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2007年4月10日発行のART&CRAFT FORUM 44号に掲載した記事を改めて下記します。
「自分のカタチ」 榛葉莟子
「生活」の漢字をばらしてみれば、生存して活動することと辞書にある。わざわざ辞書を引くまでもないこととはいえ、生活はと問われればどこか生々しい。それはそうだ。生きることそのことなのだから。実際、生はナマとも読み生身である身を生き活かす生き方、行き方にもつながっていく。
当たり前だけれど本当に生きている限り「私」はつきまとう。いつもいつも「私」がいる。密着している。別なところに「私」はいない。「私」から逃げることはできない。そういう「私」から眼をはなしてはならない。生活していくおもしろさや充実はここからはじまるのだよと叫んでみたい気がするのは何なのか。誤解を恐れずに言うとしたなら若い時代は徹底的に「私」にこだわってみなければ次はみえてこない。あの、私が私が…の自我を立たせているうちに、なんとまあちいさい私がいるなあということに気づかざるを得ない時は必ずやってくる。そしてある時、次の結び目がみえてきてちいさな自我を抜け出した自分を発見する。それまで知らなかった自分に出会う途上途上の経験が、その新鮮を喜べる性格を次々と引き出していく。そうやって自分の生活、つまりは行き方が生き方を創造し生み育て自分のカタチは創られて行くのではないだろうか。人生はすばらしいと感じる生活が自分のカタチを引き出していく。たとえば選んだ職業の環境を含めた生活が、その人をその職業特有のしぐさとか醸し出す色合いの外見などカタチつくっていてその職業を当てることは難しくない。見る側の眼の責任もあるけれど不思議だなと思う。それは誰でもないその人に潜んでいる力を生き活かし自分を創っている自覚あってこその自分のカタチなのではないだろうか。自分のカタチとは精神のカタチということなのだ。そういえば、自分で自分を彫刻するという言い方もある。
流れの回路が固く塞がれてしまったような重さがやってくると、こっちこっちと私を引っ張る詩的直感の導きの糸がみえなくなる。苦しいなあ。と、たとえばこんなふうな干からびた感想を口に出すことによって、あえて自分を奮い立たせるこれはひとつの術とも言える。そう、私たち一人一人の内なる奥底には庫が在ってそこにはすでに創られているか、あるいはこれから創られることになっているいっさいはこの庫に貯えられているのですよ。と、突然耳元で風がささやいた。その深みへ潜っていって経験の真珠を持ってくるのですよ。と、また風がささやいた。その風を追いかけていきたいと思った。すると花いっぱいの野原にでた。青い空には糸玉みたいな昼の白い月がぼんやり浮かんでいる。花摘みなんかしていると指先に何かひかるものがからみついた。からみついたものはとてもきれいなひかる糸。引っ張るといくらでもするすると延びてくるではありませんか。どうしたって何か編んでみたくなる。草の茎の編棒を手にしたとたんもう手は動きはじめている。するするするするひかる糸は私をさそう。編み物する手はもう止まらない。魚つりの狐に会った。狐はいっしょに遊ぼうよという。でも、編み物する手が止まらない。するするするするひかる糸は私をさそう。うさぎのふうふに会った。お茶でもいかがとうさぎの奥さんがいった。ありがとう。でもね編み物する手が止まらない。するするするするひかる糸は私をさそう。たわわに実るりんごの木に会った。甘いりんごを召し上がれといわれても編み物する手が止まらない。するするするするひかる糸は私をさそう。ねぐらに急ぐ鳥の家族に会った。もう家にお帰りとお母さん鳥が言ったけど、編み物する手は止まらない。するするするするひかる糸は私をさそう。空はばらいろの夕焼け。でも編み物する手は止まらない。そしていちばん星を見つけたとき編み物する手がぱたっと止まった。みると私の手には出会ったみんなが編み込まれたそれは大きなマフラーができあがっていた。そのとき空の上から大きなくしゃみ。見上げるとそこには三日月さまがいた。それに三日月さまのしっぽからほどけた糸がきらきらひかって揺れている。まさか!私は驚いた。すると上の方からくぐもった声がした。やあ、君だったのかい。ずっとぼくと散歩していたのはといった。それから大きなくしゃみが三回。どうもかぜをひいたようだよハークシヨンと。私は大急ぎで三日月さまにマフラーを巻いた。すると、うれしいなあ。こんなマフラーがほしかったんだ。ありがとう。三日月さまはそう言うとマフラーをなびかせてゆらゆらと夜の空高く昇っていった。すっかり夜になってしまい大急ぎで家に帰った。ドアを開けたとたん明るい電灯のひかりの奥からおかえりと声がした。