2007年10月10日発行のART&CRAFT FORUM 46号に掲載した記事を改めて下記します。
「青の記憶」 榛葉莟子
山里の一隅に暮らしているから見渡す風景は、森や林や田畑や拡がる大空に視界は占領される。占領されるなどと大げさかもしれないが見渡せばそういう事になる。この山里に海の字のつく小海線や地名に海の字を見つけることはあっても海は遠く、いくら背伸びしても風景のなかに海はない。木立ちをゆらす風の音はよせては返す潮騒の音そのもので、ここは海辺だったのかと錯覚する強風の夜がある。昔々、海を知らない山の民は潮騒の音を聞いた経験がないのだから風の音は潮騒につながらない。それはそれで風にまつわるさまざまな民話は語り継がれているが、そういえば私が初めてまじかに海を経験したのはいくつくらいだろうか。初めて見た海にどう反応したのか知りたいものだけれどまったく覚えていない。反応するくらいの感動や驚きを経験として記憶するにはいかにも幼すぎ、内なる磁石は意識かされていないが、自分の感覚のクレヨンは知らぬまに心を彩色しているのだろう。記憶の中の情景と思っていたものも、後から親や兄弟に聞かされたことだったりする。それでもそれはそれで懐かしいその時として心に残っている。ほら、あの時お父さんが真桑瓜をむいてくれたじゃないと言った姉の言葉の中の、黄色い真桑瓜と甘い匂いと父が、父との記憶がない私の中で唯一つながっている初めての海のようだ。
海に行った。海の風景を経験するには山を超えた向こう側に出かけていくしかない。海水浴場というよりも大きな海が見たかった。伊豆半島のさきっぽの海まで遠出する。向かう山路をくねくねと車は走り続けた。いったいいくつの峠を超えただろう。濃い緑の山路のいくつめかを登りきる頃疲れたねえの言葉が口を突いたのと、突然視界がひらけたのとが同時だった。ひらいたのに一瞬視界をふさぐかのような錯覚を見た。わっ、太平洋だ!。一面の青い海に息をのむ。その大きさは眼からはみだす大きさで青だけがしんとひたすらしーんと眼前に静まりかえっていた。怖いくらいだね。空と滲み合うかのように遥か彼方に霞む水平線の微妙なカーブを感じる。地球の上に立っている自分を実感する不思議なリアル。あの水平線の微妙なカーブは、そこで終わりではない向こうへ続いていく気配のカーブだ。地球の丸さが頭にある先入観の目は新鮮な目とは言いがたく、過去の人の目を感じるなどと堂々とは言いにくいけれども、かって、過去の人々は果てしなく続く大海原の地平線を遥か遠くに感じ、向こう側の未知に誘われ動きはじめたのだろうか。尊敬する冒険家という意味での無鉄砲な人々がいた。無鉄砲な過去の人々の連なりの今、過去の人に想いを馳せ、追悼している意識の流れの心境も妙だなと感じつつ、深い青の海はしらずしらず神妙な気持ちにさせる。無鉄砲といっても現代人の無鉄砲さはかなり暴力的破壊的で、そこに冒険の匂いのかけらもない。すでに無鉄砲の解釈はちがっているのかもしれない。この生傷のたえない地球を過去の人々はどんなふうに見ているのだろう。
左側に海を望みながらまだ明るい山の下りの道を車はそろそろと動く。太平洋ひとりぼっちの冒険家のヨットが波間にちらっと見えたかと思ったら光の屈折だった。
本当にこの夏は高原地帯のここでも扇風機を回したので、日本国中異常な暑さだったことになる。このまま暑い国になってしまうのかと心配がよぎったけれど、やっぱり秋はやってきた。約束どうり春はやってきたと誰かの詩の中にあったけれど、季節の変わりめになるとこの詩のこのせりふが口にでる。春には春が、夏には夏が、秋には秋が、冬には冬が約束どうりやってきたと声にしてみる。新しい季節を待つ待ち遠しさは失わせたくないものだ。待ち遠しく何かを待つときめきは生命を輝かせる。人は感動と無縁では生きられない。次、次が前方に口を開けている。未熟、未完成、未来、未知…みんな未がつく。向かう姿勢の言葉ばかりだ。はてなと思い辞書を引く。未とはまだ時がこないこと、まだ事の終了しないこととある。向かっているのにまだまだなのだ。終了しないのだ。そうやって人間は延々と未知に挑み続けることで新しいかたちへと変貌していくのかも知れない。それは自分の事として自分を通して感じている。ある時期自分にやってきた確かな実感は魂とか心にかたちはあるという確かだった。自分の内部の変貌がかたちを生む。汲んでも汲んでも沸きい出る泉は本当に在る。それは自分の前にきりなく立ちはだかる未完成未熟な自分に気づくたびごとに教えられる。人間は人間に成っていくのだよと、むかしむかし、サンテグジュベリの言った一言に今も勇気ずけられるいまだ青くさい自分がいるのだなあと、しわのふえた顔を覗いてびっくりするのはやめようと思う。
ルリイロカミキリ虫を庭でみかけたのは水まきしていた暑い盛りだった。あの瑠璃色の青は尋常ではない青だった。大いなる存在の眼差しをカミキリムシに感じた夏の、後ろ姿を見送る。