ゆかりにつけてもの思ひける人の
ゆかりにつけてもの思ひける人の許より、などかとはざらんと、恨み遣はしたりける返事に
803 あはれとも 心に思ふ ほどばかり
言はれぬべくは とひこそはせめ
親類縁者を亡くして悲しんでいる人の許から、どうしてお悔やみに来てくださらないのですか、と恨み言を送ってきた返事に、
ただお気の毒と 心の中に思う ばかりです
言葉に出して言ってしまえるぐらいなら
すぐにでもお訪ねしましたものを
残 念ながら資料がなくて、西行にとってどのような関係の人から送られてきた手紙に対する返歌だったのかはわからない。手紙の送り主が、女性だったのか男性 だったのかもわからない。ゆかりの人といっても、その悲しみの深さから身近な肉親であったらしい。その手紙の送り主ばかりでなく、亡くなったその人は生前 西行にとっても親しかったと思われる。手紙を遣わした人と同じように西行も悲しんでいたのだ。
誰にでも避けることなく訪れる死、この絶対的な制約の中に人は生きざるをえない。送る人も送られ、悲しむ人も悲しまれる。これは定められた人間の性でもある。西行の悲しみは三十一文字に刻まれてある。
はかなくなりて年経にける人の文を、 ものの中より見出して、女に侍りける人の許へ遣はすとて
804 涙をや しのばん人は ながすべき
あわれに見ゆる 水茎の跡
亡くなられてすでに久しいある人から送られた手紙を、たまたま見つけだして、その人の娘であった人の許に、ご覧に入れようとお送りした折りに
涙を お父様を偲んでおられるあなたは
流されるでしょうね 昔なつかしい
その筆跡をご覧になって
故人の手紙をいまさらその娘の許に送ることによって、娘がまた涙を流し悲しむことを西行は知っている。しかし、その深い悲しみの涙は彼女にとって慰めにもなったにちがいない。