夕暮れのフクロウ

―――すべての理論は灰色で、生命は緑なす樹。ヘーゲル概念論の研究のために―――(赤尾秀一の研究ブログ)

上原良司1

2015年04月29日 | 歴史資料

上原良司

時間に余裕があれば、上原良司と彼の生きた時代とをできる限り詳しく調べて、彼の生きた時代のその歴史的な社会的背景について考えてみたいと思って います。それで、いつの日か、伝記の形か小説の形にか、とにかく大日本帝国憲法下の日本がどのような必然性をもって大東亜戦争に突入せざるを得なかったの か、その背景を批判的歴史の観点から考えてみたいと思います。

日本が大日本帝国憲法のような自由な憲法をもちながら、どのような必然的な経路を辿って戦争へと突入していったのか、特にその思想的な哲学な批判的 観点から考察できればいいと思います。幸いにもネットが発達してきて、さまざまな情報や知識を手に入れやすくなっているので、そうした仕事は一般的に昔に 較べてはるかに容易になってきていると思います。

ほとんど無名の内にこの世を去り、かろうじて僅かな遺書などによって歴史に名を留めている上原良司の生涯について知られる機会にもなればと思いま す。今のところ彼の故郷に足を踏み入れたことは未だなく、ほとんどがWIKI をはじめとする、インターネット上の知識に拠っています。

 

上原良司

上原 良司
Ryoji Uehara.jpg
佐賀県の目達原基地にて
生誕 1922年9月27日
日本の旗 日本 長野県池田町
死没 1945年5月11日(満22歳没)
日本の旗 日本 沖縄県嘉手納
所属組織 大日本帝国陸軍の旗 大日本帝国陸軍
軍歴 1943年 - 1945年
最終階級 陸軍大尉
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上原 良司(うえはら りょうじ、1922年9月27日 - 1945年5月11日)は、大日本帝国陸軍軍人

人物・来歴

長野県北安曇郡七貴村(現・池田町)に医師の上原寅太郎の三男として生まれ、旧穂高町(現・安曇野市)有明で育つ。2人の兄、良春と龍男はともに慶應義塾大学医学部を卒業後に軍医となり、龍男は良司が慶大に進学した年に、ニューヘブリデス諸島の沖で潜水艦と共に沈んで戦死している。

旧制松本中学校を卒業後に上京し、慶應義塾大学予科に入学。1942年に慶應義塾大学経済学部に進学するが、経済学部在学中に徴兵猶予停止によって学徒出陣、大学を繰り上げ卒業した。1943年12月1日に陸軍入営[1]歩兵第50連隊に配属となり、第2期特別操縦見習士官として熊谷陸軍飛行学校入校、館林教育隊にて操縦訓練を開始し、1944年熊谷陸軍飛行学校を卒業した。

1945年5月11日、陸軍特別攻撃隊第56振武隊員として愛機の三式戦闘機「飛燕」に搭乗して知覧から出撃、約3時間後に沖縄県嘉手納の米国機動部隊に突入して戦死、享年22。

戦没学生の手記『きけわだつみのこえ』(岩波文庫)では「所感」という題名の遺書が巻頭に掲載されている。この文章は多くの人々の胸に響き、映画「きけ わだつみのこえ」やドキュメンタリー番組でも特集されるなど戦没学生の手記の代表格とされ度々取り上げられている。なお、特攻出撃前夜に、陸軍報道班員に「所感」を託していた[2]

2006年10月22日、池田町に上原の記念碑(石碑)が建立された。

遺書

「所感」

栄光ある祖国日本の代表的攻撃隊ともいうべき陸軍特別攻撃隊に選ばれ、身の光栄これに過ぐるものなきと痛感いたしております。 思えば長き学生時代を通じて得た、信念とも申すべき理論万能の道理から考えた場合、 これはあるいは自由主義者といわれるかもしれませんが。自由の勝利は明白な事だと思います。 人間の本性たる自由を滅す事は絶対に出来なく、たとえそれが抑えられているごとく見えても、 底においては常に闘いつつ最後には勝つという事は、 かのイタリアのクローチェもいっているごとく真理であると思います。

権力主義全体主義の国家は一時的に隆盛であろうとも必ずや最後には敗れる事は明白な事実です。 我々はその真理を今次世界大戦の枢軸国家において見る事ができると思います。 ファシズムイタリアは如何、ナチズムドイツまたすでに敗れ、 今や権力主義国家は土台石の壊れた建築物のごとく、次から次へと滅亡しつつあります。

真理の普遍さは今現実によって証明されつつ過去において歴史が示したごとく未来永久に自由の偉大さを証明していくと思われます。 自己の信念の正しかった事、この事あるいは祖国にとって恐るべき事であるかも知れませんが吾人にとっては嬉しい限りです。 現在のいかなる闘争もその根底を為すものは必ず思想なりと思う次第です。 既に思想によって、その闘争の結果を明白に見る事が出来ると信じます。

愛する祖国日本をして、かつての大英帝国のごとき大帝国たらしめんとする私の野望はついに空しくなりました。 真に日本を愛する者をして立たしめたなら、日本は現在のごとき状態にはあるいは追い込まれなかったと思います。 世界どこにおいても肩で風を切って歩く日本人、これが私の夢見た理想でした。

空の特攻隊のパイロットは一器械に過ぎぬと一友人がいった事も確かです。 操縦桿をとる器械、人格もなく感情もなくもちろん理性もなく、ただ敵の空母艦に向かって吸いつく磁石の中の鉄の一分子に過ぎぬものです。 理性をもって考えたなら実に考えられぬ事で、強いて考うれば彼らがいうごとく自殺者とでもいいましょうか。 精神の国、日本においてのみ見られる事だと思います。 一器械である吾人は何もいう権利はありませんが、ただ願わくば愛する日本を偉大ならしめられん事を 国民の方々にお願いするのみです。

こんな精神状態で征ったなら、もちろん死んでも何にもならないかも知れません。 ゆえに最初に述べたごとく、特別攻撃隊に選ばれた事を光栄に思っている次第です。

飛行機に乗れば器械に過ぎぬのですけれど、いったん下りればやはり人間ですから、そこには感情もあり、熱情も動きます。 愛する恋人に死なれた時、自分も一緒に精神的には死んでおりました。 天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思うと、死は天国に行く途中でしかありませんから何でもありません。

明日は出撃です。 過激にわたり、もちろん発表すべき事ではありませんでしたが、偽らぬ心境は以上述べたごとくです。 何も系統立てず思ったままを雑然と並べた事を許して下さい。 明日は自由主義者が一人この世から去って行きます。彼の後姿は淋しいですが、心中満足で一杯です。

言いたい事を言いたいだけ言いました。無礼をお許し下さい。ではこの辺で

遺本

遺本となった羽仁五郎著「クロォチェ」にはところどころに○印が付され、それをたどると愛する女性へ送られた言葉が浮かび上がる。

「きょうこちゃん、さやうなら。僕は きみが すきだつたしかし そのときすでに きみは こんやくの人であつた わたしは くるしんだ。そして きみの こうフクを かんがえたとき あいのことばをささやくことを だンネンしたしかし わたしは いつもきみを あいしている」

上記の遺書「所感」の後半に「天国に待ちある人、天国において彼女と会えると思う」と記されているが、その彼女こそが、「きょうこちゃん」こと石川子である。石川は上原の日記にもたびたび登場しており、「こんやくの人であつた」と記されているように、1943年に他の男性と婚約している。「天国において会える」と書いているのは、石川が1944年に結核で病死しているためである。上原は過酷な訓練の毎日においても、常に石川に対して淡い恋心を抱いていた。

関連項目

脚注

外部リンク

カテゴリ:

 

※出典  WIKI 「上原良司」の項より。

 

 

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マルクス「ヘーゲル法哲学批判序説」ノート(1)

2015年04月06日 | 国家論


Karl Marx

Zur Kritik der Hegelschen Rechtsphilosophie. Einleitung

Die Kritik der deutschen Staats- und Rechtsphilosophie, welche durch Hegel ihre konsequenteste, reichste, letzte Fassung erhalten hat, ist beides, sowohl die kritische Analyse des modernen Staats und der mit ihm zusammenhängenden Wirklichkeit als auch die entschiedene Verneinung der ganzen bisherigen Weise des deutschen politischen und rechtlichen Bewußtseins, dessen vornehmster, universellster, zur Wissenschaft erhobener Ausdruck eben die spekulative Rechtsphilosophie selbst ist. War nur in Deutschland die spekulative Rechtsphilosophie möglich, dies abstrakte überschwengliche Denken des modernen Staats, dessen Wirklichkeit ein Jenseits bleibt, mag dieses Jenseits auch nur jenseits des Rheins liegen: so war ebensosehr umgekehrt das deutsche, vom wirklichen Menschen abstrahierte Gedankenbild des modernen|385|*Staats nur möglich, weil und insofern der moderne Staat selbst vom wirklichen Menschen abstrahiert oder den ganzen Menschen auf eine nur imaginäre Weise befriedigt. Die Deutschen haben in der Politik gedacht, was die anderen Völker getan haben. Deutschland war ihr theoretisches Gewissen. Die Abstraktion und Überhebung seines Denkens hielt immer gleichen Schritt mit der Einseitigkeit und Untersetztheit ihrer Wirklichkeit. Wenn also der status quo des deutschen Staatswesens die Vollendung des ancien régime ausdrückt, die Vollendung des Pfahls im Fleische des modernen Staats, so drückt der status quo des deutschen Staatswissens die Unvollendung des modernen Staats aus, die Schadhaftigkeit seines Fleisches selbst.

Schon als entschiedner Widerpart der bisherigen Weise des deutschen politischen Bewußtseins verläuft sich die Kritik der spekulativen Rechtsphilosophie nicht in sich selbst, sondern in Aufgaben, für deren Lösung es nur ein Mittel gibt: die Praxis.

Es fragt sich: Kann Deutschland zu einer Praxis à la hauteur des principes |die sich auf die Höhe der Prinzipien erhebt| gelangen, d.h. zu einer Revolution, die es nicht nur auf das offizielle Niveau der modernen Völker erhebt, sondern auf die menschliche Höhe, welche die nähere Zukunft dieser Völker sein wird?

Die Waffe der Kritik kann allerdings die Kritik der Waffen nicht ersetzen, die materielle Gewalt muß gestürzt werden durch materielle Gewalt, allein auch die Theorie wird zur materiellen Gewalt, sobald sie die Massen ergreift. Die Theorie ist fähig, die Massen zu ergreifen, sobald sie ad hominem |am Menschen| demonstriert, und sie demonstriert ad hominem, sobald sie radikal wird. Radikal sein ist die Sache an der Wurzel fassen. Die Wurzel für den Menschen ist aber der Mensch selbst. Der evidente Beweis für den Radikalismus der deutschen Theorie, also für ihre praktische Energie, ist ihr Ausgang von der entschiedenen positiven Aufhebung der Religion. Die Kritik der Religion endet mit der Lehre, daß der Mensch das höchste Wesen für den Menschen sei, also mit dem kategorischen Imperativ, alle Verhältnisse umzuwerfen, in denen der Mensch ein erniedrigtes, ein geknechtetes, ein verlassenes, ein verächtliches Wesen ist. Verhältnisse, die man nicht besser schildern kann als durch den Ausruf eines Franzosen bei einer projektierten Hundesteuer: Arme Hunde! Man will euch wie Menschen behandeln!

Selbst historisch hat die theoretische Emanzipation eine spezifisch praktische Bedeutung für Deutschland. Deutschlands revolutionäre Vergangenheit ist nämlich theoretisch, es ist die Reformation. Wie damals der Mönch, so ist es jetzt der Philosoph, in dessen Hirn die Revolution beginnt.

 カール・マルクス

ヘーゲル『法哲学』批判序説

ドイツの国家哲学と法哲学は、ヘーゲルによってもっとも首尾一貫し、もっとも豊かに、もっとも徹底した形で示されたが、これに対する批判は二つの側面を持っている。

それは近代国家とそれに関連する現実を批判的に分析するものである一面とともに、また、ドイツの政治的および法的な意識の従来のあり方全体に対する決定的な否定という一面である。

そしてこのドイツの政治的および法的意識のもっとも優れた、もっとも普遍的な、科学にまで高められた表現形式こそ弁証法的法哲学そのものにほかならない。この弁証法的法哲学は、近代国家についての一般的な深遠な思考であり、近代国家の現実はたといライン川の彼岸にあるとしても、やはりどこまでも彼岸のものとしてのみある。

このような弁証法的法哲学がただドイツにおいてだけに可能であったとすれば、逆にまた現実的人間を捨象するドイツ的な近代国家の思想像が可能であったのも、ただひとえに近代国家そのものが現実的人間を切り捨てているからであり、またその限りにおいてのみである。

ドイツ人は他の諸国民が実行したことを、政治の上で思考したのである。ドイツは他の諸国民の理論的な良心であった。ドイツの思想の抽象化と高踏性はいつも彼女の現実の一面性と後進性とに歩調を合わせていた。

ドイツの国家制度の現状が、旧体制の完成を、近代国家の肉体おける棘の完成を実現しているとすれば、ドイツの国家認識の現状は、その肉体そのものの欠陥を、近代国家の未完成を表現している。

弁証法的な法哲学に対する批判は、すでに、これまでのドイツの政治的意識の様式に対する決定的な敵対者としてだけにとどまらず、むしろその解決が唯一の仕事である、実践へと自らを進めてゆく。

そこで問題になることは、ドイツが、原則の高さ(à la hauteur des principes)にまで向上した実践へと自らを高めることができるのかということ、すなわち、革命へと、たんに現代的な諸民族の公式の水準に達するのみではなく、これらの諸民族が近い未来にあるような、人間的な高みにまで、到達することができるのか?ということである。

批判の武器はもちろん武器の批判に取って換えることはできない。物理的な暴力は物理的な暴力によって倒されなければならないが、しかしまた、理論も、それが大衆を捉えるやいなや物理的な暴力になる。理論は、感情に訴えて人身攻撃で証明すれば、それはすぐに過激になる。

過激であることは、事柄を根本から掴むことである。人間にとって根本であるとは人間自身であることである。過激主義としてのドイツの理論の明白な証拠は、実践的なエネルギーとしての証明とおなじく、宗教の断固たる積極的な廃止によって明確になる。 

宗教に対する批判は、「人間が人間にとって最高の存在である」という教えに尽きる。それは同じく、人間がこの上なく卑しめられ、この上なく奴隷化され、打ち棄てられ、侮蔑された存在である全ての諸関係を、転覆せよという定言命法をもって終わる。その諸関係というのは、「哀れな犬!人間はおまえたちを人間並みに扱おうとしているのだ。」と、その計画された飼い犬税に対してフランス人が叫んだほどには、誰もうまく表現できないような関係である。

歴史そのものにおいても、理論的な解放はドイツにとって特別に実践的な意義を持っている。ドイツの革命的な過去も、つまるところ理論的であって、それが宗教改革である。当時においては僧侶の、そして今は哲学者の、それらの頭脳の中で革命が始まる。

※追記20150407

「ヘーゲル法哲学批判序説」のごく一部を訳してみても、マルクスがヘーゲル法哲学の根本的な過激な批判家として登場しているのは明らかだ。彼が良くも悪くもフランス革命直系の革命家であることが分かる。彼の「人間主義」がすれっからしのならず者に成り終わるだろうことも予測できる。 

 

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