2000年5月20日発行のART&CRAFT FORUM 17号に掲載した記事を改めて下記します。
「当たり前がやってくる」 榛葉莟子
なんとはなしに周りの林を吹き抜ける風の音が、ほどけはじめたなと感じられてくる頃になると、冬ごもりから眼を覚ました熊の親子の会話を、思い出す。それは遠い日、寝しなに子供に読んであげた絵本の中の小さなひとこまなのだけれど……。ぽとぽとぽとと、いう音に眼を覚ました子熊がおかあさん熊に聞きました。ぽとぽとぽとってなんのおと?ゆきがとけているのよ、もうはるですよってね。子熊はおひさまがきらきらひかっているあなのそとに、すこしだけかおをだしました。くんくんくん、ああいいにおい。と、まあこのようなシーンなのだけれど、ぽとぽとぽとってなんのおと?と、首をかしげた子熊のようなこどもは誰の内部にも住んでいて、時々眼を覚ましては、あれはなーに?それはなぜ?と、耳打ちしては誘いをかけてくるのだなと思っている。それはいつでもいっけん単純で当たり前なことなのに、これが曲もので中身は呪文のように謎に満ちていて、刺激してくるのは良いけれど、時には放り投げたいくらいの誘いに閉口する。閉口しても引っかかりは消えずに内部の其処比処に紛れ込んでいて、なぜ?なぜ?とつついてくる。でも本当はこの、こどもは何もかも知っていて、さーて、次のなぜは何にしようかと、面白がってテキストを作成しているにちがいない。内なるこどもは不意に掃除をはじめる事がある。お願いねとも言わないのに、ぱたぱたはたきをかけたり、しゃしゃしゃとほうきで履いたり、はっはっと磨いたり、まだいるもういらないと分別したり、雑巾掛けしたりしてくれて、なんだか風通しが良くなってさっぱりした気持ちがやってくる。よく気のつく内なるそのこどもを私はとても頼りにしている事に気ずいたりする。
もう春ですよと熊のおかあさんのように、誘われて、冬ごもりの部屋から出る。てくてく歩いて郵便局に行く。用事を済ませて自動扉が開いて外へ出る。階段を降りかけた時、じゃりじゃりと音をたてて紺色の小振りの乗用車が駐車場に入ってきて止まった。車体の色がいい色だなあと何気なく眼が向いた。ハンドル側に女の人の顔が見えた。女の人が助手席のご主人らしき人に何か言ってドアを開けた。ご主人らしき人はぴくりとも動かず無愛想にただ大きな眼を見開いていた。別にどうと言う事もない普通の事なのだけれども、見るともなく見ていた私は階段の途中で、はっとして立ち止まった。向こうから大きな眼がじっと前方を見つめている眼とあったような気がしたのはいいのだけれど、ご主人らしき人の顔は、フロントガラスの天井いっぱいを占領しているのだ。その寸法は人の顔の大きさをはるかに超えていた。失礼ながら階段を降りかけた中途半端な姿勢のままつくずくと見てしまっていた。階段を降り地面に立ちやっぱりついつい見てしまった。そして次の瞬間、助手席に座っているご主人らしき人が大きな犬に変身していた。もう一度振り向いて確認した。やっぱり犬のままだった。こういう眼の落ち度のあった日はなぜか心膨らむのはなぜだろう。度が落ちるとは面白い言葉だなあと、ふと引っかかる。くだり坂を帰る道々、枯れ草の間に間にいま目覚めたばかりのように、瞬きしている青色の小さな花がいくつもあった。オオイヌノフグリだ。別名の星の瞬きの方があの花は気にいってるにちがいない。ふと、道のずっと先の真中に何やらうごめいている物が見えて足が止まった。蛇だ。鎌首をあげてゆらり揺れている。さすが春と思いつつも困った。そろりそろり端を歩いて行く。草の中にいきなさい、車にひかれちゃうからと、横目に見ながら通り過ぎようとして驚いた。蛇は消えて、くるんと丸まった使い古しの荒縄の切れっ端の先が所在なげに揺れていた。今日は度が落ちる日らしい。
落ち度の度と言うのは、人の心の計りのような、線引きのようなもので、その人の当たり前の捕らえの範ちゅうの物差し、というよりも天秤計りの目盛りのようなものと言える。落ち度は越度とも言う事を知ると、落や越の先に超が待ちうけているとみる。当たり前の日常とそこから落ちたり、越えたりするはみ出た当たり前とが、どう傾くのか天秤計りの目盛りは両方を揺れ動きながら平衡の目盛りを探しているのだろうと思う。そうやって、自分の内部の引っかかりにキリをつけながら、なんとか立っているのかもしれない。引っかかりとキリの狭間、その辺りで創造というものに呼ばれるような気もする。キリを通過した当たり前がやってくる度に、やっとここからはじまるのかと引き返している自分に気ずく。内部に引っかかってくる不思議というものは際限なくあり、満足というものはない訳だ。捕まえても捕まえても捕まえきれない、とらえどころの無い滲みの感覚を言葉で表わすとしたら何だろう。もやもや、ふにゃふにゃ、くちゃくちゃ、むにゃむにゃ、ふわふわ……いくらでも出てきそうだけれど。
春だ春だと言っている矢先、今、雪が降ってきた。ふわふわ、ふわふわ舞っている。窓から手を出す。てのひらに捕まえた雪はじわっと溶けて、滲んで消えた。
「当たり前がやってくる」 榛葉莟子
なんとはなしに周りの林を吹き抜ける風の音が、ほどけはじめたなと感じられてくる頃になると、冬ごもりから眼を覚ました熊の親子の会話を、思い出す。それは遠い日、寝しなに子供に読んであげた絵本の中の小さなひとこまなのだけれど……。ぽとぽとぽとと、いう音に眼を覚ました子熊がおかあさん熊に聞きました。ぽとぽとぽとってなんのおと?ゆきがとけているのよ、もうはるですよってね。子熊はおひさまがきらきらひかっているあなのそとに、すこしだけかおをだしました。くんくんくん、ああいいにおい。と、まあこのようなシーンなのだけれど、ぽとぽとぽとってなんのおと?と、首をかしげた子熊のようなこどもは誰の内部にも住んでいて、時々眼を覚ましては、あれはなーに?それはなぜ?と、耳打ちしては誘いをかけてくるのだなと思っている。それはいつでもいっけん単純で当たり前なことなのに、これが曲もので中身は呪文のように謎に満ちていて、刺激してくるのは良いけれど、時には放り投げたいくらいの誘いに閉口する。閉口しても引っかかりは消えずに内部の其処比処に紛れ込んでいて、なぜ?なぜ?とつついてくる。でも本当はこの、こどもは何もかも知っていて、さーて、次のなぜは何にしようかと、面白がってテキストを作成しているにちがいない。内なるこどもは不意に掃除をはじめる事がある。お願いねとも言わないのに、ぱたぱたはたきをかけたり、しゃしゃしゃとほうきで履いたり、はっはっと磨いたり、まだいるもういらないと分別したり、雑巾掛けしたりしてくれて、なんだか風通しが良くなってさっぱりした気持ちがやってくる。よく気のつく内なるそのこどもを私はとても頼りにしている事に気ずいたりする。
もう春ですよと熊のおかあさんのように、誘われて、冬ごもりの部屋から出る。てくてく歩いて郵便局に行く。用事を済ませて自動扉が開いて外へ出る。階段を降りかけた時、じゃりじゃりと音をたてて紺色の小振りの乗用車が駐車場に入ってきて止まった。車体の色がいい色だなあと何気なく眼が向いた。ハンドル側に女の人の顔が見えた。女の人が助手席のご主人らしき人に何か言ってドアを開けた。ご主人らしき人はぴくりとも動かず無愛想にただ大きな眼を見開いていた。別にどうと言う事もない普通の事なのだけれども、見るともなく見ていた私は階段の途中で、はっとして立ち止まった。向こうから大きな眼がじっと前方を見つめている眼とあったような気がしたのはいいのだけれど、ご主人らしき人の顔は、フロントガラスの天井いっぱいを占領しているのだ。その寸法は人の顔の大きさをはるかに超えていた。失礼ながら階段を降りかけた中途半端な姿勢のままつくずくと見てしまっていた。階段を降り地面に立ちやっぱりついつい見てしまった。そして次の瞬間、助手席に座っているご主人らしき人が大きな犬に変身していた。もう一度振り向いて確認した。やっぱり犬のままだった。こういう眼の落ち度のあった日はなぜか心膨らむのはなぜだろう。度が落ちるとは面白い言葉だなあと、ふと引っかかる。くだり坂を帰る道々、枯れ草の間に間にいま目覚めたばかりのように、瞬きしている青色の小さな花がいくつもあった。オオイヌノフグリだ。別名の星の瞬きの方があの花は気にいってるにちがいない。ふと、道のずっと先の真中に何やらうごめいている物が見えて足が止まった。蛇だ。鎌首をあげてゆらり揺れている。さすが春と思いつつも困った。そろりそろり端を歩いて行く。草の中にいきなさい、車にひかれちゃうからと、横目に見ながら通り過ぎようとして驚いた。蛇は消えて、くるんと丸まった使い古しの荒縄の切れっ端の先が所在なげに揺れていた。今日は度が落ちる日らしい。
落ち度の度と言うのは、人の心の計りのような、線引きのようなもので、その人の当たり前の捕らえの範ちゅうの物差し、というよりも天秤計りの目盛りのようなものと言える。落ち度は越度とも言う事を知ると、落や越の先に超が待ちうけているとみる。当たり前の日常とそこから落ちたり、越えたりするはみ出た当たり前とが、どう傾くのか天秤計りの目盛りは両方を揺れ動きながら平衡の目盛りを探しているのだろうと思う。そうやって、自分の内部の引っかかりにキリをつけながら、なんとか立っているのかもしれない。引っかかりとキリの狭間、その辺りで創造というものに呼ばれるような気もする。キリを通過した当たり前がやってくる度に、やっとここからはじまるのかと引き返している自分に気ずく。内部に引っかかってくる不思議というものは際限なくあり、満足というものはない訳だ。捕まえても捕まえても捕まえきれない、とらえどころの無い滲みの感覚を言葉で表わすとしたら何だろう。もやもや、ふにゃふにゃ、くちゃくちゃ、むにゃむにゃ、ふわふわ……いくらでも出てきそうだけれど。
春だ春だと言っている矢先、今、雪が降ってきた。ふわふわ、ふわふわ舞っている。窓から手を出す。てのひらに捕まえた雪はじわっと溶けて、滲んで消えた。