2006年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 42号に掲載した記事を改めて下記します。
「トンボより蜻蛉」 榛葉 莟子
いつだったかある日知り合いのおじいさんと立ち話をしていた。話はどうということもない世間話で、いやどうということではない憲法改正に関する話題や、韓流ブームといわれる中高年の女性達の大騒ぎの話題が其処へ交差したり。わたしはほとんどそうですよねなどとあいずちを打つばかりの聞き役だったのだけれど「まったく昨今のおばさんの少女化はどうしょうもないですな」とため息まじりの一言に、そうですよねのあいずちの言葉はのどもとに引っかかったまま吹き出してしまった。わたしも中高年のおばさんだけれども「おばさんの少女化」とはなんてうまい表現なんだろうと感心が先に立ってしまった。叱られているのに傷つかないのは少女という言葉の雰囲気がユーモアに転化しているせいかもしれない。おじさんの少年化にしても同様で、からだのなかの水脈から湧き出る清流のかすかな音が呼び出されて、灯をぽつとともした笹舟がゆらゆらやってきたりする映像が見えてきたりするのかもしれない。それでも、おじいさんの言葉のふしぶしには幼稚化とのはざまは紙一重ですなあの心配の警告の匂いはする。
紙一重というぎりぎりのあちらとこちらの境界の、隙間に隠れているなにかがひっそりと動く気配の尖端にはなにか詩的に素朴な匂いの水滴がぶら下がっている。そこには郷愁とか情緒とか記憶に繋がる静かな情熱の炎が写っている。
夏のおわりと秋のはじめが溶け合いながら、経由してゆくはざまの季節のいま、あいまいもこ空間はコマーシャルの文句ではないけれど美しい日本と自慢したくなる湿り気をふくんだ空間。私たちは四季のうつろいの経由と共に生きている。季節のはざまはざま、おわりとはじめの中間の間(ま)の感覚、あいまいもこの空間は当たり前に心身一如の血肉にある。間の感覚は日常の言葉の其処此処に、時に意味として時に比喩として生きているくらい当たり前の間なのだ。間をつめる間をあける間が持てない間がいい間が悪い…きりなくある。おわりよければすべてよしと思い込んでしまった挙げ句のはて、勘違いのスピードに乗せられて走れ走れと尻をたたかれているうちに、私たちの無口な間はどこかにさらわれてしまったのだろうか。乾燥しきっていると日毎に感じる現代の今。生物として人間として真っ当とは、なにをさして真っ当というのか。私たちは私たちの間の感覚、記憶の底をゆったり流れる素朴な清流の音を思い出さなくては、乾燥による心の砂漠化はあまりにもひどすぎる。
腑におちたりおちなかったり、窮屈に感じたり感じなかったり直感の浮上がある。なにかが引っかかったままピン止めされていたりすることは結構ある。引っかかるというのは感情のはたらき動きと思うし、記憶の関わりがからんでくるとも見える。直観を信じるというところはあるけれど、単に心配性ゆえの感情の揺れの挙げ句のはてに過ぎないという場合もある。腑に落ちないと感じる場合は、外側に向けてその通りとは言いたくない感情が浮上している自分がいるわけで、内側では確信めいたものが漠然とあるようだ。後々になってやっぱりという気づきが待っているのはおもしろいと思う。言うに言われぬ窮屈をからだが先に察知するのもおもしろいと思っている。それに腑に落ちるとかおちないとかの腑は、はらわたつまり腸のことと辞書にある。あの五臓六腑を縮めた言い回しであるとも思われるしからだ全体とか腹の中、心の中などの意味を言っている。丸ごとの自分が納得し腑に落ちると、内部の歯車に油が注入されて軽やかに動き出す感覚を実感する。心の悦びはそんな実感のふちにも生まれる。
視界をふさぐ程のどしゃぶりの雨がやんだ。突然の雨の直前、わたしは庭先から空を見あげていた。数え切れないほどの赤トンボが舞っていた。飛ぶというより舞う感じだったのは、目の先の無数の赤トンボは二ひきずつ繋がった結婚飛行中だったのだ。造形的なその姿かたちが愛らしい。あの突然の雨でいったい赤トンボの群れはどこに行ってしまったのか。こういう心配はチョウチョにも小鳥にも一瞬でも起こる情というもので、ちゃんとあるべき場所で雨宿りしているはずだし、もしもそうでなかったらとっくに絶滅している。そんな心配をよそに雨があがればどこからともなくひらひら舞いでているのを見届ける。何年か前の冬のこと、庭先にしゃがんでひなたぼっこの小春日和の昼間、ふと首をかしげた眼の先にキラリ光る宝石を見つけた以上にうれしいものに眼が止まった。眼の磁石が働いてというしかない不思議な瞬間、枯れ草の間にはっきり見えた透き通ったトンボのはねの片一方。いつごろのものかという化石化したものとはもちろんちがう。ほのかに黄みがかったこの造形物は、幾何学的な線の交錯がぎりぎりの薄さを支えている。ただ美しいと感じるそこには、なにか古い建造物を見た時に感じる力学的な強い美との共通を垣間見た印象が強く残っている。だからトンボは軽やかな重さが感じられる漢字の蜻蛉がいい。
-お知らせ-
榛葉莟子 個展
2006年9月25日(月)~10月4日(水)
ART SPACE 繭
東京都中央区京橋3-7-10
TEL 03-356-8225