作ってもらって洛西から通ったことがある。長女の名付けもこの資料館で考えた。北山通りを挟んだ北側の向いに喫茶店があった。明るい陽差しの良く入る瀟洒な店だったが今はない。

資料館の前をいったん通り過ぎたが、時間にまだ余裕のあることに気づいて、懐かしさもあり久しぶりに訪れてみる気になって引き返した。

平日でもあったせいか、持参した弁当でかって昼食をとった休憩室も、今は相席しなくともすむほどには空いていた。そこの自動販売機のコーヒーで一息ついた後、館内に貼られたポスターや並べられてあるパンフレットなどを丹念に読みながら見た。洛西に戻ってきながら、この洛北までほとんど足を運ぶ機会を失っていた間に、コンサートホールなども造られ、三月一日には、バッハの「ヨハネ受難曲」などの演奏会の開かれることも知った。三条の文化博物館では今、「川端康成と東山魁夷」の展覧会も開かれているらしい。それに今年は源氏物語の千年紀だとかで、何かと催し物も予定されているようだ。もう少し文化的な体験を増やして生活に潤いを持たせてもいいと思う。

階段をのぼって閲覧室に入る。以前にはバッグなどの私有物の持ち込み禁止などの注意書きがあったのに、見あたらないので入り口近くに座っていた案内の人に尋ねると、今は持ち込みは許されているそうである。かなり以前からだという。すっかり浦島太郎のような気持ちになる。図書室の利用者が信用されるようになっただけ、進歩であるには違いない。

館内の座席にはまだ十分に余裕があった。その一つの机を確保し、ダウンジャケットをそこに脱いで、書架の間をゆっくり巡って歩いた。本当に久しぶりである。それが何か失われた時間のように感じさせ、永遠に戻ることのない時間と土地の移動を思った。

ついでだから何か摘み読みでもして行こうと思う。何が好いだろうか。こんな時には実用書は十分だが、かといって、たくさんに並んでいるそれぞれの地域の風土史や地域史も手に取る気にならない。

たまたま、定家の『明月記』があった。一冊は漢文の原文で一冊はそれを読み下した本である。また、その近くにルイス・フロイスの『日本史』の翻訳があった。この三冊を抱えて座席に戻る。

九百年ほど前に書かれた『明月記』はあまり見なかった。フロイス『日本史』の翻訳の方は、時間の許す限り読んだ。フロイスは織田信長の時代に日本に来たカトリックの宣教師である。彼の生きた時代からすでに四百年以上の歳月を閲している。彼はインドのカルカッタ、ゴアを経て日本の長崎の横瀬浦から平戸を経て、当時の日本の都であったこの京都にも足を踏み入れている。今でも彼の足跡をたどることができるのだろうか。フロイスは自分の生きた証として当時の日本の世情を克明に記録したが、その量は膨大にのぼるという。彼の書いた原稿自体は教会の焼失とともに失われたらしいが、その写本が残されたということである。それを四百年後の今日、丹念に訳した翻訳者の労役と執念には頭が下がる。

フロイスの生きた時代からほぼ五百年を経て、今私たちがこうして生きている。そして、私たちの死後五百年の世界に生きる人々はどのような人々なのだろうか。そんなことを考えながら、閉館時間にまだ少し時間を残しながら、この懐かしい資料館を後にした。

 

 

 

 
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「神の国」とヘーゲルの「概念」

2008年01月29日 | 概念論

「神の国」とヘーゲルの「概念」

キリスト教神学でも、とくに根本的に重要な概念である「神の国」については、その核心的な根拠として、先の記事でもマタイ書第六章とルカ書第十一章から二個所を取り上げた。それは「主の祈り」としてその伝統の中にも要約され織り込まれている。

それを、あらためてヘーゲルの概念論を研究するこのブログおいて取り上げたのも、このキリスト教の中心的な概念がヘーゲルの概念論の核心と無関係ではないからである。

ヘーゲルの概念論については、かって青年マルクスも『経済哲学手稿』のなかに論及したことがあったが、しかし、以前にもそのことに触れたように(『薔薇の名前』と普遍論争 )、そこでの理解はきわめて浅薄なものであった。講壇哲学者であれ在野の哲学者であれ、それを的確に把握しているものは少ないように思われる。そのことは、これまでヘーゲルの「概念」と「神の国」との関連を論じた者がわが国において誰もいなかったことからもわかる。

ヘーゲル哲学の根本的な動機がキリスト教の真理を科学的に把握することにあったように、キリスト教の絶対的な理念である「神の国」は概念でもあるのであって、それは絶対的な原因であると同時に目的でもある。宗教的な天才であるイエスはそれを明確に自覚していた。イエスが「神の御心が天において行われますように」といったのは、「神の国」が「概念」であるということでもあり、「地上においても行われますように」と祈ったのは、哲学的にいえばそれが理念でもあるからである。

比喩的にいえば、概念とは「観念的」な種子でもある。「神の国」もまたそうである。哲学においてはそれを絶対的な理念として捉えなおす。だから、全宇宙はこの一つの種から無限に咲き出でる花に他ならない。
「概念論」をめぐる論議がさらに深まることを期待したいと思う。

 

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日本国の衰退と復活

2008年01月22日 | 国家論


世界市場「独歩安」日本 政治・行政不況追い打ち(産経新聞) - goo ニュース

日本国の衰退と復活

どんな歴史の本を読んでも、そこには多くの国家や民族の栄枯盛衰が語られている。個人や企業におけると同様に、国家や民族においても、その隆盛と衰退は避けられない。ただ哲学的な歴史家はそこに何らかの法則性を探ろうとする。個人にせよ企業にせよ、民族にせよ、国家にせよその栄華と没落は何に起因するのか。

短期的な視点から見ても、経済や景気の循環や一国の株価の動向と同じように山もあれば谷もある。最近のニュースを見ていると、最近の日本は長期的な停滞傾向に入っているようである。

小泉元首相が「改革なくして成長なし」 とか「官から民へ」という派手なキャッチフレーズを掲げて登場したとき、国民は圧倒的な支持を与えた。経済改革は竹中平蔵氏に丸投げすることで、郵政民営化や道路改革を実行しようとした。そして、それらの改革の試みが少なくとも国民や海外の投資家に夢を与えていた間は、日本の株価も復活し、失業率や倒産件数も改善された。雑誌「エコノミスト」ではビル・エモット氏らによって「日はまた昇る」として日本経済の力強い復活を語られもした。

しかし、小泉改革も「官僚」や「族議員」らの抵抗にあって、中途半端に終わるか挫折におわり、その傾向が、小泉内閣の後を引き継いだ安倍晋三前内閣の政治姿勢によってさらに決定的になったとき、安倍前内閣は国民の支持を失い、安倍晋三氏は政権を投げ出すしかなかった。安倍前内閣の崩壊の理由は、安倍晋三氏の個人的な病状によるものではなく、根本的には、郵政造反議員の復活や農水大臣の松岡利勝氏や赤城徳彦氏らの族議員、二世議員たちのカネをめぐる政治倫理の問題や国家公務員制度や経済に対する改革姿勢の後退が国民に見抜かれ見放されたことによるものである。

そして、安倍内閣の後を引き継いだ福田康夫氏とそれを選出した自由民主党の党略によって、内閣と与党の改革姿勢の頓挫と小泉政権時代のいわゆる「守旧派」の復活が決定的になった。

道路族の古賀誠氏が自民党の選対委員長に就任し、岐阜一区においては「小泉改革」の女刺客とまで揶揄された佐藤ゆかり氏が「国換え」となり、郵政改革で守旧派とされた野田聖子氏が公認候補として復活するなどして、一時は少なくとも表面的には「自民党をぶっ壊す」という改革姿勢を明確にして登場した「小泉改革」の流れは、ほぼ完全に息の根を止められたことが明らかになった。

小泉内閣が登場するまで「失われた十年」として、日本社会をおおっていた閉塞感が再び芽を伸ばしはじめたようである。それは現在の自民党と公明党による福田政権与党の政治姿勢と決して無関係ではない。日本の政治の、談合型利益誘導政治は完全に温存されたままであるし、公務員制度やマスコミ業界の改革もほとんど手着かずのままである。

改革の方向としては決して難しい問題ではない。政党再編によって、政治をまず利益誘導型政治から理念追求型政治へと根本的に変換することである。そして、新しい日本国のビジョンを明確にすることである。日本国の追求すべき理念とは何か。それは「自由」と「民主主義」である。この一見古くさい理念を新しく復活させることである。それは政治家の仕事でもある。これらの理念は、それだけの永久的な価値をもっている。

日本国の閉塞状況は、何よりも戦後民主主義の硬直した政治体制によって、国民の間に、経済の領域のみならず、政治、教育、文化芸術などあらゆる分野で、「自由」な創意工夫の気風が失われているからである。また似非「改革」が、国民の階層・階級の間の流動化を促すことにならずに、むしろ格差の拡大と固定化につながることになっているからである。

そして、真実の「民主主義」が政治においても教育においても、経済においても実行されていないがゆえに、国民の間には正義の倫理感は失われ、犯罪も増加し、国民生活のあらゆる側面においてセーフティ・ネットワークも確立されずに、国民は生活の不安におびえることになっている。

今さらに、国家の目的理念を「自由」と「民主主義」に確定して、それを全国民で追求するべきである。それが挫折した安倍晋三氏の「美しい国」の復活にもつながる。「自由」の拡大をめざして政治と経済を改革し、正義の実現をめざして、戦後日本の似非民主主義から転換して、真の「民主主義」を追求することだ。それによって、国民の不安と退廃の解消をめざすべきである。

具体的にいえば、「自由」と「民主主義」のそれぞれの理念の追求は、現在の利益談合政界を一度ご破算にして「自由党」と「民主党」に再編することによって実現される。そして、各議員の哲学に応じてそれぞれの政党に所属し、そこで真実の「自由」と「民主主義」を国民のために研鑽し追求してゆくことである。原理は単純で難しい話ではない。国民と政治家の自覚と実行力のやる気の問題である。そうして、「自由」と真の「民主主義」を求めることである。

まず「神の国」と「神の義」を求めよ。そうすれば、国民に必要なものはみな加えて与えられるだろう。

 



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主の祈り

2008年01月21日 | 宗教・文化


主の祈り

天におられる私たちの父よ、
御名の聖められますように。御国の来ますように。
御心の天におけるように地にも行われますように。
私たちに必要な糧を今日もお与えください。
私たちに咎ある人を私たちが赦すように、
私たちの罪を赦してください。
私たちを試みに遭わせず、悪よりお救いください。

まことに、御国と力強い御業と輝かしい栄光は、
永遠にあなたのものです。


マタイ書第六章第八節以下より

彼らのまねをしてはならない。あなたたちの父はあなたたちが求める前から、あなたたちの必要とするものをご存知だ。
だから、あなたたちはこのように祈りなさい。
「天におられる私たちの父よ、御名の聖められますように。御国の来ますように。御心の天におけるように地にも行われますように。私たちに必要な糧を今日もお与えください。
そして、私たちに咎ある人を私たちが赦すように、私たちの咎めを赦してください。さらに私たちを試みに遭わせず、悪よりお救いください。」


ルカ書第十一章第一節以下

その人はある所で祈っておられたが、その祈りが終わると、彼の弟子の一人が言った。「主よ、私たちにも祈ることを教えてください。ヨハネが彼の弟子たちに教えられたように。」そこで、その人は彼らに言われた。「あなたたちが祈るときにはこう言いなさい。天におられる私たちの父よ、御名の聖められますように。御国の来ますように。御心の天におけるように地にも行われますように。私たちの日々の糧を日ごとにお与えください。私たちに咎ある人を私たちが赦すように、私たちの罪を赦してください。そして、私たちを試みに遭わせず、さらに私たちを悪よりお救いください。」


福音書のこの二カ所の記述は内容は本質的にはおなじであるけれど、微妙な違いもある。

マタイ書の文脈では、イエスが丘に登られたときに、ともに附いてきた弟子たちに、イエスの教えにとって核心となる事柄を「丘の上の教訓」として教えられたが、この「主の祈り」はその際に教えられたものである。そしてイエスはさらに、隠れたところにおられる父なる神に祈る場所として、自分の部屋を勧められ、それも長々と言葉数を多くする異邦人のまねをしないようにさとされた後に、この祈りを一つの型として教えられたものである。

ルカ書の文脈では、ただ単純に、イエスがある場所で祈り終えられたときに、弟子の一人に請われて教えられたことになっている。

しかし、いずれも主が弟子たちに直接に教えられた祈りであることから、これらは「主の祈り」として、キリスト者の祈りの核となっている。

この小さな祈りの中には、キリスト教の核心的な概念が含まれている。哲学もまた、無限に深い興味をもって、それらの概念を研究の対象とするものである。哲学はこれらの宗教的な表象を概念的に把握することをめざしている。「御国」「御心」「御名」「罪」「咎」「悪」「誘惑(試み)」「赦し」「救い」が具体的にどのようなものであるか。「名は体を現す」とも言われるが、名(概念)の実体が問題である。

このきわめて短いこの祈りの文言に明らかなように、イエスは、「父なる神」が私たちの祈りの対象として活けるものであること、その「神」は「天」におられること、天においては神の「御心」が行われているが、この地上にも神の御心が行われて、「神の国」の到来するように祈ることを教える。

後半は私たち自身のための祈りであり、それは、飢えや身体のために日々の糧を求め、心の幸いのために悪や誘惑から救われ、また私たちの犯した罪や咎の赦しを願う祈りである。

しかし、それにしてもイエスはこのような「祈り」をどこから学んだか。それは言うまでもなくエリヤやイザヤの旧約聖書からであり、さらには詩篇そのものからである。詩篇第百四十五篇第十一節の賛美歌は、この「主の祈り」に付け加えられて、キリスト者の日常の祈りの言葉になっている。

詩篇第百四十五篇第十節以下

あなたに造られた全てが、主よ、あなたに感謝し、
あなたの愛に生きる人は皆、あなたを誉め讃える。
彼らは御国の輝かしい栄光を言い、
あなたの力強い御業を語る。
主の力強い御業と
御国の輝かしい栄光を人の子らに知らせるために。
あなたの御国は永遠の王国で、
あなたの支配は代々にわたる。

 



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人間と自然

2008年01月15日 | 日記・紀行

人間と自然

山へ畑仕事に出かけたりすると、様々のことを考えさせられる。たとえば、人間の健康や病気とその医療の問題などもある。また、さらにはより根本的に、人間と自然との関係、あるいはもっと広い意味での自然に対する人間の使命という問題もある。人間が自然の中から発生した意義と目的の問題である。

現代医学が発達して、今日では科学技術の結晶のような最先端の医療技術が受けられる。もちろん、そのために現代医学による治療には莫大な費用を要する場合がある。しかし、そうした一方でその高度化した医療の恩恵を被るべき人間自身の生命力は、肉体のみならず精神的にもむしろ退化していると見るべきではないか。

もちろん、病気に対する治療法の研究に最先端の科学技術を応用することに、反対するつもりはまったくない。

ただ、病気に対する治療法を研究する以上に、人間にとっての健康な生き方、病気にかからない生活の研究と実行、また予防医学の徹底にこそ重点を入れるべきだと思う。研究の対象と方向が根本的に誤っているのではないか。また、そのこと自体がすでに人間の「病」ではないか。

多くの病気や不健康は、人間のサイドからの理由によるもの、宗教的に表現するなら、「死」のみならず「病」もまたその多くは「罪」によってもたらされるにちがいない。

そして、人間の健康を考える時に、「自然」はつねに還るべき原点であると思う。

現代の日本のみならず、それは世界に共通する現象だろうけれども、社会問題として、医療・年金・保険など制度上の問題がある。それらは、もちろん、人間の福祉に大きな意義をもっていることは確かだけれど、また、多くの問題も抱えていること、むしろ「麻薬のような堕落作用」の潜んでいることは、政治や経済との関連においても明らかである。そういう意味でも今ひとたび、いわゆる「生き方としての資本主義」や「社会のあり方としての資本主義」が根本的に批判される必要があるのかもしれない。

それは、たんに肉体的だけではなく精神的な「人間の解放」の問題である。だが、人間は何から「解放」される必要があるのか。「金」か「罪」か。どのようにして。

写真は、麦踏みをへて成長する麦の芽。

 

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トラックバックありがとう

2008年01月06日 | Weblog

toxandriaさん、トラックバックありがとうございました。
明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしく。
あなたのブログへも折りに触れ訪問させてもらっています。

昨年はドイツ旅行の記念写真も楽しませていただきました。とくにハイデルベルグの写真は、なまじっかにヘーゲルなどをかじっている関係で、ハイデルベルグ大学の教授に就任してからヘーゲルはどのあたりを散策していたのだろうかとよけいな空想が働いたりしました。(日本の都市の品格がヨーロッパに追い付き追い抜く日が来るのだろうかと思うとため息が出ます。)

また、晩秋の京都を訪れた写真もあって、近くに暮らしている私などよりももっと京都の秋をご存じかも知れないと思ったりしました。

toxandriaさんのブログ記事ももちろん読ませていただいていますが、今ひとつあなたの思想の核心をつかみ切れていないようです。あなたの博識についてゆけない面もあるのでしょうが、本質をつかむには、もう少し時間的にも「あなたの現象」を体験する必要がありそうです。論評はそれからにさせてもらいたいと思っています。

ただ正月2日の記事で「権力の可視化」をテーマとされているようですが、政治権力の構造をもふくめて、真実の明るみに出るのはよいことだと思います。可能な限り、政治家や「官僚」たちが秘匿している情報や真実も公開されてゆくことが望ましいと思います。その意味でも、インターネットの普及は「権力の可視化」にも少なからず貢献するのではないでしょうか。悪は闇を好み、公正は光を愛するということでしょう。多くの正確な情報によって、私たちの認識できる現象が全面的になるだけ、より的確に本質が客観的に明らかになりますから。

先のブログでも少し触れましたが、小沢一郎氏の「国連信仰」は、民主党が弱小政党の間はさほど問題ではありませんでしたが、昨年の参議院選挙のように多数を占めると、国家の主権を危うくしかねません。できればこの問題についても論評したいと思っているのですが。小沢民主党の「テロ対特措法」などへの対応についての見解なども、toxandriaさんをはじめ、ブログ上に記事を掲載されておられる方がいらっしゃれば、トラックバックなどで教えていただけるとありがたいです。

コメントとして書かせてもらおうと思いましたが、あえて記事にしました。本年もまたtoxandriaさんのご活躍を期待します。

 

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明けましておめでとうございます

2008年01月02日 | 日記・紀行

明けましておめでとうございます

2008年、平成二十年の幕開けです。今年もまた希望に満ちた明るい充実した一年になりますように。今年は子年だそうです。平安時代には、正月の初子の日には、野山に出て小松を引いたり若菜を摘んだりして楽しむ習慣があったそうです。春の七草もまもなくです。七草粥など味わえればと願っています。そういえば、昨年の秋の七草には、撫子と女郎花には出会えませんでしたが。ところで「子子子子子子子子子子子子」。さて何と読むでしょう。小野の篁さんに聞いてください。

    

            初音

昨年も私なりにメッセージを送り続けました。もちろん笛は吹けども踊らずであるのはヨハネやイエスの時代以前からのことです。エチオピア人がその黒い肌を、豹が斑の皮を変えられないように、人間もその本性は変わりません。だから何も驚くには当たりません。それでも、世界や現実は、自称平和主義者や理想主義者が考えるはるか以上に、理性的なものです。然るべくしてそうなっています。そして、世界史の歩みはゆったりとしたものですが、その目的は貫徹されます。

その社会にどんなに科学技術の知識や物質の富に豊かになっても、精神の根幹が腐っていれば没落は免れません。それは世界と日本の社会の現実が示している通りです。そして日本の復活の鍵がどこにあるのか誰もがわかっているのに、まだそれを実行できません。

個々人の小さな思惑をはるかに越えて、世界史は進んで行きます。昨年の世界の基本的な変化は、ロシア、中国、インドが目覚ましい経済的発展を成し遂げ、それに応じてアラブ産油国がオイル高騰景気に沸いた一年だったことでしょう。またアメリカ国民の奢れる消費生活がサブプライム問題として神に裁かれようとしています。昨年末にはパキスタンではブット前首相が民主主義のために殉じました。日本国民も現在の民主主義が有名無名の多くの人の血と汗によって勝ち取られたものであることをいつも思い出す必要があるでしょう。

小沢一郎民主党党首はいつまでも国連信仰の夢から覚めることはなく、福田康夫氏には国民を幸福にするほどに政治理念に力量はありません。学力低下は何も日本の中学生、高校生や政治家たちだけの話ではありません。とくに日本の指導者を指導すべき大学および大学院の学力と志の劣化が日本社会の危機の背景にあります。今日の大学の人材の枯渇とその品格の衰えを見るべきだと思います。そこには戦後世代の精神を自明のものとして、それを越えた時代と人格を思考するだけの想像力はありません。

政治の世界でも、自由と民主の理念に従って政界を民主党と自由党とに再編成するのではなく、小沢氏と福田氏は、愚かにも政治家の談合と切磋琢磨なき癒着によって、日本国を茹で蛙のような安楽死への道に開こうとしました。日本の談合文化がすべて悪いとは言いませんが、その悪しき一面の現れたのは事実です。

ところで私にとって青春の日々に、伝道の書や箴言などが聖書への入門書となりました。これからも聖書と共に生き、そこから慰めと歓びを得て、そして、さらに聖書が日本国民の書となり、いっそう品格に富んだ国家と国民になりますように。このブログがそれにいささかでも寄与することができればさいわいです。

伝道の書第三章、第七章から

善き日々は歓び楽しめ、悪しき日には深く考えよ。神は両者を併せて造られた。人には誰も行く末のことはわからない。

人の子の苦痛に満ちた労役がいったいなんの益があるというのか。
彼に課せられた骨折りを私は見てきた。神はすべてを時にかなって美しく造り、彼らの心に永遠の思いを与えられた。それでも人は誰も神のなさる業を初めから終りまで見届けることはできない。・・

私は知っている。神のなさることは永遠に続くことを、それには何も足すことも引くこともできないことを。ただ人は神のみを畏れよ。

幸福と真実の民主主義は小さな少数者のグループにおいて、しかしそれも、ただ比較的に相対的に実現されるだけのものかもしれません。絶対的な理想は、ただ天上にある神の国においてのみ実現されるもので、しょせんこの地上では実現されることはないのでしょう。ですから、私たちはせめて片手に持てるものだけでも十分に歓び満足すべきものだと思います。

私にも、皆さまにとっても、本年もさらにいっそう充実した時間の
訪れますように。そしてブログでの議論も活発な充実したものとして、ともに民主主義の文化を研鑽してゆきましょう。

 

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