ART&CRAFT forum

子供の造形教室/蓼科工房/テキスタイル作品展/イギリス手紡ぎ研修旅行/季刊美術誌「工芸」/他

「古代アンデスの染織と文化」-伝承されている技法(標高4千㍍の村で②)- 上野 八重子

2017-10-17 10:08:33 | 上野八重子
◆左、不思議な編み方の帽子 右、タキーレ島の帽子

◆写真1.返し縫いによる両面刺繍  紀元2世紀  (小原豊雲館蔵

◆写真2.左 薄い綿布にほどこされた返し縫い両面刺繍 
紀元2世紀 (小原豊雲館蔵)
◆写真3.右 ポンチョの縁回りに付けられている両面刺繍 
紀元2世紀  (小原豊雲館蔵)

◆写真4.タキーレ島の織物

◆写真5.タキーレ島 紡ぎながら歩く女性 この島の女性は黒いベールが特徴

◆写真7.タキーレ島 編物をする男性、この島では男性が編物をする

◆写真6.タキーレ島 歩きながら編物をする少年

◆写真8.不思議な編み方の帽子拡大 左:表 右:裏
◆写真8.タキーレ島の帽子拡大 左:表 右:裏

2008年4月10日発行のART&CRAFT FORUM 48号に掲載した記事を改めて下記します。


「古代アンデスの染織と文化」-伝承されている技法(標高4千㍍の村で②)- 上野 八重子

 ◆チチカカ湖
 ここは標高3812m、琵琶湖の約12倍、最深部は370mもあり大型客船も航行可能。又、インカ帝国始祖である王が、妻を伴って現れたと言う神話で知られる聖なる湖でもあります。
25本の川が流れ込み、出口はテスアグワデロ川の1本だけと言う事で雨が多く降ると線路や畑、プーノの町も洪水になってしまうそうです。万年水不足のクスコと比べ、どちらがいいとも言えませんが…
湖にはウロス島、タキーリ島、アマンタニ島他、幾つかの島が点在しています。
中でも日本で一番馴染みなのが浮島で知られるウロス島ではないでしょうか。その名の通り、湖に自生するトトラ(葦)を湖面に積み重ねて作った浮島で、20年程前までは約50の島に二千人程のウロ族が住んでいました。しかし、此処にも時代の波が押し寄せていて島外の学校に行き、そのまま島を離れてしまう若者が多くなっているそうなのです。

 この島に足を踏み入れると、落ち葉を踏み固めた山道を歩いてる様ないい感じを受けますが、時々ズボッと落ちるので要注意です。でも、修理は簡単!トトラを乗せるだけですから… マイ・ハウスならぬマイ・ランドも可能なのですが難点は臭い事でしょうか。
 島の主な生計は漁業と観光客相手の刺繍布です。いかにも土産品という感じの刺繍であまり食指が伸びません。数ヶ月前のテレビ番組で、カノン・デ・コルカ(コンドルの飛ぶ渓谷)が案内され、画面上には刺繍布の土産品が映っていました。
カノン・デ・コルカはプーノから夜行列車で12時間以上かかる太平洋側の町アレキーパ(標高2360m)に行き、更に車で5時間、4800mのパタバンバ峠を越えてたどり着く観光地です。プーノとカノン・デ・コルカ、この遠隔地の二つの場所で同じ刺繍をやっていた事になるのです。今でこそ交通の手段があるので交流が考えられますが、古代にはどのようにして技法が飛び火していったのでしょうか。

◆古代の刺繍
 少々チチカカ湖から離れてしまいますが、刺繍の話が出たところで古代の刺繍を紹介してみましょう。刺繍とは通常、模様部分を色とりどりの糸で刺すので柄が浮かび上がります。が、アンデス古代刺繍の多くは地布部分も刺繍されています。地と柄の凹凸が嫌だったので全体を埋め尽くしたのだ…と言う説もありますが真相は定かではありません。 彼等なりの美意識がそうさせたのでしょうか?こうした返し縫いによる刺繍(片面、両面)は紀元前4世紀頃から紀元4世紀頃まで盛んに作られていましたが、やがて織り機による高度な文様表現が出来るようになると織りに移行していきました。
刺繍糸として使われている糸は…と見ると、現代の染織品に劣らぬ多色を染め出しています。 化学的な知識や媒染剤も無い2千年も前にこの様な染色技術を確立していたと言う訳です。
現在では染着の邪魔になるとされている汚れや油分は染色前に精練し落としてから染色する…が常識となっていますが、ふと「昔は~?」と考えた時、「原点に立ち戻ってみよう…」と染色に限らず多くの事を考えさせられている自分です。

◆タキーリ島の編み物
 湖岸からモーターボートで3時間の所にタキーリ島はあります。この時間をみても湖の大きさが伺えるのではないでしょうか。この距離があったからこそ外部からの情報が入りにくく、島の技法が守られていた…とも考えられます。
この島の染織品は極細糸の織り物と編み物です。
織り機は地面にセットする水平機で文様は必ず島のシンボルマークが入り、色もエンジ色地に緑、白、紺の配色と、ほぼ決まっているので土産店で他の染織品に混じっていても一目でわかります。

 船着き場から長い階段を登ってやっと村の入り口。標高4千㍍近い村から見る空や湖面は限りなく青く、まるで絵ハガキから抜け出したようです。
歩いていると、焼き魚売りのおじさんやら、歩きながらスピンドルで紡ぐ女性、編物をする少年。水場で洗濯する女性、日なたでは編物する男性を見かけます。道端には実り間近なキヌアが生えていて…と標高4千㍍を感じさせない生活がそこにはありました。島の食材キヌアは今でこそ日本でも自然食品店で見かけるようになりましたが、島民に白髪や薄毛の人がいないのはキヌアを食べているからとの事。ここでも「豊かな食生活とは何ぞや~?」を考えさせられてしまいます。

 さて、本題の伝承されてる技法に戻ってみましょう。先程も触れましたが、その地本来の技が受け継がれる条件の一つに立地条件が大きく関わってくると思われるのです。この島でもモーターボートが就航するまでは島への出入りはごく限られたものだった事でしょう。交通の介入と共に観光化され、いずれは他の地と同じ道を歩むかもしれませんが、幸い今はまだ親から子へと受け継がれる伝統は残っているようです。

 アンデスでは織物は高度な技術が確立されましたが編物に関しては博物館でもほとんど見かけません。現在、編み製品が多く並んでいるプーノの市場ですが、日本のアルパカ糸輸入会社が講師を送り込み編み物を定着させたという話を聞きました。

しかし、タキーリ島の編手法は日本の編み方と大きく違うところがあるのです。2本針による編み込み模様が主ですが、よく見ると針先がカギ針になっていて一目編むごとに糸をキュッと引き、目を引き締めています。2色の糸の持ち方は指にかけるのではなく、首にかけ左右に振り分けて垂らし押しつけるように糸換えをしています。速い、綺麗の凄い技でした。ちなみにこの編み地のゲージを記してみましょう。56目、70段/10㎝。編物している方ならわかる驚く細かさなのです。これと同じ編み方を見たのはクスコ郊外のチンチェーロ村。組紐おじいちゃんに連れられて行った陶皿作りの家で奥さんが赤ん坊の帽子を編んでいたのです。「もしかして実家はタキーリ島ですか?」なんて尋ねたくなってしまいました。織りの村チンチェーロに新しい伝統の始まりを感じます。 

 もう一つ、不思議な編み帽子があります。クスコ市街を友人達とぶらついていた時、目に入った房飾りが付いたカラフルな帽子。皆、同時に手を出して…カルタ取り状態でその帽子は私の手中に!見るとタキーリ島の技法とは全く違う編み方で未だに良くわからないでいます。糸はアクリル系を使い化学染料で染色されているのを見ると近年のものかと思いますが、どの地方の技法かもわかりません。市場では時々見かけるのですが。
この様な緻密な編物は帽子のような小物に限られていて大きなポンチョなどは作らなかった為に「古代アンデスには編物はなかった」と言われているのかもしれません。 (つづく)



最新の画像もっと見る