夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

二つの時代の日本人の顔――大日本帝国と戦後民主主義

2012年07月27日 | 教育・文化

 

二つの時代の日本人の顔――大日本帝国と戦後民主主義

さきに大津市の中学二年生のいじめ自殺事件について自分のブログに意見を書いていたとき、たまたま佐藤守氏という元航空自衛隊に所属して今は軍事評論を行っている方のブログで「2012-07-17 人相から窺えるもの」という記事を読んだことがある。


2012-07-17 人相から窺えるもの
http://d.hatena.ne.jp/satoumamoru/20120717/1342501213

私もこの大津市の中学2年生いじめ自殺事件に関連するテレビ報道などを見ていて、そこに登場する教育関係者たちのご面相の印象について、佐藤守氏と同じような印象を持っていたので、なるほど私個人の印象だけでは必ずしもなかったのだな、と自分の印象の「普遍的性格」に確信を得た気がした。

リンカーンだったか「人は誰でも四〇歳を過ぎれば自分の顔に責任を持たなければならない」と言ったとか、またラテン語に「顔は魂の符丁である」という諺のあることを思い出した。昨夜のロンドンオリンピックで、サッカー男子チームは初戦で強豪スペインを破ったが、そこでのサッカー選手やサポーターたちの表情を見ていて、以前に「生き残り日本兵の顔つきと日本サッカー陣」という記事を書いたことを思い出していた。

「生き残り日本兵の顔つきと日本サッカー陣」
http://blog.goo.ne.jp/askys/d/20100618

そこであらためて大日本帝国の日本人と戦後民主主義の日本人の二つの時代の「日本人の顔」を比べてみようと思って、YOUTUBEなどを暇に任せて「明治人の顔」などで検索してみたが、次のような動画があった。

「幕末から昭和初期の日本人の顔  Old Japanese Face」
http://www.youtube.com/watch?v=UUohJUf02fs&feature=player_embedded

この動画を見ながらすぐに思い出したのは、現代の自民党や民主党などの政治家たちの表情だった。昭和初期の政党政治も相当に堕落していたらしいから、明治期の政治家や軍人、文学者たちが比較的に「立派な」面立ちをしていた(個人的にそういう印象をもつ)のは時代としては例外であったのかもしれない。

今回のサッカー試合に登場した若い選手にも「茶髪」が多かった。茶髪を受け入れるかどうかは教養水準にも比例するとも思われるが、それにしても印象に残っていていつも思い出すのは、昔テレビでアメリカ在住の日本人青年が一重まぶたを二重に整形手術したのを、なぜそうするのかと白人の女性アンカーにインタビューを受けていた様子を見た時のことである。詳しい内容は忘れてしまったが、その青年の受け答えのなかに、彼が日本人や東洋人としての自負とアイデンティティーを完全に失っている様子を、その女性アナウンサーが哀れみの眼で見つめていたことが、いまだに忘れられない。

その日本人青年がアメリカ暮らしのなかで、敗戦国民としてどのような屈辱を体験したのか、私には想像も及ばないが、「二重まぶたと茶髪」という彼の自己の肉体の改造に、日本人としての自己嫌悪の感情を読みとることは難しくはなかった。

こうした感情の根源には先の第二次世界大戦、太平洋戦争における日本の完膚無き敗北と、その後のマッカーサーの巧妙な占領政策の存在することは言うまでもない。その影響は深刻で、最近の中国の台頭もあり、民族として腰を抜かされた日本人が歴史的に再び立ち直れるか否かはわからないと思っている。とくに戦後教育を典型的に受けた政治家、財務省や外務省などの「高級官僚」たち、高学歴の女性や「一般庶民」にアイデンティティー喪失の根が深いからである。

敗戦国民の悲哀は続いている。マッカーサーの占領政策と戦後民主主義の克服のためには、歴史的敗戦の軍事的のみならず文化的にもさらなる全面的客観的な検証、世代の交代と一世紀二世紀にわたる民族精神の回復のための忍耐づよい戦いが必要なのだろう。それを通じてはじめて「Old Japanese Face」を再び回復できるのかもしれない。日本人の顔の問題の根本的解決の鍵は日本国の軍事的独立である。 

 

 

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大津市中学二年生自殺問題と日本の民主主義の水準―――相変わらずの教育現場

2012年07月14日 | 教育・文化

 

大津市中学二年生自殺問題と日本の民主主義の水準―――相変わらずの教育現場

大津市にある中学校で、中学二年生の男子生徒が同級生のいじめにより自殺したそうである。本来もっとも楽しくあるはずの学校生活が一転して、亡くなった生徒にとっては、地獄の日々に取り替わっていただろう。この「いじめ問題」はいまだ本質的に解決されてもおらず、日本全国の多くの学校、学級で類似の事件の存在することが予想される。

この問題にかかわる大津市の学校や教育委員会の対応が、さらには警察署の対応が果たして正しかったか、それが問われている。いずれにしても、いじめは犯罪行為でもあるから、もっと早くから司直の手が学校にも入るシステムが確立されていれば、これほどの最悪の結果を招くこともなかったのではないだろうか。

テレビなどで教育委員会の役職者たちが謝罪している場面を見かけることがあるけれども、それを見て直感的に感じることは、教育委員会の人たちこそもっとも再教育、訓練改革されなければならないのではないかという印象をもつことである。こうした会見での役職者たちが口にする弁解を聞いていても、まるで事なかれ主義で当事者能力がないように思われるからである。なぜ、こういうことになっているのだろうか。こういう人たちが教育委員会という地方自治体の教育組織のトップという重責の座にどうして居座ることのできるシステムになっているだろうか。

いじめ問題の解決は、「人間性悪説」とも絡んで容易ではないとも考えられるけれども、いずれにしてもこのような悲劇の再発はなんとしても防がなければならない。学校や学級内に悪の芽がはびこることのないよう、早期に刈り取り摘み取ってゆくこと、いじめの環境や状況、雰囲気、状況の発生しないクラス環境が確立される必要があると思う。

まず学校や学級内のこうした事件で、もっとも責任が追及されなければならないは、この学級の担任教師であり、この学校の校長である。学級内の事件や学校内の事件で担任教師や学校長の責任が追及されてしかるべきであるのは言うまでもない。犠牲となった生徒の保護者が警察や司法、裁判の場でその責任の有無を追及して明確にして行くのは当然だ。

同時に考えることは、こうしたいじめの問題が学級内で起きたとき、クラス全体の問題として、自分たち自身の問題として解決しうるシステムが相変わらずできていないことである。クラスメートや学級、学校内自体に自己解決して行く能力を今なお持ち得ないでいるということ、それが最大の問題である。

少子高齢化やTPP参加や北方領土、消費税などといった国内外の問題をどのように解決してゆくかは、国民が政権を選択して自己解決してゆくのが民主主義国家としてのシステムだけれども、これと同じ論理で、学校内学級内の問題も生徒たち自身の直接民主主義によって生徒たち自身がみずから自己解決してゆくシステムが、つまり学級内に民主主義が確立されていなければならない。

大津市の中学二年生のいじめ自殺に問題に見られるように、学級内の問題を、クラス内に生じた問題を、学級担任教師をも含めたクラス全体が、自分たち自身の共同生活体の問題として、主体的に解決して行く能力がないこと、それを指導して行く能力を担当教師がもちえないでいること、それが根本問題だと思う。

数年前にも類似の「いじめの問題」が発生したときも、こうした問題の解決のための手法として「学級教育において民主主義の倫理と能力を育成すること」を提言したことがある。(下記参照)

学校教育の中に「道徳の時間」として、「民主主義の倫理と能力を修練する時間」を確保し、実行することを提言したけれども、学校関係者、教育研究者の誰一人の目にも留まらなかったようである。「民主主義の倫理と能力を修練する時間」を小学校、中学校、高等学校の学校教育のカリキュラムに導入して、生徒一人一人に民主主義の倫理と能力を骨身に徹するまで教育訓練してゆくこと、そのことが「いじめ問題」をも含めて、学級内の問題を自分たちの問題として自主的に解決してゆく「自治の能力」も育成にもつながる。それがひいては日本国民をして真に自由で民主的な独立した国家の国民として形成してゆくことになる。

時間はかかるかもしれないが、また、一見遠回りであるかもしれないが、「民主主義の倫理と能力を修練する時間」のなかで国家国民道徳の根本規範として、国民自身が自己教育して行くしかないのである。

かって戦後間もない1949(昭和24)年頃、文部省著作教科書として『民主主義』という教本が刊行されたことがある。そうして日本全国の中学生及び高校生の社会科教科書として使用され、民主主義の精神の普及と浸透に大きな意義をもったことがあった。しかし、それもたった五年間で廃止になった。どうしてこの教科書の使用が廃止になったのか、その経緯は詳しくはわからない。

しかし、日本国が世界に冠たる『民主主義モラル大国』として復活して行くためにも、政権交代によって金権主義の自由民主党が政権の座から陥落した今現在こそ、あらためてかっての文部省著作教科書『民主主義』を復刻して、日本のすべての中学生、高校生たちに配布して行くべきである。もちろんこの教科書も完全ではないが、民主主義の核心を教育して行く教材としては十分だと思う。

そうして民主主義の精神と方法を、学校教育、学級教育で日常的に修練して能力にして行かなければならないのである。沖縄県民の一部や小沢一郎氏のように民主主義を「単なる多数決」という次元でしか捉え切れないレベルで終わるのではなく、また、そうした浅薄な認識にとどまっている「政治家」や「公務員」や「官僚」の存在を認めることなく、またそうした「政治家」や行政マンしか育てられない現在の日本の教育界の腐敗と堕落と無能力こそが改革されなければならないとしても、第一歩としてまず国民一人一人が、政治家や教育者に頼ることなく自己研鑽してゆくべきであるだろう。

クラス内でいじめ問題がこうした事件として存在するということは、事実として民主主義が倫理精神として、正義として教えられておらず、学級や学校内に民主主義の「倫理原則」が確立していないことを示している。

学校教師自体が、「真の民主主義の精神と方法」が教えられ訓練され能力として確立されていないから、それを現在の生徒たちに教えられるはずもないのである。事実としてそれを実行する能力と問題意識のある者が政界のトップにも教育界のトップにもいない。しかし、そうであるとしても、この悪循環を断ち切って、学校教育の中に「真の民主主義の精神と方法」を能力として育成してゆくこと、そのことによって国家と国民の道徳を再建して行くしかないのである。

最近になって学校現場でも、武道の必修化が取り入れられるようになったそうである。もちろんその意義は否定しないけれども、より深刻で緊急を要するのは「倫理と能力としての民主主義の修練」を学級と学校現場で必修化して行くことであるだろう。


参考までに

 「いじめ」の文化から「民主主義」の文化へ

 民主主義の人間観と倫理観

 学校教育に民主主義を

 悲しき教育現場

 

 

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メドベージェフ首相の国後島訪問と日本国の独立

2012年07月04日 | 政治・経済

 

メドベージェフ首相の国後島訪問と日本国の独立


ロシアのメドベージェフ首相が日本の北方領土である国後島を訪問したそうだ。日本の国際競争力の低下、経済の低迷によって国際的な地位がさらに低下して行く一方で、小沢一郎氏が民主党を離党して、野田首相があわてふためいている。こうした国内事情を見透かしたように、ロシアの実効支配を見せつけるかのようなメドベージェフの示威的な訪問だった。

自民党政権時代末期に軽量級のリリーフ首相が年毎に交替したあと、民主党政治家たちによる「子供たちの政治ごっこ」はなお継続している。こうした日本の現在の状況を見れば、諸外国からこれほどの侮りの扱いと軽視を受けたとしても、身から出た錆として文句も言えないのではないか。「一国の政治はその国民の民度の現れに過ぎない」というのは、言い古された西洋の諺である。

ロシアは首相や政権幹部たちの相次ぐ訪問によって、北方領土を日本に返還する意志のないことを明確にした。もういい加減にロシアに対して「北方領土返還という幻想」を日本も捨て去ったらどうだろうか。ロシアには日本に領土を返還するつもりはさらさら無いのだから。

それとも「もう一度日露戦争をやるつもりか」とロシアに領土返還を迫れるかどうか。さもなければ北方領土は戻ってこないと思った方がよい。北方領土返還は幻想に終わる。「本気になって北方領土を取り戻す気も能力ももはや日本人にはない」とロシア人は見透かしているからである。それとも第二次日露戦争をやり抜く覚悟が現代の日本人にあるか。

太平洋戦争の敗北で腰を抜かされた敗戦後の日本が、今なお国家の体を為していないことは言うまでもない。北朝鮮に拉致された同胞をですら半世紀近くも放置したままで、ミサイルを撃ち込んでも拉致された国民を取り返そうという気概すらも見せないような国家と国民を他国が尊敬するはずもない。メドベージェフらが見下げたとしてもやむを得ないのではないか。

とは言うものの、第二次世界大戦であれだけの国家総力戦を戦って敗北した極東の小国が、辿らざるを得なかった戦後の運命にはやむを得ない面もある。国家の面目と栄光を回復するには、一世紀や二世紀は要するのかもしれない。それも民族の資質次第である。

戦後のGHQ政策と共産主義によって、国家への信頼を完全に喪失した世代が去り行き、舞台からいなくなるまでは真の国体は戻ってはこない。その国家回復の象徴とは、アメリカ駐留軍の国内からの完全撤退である。日本の国内からアメリカ兵士が一名たりともいなくなるまで、それまでは日本の敗戦後は終わらない。

北方領土の回復も現状では絶望的であり、それ以上に困難なことは日本の真の独立である。日本国の独立と北方領土の回復がいずれも幻想に終わらないことを祈りたいものである。これら幻想を現実にする障害になっているのはもちろん日本国憲法とアメリカとである。アメリカ合衆国の一州としての日本の属国化はアメリカの国策だった。

それでも一縷の望みがあるとすれば、それはアメリカの国家財政の破綻である。経済の破綻によって「世界の警察官」としての役割をアメリカが放棄せざるを得なくなるとき、極東や欧州からアメリカ合衆国が駐留軍を縮小し撤退せざるを得なくなるとき、その時こそが日本が真に独立を回復する時である。

中国の共産党政府が崩壊して中国大陸が民主化され、旧ソ連が崩壊したときのようにチベット、ウィグルなどが独立したとき、そしてアメリカが財政破綻して、アメリカ国民が国外に軍隊を駐留させる意欲と気概を失うとき、かってのモンロー主義のようにアメリカが北米大陸に回帰せざるを得なくなるとき、そのときこそが日本国の独立回復の好機である。日本国の真の独立のための条件を、こうした国際情勢の変化に見据えて、静かに長き忍耐をもってその準備を万端に整えるべきである。そのときまでは、メドベージェフに交渉のテーブルにつかせることはできない。

 

メドベージェフ首相、国後島へ到着 「ロシアの領土にとって重要な一部」http://sankei.jp.msn.com/world/news/120703/erp12070316260006-n1.htm

 

 

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