§374
— review (@myenzyklo) 2017年1月24日 - 23:22
病気において、動物は非有機的な力(自然力)に巻き込まれ、そして、自身の特殊な組織や器官の一つにおいて、その活力の統一性が破壊される。
動物の有機的な組織は、そこに有るものとして一定の量的な強さをもつとともに、そして、同時に動物は分裂をも克服するが、
それとまったく同様に、一方では非有機物の支配下に置かれ、そして、そのことのうちに彼の死のあり方が決められる。
— review (@myenzyklo) 2017年1月24日 - 23:22
一般に動物の(病気など)個々の不適合が克服されて無くなったとしても、個体がその中にもっている一般的な不適合性は克服されない。つまり個体の理念は直接的であるが、
動物として、自然を内部にかかえており、この主体性は、ただ本来的に概念であるにすぎない。それ自身は自己のあるべき姿を現していない。
— review (@myenzyklo) 2017年1月24日 - 23:25
内部にある普遍性は、したがって生命の自然的な個体性に対しては、否定的な力に留まっており、この否定的な力からそれは(自然的な生命の個体性は)暴力に悩み
没落してゆく(老化し死滅してゆく)。なぜなら、個別性に有るものは自己のうちにこうした普遍性はもっておらず、その結果、かかるものとしてそれに対応した存在(不死の)にはなっていなからである。
— review (@myenzyklo) 2017年1月24日 - 23:27
※自然哲学の中の C 類の過程 において、動物にとって(もちろんその中には人間も含まれる)
の病気や死の必然性について考察した個所。ヘーゲルは動物における病気や死の根拠を、自然物のその概念への不適合性に認めている。事物の概念との一致が表象としては理想であり、概念としては理念である。理想や理念はその意味で不死、すなわち永遠である。
— review (@myenzyklo) 2017年1月24日 - 23:35
§375
個別的なものとしての動物を
有限な存在にあらしめる普遍性は、動物の内部に行われるそれ自体の成長の終わりにあたって、抽象的な威力を動物自身の身体に現す。動物が自己の内なる普遍性に適合しないということが、動物の根源的な病であり,それは生まれながらにもっている死の萌芽である。
— review (@myenzyklo) 2017年1月24日 - 23:42