ART&CRAFT forum

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「生身の日常」榛葉莟子

2014-09-01 15:58:46 | 榛葉莟子
1995年4月20日発行のART&CRAFT FORUM 創刊予告号に掲載した記事を改めて下記します。

この頃はあまり見かけなくなった愛らしい光景を、信号で停車した車中から目にし、しばし見とれた。幼い男の子が道にろうせきで絵を描いていたのだ。道にはもう、いくつもの白い線の自動車が子どもの回りを走りまわっている。舌なめずりしながら自動車を描いている子どもの充たされた息づかいは、道路に流れはじめ信号待ちする車体にはいのぼり、窓のすきまをくぐりぬけ、じわりじわりと私の車内に染みこんできた。信号は青になりその場は遠ざかっていったが私の内の信号は点滅しはじめていた。やっぱり、あの子どもがそのまま私自身に重なっていった。白いろうせきをにぎりしめている子どもの私がやってくる。ろうせきはずるずると記憶の出来事をひっぱりだしてきた。

 その橋の下には、ろうせきが山になって捨てられていた。ろうせきは全部<ずのろうせきで、かけらばかりだった。陽照りの日中、姉に手をひかれろうせきを拾いに行った。白亜色のろうせきの山からできるだけ大きいかけらをさがすのだ。そのときから、私のポケットにはいつでもろうせきがあった。すべすべとして、堅いような柔らかいような、冷たいような暖かいような不思議な感触をポケットのなかの手が、いつもまさぐっていた。そして、次第に外で走りまわることよりも、ひとり路地裏の道や階段にしやがんで、ろうせきを通して現れてくる白い線の魔法のとりこになっていった。

その頃、暮らしていた疎開先の古い田舎家には土間があった。入り口から広がる土間は、途方もない時の重なりが土をふみかため、<ろぐろとしていた。入り口から光が差しこむと、まるみをおびた無数の起伏がつややかに浮かびあがる。光と影とが混じりあい溶け合う、透明が詰まっているような安らかな空間がそこにあった。
 
あの日も私は土間にいた。ひとり、その薄明るい土間でろうせきの白い線を走らせていた。土間にはいつくばり土の表面に白い線を重ねていた。と、ろうせきをにぎった先が突然暗<なった。人の気配に入り口を見上げた。光を背に大きな黒い影が私を見下ろしていた。その影が誰であったのかは、ずっと後になって理解した。それはその日、戦地から帰ってきた長兄であった。そう、あれから五十年が経つたんだね。
 
思いがけなく戦後五十年が口から出た頃、車は家に着いた。ドアを開け月夜の庭に降り立つ。空を仰ぐと、すべすべに磨かれて輝いている二日月は闇のなかで、やけに穏やかに微笑んでいる。いっそ、ワッハッハと笑ってくれたらいいのに。地下に眠る怪物の呻きがこの庭をふるわせているのは、知っている。土のふくらみや裂けめは只事ではないものね。ふりむけば星のシリウスが赤い目をカッとみひらいた。今夜、私はねじれているな。                              




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