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2005年1月10日発行のART&CRAFT FORUM 35号に掲載した記事を改めて下記します。
「晴れたり曇ったり」 榛葉莟子
B6版2センチ程の厚さにえび茶色の皮表紙の古びたアドレス帳。新調したいと思いながらやっぱりいいやで二十年くらい、いやもっと経つかもしれない。それは手帳や財布や眼がねなどと一緒に机の縁の鉢の中に入っている。アからンまでの頭文字の順繰りの突起は、二十何年かの指先の往復による手垢の磨り減りで古びた石段と重なる。頭文字を開けば、かつても今も細くとも太くともそこに自分と関係のあるあるいはあった人の名前住所電話が書きつけてある訳だ。忙しく頁をめくることはもう無きに等しいが、よくみれば頁々にはそれらを消した線や書き込みが目立つ。引っ越ししましたの通知のたびに新しい欄に書き直すからということもあるけれどもそんな理由の線ばかりではない。もう声を聞きたくても聞くことはできない友や知人、仕事先の名前と住所に引いた線もある。アドレス帳は日記にも似た秘密の匂いがする。他人はそれを開いてみるものではない礼儀がはたらく意識のものでもあるなあと思う。
この頃は手紙を書く事も少なくなったけれども手紙をもらうのはうれしいからすぐ返事は書く。若い頃は何かというとよく手紙を書いた。電話で事足りるボールペンのような連絡事は別として電話よりも手紙での気持ちが強かった。中、高生の頃に北陸地方に住む同年代の人と雑誌を通じて、今でも住所を言えるくらい文通が続いた時期があったことを思い出す。書きたい事がいっぱいあったのか何を書いたのか覚えてもいないけれど、せっせと手紙を書いては返事を待つ間の楽しみを知った十代の頃。会うこともなく赤ちゃんを抱き早々とお母さんになった写真が送られてきたのを最後に徐々に文通は遠ざかってしまった。文通という言葉は今でも活きているのだろうか。都会の知人たちが都会では携帯電話がなければ生きていかれないと言っていた。半分冗談と思いつつも、そんなものなのかなあと携帯電話も持たずメールという通信手段も、ましてや相手の顔の画面に向かって話し、自分の顔も向こうに写っているなんてこともスピードの勘違いでなければ使い方によってはおもしろそうだ。未経験の私は不便な人の部類ということになるのかもしれない。いつだったかメールはしても字は書かなくなったという若者を主にしたテレビに出演していた詩人の大岡信さんが「字を書かなきゃバカになるよ」と若者に言っていた。私には小気味良い忠告と聞こえたけれども若者たちに通じていないのはその不満顔に表れていた。
「このあいだはありがとう。お会いできなくてごめんなさいね。近いうちに会いたいわ、会いましょうね」そうして一年経ち二年経ちふと数えれば五年や十年が瞬く間に過ぎ去る。出不精と密着型ではない性分を悔いる時がある。過ぎ去ったままのある日友の訃報をしる。どうしようもない憂うつに引きずられる日々、それはつらいとか悲しいとかと言いきれない感情がひたひたとしみてくる淋しさで、窓の向こうの紅々と鮮やかに変身するモミジの広がりにぼんやり眼をやれば、紅色の中に足早に駆け抜けて逝ってしまった友の笑顔が浮かび、憂うつの中に悔しいという感情が追い討ちをかけてくる。けれどもしかし、やがて紅色は刻刻と変身しつつある朝の新しい風に揺さぶられ軽やかに宙に舞っていくのだ。忘れることのない懐かしい存在へと受け入れ心静まるある日はゆっくりとやってくるのだろう。いままでもそうだったし今もこれからもそうだろうと思いたい。
まだ四時を回ったばかりというのに陽は傾きはじめる晩秋。スタンドの電気を消しラジオを消しやりかけの作業のままの集中に未練を残しながら自分の部屋のドアを閉める。陽のぬくもりが逃げないうちにと、あわてて洗濯物を取り入れに庭に走る。洗濯物をたたみおえれば夕餉の支度にエプロンを着けて台所に立つ。当たり前の日常の平穏なリズム。と、あえて今それを口にすることで平穏な日常を破壊され崩された悲痛に直面している立場の万分の一でも察することができるだろうか。自分の人生に起きたさまざまな困難など、どれほど微々たる試練であるだろう。自分に何ができるのかと一度ならず問いかけても、捨てられた子猫を抱き上げ温かいミルクでおなかを満たしてあげることくらいのものなのだ。その子猫は掌ほどの赤ん坊の猫で、人の手に初めて抱かれたのか怒っているような不安な目つきでムシピンみたいな爪をいっぱいに尖らせて身をくねらせる。するり手から抜け出せば一目散に物のかげに隠れ手を伸ばしても届かない隅っこの暗がりに逃げ込んでしまう。おいでおいでの騒動が二三日続く。一週間十日と経つうちミャーとかわいい声が私を見上げ膝のなかでうずくまり眠る安心の顔はまるい。
隅っこといえば、たとえばガラガラ電車でも私は隅に座るし喫茶店でも隅がいい。意識せずとも隅を選んでいる。隅とか角とかへりとかは身体が納まるというか溶け込んでいく感覚へと無意識が案内しているようにも感じる。胎内回帰という言い方をした人がいたけれど、そこから繋げてみるならば隅はふくよかに柔らかな奥行きを身体が覚えている遠くて近い底のような匂いがしてくる空間。
「晴れたり曇ったり」 榛葉莟子
B6版2センチ程の厚さにえび茶色の皮表紙の古びたアドレス帳。新調したいと思いながらやっぱりいいやで二十年くらい、いやもっと経つかもしれない。それは手帳や財布や眼がねなどと一緒に机の縁の鉢の中に入っている。アからンまでの頭文字の順繰りの突起は、二十何年かの指先の往復による手垢の磨り減りで古びた石段と重なる。頭文字を開けば、かつても今も細くとも太くともそこに自分と関係のあるあるいはあった人の名前住所電話が書きつけてある訳だ。忙しく頁をめくることはもう無きに等しいが、よくみれば頁々にはそれらを消した線や書き込みが目立つ。引っ越ししましたの通知のたびに新しい欄に書き直すからということもあるけれどもそんな理由の線ばかりではない。もう声を聞きたくても聞くことはできない友や知人、仕事先の名前と住所に引いた線もある。アドレス帳は日記にも似た秘密の匂いがする。他人はそれを開いてみるものではない礼儀がはたらく意識のものでもあるなあと思う。
この頃は手紙を書く事も少なくなったけれども手紙をもらうのはうれしいからすぐ返事は書く。若い頃は何かというとよく手紙を書いた。電話で事足りるボールペンのような連絡事は別として電話よりも手紙での気持ちが強かった。中、高生の頃に北陸地方に住む同年代の人と雑誌を通じて、今でも住所を言えるくらい文通が続いた時期があったことを思い出す。書きたい事がいっぱいあったのか何を書いたのか覚えてもいないけれど、せっせと手紙を書いては返事を待つ間の楽しみを知った十代の頃。会うこともなく赤ちゃんを抱き早々とお母さんになった写真が送られてきたのを最後に徐々に文通は遠ざかってしまった。文通という言葉は今でも活きているのだろうか。都会の知人たちが都会では携帯電話がなければ生きていかれないと言っていた。半分冗談と思いつつも、そんなものなのかなあと携帯電話も持たずメールという通信手段も、ましてや相手の顔の画面に向かって話し、自分の顔も向こうに写っているなんてこともスピードの勘違いでなければ使い方によってはおもしろそうだ。未経験の私は不便な人の部類ということになるのかもしれない。いつだったかメールはしても字は書かなくなったという若者を主にしたテレビに出演していた詩人の大岡信さんが「字を書かなきゃバカになるよ」と若者に言っていた。私には小気味良い忠告と聞こえたけれども若者たちに通じていないのはその不満顔に表れていた。
「このあいだはありがとう。お会いできなくてごめんなさいね。近いうちに会いたいわ、会いましょうね」そうして一年経ち二年経ちふと数えれば五年や十年が瞬く間に過ぎ去る。出不精と密着型ではない性分を悔いる時がある。過ぎ去ったままのある日友の訃報をしる。どうしようもない憂うつに引きずられる日々、それはつらいとか悲しいとかと言いきれない感情がひたひたとしみてくる淋しさで、窓の向こうの紅々と鮮やかに変身するモミジの広がりにぼんやり眼をやれば、紅色の中に足早に駆け抜けて逝ってしまった友の笑顔が浮かび、憂うつの中に悔しいという感情が追い討ちをかけてくる。けれどもしかし、やがて紅色は刻刻と変身しつつある朝の新しい風に揺さぶられ軽やかに宙に舞っていくのだ。忘れることのない懐かしい存在へと受け入れ心静まるある日はゆっくりとやってくるのだろう。いままでもそうだったし今もこれからもそうだろうと思いたい。
まだ四時を回ったばかりというのに陽は傾きはじめる晩秋。スタンドの電気を消しラジオを消しやりかけの作業のままの集中に未練を残しながら自分の部屋のドアを閉める。陽のぬくもりが逃げないうちにと、あわてて洗濯物を取り入れに庭に走る。洗濯物をたたみおえれば夕餉の支度にエプロンを着けて台所に立つ。当たり前の日常の平穏なリズム。と、あえて今それを口にすることで平穏な日常を破壊され崩された悲痛に直面している立場の万分の一でも察することができるだろうか。自分の人生に起きたさまざまな困難など、どれほど微々たる試練であるだろう。自分に何ができるのかと一度ならず問いかけても、捨てられた子猫を抱き上げ温かいミルクでおなかを満たしてあげることくらいのものなのだ。その子猫は掌ほどの赤ん坊の猫で、人の手に初めて抱かれたのか怒っているような不安な目つきでムシピンみたいな爪をいっぱいに尖らせて身をくねらせる。するり手から抜け出せば一目散に物のかげに隠れ手を伸ばしても届かない隅っこの暗がりに逃げ込んでしまう。おいでおいでの騒動が二三日続く。一週間十日と経つうちミャーとかわいい声が私を見上げ膝のなかでうずくまり眠る安心の顔はまるい。
隅っこといえば、たとえばガラガラ電車でも私は隅に座るし喫茶店でも隅がいい。意識せずとも隅を選んでいる。隅とか角とかへりとかは身体が納まるというか溶け込んでいく感覚へと無意識が案内しているようにも感じる。胎内回帰という言い方をした人がいたけれど、そこから繋げてみるならば隅はふくよかに柔らかな奥行きを身体が覚えている遠くて近い底のような匂いがしてくる空間。