夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

明けましておめでとうございます

2024年01月04日 | 日記・紀行

 

2024(令和6)年01月04日(木)雨のち晴

あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いいたします

 

 

※追記20240120

龍字賛
無学絶宗

無学絶宗(一七〇九~九五)は、江戸中期の曹洞宗の禅僧。華厳曹海の法を嗣ぐ。諸師に参学し、その数一五三人といい、歴住地は越前の永建寺をはじめ一〇ヶ寺に及んだ。
 本資料は、「龍」の字を大書した墨蹟。永建寺の歴代記である『曹紹山歴住伝燈録』に、「常採毫書龍字、道俗尊信多(常に毫を採り龍字を書す、道俗の尊信多し)」と記されるほど、絶宗は龍字を好んで書した。
詳細
 • タイトル: 龍字賛
 • 作成者: 無学絶宗
 • 実際のサイズ: 総丈H135.5×W72.1本紙H40.0×W55.0
 • 媒体/技法: 紙本墨書


龍字賛 - 無学絶宗 — Google Arts & Culture https://is.gd/lZtbKT

 

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2022年クリスマス

2022年12月25日 | 日記・紀行

2022年12月25日夜、ベランダから写した比叡山麓の夜景。雪曇の切れたわずかな晴れ間に星々が美しく輝いています。

今年もクリスマスの夜を迎えました。クリスマスおめでとうございます。今年もクリスマスの宵を共に過ごすことのできなかった方々に平安な一夜の幸をお祈りします。

 

ながき道を ひとりあるきて

罪多き 過ぎし日よ

すくいぬしの み声を聞きて

こころうごき  わき立ちぬ   (讃美歌Ⅱ-140)

 

 

Präludium Und Fuge in E-Moll (Bwv 548)

詩篇第百三篇註解 - 海と空 https://is.gd/hr0wXw 

 
 
 
 
 
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アメリカ情勢、大統領制、武漢肺炎ウィルス、ガルシン『信号』など

2020年12月09日 | 日記・紀行

 

2020年令和2年12月9日(水)晴れ、無事。

さらに混迷を深めているアメリカ情勢。アメリカ合衆国では、大統領選挙の「選挙不正」などをめぐって、さらに国内の混迷が深まっているようである。選挙の投票で決着がつかなければ、また、大統領選挙の過程において不正が存在したのかどうかが当事者によって訴えられているのなら、その実態が司直の手によって解明され、司法の手で国家元首である大統領を選出するという結果にならざるを得ないのかもしれない。

アメリカ合衆国はそれでも曲がりなりにも「法の支配」を国是とする国家であり、まかり間違っても、かっての南北戦争のような内乱が起きるとは思われない。

要するに、アメリカ合衆国の大統領制は、国家元首を選挙で選出する共和国であるということであり、その意味でも、ヘーゲルの『法の哲学』の§275 君主権 以下を一昨年かに翻訳したときに、君主選挙制度の、共和主義国家体制の欠陥についても触れていたのを思い出す。

ヘーゲルはその論考の中で、「国家の団結の象徴としての君主の意義」と、「君主権の世襲の根拠」を論証したのちに、それにちなんで、その傍証として、君主選挙制、選挙公国の原理的な欠陥について論じていた。君主選挙制、選挙公国とは、アメリカのような大統領制国家、共和制国家体制のことである。

「一つの選挙協定によって、特殊な意志の方向性に国家権力が支配されることになる。そこから、特殊な国家権力が私有財産へと転じ、国家の主権の弱体化と喪失、そして、その結果として国家の内部からの解体と、外からの破壊がもたらされることになる。」

アメリカ大統領制国家の現実においては、共和党と民主党の対立の激化による内部からの解体と、大統領選挙における中国共産党やロシアなどの外国からの干渉などをまねくなど、「外からの破壊」がもたらされることになる。

私もまた、この個所の註解において

「アメリカやロシアなどの大統領制をとる共和国は、君主を選挙で選出するという意味で、ここでヘーゲルのいう「das Wahlreich 」(選挙君主制・選挙公国)にほかならない。ロシアのプーチン大統領やアメリカのトランプ大統領の例に見るように、 悟性推理にすら、 事実に強制されて 大統領制(君主選挙制)が劣悪なものであることを理解している。」と書いていた。

だから「共和制国家論者」であった元東大名誉教授の憲法学者、奥平康弘氏に対して、こうした観点から私は批判していたが、その後数年にして奥平康弘氏はお亡くなりになった。しかし、故奥平氏と同じ立場に立つ憲法学者の樋口陽一氏については、このようなヘーゲルの「国家観」について樋口氏がどのように評価されているのか、それはわからない。

- [§281a[国家の団結を守る君主]]
- [§281b〔君主の世襲制の根拠〕]
- [§281c〔 最悪の制度としての君主選挙制〕]
- [§281 補註〔国家体制における君主と支配者〕]

 

中国武漢風景をテレビで見る。武漢肺炎ウィルスからの社会防衛、防疫に、中国共産党政権下の全体主義国家体制が有利に機能したようである。しかし、この中国発祥の「武漢肺炎ウィルス」が、「アメリカから持ち込まれた」と中国の民衆が主張しはじめているのはいただけない。

小説 ガルシン『信号』を再読する。
私たちの世代の育ちの中では、幼少期にはいまだテレビも存在せず、まして青少年期にもインターネットやスマートフォンなどその片鱗すら見えなかった。だから、室内での子供時代の娯楽といえば、赤胴鈴之助や、鉄腕アトム、鉄人28号などの漫画を読み耽るか、ラジオ放送から聞こえてくる物語や歌謡曲、落語、漫才などだった。また寝床についてから、ジャン ・クリストフや紅楼夢、鉄仮面や大地や、静かなるドン、告白録などの大河小説を少しずつ読み進む楽しみもあった。
今日久しぶりに短編ながら翻訳小説を読んで、少年時代のように小説の世界に純粋に没頭する甘美な時間をすこし思い出した。

 

 

 

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石清水八幡宮へ行く

2019年03月24日 | 日記・紀行

 

石清水八幡宮へ行く

石清水八幡宮に行った。残された時間が少しずつ短くなって来ることを自覚するようになると、少しでも多くの場所をこの世の見納めに訪れておきたいと思うようになる。本当はあと一二週間ほど待って、花の満開の折にでも来ればよかったのだろうけれど、ここもまた花見の観光客で混雑することが予想される。

長らく洛西に住んでいたので、いつも眺める景色は東向きだった。それも桂川、淀川の西岸からがほとんどで、淀川を渡って訪れることもなく、だから伏見、淀、久御山、八幡市には本当に縁がなかった。石清水八幡宮を訪れるのも初めてだった。

石清水八幡宮は歴史のあるお宮で、紫式部の「源氏物語」や兼好法師の「徒然草」にも記録されている。とりわけ、徒然草の中では、麓にあった極楽寺を八幡宮と思い込んだ仁和寺の法師が、「神へ参るこそ本意なれと思ひて、山までは見ず」と肝心の山の神には参らずに帰ったことから、「すこしのことにも先達はあらまほしきことなり」と兼好法師に皮肉られたことで知られている。

山道のように続く寂びた参道を歩いていて、あらためて想起させられ痛感したことは、明治維新の「廃仏毀釈」によって、幕末までには存在していた多くの壮大な寺院や僧坊が毀され廃棄されたことである。その事跡を見ても明治維新が単なる維新ではなく、悟性的で狂信的な精神によって遂行された「革命」であったことがよくわかる。

大化の改新以来、「神仏習合」の伝統として、両者の長所を理性的に融合し保存してきた長い日本の歴史がある。それを引き裂き破壊し伝統と文化を毀損したのは、革命という悟性的な精神で行われた「明治維新」である。そのために、仁和寺の法師が八幡宮と取り違えた極楽寺も取り壊されてもう見ることもできない。

もちろん、吉田松陰や坂本竜馬たちの殉難のうえに成し遂げられた「明治維新」の偉業はどれほど高く評価されてもいい。「明治維新」がなければ、日本社会が旧套墨守の旧態依然としたままに終わり、中国や朝鮮などとおなじ歴史的な宿命を背負うことになったかもしれない。

しかし、だからといって「明治維新」というコインの裏側を見過ごすこともできない。歴史は勝者によって書かれるという。明治維新もそうである。そのために私たちが学んだ「明治維新」という「歴史」には、その「負の側面」はほとんど語られることがない。全てが薔薇色に描かれていると言える。

しかし、歴史の真実の追求には時効はない。「廃仏毀釈」という深刻な文化と伝統の破壊をはじめとする「明治維新」の負の側面についても、これからも歴史的な検証は行われてゆく必要がある。

石清水八幡宮の参道を辿り、男山の山頂から美しい京都の町並みを見下ろし眺めながら思ったことだった。

 

 

織田信長が天正8年(1580年)に八幡宮に寄進した土塀

 

 

 
 
 
 
 
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あけましておめでとうございます

2019年01月03日 | 日記・紀行

あけましておめでとうございます。

今年の年賀状の図柄は、西行が東北への旅の途上、遠州の天竜川の渡しで船に乗って渡ろうとしたときの情景を描いた「西行物語絵巻断簡 法師堪忍図」を使わせてもらいました。

そのとき船は乗り込んでくる旅人でいっぱいになりました。船頭は法師である西行に下船するよう命じ、彼の頭を打擲したそうです。西行はあがらうことなく手を合わせて祈りながら命ぜられるままに船を降りたというエピソードが描かれています。

室町時代、1500年頃の作品だそうです。

 

挿絵とあらすじで楽しむお伽草子
 第12話 西行物語 | 京都大学貴重資料デジタルアーカイブ
 https://is.gd/Gom9pR

 https://is.gd/5FCY9E

 

 

 
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NHK「京いちにち」で見た「土の塾」

2017年04月18日 | 日記・紀行

 

NHK「京いちにち」で見た「土の塾」

十八日の夕方遅くなって、ふだんチャンネルを合わせることの多いNHKの「ニュース6:30 京い ちにち」を見ていると、新しく始まったらしい番組で「京の農家めし、漁師めし」の「第一回 たけのこ」が放送されていました。荒山キャスターが食材の「た けのこ」を取材するために西京区へ訪れた様子を何気なく見ていると、画面に「土の塾」の名前が出てくると同時に、塾長の八田逸三さんが映し出されていたの で驚きました。少しも変わらずお元気そうでした。放置され荒れ果てたままになっていた竹林を、再び開墾してたけのこ畑に蘇らせたことなどが紹介されていま した。塾長さんの他にも高橋さんや長岡さんなど私の見知った方々も番組に出ておられました。

「土の塾」には、ニ、三年前まで私も参加させ てもらっていて、とても充実した楽しい農作業の時間を畑で過ごさせてもらっていました。しかし止む得ない事情で洛西から引越しせざるをえなくなり、その後 も時間にもあまり余裕がなくなってきて、とりあえず退塾の形になっています。農作業初心者の私に、塾長や仲間の人からは、ジャガイモ、ショウガ、ネギなど の植え方、育て方などを懇切に教わるなど、折角にとてもお世話になっておりながら、そのままズルズルと塾長にもきっちりと挨拶もすることなく、本当に失礼 したままです。お詫びの言葉もありません。

洛西の大原野にある塾の畑から見下ろす京都市内の眺望は、私の密かな楽しみでした。自分で苗木 から育てたイチジクもわずかでしたがその実も味わうことも出来ました。果実を楽しみに植えた桃が春にはきれいな花を咲かせていました。ただ、梅干し用に植 えた梅の木の苗木三本と柿の木は、とうとう何の収穫もないままになったのは心残りです。たった五年ほどの間でしたが、暑い夏に汗をかきながら収穫したトマ トやキュウリの味わいも忘れられません。トマトをもいだ時にかいだ匂いは幼い時の懐しい記憶をふたたび蘇らせてくれました。

秋の収穫祭 も、暑かった夏と寒い冬の間の塾の人たちとの共同作業も懐かしいです。残された人生の時間でやり遂げなければならない課題もまだ多く、引っ越し以来、山の 畑からも遠ざかったままになっています。私が「土の塾」に農作業のお世話になっていた時のことは、このブログにも記録してあります。精神的労働と肉体的労 働の調和、牧野紀之さんの「午前勉強、午後労働、夜娯楽」の「自然生活」はいまもなお私の追究する夢です。しかし、この立場もある意味では、若者の立場で あり、ヘーゲルの現象学の用語で言えば、「徳の騎士」のそれにほかなりません。いずれは「世路」に敗北する定めにあります。こうして若者もまた現実の論理 を骨身にしみてわからせられるのです。

 

 「ニュース630京いちにち」 https://goo.gl/5Yynwt

 

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平成二十八年秋

2016年11月18日 | 日記・紀行

 



2016年11月18日(金)晴れ

もう十一月も中旬が過ぎ、今年もさらに晩秋が深まりつつある。このままでは二〇一六年の秋も何の記憶もなく終わってしまいそうだった。それでよく晴れた今日、普段の行き来に見慣れた景色をデジカメで撮して今年も記録しておくことにした。

川端通りの桜並木の紅葉ももう少し早ければもっと綺麗な盛りを撮れたはずだったけれど、今はもうすでに多くの紅葉も散ってしまっている。賀茂川に一羽の白鷺が舞い降りて来る。川辺ではベンチに座って女性がひとりバイオリンを弾いていた。音は私のいるところまでは聴こえては来ない。

大きな樹木に紅葉が溢れている様を見るときには美しいピアノ協奏曲が聴こえてきそうな気がする。昔、学生時代に鞍馬の奥山で見た全山に楓などの紅葉のあふれる光景の一瞬もいつの日か反復してみたい。

空海や紫式部や西行たちも眺めたに違いない比叡山は今日も秋の空を背景に佇んでいる。

私の課題もまだ果たせてはいない。それは我が国の国家哲学の基礎としてのヘーゲルの自由な哲学の意義の再評価とその論証である。それによって「自由にして民主的な独立した立憲君主国家」としての理念(イデー)と永遠性を我が国に回復することである。それはまた明治憲法の制定に力を尽くした井上毅の仕事を引き継ぐことである。

最澄は今も比叡の山に眠っている。彼のライバルだった空海は高野山に下ったけれど。

 

 

 

              

 

 

 

 

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2015年ChristmasEve植物園

2015年12月24日 | 日記・紀行

2015年ChristmasEve植物園

府立植物園でクリスマスまで、イルミネーションが夜間灯されていると聞いて、クリスマスのイブに訪れた。

徒 歩で行くには遠すぎるので市バスで行き、植物園前で下車した。最近は植物園に行くことがあれば、ほとんど北山通りに面した入場口から入ったから、北大路通 りから植物園の正門に向かうのは本当に久しぶりだった。昔は植物園へはこの正門から入るのが当たり前だったので、そこに通じるケヤキ並木は今となっては懐 かしい。

バス停を降りてすぐに、とにかく北に向かう道路を見つけて歩いて行ったが、いつまでたっても目当てとした植物園の正門へと通じる 長い並木道に出てこない。この夜はほぼ満月に近い夜空だったけれど昼間と違って方向感覚もよくわからない。途中に資料館の建物の一角や、府立大学の寮舎の 外壁らしいものに出くわしたから、通りを一筋間違ったらしいことが分かった。それで西に転じて歩いた。しばらくして漸く見覚えのある並木通りに出た。

植 物園の入り口を目指して歩道を歩き始めると子猫の鳴き声が聞こえてきた。近づくと、一組の家族連れが二匹の小さな黒い子猫の相手をしているらしい。その家 族連れが立ち去ってしまうと今度は子猫たちは私たちの方にまとわりついてきた。相手にしてやろうとすると一匹の方は怖がって歩道の生垣のなかに逃げてしま う。もう一匹の少しやせた子猫は私たちの歩く方向に鳴きながらまとわりついていつまでも離れようとしない。

捨て猫を拾って飼ってやることも できないから、ただ、こんな夜に猫を捨てたらしい人間の薄情の悪口を言いながら、植物園の入場口にむかって歩くしかなかった。月のきれいなよく晴れたクリ スマスイブの夜だった。しばらくして別の家族連れと通り過ぎに出会い、その中の男の子が子猫をかまったので、ようやく自分たちはその子猫から解放されるこ とになった。

その時ふと、なぜか昔に古典の教科書か何かで読んだことのある『野ざらし紀行』の一場面のことを思い出した。旅の途中の富士川 で、三歳ほどの捨て子と出会った芭蕉は「ちゝは汝を悪にあらじ、母は汝をうとむにあらじ。唯これ天にして、汝が性のつたなきをなけ。」と言い捨てて去る。

入場券を手に入れて園に入るとすぐに無数のLEDのライトに照らされたイルミネーションの飾りが目に入った。

     

               

                       

                                                                        

                                              

 

               

 
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西行歳暮和歌七首

2014年12月31日 | 日記・紀行

 

西行歳暮和歌七首

題しらず

567
山ざくら  思ひよそへて ながむれば  木ごとの花は  ゆきまさりけり

 

仁和寺の御室にて、山家閑居 見雪といふことをよませ給ひけるに

568
降りつもる  雪を友にて  春までは  日を送るべき  み山辺の里


山家冬深

569
訪ふ人は  初雪をこそ 分け来しか 路とぢてけり   み山辺の里

570
年のうちは  訪ふ人さらに  あらじかし  雪も山路も  深き住処を


世を遁れて、鞍馬の奥に侍りけるに、筧氷りて、水もうで来ざりけり。春になるまでかく侍るなりと申しけるを聞きて、よめる


571
わりなしや 氷る筧の水ゆゑに  思い捨ててし  春の待たるる


みちのくににて、年の暮れによめる

572
つねよりも  心細くぞ 思ほゆる  旅の空にて  年の暮れぬる

山家歳暮
573
あたらしき 柴の編戸を  たてかえて  年のあくるを 待ちわたるかな

今年もこの拙いブログに訪れてくださった皆さん、どうか良き新年をお迎えくださいますよう。

 

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クリスマスイブ

2014年12月24日 | 日記・紀行

 

Enya - Oíche Chiúin (Silent Night with Lyrics)

クリスマスイブ


昨夜、ラジオの深夜便を聴いていたら、アンカーの村上里和さんがクリスマスイブだということで、エンヤの「清しこの夜」を紹介していました。ケルト語で歌われているとのことです。潔らかな声です。

早いもので今年ももう終わりです。残念ながら大した成果なく今年も終わりそうです。今年お世話になった方、失礼とご無沙汰に終った方々にお礼とお詫びをかねて、クリスマス・イブのご挨拶を送ります。クリスマスおめでとうございます。



「そ こで、イエスは群衆の中から、彼一人を引き出し、その男の耳に指を差し入れ、つばを吐いた手でその男の舌に触れられた。そうして、イエスは天を仰ぎ、深く うめきながらその男に向かって、エファッタ、と言われた。開け、という意味である。たちまち男は聴こえるようになり、どもっていた舌はなめらかに話せるよ うになった。」

 (マルコ書 7:33ー34)

 

 

 

 

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自然の観察

2013年03月28日 | 日記・紀行

 

 

2013年平成25年3月27日(水)翳、小雨

先週の土曜日に仮植えしたままの二本の梅の苗木。何とか植え切ってしまおうと思い出掛けた。が、あいにく今日は空模様が怪しい。ネットで天気予報を確認したが昼過ぎから小雨になるという。

時 折は日が差すけれど、空はどうしても翳りがち。やれるだけやってから帰ろうと作業を始めた。三時頃になって小雨が降り始めた。切り残した畑の篠の上にブ ルーシートを張って、その下で雨を凌いだ。ウグイスの澄んだ鳴き声が聞こえる。少しでも小降りになれば取り掛かろうと思ったけれど、土が濡れて掘り返せば 泥になる。それを見て今日の作業はやむを得ず、霧雨になったのを見て山を降りる。

 

  梨の蕾

                                                                 桃の木の蕾

 

 

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今日はクリスマス

2012年12月25日 | 日記・紀行

 

 Gleich wie der Regen und Schnee vom Himmel fällt.

Dominica Sexagesimae.

„Gleich wie der Regen und Schnee vom Himmel fällt.“

1、SINFONIA.

2、RECITATIVO.叙唱

Gleich wie der Regen und Schnee vom Himmel fällt und nicht wieder dahin
ちょうど雨や雪が天空から降るように、そして、ふたたびそこに戻ることはなくて、
kommet, sondern feuchtet die Erde, und macht sie fruchtbar und wachsend, dass
地を潤して果実と稔りをもたらし、そうして蒔く種と食すべきパンを与える。
sie giebt Saamen zu säen und Brot zu essen: also soll das Wort, so aus meinem
私の口から出てゆく御言葉もまたそのようにしてあり、
Munde gehet, auch sein; Es soll nicht wieder zu mir leer kommen, sondern thun,
ふたたびむなしく私のところに戻ることは決してないだろう。むしろ私を喜ばせることを行い、
das mir gefället, und soll ihm gelingen, dazu ich’s sende.
そして、私が遣わすところのことを成し遂げるだろう。


3、CHORAL.RECITATIVO.合唱と叙唱

Mein Gott, hier wird mein Herze sein,
私の神よ、ここに私の心はあります。
ich öffne dir’s in meines Jesu Namen:
私はイエスの御名においてあなたを迎えます。
so ströme deinen Saamen,
そうして、あなたの種子を蒔いてください。
als in ein gutes Land hinein.
良き土地に蒔かれるように。
Mein Gott, hier wird mein Herze sein,
私の神よ、ここに私の心はあります。
lass solches Frucht und hundertfältig bringen.
こうした果実を百倍にしてもたらしてください。
O Herr, Herr, hilf! o Herr, lass wohl gelingen.
ああ、主よ、主よ、助けたまえ!ああ、主よ、善く成し遂げさせたまえ。
Du wollest deinen Geist und Kraft zum Worte geben,
あなたは御言葉に御身の霊と力を与えらる。
erhör uns, lieber Herre Gott!
我らの願いを聴き入れたまえ、愛する主なる神よ。
Nur wehre, treuer Vater, wehre,
ただ防ぎたまえ、誠の父よ、
dass mich und keinen Christen nicht
私を、そして、いかなるキリスト者をも
des Teufels Trug, des Teufels Trug, des Teufels Trug verkehre.
悪魔の誘いから、悪魔の誘いから、悪魔の誘いに迷うことから守りたまえ。
Sein Sinn ist ganz dahin gericht,
彼らの思いは、すべて誘いに迷わせること、
uns deines Rathes zu berauben
あなたの助言を私たちから奪い去ること、
mit aller Seligkeit, mit aller Seligkeit.
すべての祝福とともに、すべての祝福とともに。
Den Satan unter unsre Füße treten,
サタンを私たちの足の下に踏みつけ、
erhör uns, lieber Herre Gott!
私たちの願いを聴き入れたまえ、愛する主なる神!
Ach! viel verläugnen Wort und Glauben
おお、多くの者は御言葉と信頼とを拒み、
und fallen ab, wie faules Obst,
そして、腐った果実のように落ちる、
wenn sie Verfolgung sollen leiden.
彼らが迫害に苦しみ悩まねばならぬ時に。
So, so, so stürzen sie in ewig Herzeleid,
そうして、そうして、そうして彼らは永遠の心の悩みへと落ちてゆく。
da sie ein zeitlich Weh vermeiden.
そこで彼らは浮き世の苦しみから逃れるために。
Und uns für des Türken und des Pabst's
そして、私たちをトルコ人と教皇の
grausamen Mord und Lästerungen,
無慈悲な殺戮と嘲りと、
Wüten und Toben väterlich behüten,
凶暴とそして狂気から、父としてお守りください。
erhör uns, lieber Herre Gott!
私たちの願いを聴き入れてください。愛する主なる神!
Ein Andrer sorgt nur für den Bauch;
他の者が気がかりなのは、ただ腹のことだけ。
inzwischen wird der Seele ganz vergessen.
その間に霊魂のことはまったくに忘れ去られている。
Der Mammon auch
財神もまた
hat Vieler Herz besessen.
多くの心に取り憑いている。
So kann das Wort zu keiner Kraft gelangen.
そのために、御言葉には力無く、心にも届かない。
Und wieviel Seelen hält
そうして、どのくらい多くの霊魂が
die Wollust nicht gefangen!
欲情の虜となったままではないか!
So sehr verführet sie die Welt,
そうして、この世は彼らを巧みに惑わして、
die Welt, die ihnen muss anstatt des Himmels stehen,
この世が、彼らには天国に代わってこの世が立たねばならず、
darüber sie vom Himmel irre gehen.
あげくは、彼らは天国からさまよい出るのだ。
Alle Irrige und Verführte wiederbringen.
迷いそして誘惑されたすべての者が戻って来る。
Erhör uns, lieber Herre Gott!
私たちの願いを聴き届けてください。愛する主なる神!


4、ARIA.

Mein Seelenschatz ist Gottes Wort,
私の心の宝は神の御言葉。
mein Seelenschatz ist Gottes Wort;
私の心の宝は神の御言葉。
ausserdem sind alle Schätze
その他のすべての宝は、
solche Netze,
網のようなもの、
welche Welt und Satan stricken,
この世もサタンもどちらも、
schnöde Seelen zu berücken.
卑しい霊魂を捉えようと罠を張る。
Fort mit allen, fort, nur fort,
遠くへすべて。去れ、ただ遠くへ。
mein Seelenschatz ist Gottes Wort.
私の心の宝は、神の御言葉。


5、CHORAL.


Ich bitt o Herr, aus Herzens Grund
私は願う、おお主よ、心の奥から、
Du wollst nicht von mir nehmen
あなたが私から離れられないことを。
Dein heilges Wort aus meinem Mund,
私の口より出るあなたの聖なる言葉は、
So wird mich nicht beschämen
それゆえ私を辱めることはない、
Mein Sünd und Schuld,
私の罪と咎も、
denn in dein Huld
私はあなたの慈しみに
setz ich all mein Vertrauen,
私のすべての信頼を置くゆえに、
Wer sich nur fest darauf verlässt,
ただ強く身をそこに寄せる者は、
Der wird den Tod nicht schauen.
誰も死を見ることはない。

 

 

 久しぶりにバッハのBWV18《雨や雪が天空から降るように》„Gleich wie der Regen und Schnee vom Himmel fällt.“のCDを取りだして聴いた。全集に収められているのは、アーノンクールの演奏である。

 こ のカンタータで主題にしているのは、「神の御言葉」とそれを「受け入れる心」である。モーゼが「人はパンのみに生きるのではなく、主の口から出るすべての 言葉によって生きる」(申命記 8:3)と言ったことが聖書のなかに記録されている。この言葉は後に、イエスが荒れ野で苦行をしていたときに、悪魔から石に命じてパンになるようにと誘惑 され た時にも、このモーゼの言葉を引いてイエスが悪魔に答えられたことで良く知られている。

雨や雪が天から降るように、そして、大地を 潤し、果実を実らせるように、御言葉も神から来て、御心に望まれることとを成し遂げる使命を必ず果たす。イザヤ書第五十五章十節十一節をバスの叙唱で歌い 上げる。それに引きつづき、CHORALとRECITATIVO(合唱と叙唱)のテノールとバスが交互に、ルターの祈祷を引用しながら心の願いを祈る。

神の御言葉は「種子」に、私たちの心は「土地」にたとえられる。「良き土地に蒔かれるように。私の神よ、ここに私の心はあります。こうした果実を百 倍にしてもたらしてください。」「良き地に落ちし種あり、生え出でて百倍の実を結べり」(ルカ8:8、マタイ13:23)などの聖句からの引用を詩にして 歌うものである。

音楽それ自体のなかに立ち入って技巧的に批評することは、音楽を専門にもしていない者には良くしえない。ただそれでも、その構成の展開からも直観できることは、この小さな作品のもつほんとんど非の打ち所のない美しさである。

冒頭のシンフォニアから、それを受けてイザヤ書の一節を叙べ歌い、さらに連祷のコラールのなかで、世の誘惑と葛藤サタンとの闘いの苦しみを低音のバスで語り、ついには、神の言葉を宝とするに至る純粋な歓ばしい心の境地を、透明で美しいアリアに歌う。

これらの連祷のなかに「トルコ人と教皇の無慈悲な殺戮と嘲り」など宗教改革で知られるルターの祈祷も用いられている。いかにもプロテスタントの時代背景を思い出させる。

「私の心の宝は神の御言葉」と教化の目的はソプラノの美しいアリアで歌われ、最終章では、神の御言葉に依り頼む者の罪科も救われる希望を、重厚なコラールの歌う祈りで終わる。

バッハのカンタータなどの音楽は、本来実際に教会のミサなどの祭祀において歌われた宗教的楽曲であって、今日のように、コンサートホールや自宅で、純粋に音楽として鑑賞されるものではもちろんなかった。

die Welt と対比させられる  die  Himmel など興味のあるテーマも題材になっているけれども、それらの考察についてはまた別の機会に。

今年もまた、送るべき人にクリスマスカードも送りきれなかった。それに代えてせめて、ここだけでもお祝いをお伝えして。メリークリスマス!来る年も良き一年でありますよう。

 

 

 

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自然と人間

2012年09月26日 | 日記・紀行

       

自然と人間

二〇一二年九月二十六日(晴)

山畑に行く。ようやくにして暑い夏も過ぎ去り、あぜ道のあちこちには彼岸花のつぼみも散見するようになった。すでに咲き出しているのもある。所々まだ刈り残された稲畑が残っている。

この国の自然は地球上の北緯35度前後あたりの温帯に属し、ユーラシア大陸の東縁に位置するところから来る温暖な気候風土が特色であるといわれる。アフリカにおけるような原色に充ちた植生も、ライオンや象、キリン、ワニなどの動物に見る荒々しい生命力の露出もなく、また、ロシアやアラスカのような厳しい冬もない。

今年の反日デモで中国人たちが「小日本」といつものように揶揄したように、たしかに国土も狭く、モンゴルのような大草原もなく、どこを見回しても箱庭のような山国である。

地理としては国土は、その東岸を太平洋と黒潮に洗われ、日の出は太平洋の遙か沖合の水平線の上に眺める。子午線の関係からも世界に先駆けて日は昇る。

国土面積は世界第六二番目ぐらいだそうで大きくはない。ただ、排他的経済水域と領土、領海を含めると世界第九位になるという。中国は第七位である。

先ごろその「大中国」がようやくにして、この国にしてはじめての空母「遼寧」を大連港で就航させたそうだ。「遼寧」と名付け、母港を東シナ海に面する遼寧省の大連港とすることにも中国の戦略的な意図を予想させる。

ウクライナから買った中古空母ワリヤーグを改造して作った「遼寧」であるが、完全な自前で航空母艦をつくるだけの余裕もないほどに戦略的にも急いだということだろう。

遼寧省の大連は、戦前の日本が深く経営に関わった縁のある旧満州の都市である。政変で失脚した薄熙来氏もかって市長をつとめたこともある。日系企業も多く進出している。日露戦争では遼東半島が戦争の舞台ともなった。

「小日本」は大国ロシアには辛うじて勝った。太平洋戦争に敗れたアメリカによって今は軍艦を建造することも禁じられているが、戦前にはすでに世界最大の戦艦「大和」を造った。「大中国」に先駆けて、1944年には世界最大の航空母艦「信濃」を造っている。アメリカの原子力空母「エンタープライズ」が1961年に登場するまでは、この空母「信濃」が史上最大の排水量を持つ空母だった。

「小日本」は必ずしも「小精神」とは言えないと思う。かって戦国時代の豊臣秀吉は大陸の明に攻め入ろうとしたこともあったし、織田信長などは、さらにもっと気宇壮大な精神をもっていたのではなかったか。いずれにせよ「大中国」も「小日本」も、銀河系の彼方から見れば、蟻とコオロギほどの違いもない。

山畑で土を耕していると、くわしくは種属もわからない様々の小動物との出会いがある。ミミズ、クモ、バッタ、沢カニ、カエルなど、マムシなどの蛇や鹿、猿などとも出会う。時間に余裕さえあればデジカメにでも記録できればいいと思うけれども。

小さなカエルが土の中から出てくるのを見ると、人間の生命もカエルの命も、本質的な差異は少しもないのだと思う。

コスモスやまだつぼみの曼珠沙華などは途中に見られたが、山のなかに入っても、萩やススキ、クズくらいしかまだ目に付かない。キキョウはとにかく、ナデシコもオミナエシもフジバカマもその姿を見ない。幼い頃の記憶の片隅にあるような秋の野山の風情に反復はない。

ハジカミショウガを思い出したように今頃になって収穫する。八丁味噌で味わおうと思う。遅れをとっていたニンジン、ダイコン、ブロッコリなど冬野菜の種もようやく植え終えた。昨年に蒔いた茶は何とか成長しているが、今年の紅茶の種は失敗した。ほとんど芽が出て来ない。

いつものことながらことながら、美しい青や赤の一ミリにも足りない小さな種から、ニンジンやカブの姿を現わすのは奇蹟としか思えない。この広大無辺の宇宙の神秘は私たちの存在を含めて想像を絶している。紅茶の畝を少し整備した後、毎年遠くから眺めていたコスモスの群生するところに近づいて、カメラにとった。 

         

                      

 

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暑中お見舞い申し上げます

2012年08月05日 | 日記・紀行
        

暑中お見舞い申し上げます

相変わらず暑い日が続きます。鈍い頭がいっそう鈍くなり、このブログの更新もさらに滞りがちになります。今年のはじめに年賀状を送りそびれるという 生涯はじめての失礼をしてしまったので、例年は送ることのない暑中見舞いをお送りすることによって、お茶を濁させていただきました。

八月にはいっても、相変わらず良く晴れた暑い夏らしい日が続きます。折しもロンドンではオリンピックの熱戦が繰り広げられています。

現在のところ日本チームは金メダルが二個で、金メダルの獲得ではあまりふるいません。とくに柔道での不振が大きいようです。二十一世紀になって十余年、我が国における柔道の伝統的な遺産というものは、ほぼ食いつぶしてしまったように思われます。

ヨーロッパにはギリシャローマ以来の文化的にも科学的にも伝統的な遺産という太い幹があり、その太い幹に日本の柔道もしっかり接ぎ木されたようです。「JUDO」として、精神的にも技術的にも今後母国日本を越える大輪の花を咲かせてゆくことになるのでしょう。

これから日本の柔道が復活して行くためには、柔術などの古武道の根源につねに立ち戻るとともに、一方で、欧米の哲学・科学の伝統を日本の柔道家たちが一刻も早く自家薬籠のものとしてゆくことです。それによって「ゴリラ柔道」から脱却してゆかねばなりません。

自動車産業やかっての半導体産業のように、欧米の科学技術を日本が導入して、自国の産業として立派に開花させた経験があります。かって唱えられたことのある「和魂洋才」といった中途半端なものではなく、「洋魂洋才」に徹しなければなりません。

ここで言う「洋魂」としての「西欧の哲学と科学の伝統」は、単なる「洋魂」にとどまるものではなく、その遺産は「普遍的」なものだからです。真の「洋魂」によって「和魂」を復活再生させなければなりません。

私たちアジア人が欧米にうち勝つためには、西欧人の持つ武器を自分たちのものとして、彼ら以上に「西欧の哲学と科学の伝統」を活用する以外にはないからです。

久しぶりにというかこの間、たまたまNHKの大河ドラマ「平清盛」を見ることがありました。そのシーンのなかに、現在国宝とされる「平家納経」を主人公の清盛が厳島神社に奉納してゆく場面がありました。

確かに歌人の西行法師は平清盛とほぼ同時代人で、讃岐に崇徳院の供養に訪問しているのも歴史的な事実です。しかし、嵐の中を西行法師が清盛と同船して厳島神社に納経に訪れたどうかは、史実なのかドラマとしてのフィクションなのかどうかはわかりません。

ただ、その場面では、かって一度でも西行の和歌に感動したことなどおよそ感じられもしないような若い俳優が西行法師を演じていて、どうしても役者不足という感想をぬぐえませんでした。

芸術性、思想性、娯楽性そのいずれをとっても、過去のNHK大河ドラマ作品と比較しても高く評価はできないように思われます。NHKの担当ディレク ターたちの資質能力も落ちているのではないでしょうか。国家の中枢とも言える重要な使命を持つ公共放送がこの体たらくでは、本当にゆゆしき問題です。

いわゆる保守的な立場からすれば偏向しているとされるNHKの報道姿勢は、 この番組にも明白に見て取れるように思われました。もし、この大河ドラマの制作者たちが、「自分たちの隠された左向き思想」で国民を洗脳できる、と考えて いるのであれば、あまりにも国民を馬鹿にした傲慢な振るまいでしょう。このドラマの中にも彼らの性向は、皇室の伝統のいたずらな冒涜として象徴的に現れて いるように思われました。国民は黙ってこのドラマ「平清盛」をみています。

確かに戦前と比較して不敬罪そのものはなくなりましましたが、皇室をいたずらに軽率に不必要に不敬に取り扱って良いことにはならないと思います。

若き日の西行に面会した藤原頼長も保元の乱に敗れて死んでいます。謹慎のために仁和寺で出家した崇徳院の剃髪にも西行法師は立ち会っていたようです。

平清盛ら平家一門が勢力を固めるきっかけにもなったこの保元の乱に際して、西行は浮き世の転変を、次のような前詞書きとともに歌い残しています。

    世の中に大事出で来て、新院あらぬ様にならせおわしまして、御髪おろして、仁和寺  の北院おはしましけるにまゐりて、兼賢阿闍梨出であひたり。月明かくて詠みける             

1277    かかる世に  かげも変わらず  すむ月を 
         見るわが身さへ  恨めしきかな


讃岐に流されその地に没した崇徳院を供養するために西行はこの地を訪れ、草庵を結びもしています。

源頼朝も伊豆に流されるなど、貴族から武家の社会へと権力の移行するこの端境期の時代もそれなりに過酷なものであったようです。崇徳院には百人一首の中に

    瀬をはやみ岩にせかるる滝川の
       われても末にあはむとぞおもふ

という涼しげな歌があります。崇徳院の母は待賢門院藤藤原璋子であり、この美しい女性はとりわけ西行とはゆかりが深かったそうです。この女性にちなんだ和歌も多く残しています。

やがて今年も敗戦記念日を迎えます。第二次世界大戦に巡り合わせた世代は、保元平治の乱とは比較にはならない過酷な運命を辿らざるを得ませんでした。

今年も相変わらず感傷過剰の戦争の季節を迎えることになるのでしょう。そこで見られるのはテレビ業界演出の戦争懺悔のマンネリ化した番組のパレード です。残念ながらこれまでのテレビ番組で過去の戦争を相対化して徹底的に科学的に、歴史的に検証しようとした番組を見たことがありません。

        

先日、ハッカ油に防虫効果があるのを知って、小さなボトル噴霧器と一緒にインターネットを通じて購入しました。山畑の農作業でブヨなどに少なからず 悩まされていたからです。防虫ネットなどを帽子の上から被っているのですが、それでも耳先や首元、二の腕などを狙って刺してきます。

桃の木のところにたどり着いて一休みしているときに、首筋や手首、耳などにハッカ油を吹きつけ刷り込んでみました。すると折から吹き込んでくる風が鼻水が出そうなほどに涼しく感じられます。

防虫効果についてはまだよくわかりません。ただ、刺されてすぐにハッカ油を塗ると、腫れはかなり押さえられるようです。

 

 

 

 

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山岸の正月4

2012年01月27日 | 日記・紀行

山岸の正月

AUCH  ICH  IN  ARKADIEN

 

 参観が終わると、楽園村会場の風呂に入り、その後牛しゃぶ料理を皆で楽しんだ。この時私たちのテーブルで給仕してくれたのは、神戸から来ていた陽気な看護婦さんだった。 

食後ふたたび研鑽会があった。この夜は、今後の我々の取り組みがテーマになった。資料には楽園村に参加した子供たちの作文と、その父親からの手紙がコピーして渡され、それを材料に「無償の行為」についての研鑽が進められた。三十名近い、社会経験も豊かな大人たちが集団で思考し、研鑽する。

十一

三日目の朝は軽い作業があった。作業着のうえにヤッケをまとい、長靴を履き、それぞれが、豚舎の建設、養牛部、養豚部に分かれた。私は希望通り養牛部に行った。作業は牛糞出しと、砂入れである。近くで見る牛は図体が大きいが柔和な眼をしている。この牛舎には千頭からの牛たちがいて壮観である。

牛の肛門から滝のように流れ落ちる尿と糞には驚かされるが、臭気は、肛門を出るとき少し臭うだけで、後は下水のドブ浚いの感覚と変わらない。ただ、牛の寝床に砂を入れていく作業は体力がいる。かっては木材のチップを使っていたが、乳房炎を起こしやすいとかで、今は砂を敷き詰めているそうだ。高等部の生徒も糞尿出し作業を手伝っていた。

十二

 

朝の六時から始まった作業が終わると、借りていたヤッケと長靴を返して、生活着に着替えて、ふたたび豊里温泉で汗を流した。宿舎に戻ると「お母さん」たちの書き初めも廊下に張り出されてあった。あの人は、女性らしい柔らかな筆跡で「やっぱり仲良し」と書いていた。

 

研鑽会の感想文に、古き良き日本の正月を味わって充実した三日間だったと私は書いた。最後の食事を終えると、AB両班がふたたび合同して、出発研鑽会があった。今まで主婦や子供たちの多かったヤマギシの会活動も、社会化運動に向けて、いよいよお父さんの出番であると、地域に帰ってネットワーク作りに尽くすことなどを確認しあった。一同揃って記念写真を撮った。皆いい笑顔を見せていた。

 

十三

 

徳島から来ていたH氏と、津の駅まで同行するはずだったが、津駅行きのバスがあるということで、氏はそれで行くことになった。大阪から来ていた男性とは握手をして別れた。そこで皆と別れてひとり駐車場まで車を取りに歩いた。

 

途中の広場に、モスグリーンのスーツに着換えたあの人が、仲間たちと一緒に立って談笑していた。自動車に乗って村を出る際、ふたたび広場を横切ることになったが、その時あの人は確かに自分の方に向かって強く手を振った。

 

あの人はこの三日の間、食事の時も一度も私の座ったテーブルに来ることはなかったし、視線すら合うことはなかった。しかし、もし私の名を聞き知っていたとすれば決して見逃すはずはない。ちょうど私が食堂であの人がいつも気にかかったように。

バックミラーの中に、強く手を振って見送るあの人の姿を眺めながら、一路帰途に就いた。 

       

                                                                                (一九八九・一・四)

 

 

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