夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

哲学の伝統

2008年07月31日 | 哲学一般

哲学の伝統ということを考える。哲学という語彙を手近にある辞書で調べてみると次のようにある。

【哲学】
      ①世界や人生の究極の根本原理を理論的に追求する学問。
         「哲学者」「 哲学的」
      ②自分自身の経験などから作りあげた人生観、世界観。理念。「彼は哲学を持っている」 ▼ギリシャ語PHILOSOPHIA「愛智」から出た英PHILOSOPHYの訳語。(現代国語例解辞典)

言うまでもなく、哲学という概念が問題になるのは、日本においては明治維新以降になって、欧米からその文化と文明が流入してきてからの話である。哲学という用語が明治の哲学者、西周らによって翻訳されたのがはじめである。最近ではカテゴリーも狭まり、世界の究極の原理として、単に弁証法の論理を研究する科学のように扱われるようにもなってきているけれど、かっては万学の女王だった。

それはとにかく、哲学の祖国といえばやはり古代ギリシャがすぐに思い浮かぶ。有史以来の有名無名の多くの存在の中でも、ソクラテスをはじめその弟子プラトンは哲学の父として人類の歴史に燦然と栄光を担ってきた。プラトンは、理想国家を探求して『国家』や『法律』などの本を書き、いわゆる「哲人政治」という概念を確立したが、彼やアリストテレスに始まるそうした哲学の伝統は西洋文化において、今日に至るまで何千年にわたって脈々と受け継がれている。近代において社会科学が、西洋に起源をもつことになった根拠もそこにある。

その一方において、キリスト教の伝統からは、トマス ・アクィナスの『神学大全』やアウグスチヌスの『神の国』に連なる思想的な系譜もある。

そこには哲学者の重要な使命として、国家の概念を追求するということが含まれている。西洋におけるそうした哲学の伝統の流れにあって、近代に至ってカントは民主主義の世界政府を構想し、その後を批判的に継いだヘーゲルは彼の『法哲学』において立憲君主制の意義を論証した。現代に至ってマルクスの『プロレタリア独裁政府』のような鬼子が生まれたりもしたけれども、人類の歴史は、カントの言ったように、自由の拡大の歴史であるといってもあながちまちがいではないようにも思われる。

普遍、特殊、個別の三段階の発展の論理もどきに言えば、はじめはただ一人の人間だけが自由であったのに、やがては幾人かが自由になり、そして、究極には万人が自由に解放されるという。歴史の発展の論理である。

その一方で、中国をはじめとするアジア諸国の民衆は、その長い歴史的な時間を、家父長的な専制君主の強圧的な統治の下で、抑圧的で過酷な不自由な生活に甘んじてきた。とくに圧倒的な伝統の重さをもった中国の異民族王朝。しかし、アジアの民衆も近現代になってようやく自由へと解放され始めた。

自由がどれほどに貴重なものであるかは、現在の北朝鮮をはじめ、かって東欧の過酷な独裁政治の歴史の体験からもわかることである。国家の形態や政治はそれほど民衆の日常生活の幸福に影響する。

自由と民主主義をかならずしも自国民の実力で獲得できなかったとはいえ、曲がりなりにもこれほど自由を享受することのできている日本国民は、世界的に見ても恩恵を受けている方だといえる。比較相対の問題で、最悪の劣悪政治とまでは言い切れない。現代でもなおスーダンや北朝鮮その他貧困と飢餓にあえぐ似たような国は多い。上を見ても下を見てもキリがないということか。

人類の歴史を総括的に見ても、自由と民主主義が充実するほど、国民生活は「幸福」なものになるようである。現代の日本の政治や社会の不幸も、多くの場面で「自由」と「民主主義」が正しく機能していないためであると考えられる場合が多い。その意味でも、「自由と民主主義」は政治の概念であるといえるのではないか。

そうした事実と観点をこれまで誰も言わないので、何度か繰り返し述べてきたが、現在の日本の政党政治を、「選挙談合利権型政治」から脱却して、それぞれ党是を自由主義と民主主義におく自由党と民主党を中心に再編成してゆくことである。そして、この二つの政党が交替しながら、国民ために自由と民主主義を理念として追求してゆく「理念追求型政党政治」に転換してゆかねばならない。

永年の間に利権利欲がらみで混沌としてからみ合ってしまった日本の政党政治で、それぞれの政党の理念をすっきり論理的なものにさせて行くことだ。政治家や国民がまず、この「政治の概念」をはっきりと自覚してゆくべきであると思う。そして、この概念を具体化し、深めてゆくことによってしか、政治家も国家、国民もその品位を取り戻すことはできないと思う。

アメリカでクリントン氏と民主党の大統領候補者指名を激しく争って勝利を得たオバマ氏がヨーロッパを歴訪し、かってのケネディやレーガンにひそみ、ベルリンのブランデンブルク門の前で20万人の聴衆を前に演説を行ったという。日本の政治家たちもいつの日か、彼のように「哲学者」としても、大聴衆を前に演説する日の来ることを願いたいものである。

当然のことながら、政治家が政治に従事するのと、哲学者が政治に関与するのとでは立場も違えば観点も違う。しかし、少なくとも西洋では、ソクラテスやプラトン以来、哲学が政治を指導するというのは自明の伝統だった。その伝統の差異は、欧米の政治家の演説や議論と日本の政治家のそれとを比較して見れば一目瞭然である。

 

John F. Kennedy's speech in Berlin”Ich Bin Ein Berliner”

President Ronald Reagan "Tear Down This Wall" Speech at Berlin Wall

Highlights: President Obama's Berlin Speech
 

 

 

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戦争はなぜ起きるか

2008年07月25日 | 国家論

 

hishikaiさん、丁寧なご説明ありがとうございました。「日本の伝統的な土俗的天皇信仰」が、やがて西欧列強との対決や日米開戦に帰結するというあなたのお考えの趣旨は理解できたと思います。

「日本の伝統的な土俗的天皇信仰」が、「戒律を廃した法の不在という「思考形式」」として拡大し普遍化し、やがてそれが漱石や伊藤博文らの天皇観をも淘汰してゆき、国民大衆の狂信的な排外主義として拡大し帰結したためだと理解しました。

ただ、このあなたの見解は、「国民大衆の下層からの強力な天皇信仰」が日米開戦の主要因と見ているらしい点では、日本国憲法の前文でも主張されているような「政府の行為によって」「再び戦争の惨禍が起こることのないやうにする」という戦後のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が公式見解として打ち出している認識とは異なっているようです。

GHQが自らの憲法草案に織り込み、憲法の前文で厳かに宣言しているように、(それは単なるレトリックなのかも知れませんが)、日米開戦の主要因は、国民大衆にではなく政府(の指導者たち)にあると見ているように読むことも出来ますから。

日米戦争や日中戦争のように、「戦争がなぜ起きるか」という問題はそれほど難しい問題ではないと思います。それはちょうど、蛇や鷹などの生物が互いの生存を賭して戦うのと本質的には変わらないと思います。人間も含めイヌやブタなどの動物たちと同じように、現代の国民国家も、それぞれ本質的に排他的な独立した個体だからだろうと思います。

だから、戦争の本質を、国民大衆や哲学者、政治的指導者、好戦的な軍人などの、国民国家を構成する要素に見るのではなく、「国民国家」の存在自体が本質的にもつ論理に見るべきだろう思います。確かに、、国民大衆や哲学者、政治的指導者、好戦的な軍人などは、国民国家を構成する重要な要素だと思いますが、それぞれの運動は本質的に偶然的です。ただそれらの集積が一つの必然として戦争が発生するのだと思います。

だから、hishikaiさんのように「伝統的な土俗的信仰習慣」の筋から日米開戦を見る見方も、私のように、国民の民主主義の能力から日米開戦に至る筋を見る見方も、かならずしも間違ってはいないと思います。戦争の要因は単一にとどまらず、さまざまの偶然的な複合的な要因が集積して、その結果、国家自体の論理として必然的に戦争が生じるのだと思います。

ただ、今のところ、その中でも、国家を構成する「市民社会」の論理、「人間の欲望」の論理、マルクス流に言えば、「資本主義の論理」がやはり、近現代の戦争の論理をもっともよく説明するのではないかと考えています。

                                                       そら(ANOWL)

 

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hishikaiさんの「都下闃寂火の消えたるが如し」評(2)

2008年07月23日 | 概念論

hishikaiさん、コメントのコメントありがとうございました。

漱石の『私の個人主義』などは昔読んだ記憶はあるのですが、その細部は忘れてしまっています。

先の漱石の日記の見解の論理構造を整理されていると思いますが、hishikaiさんのおっしゃる「その原因の半分に明治以前からの庶民の土俗的信仰習慣の問題(この場合は庶民の側からの自発的な天皇信仰(の欠如)」が「戦後民主主義」はとにかく「日米開戦」にどのようにつながるのか、その論理が今ひとつピンときません。よろしければ、もう少し詳しく説明してください。

ちなみに私の場合は、伝統的に弱い「国民主権」が、結果として(おおざっぱな論理ですが)「日米開戦」や「官僚主権国家」を防ぎ得なかったと考えているからです。加藤友三郎や東郷平八郎元帥らが生きている間は、ワシントン会議に見られるように軍部の主戦論者に対する押さえは利いていたのです。彼らの死後はその重しもなくなってしまいました。しかしいずれにせよ、歴史にIFは禁物です。

そら(ANOWL)

 

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hishikaiさんの「都下闃寂火の消えたるが如し」評

2008年07月21日 | Weblog

 

hishikaiさんの記事にコメントしようとしたところ、「内容が多すぎますので208文字以上を減らした後、もう一度行ってください。」という「コメント」がまたまた出てしまいました。
「エキサイトブログ」の社長さん、雄猫と雌猫の愛のエールならとにかく、こんなことでは、まともなコメントも出来ないのではありませんか。

以下コメント
「明治天皇がご病気になられたときに、民衆がとった態度についてhishikaiさんの認識と漱石の認識には食い違いあるようです。果たしてどちらの判断が正しいのでしょうか。

確かに、国民大衆は「官命」に忠実であり、それをhishikaiさんは皇室に対する「民衆の素朴な信仰」心の現れと見られておられるようです。hishikaiさんのその判断も決して間違いであるとはいえないと思います。

しかし、漱石がそのときに「川開きの催し差留られたり。天子いまだ崩ぜず。川開きを禁ずるの必要なし。」と感じた事実も重く見るべきであると思います。
国民大衆の皇室に対する「素朴な信仰」は漱石も認めていただろうと思います。その一方で漱石は当時の「専制的」な「公権力」に問題を感じたのではないでしょうか。明治天皇崩御と同じ年に石川啄木も亡くなり、その前年には大逆事件に関係したとして幸徳秋水ら24名に死刑判決が下されています。

英国の立憲君主制を現地で肌身に実体験していた漱石にとっては、「当局による民業干渉と翻訳することで自らに納得させようとした」のではなく、強すぎる「当局」の公権力行使に対する批判、あるいは、「国会開設や租税問題」で自分たちの意思を十分に実現できないでいる弱すぎる国民の「民権」に対する批判の表明だったのだと思います。
この弱すぎる「民権」が、やがて日米開戦へ、さらに「戦後民主主義」に連なっているのだろうと思います。」

 

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民主党の党首選挙(2)

2008年07月19日 | 概念論

 

もちろん、何も狂信的に何が何でも「党首選」を実行せよ、と言うのではない。
民主党の幹部が、直嶋正行政調会長が主張するように、本当に圧倒的な多数の支持を獲得できるリーダーで、その能力の評価において衆目の一致するところであれば、対抗馬がなく無投票で選出されると言うこともあり得るだろう。しかし、現在の小沢一郎氏は「民主党」のリーダーとして、真実の民主主義者であるといえるのか。そして、現在の民主党には小沢氏の民主主義者としての体質に異議を唱える論者は一人もいないのか。小沢氏に対抗して真実の民主主義者がどういう者であるのか、日本国民に範を示すために立とうという 覇気のある政治家は民主党の中に誰もいないのか。

現在の小沢民主党党首は、かっては自由民主党の幹事長として、自民党総裁選に出馬表明していた宮沢喜一、渡辺美智雄氏らを事務所に呼んで総裁選の実質的な権限を握るほどに、若くして権勢を振るっていた。小沢氏は故田中角栄氏の弟子もしくは申し子として政治家として成長したのである。その後、自民党を離党したが、また、イギリス議会に倣って国会に党首討論を取り入れたり、また濡れ手に粟のような現在の政党助成金制度の導入に能力を発揮し貢献したのも、この小沢一郎氏だった。

確かに小沢一郎氏は、青臭い書生派国会議員の多い現在の民主党の中では、かっての田中角栄氏を師として仰ぎその薫陶を受け、また大衆の機微をわきまえたいわゆる角栄流に日本的に有能な政治家ではあるだろう。だからこそ管直人氏や鳩山由紀夫氏らの支持を得るとともに、同じ民主党内の前原誠司氏らからは批判を受けている。

民主党と対抗する自民党においては、たとえレトリックにすぎないとしても、小泉純一郎氏が「自民党をぶっ潰す」というキャッチフレーズで登場し、郵政解散総選挙で、事実上自民党内のいわゆる「抵抗勢力」を排除して、曲がりなりも自民党内の道路族をはじめとする党内の利権構造にメスを入れようとした。たとえそれが中途半端に挫折に終わったとしても、自民党は旧来の利権政治家集団から脱して、国民政党に脱皮しようという片鱗は見えていた。それゆえにこそ当時は自民党も国民の一定の支持も集めたのである。そして、政策的にも心情的にも、民主党の前原誠司氏などは、氏の日常の言動から見ても、いわゆるこの「小泉改革」に共感するところが少なくないはずである。

それに対して、現在の民主党の党首小沢氏は郵政解散総選挙で自民党を離党した国民党の綿貫氏らと会談し、「郵政民営化を正すためにも政権交代を実現したい」と選挙協力を確認しあっている。そうした郵政民営化をご破算にする動きや農業の個別所得補償や子育て支援などの「バラマキ政治」に故田中角栄氏の旧自由民主党政治を髣髴させるものがある。だから、いわば前原誠司氏などの政治的な立場からすれば、民主党にあって小沢一郎氏は、故田中角栄氏の旧い自由民主党の政治体質を復元しようとしているようにさえ見えるにちがいない。

さらにまた、かっての戦後間もなくの自民党のボス政治家たちのように、小沢一郎氏がいわゆる「料亭政治家」の体質を抜けきっていないことがある。これは政策以前の政治家の体質の問題で、小さなことであるともいえるが、日本の政党政治は、酒席をはずしたところで、アルコールや酒と無縁のところで運営される必要がある。江戸期の大名や明治の元勲たちのように酒席に女を侍らして天下国家を語るような政治文化の名残から日本の政治は足を洗わなければならない。こうした点も小沢一郎氏が「新しい」民主党のリーダーとしてふさわしいか懸念する点である。

一方で、民主党内にあって小沢一郎氏に対抗する政治家として前原誠司氏らが取りざたされることが多い。この前原誠司氏について少し論及するなら、かって氏が民主党の代表の地位にあったときに、いわゆる「偽メール事件」で永田議員が辞職したときの前原代表の対応に見られたように、何よりも前原氏は戦後民主主義の申し子ともいえる。それゆえ前原誠司氏には戦後民主主義を歴史的に相対化する観点も能力もない。この点では、中途で哀れにも挫折したとは言え、少なくとも「戦後政治体制の脱却」をスローガンに掲げた安倍晋三前首相にすら及ばない。

「戦後日本の民主主義」を日本史や世界史の通史の中に、また、人類の全歴史から見たときに、どのように評価され位置づけられるかという、自己相対化の視点や能力が前原誠司氏にはほとんど欠けている。自己の生きる国土と時代を客観的に把握し相対化できないものには、その時代と国民の限界を克服することはできないのである。

何度も言うように、要は国民全体の民主主義における能力の問題である。民主主義が歴史的にその出自がプロテスタントキリスト教にあるのに、この根本的な事実さえも明確に自覚されていない。

だから、いくら民主党が分裂したからといって、そのことが直ちに真実の「民主主義政党」の誕生にはつながらない。最終的には「人」であり「人材」である。真の民主主義を能力として実行、実現できる人材なくして、いくら看板だけを新しく掛け替えても、その中身は旧態依然のままである。

比較的にも少なくとも国民が全体として真実の民主主義を体現できるようになるためには、その前提としてまず優れた思想家、指導者、哲学者たちによって国民に対して、真実の「民主主義の概念」が明らかにされていなければならない。

続いてその「正しい民主主義の概念」を学んだ教育者、政治家たちが、10年、20年、さらに半世紀、100年と倦まず弛まず国民に対して教育活動を行った成果として、大地に雨垂れが染みこむように、正しい民主主義の精神と方法が国民性や文化の一部としてようやく血肉となってゆくものである。

期待したいのは、現在の小沢民主党が真実の「民主主義政党」に変身して行くことである。しかし、これも砂漠に蜃気楼を見るようなものか。

 

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民主党の党首選挙(1)

2008年07月18日 | 国家論


民主党の動向については、これからの日本の進むべき方向に関心をもつ者は、注視せざるを得ない。かって民主党に結集する政治家たちの「民主主義の能力」を検証してみたことがある。

 民主党四考 

あれから、三年。自民党の体たらくによって、民主党は自民党にとって代わりうる政党と見なされ始めているようだ。しかし、この民主党は本当に日本国民に民主主義を教育し指導する資格のある政党になり得ているのだろうか。

確かに、前回の党首選の時とは異なり、今回は党内からも「小沢一郎代表の無投票三選論批判」も出てきているようである。一方、小沢氏も、福岡市での記者会見で代表選について「われと思わん人がどんどん立候補することは当然でことである」とも述べている。民主党も民主主義政党として前回の党首選の時よりは進歩していると思う。

[渡部民主党最高顧問、党代表選の無投票論を批判]
http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080627/stt0806272301004-n1.htm

民主主義的な政党や組織では、党員や構成員の多数決によって党首や政策、議事を決定するが、反対意見の持ち主は、多数決によって決まった政党や組織の決定には規律としては従うけれども、その多数意見に納得出来なければ、自己の意見を変える必要はない。少数意見が多数意見になるように努力して、政党や組織の意見を変えてゆけば良いだけの話である。

組織の規律として多数意見に従うということと、自己の意見がたとえ少数意見であっても、多数意見に改宗する必要はないということがわかっていないのではないだろうか。規律として多数意見に従うということと、少数意見として自己の信念を維持するということが両立する政党や組織でなければ、真実に民主主義な政党や組織とはいえない。このあたりの自明な事柄すらわかっていないのが、日本の自称「民主党」や日本国民の一般的な民主主義の能力水準ではないだろうか。

だから、党首選を激しく戦えば、後で感情的なしこりが残るから党首選は避けようといった意見が出てくるのである。確かに、人間のすることだから、そうした感情的なしこりも当然に残るだろう。しかし、少なくとも民主党と自称して、日本国民に民主主義を教育し指導する立場に立とうと考える政治家たちの集団なら、そうした感情的なしこりをも克服して、党や組織で決定されたことには、たとい自身の個人的な意見とは異なるとしても、努力してそれが次に多数意見になるまでは、その反対意見にも規律として従うという成熟した大人の民主主義の態度をとれるようでなければならない。

日本の民主党の民主主義の能力の水準がどの程度のものであるかは、この政党と政治的に思想的に比較的に似た立場にあるアメリカの民主党やイギリスの労働党とを比較してみればわかる。

アメリカの民主党においても、アメリカの場合もそれは大統領候補の選出に直結しているわけであるけれども、周知のようにヒラリー・クリントン女史とバラック・オバマ氏があれほど激しく長期にわたって事実上の党首選を戦った。けれども選挙後は、彼らはその感情的なしこりを残さないように大人の態度を取り、民主党の団結を守ろうとしている。かってマッカーサーが日本の民主主義は12歳の少年のそれだ語ったそうだが、感情的なしこりを口実に党首選を避けようとする日本の現在の民主党のそれは、日本国民の民主主義の能力水準を象徴しているようなものだ。

 

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hishikaiさん

2008年07月10日 | 哲学一般

hishikaiさん、あなたに頂いたコメントにお礼とお返事をしようと思ったら、「内容が多すぎますので、946文字以上を減らした後、もう一度行ってください」という表示が出てしまいました。面倒なので新しい投稿記事にしました。


hishikaiさん

今日は暑かったですね。hishikaiさんのお住まいの地方はどうでしたでしょう。
とは言え暑いからこそ夏なのでしょうが。あなたのブログも折に触れ訪問させて頂いています。

ところで私のブログも少し真面目すぎるかなと感じています。もう少し、ユーモアや冗句もあってもいいかなという反省もあります。「哲学のユーモア」か「ユーモアの哲学」も気にかけて行こうと思うのですが、どうしても地が出てしまうようです。

hishikaiさんにコメント頂いたのですが、今回の記事で、戦後半世紀以上も、この日本国を支えてきた「平和」憲法の核心を根本的に批判しているはずですのに、ほとんど何の反響もないのも少しは寂しく残念な気がします。無名で平凡な一市井人のつぶやきには、誰も真剣に耳を傾けないのでしょう。

無視を決め込んでいるか、問題提起にも意識が掘り起こされるということもないのでしょう。本当は「平和」憲法を養護する憲法学者たちの意見を聴きたいのですが、皆さん、政府の審議委員などのお偉方できっとお忙しいのでしょう。非哲学的な国民のことですから、このあたりが妥当だろうと思っています。

hishikaiさんはコメントで「本文では「非哲学的な日本国民」を平和主義者を自認する人々に絞って用いているように読めます」とありますが、そんなことはありません。

哲学における国民性の資質と能力に――それは、宗教などに規定される面も大きいと思うのですが、私は希望は持ってはいませんから。どんな国民にも得手不得手はあるから仕方はありません。ただ、国民と国家の哲学が深まらないかぎり、国家や国民に本当の「品格」は生まれて来るはずはないとは思いますが。

また、hishikaiさんは「これからの我国では左右両翼の対立に代えて、真に対立軸とすべきは、この哲学的思考の有無でなければならない」ともおっしゃられていますが、この認識をもう少し具体的に進めて言えば、この「哲学的思考の有無」は「ヘーゲル哲学に対して自分はどういうスタンスを取るか」、あるいは、とくに国家論で言えば、「ヘーゲルの「法の哲学」に対して自分はどのような立場を取るか」、ということになるだろうと思います。

しかし、残念ながら国立大学の憲法学者たちですらこの教養の前提がなく、したがってそうした問題意識すら生まれてこないのが現状であるようです。そうして、こうした憲法学者が、日本国民に憲法を「教授」しているのです。

       2008年07月07日

 

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七夕は

2008年07月07日 | 日記・紀行

 

今日は七夕。ブログで生活の記録をたとえ断片的にであれ、残し始めてからすでにというか、まだわずか3年ほどにしかならない。しかも、その七夕の記憶も、2005年と去年の2007年の記録はあるのに、2006年の七夕の記憶がない。

さらに古い七夕の記憶を思い起こしてみる。まず浮かんでくる情景がある。少し年の離れた弟が、お風呂に入ったあと、あせも予防の白粉を塗って浴衣を着せて貰い、短冊を飾り付けた笹を手にして微笑んでいる。それから、近所の人たちと一緒に近くの淀川へ笹を流しに行った時の子供たちの声のさざめき。

しかし、二十歳代、三十代になってからの記憶はほとんどない。その頃の自分は、今頃何をしていただろう。自我の目覚め始めた中学生頃から始めた古い日記を探れば、何とか記憶をたどることは出来るだろうが、そんな気にもならない。

一昨年2006年7月7日前後の、ブログ記事を探してみると、

民主主義の概念(1) 多数決原理(2006年7月6日)
http://blog.goo.ne.jp/maryrose3/d/20060706
阪大生の尊属殺人事件(2006年7月8日)
http://blog.goo.ne.jp/maryrose3/d/20060708
雅歌第八章(2006年7月3日)
http://blog.goo.ne.jp/aseas/d/20060703

などがあるぐらいで、2006年の七夕の日の記憶は残していない。おそらく世事に紛れて、七夕のことなどすっかり忘れてしまっていたのかも知れない。私のアナログ日記(日記帳)を見てみると、確かに2006年7月7日(金)の記録はある。しかし、株価の下落や理論的能力の低さについての記述はあっても、この年の七夕の宵についての論及はない。ほとんど宇宙の彼方に消えてしまっている。

2005年の七夕は、確かまだブログも開設して間もない頃で、かなり激しい夕立のあったことを記録している。「七夕の宵」という日記では、その宵のつれづれを、伊勢物語の中の場面を思いだし『渚の院の七夕』と題して書いた。http://blog.goo.ne.jp/askys/d/20050707

阪急京都沿線の水無瀬駅近くに、平安時代の昔に惟喬親王や在原業平たちの遊んだ別荘があった。「渚の院」と呼ばれていたが、桜の美しい頃そこで彼らは七夕にちなんだ歌を詠んで残している。

2007年の七夕は、『VEGA』と題して書いた。
http://blog.goo.ne.jp/sreda/d/20070707 そこで七夕の宵に紫の上の一周忌を迎える光源氏の寂しさを回顧した。

七夕がなぜ人々の心を引きつけるのか。織り姫と彦星という星の出会いに、人と人が出会うという奇跡が、象徴されているからだと思う。
何千万人、何億人という人間が存在する中で、妻や夫の関係として、あるいは恋人の関係として私たちが出会う相手は、確率的に言えば本当に奇跡のようなものだ。その出会いが嬉しくないはずはない。

その一方で、本来出会うべき伴侶が、運命や神のいたずらで、一寸一秒のすれ違いに互いに相見えることなく生涯を終えるということもあるにちがいない。私たちの人生の舞台裏をのぞき見ることが出来るとすれば、そんな悲運に流される涙は尽きないのではないだろうか。無数の出会いと別れの織りなすものが私たちの人生に他ならない。

今年の七夕はとくにこれと言った感慨もないし、夜空に星は見えるけれどもさほど美しくもない。牽牛、織姫たちを探す気にもならない。

それでも、少しでも触れて記憶に留めておこうと思う。昔の人が七夕を詠っても、それは陰暦のもっと暑い夏の盛りのことだったけれど。

1264    七夕は   逢ふをうれしと   思ふらむ
                   われは別れの   憂き今宵かな

西行が七夕を詠ったものとしてはさほど優れているとも思われないが、彼が昔七夕の日にどのような感慨をもったかはわかる。

私たちが生きること自体の中に死が秘やかにまぎれ潜んでいるように、「出会い」そのもの中に「別れ」が寄り添っている。別れのつらさを厭うなら、出会わないに越したことはない。

それでも、なお人間は出会いを願うものである。しかも単に出会いを願うだけではなく、出会った相手を独占したいとさえ思う。こうした心情は今も昔も変わらない。

1265     同じくは   咲き初めしより   しめおきて
                   人に折られぬ   花と思はん

 

 

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自己決定権のない国家

2008年07月04日 | 国家論

 

アメリカが北朝鮮に対してテロ国家の指定解除に向けて動き出した。ブッシュ政権からいわゆるネオ・コンの勢力が後退し、対北朝鮮ではライス国務長官らの穏健路線に進んでゆくことが既定路線になっている。

すでに5年以上の歳月が過ぎてしまったけれども、アメリカの北東アジア政策については、CATO研究所の副所長をしていた、テッド・ガレン・カーペンターの論文を翻訳したことがある。

北朝鮮問題処理の選択肢   テッド・ガレン・カーペンター          (原文

このテッド・ガレン・カーペンター氏が今日のブッシュ共和党政権の中で、アメリカの防衛や外交政策にどのような影響力を持っているのかは私には定かではない。

しかし、現実のアメリカの外交、防衛政策に実際にどのような影響力をもちえているかにかかわらず、カーペンター氏が論文の中で考察しているように、アメリカの北東アジア問題で採りうる選択肢は限られており、それは必然的な帰結として出てくるものである。

 

自己決定権のない国家

 

カーペンター氏は北朝鮮に対してアメリカの取りうる選択肢として、以下のような4つの選択肢を挙げていた。

選択肢の1 ピョンヤンを再び買収すること。 (前クリントン政権のように北朝鮮の核開発を断念させる見返りにエネルギー支援を行うこと)
選択肢の2 先制的戦争(ピンポイントでピョンヤンの金正日を狙うこと)
選択肢の3 経済制裁(中国の後ろ盾がある限り決定的な効果はない)
選択肢の4 地域的な核バランスの可能性を育成すること

この論考の中でカーペンター氏は、北東アジアの問題は、基本的には中国、ロシア、韓国、北朝鮮、日本の北東アジア五カ国自らが解決すべき問題であって、最終的にはアメリカは北東アジアから手を引いて、「ワシントンは北東アジアにおける、一任された安全保障の危険性を減らし始めるべきである」と考えていることである。つまり、アメリカにとって採りうる現実的な政策は、この選択肢の4しかないということである。

残された選択肢としては、選択肢4の「地域的な核バランスの可能性を育成する」 ことしかないとアメリカは考えている。そうしてその現実的な政策選択の必然的な帰結として2003年に中国の協力を得て六ヶ国協議という枠組みを作ってからは、この地域の軍事的なバランスの可能性を育成しながら、アメリカは北朝鮮という煩わしいこの「やくざ国家」との関わりを断ち切りたいと思いつづけてきた。

その一方でまた、カウボーイ男アメリカの袖を引き続けて、いつまでも依頼心を抜けきれず、また独り立ちもできない悪女の片思いのような韓国や日本の存在も煩わしく、出来ればこれらとも縁を切りたいと考えている。要するに、アメリカは北東アジアとの関わりを重荷に感じているのである。アメリカにとって、中東問題ほどには極東アジアには関心をもたない。イラク、イランに対するほどには切実な関心はない。

もし北朝鮮がアメリカ本土内の目標にまで到達する弾道ミサイルの能力を持ったとき、アメリカは自国の諸都市を犠牲にしてまで、韓国や日本の防衛のため立ち上がることはない。このことを、カーペンター氏はこの論考の中でも率直に明言している。

韓国に駐留し、日本の基地にいる10万人足らずのアメリカ兵士は、むしろ北朝鮮に人質にされているような状況にある。アメリカはそんな何の見返りもない仕事にいらだち、一刻も早くアメリカ本土からも遠く縁も薄い、醜く煩わしい北東アジアから手を引きたいと考えている。

またキリスト教徒のアメリカ人はそれをあからさまに言うことはないとしても、「北朝鮮が拉致した日本人を回復するのが何でアメリカ人の仕事なのか」と本音では考えている。そして、世界でも有数の「経済大国」でありながら、独立して自国の防衛も満足に行えず、自国民が拉致されておりながらも、自力で何ら対処する力を持ち得ずいつもアメリカに泣きついて来る日本人を哀れみの眼で眺めている。

拉致問題について、北朝鮮の「悪辣非道な国家犯罪」に非難の声を挙げるのはたやすい。しかし、哲学は物事の根源を見つめ問題にするものだ。現象の奥に潜む本質を見極め、因果の必然を明らかにしようとする。日本人拉致問題の根源や背景に、日本の国家形態や憲法に欠陥は存在しないのか。

拉致問題が起きたのはなぜか。第一に北朝鮮という「ならず者の国家」の存在。もう一つは、「無防備な奇形国家」日本の存在である。拉致問題の成立には、この二つの条件がある。日本の憲法をはじめ、現在の日本国という「国家形態」に何らの異常も感じることなく、それを認めることの出来ない者は奥平康弘氏や樋口陽一氏などの憲法学者をはじめとして少なくない。

その原因はそうした国民や国家指導者たちの持つ「国家概念」のゆがみに起因する。概念とは、事物の本来の姿である。

たとえていえば、病人も確かに人間ではあるが、「人間の概念」には一致していない。そのようにように、現行の日本国も確かに「国家」であるにはちがいないが、自国の軍備で主権を独立して守ることも出来ない「歪んだ国家」であり「国家の概念」に一致しない。国家の真理を体現しえていない「国家」である。肝要なことは正しい「国家概念」を確立することである。

非哲学的な日本国民は、自らの理想主義のナルシシズムに酔って十分に検証する能力すら失っているようだけれども、健全な国家体制の構築のためには憲法なども哲学的に検証してゆく必要があるだろう。それは国民的な課題になるべきである。

現行日本国憲法の前文には次のような文言がある。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」

憲法9条の「戦争放棄」の条文なども、この憲法前文に見られるような理想主義を背景に制定されたものと考えられる。しかし、理想は理想としても、この憲法の前文が示している認識に欠陥はないのだろうか。果たして「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」するのは正しいか。

ありきたりの結婚にたとえれば、妻や夫はそれぞれ自分たちの選んだ伴侶は「公正で信義にあふれる人」で、いつも「私」を愛してくれると信じている。だからこそ人間は結婚を選択し、お互いが生活を伴にすることが出来るものである。

しかしその一方で、妻であれ夫であれ、人間は自我をもつ独立した主体でもある。つまり、それぞれエゴを持つ排他的な個体でもある。それゆえにこそ、どんなに夢と希望をもって始めた結婚生活であっても、日々の生活と「人間」のエゴの現実に直面して離婚したり、時には夫婦間ではあっても殺人などの事件が起きるのである。

結婚生活でさえそうであるなら、まして、国家と国家の関係においては、現実の互いに排他的な独立した存在である「国家」の本質を無視して、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意」するのは明らかに誤りであろう。国家と国家の間には特殊な利害をめぐってさまざまな葛藤が生じるものである。対立や敵対は生まれざるを得ない。そうした現実の中で、日本人拉致被害の問題は、青臭い理想主義に毒された日本国の、その「主権国家」としての不備や欠陥を何よりも実証するものであるにちがいない。

それは人類から戦争を切り離せないという歴史の現実を見ないものであり、むしろ平和を担保するものは、軍事力であるという現実をこそ見るべきだろう。また、戦争がどれほど悲惨なものであるとしても、それを「絶対的な悪」と見るのは間違いである。むしろそうした現実から眼を背け、同胞に対する倫理的な義務を果たしえない国家と国民の退廃と無能力こそが問題にされるべきだろう。とくに政治家や憲法学者たちは拉致問題における自らの責任と使命を自覚すべきである。

以前の論考でも触れたように、北朝鮮の核を問題にするのは、それが日本の核武装に道を開くことになる場合だけである。六カ国協議の目的は日本である。日本をいかにして封じ込め、無力化して経済的に利用するかに向けられている。中国もロシアもすでに核を保有している。そうした中で、自国の独立と自由の保証を自国の軍備に求めないとすると、北朝鮮の非核化の検証は日本が主体になって実行すべきものである。アメリカや中国の検証は猿芝居になりかねない。

 

 

 

 

 

 
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