夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

復活祭(パスハ)

2009年04月16日 | 日記・紀行

 

復活祭(パスハ)

正教会の今年のパスハ(復活祭)は4月19日の日曜日に祝われます。これはギリシャ語の「パスハ(Πάσχα)」に由来しており、さらには、ユダヤ教の過越祭( Passover, ヘブライ語で Pesach )と深い関わりを持っています。

イエスは過越しの祭の前の日に十字架の上で亡くなられて後、墓にいったん納められました。それで週の初めの日(日曜日)の朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアがイエスの葬られた墓を見に行きました。しかし、墓にはイエスの亡きがらはなかった。その後になって、墓の外に立って泣いていたマリアに、イエスが姿を現された(ヨハネ書第20章)。これが主イエスの死から復活されたはじめだとされています。パスハ(復活祭)は、死からのこの主イエスの復活を記念して行われます。

この日には、

「キリスト死より復活し、死を以って死を滅ぼし、
墓にある者に生命をたまえり。」

Χριστός ανέστη εκ νεκρών, θανάτω θάνατον πατήσας, καί τοίς εν τοίς μνήμασι, ζωήν χαρισάμενος.

と賛詞が唱えられます。

 

この日曜日に時間に余裕のある人やもし子供さんがいれば、ケーキなど作って楽しまれればどうでしょうか。私も時間に余裕があれば(たぶん忙しいか)、一度挑戦して見たいと思っています。

ケーキピアレシピ   (   http://www.cakepia.info/  )

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「よしわら」

2009年04月06日 | 宗教・文化

 

hisikaiさんは、ここしばらく「よしわら」と題して、日本の戦前の公娼制度の象徴としての「吉原」を取りあげられています。

これまでの論考でも明らかなように、いわゆる「戦後民主主義」については私は多くの点で低く見ているのに対して、戦前の「大日本帝国憲法」下の日本についてはかなり肯定的に評価してきました。そして、戦後教育の産物であるいわゆる「団塊の世代」やその後継世代については、民族がその形而上的な精神を喪失してしまっていることや、倫理的な意識の希薄さという点において、平安、鎌倉、室町、江戸時代などの過去の日本の封建時代の「品格」にすら及ばないのではないかと思っています。これは私がかならずしも「民主主義」を評価していないためかもしれません。

ただ、それでも私が戦後の日本を評価する点があるとすれば、太平洋戦争後には、この「吉原」に代表される公娼制度がなくなったことがあります。また、この制度の背景にあった貧困問題の根源である小作人制度が「農地改革」によって農村からなくなったことだと思います。

ただ残念なことは、日本の敗戦によってGHQの指導のもとでこれらの政治的な改革が実行されたことです。日本人は民族として公娼制度などの悪習を主体的に廃止する能力を持っていませんでした。そのために今日も風俗産業などにおける女性の人身売買などは根強く残っています。

あえて誤解を恐れずにいえば、「吉原」などの公娼制度を廃止するためなら、日本の敗戦と引き換えにしてもよかったくらいに思っています。それほど、私にとっては「よしわら」の公娼制度は憎むべき対象です。そして残念に思うのは、hishikaiさんの論考においては、この旧悪弊に満ちた「よしはら」を、文学的に歴史的に叙情的に懐古的に振り返られるだけで、この公娼制度の産物に対するhishikaiさんの憎悪がほとんど見られないのを私は悲しいと思います。

おそらくこうした風俗文化の問題の背景には、日本人の民族としての宗教の性格が深く関わっていると思います。日本の伝統宗教の中にはこれまでモーゼの宗教の影響の痕跡すら見られなかったこともあると思います。日本人がモーゼやイエスの宗教に改宗して文化や社会の質を変えるまでは、いずれにしても問題の根本的な解決を期待することはできないのではないかとも思います。

 

遊女の救い  Salvation Prostitute's

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする