そこは、利害関係の持ち込まれない、人の道に照らした判定が出る裁判所です。
検事対弁護士という対立図式は、そこにはありません。
病いにかこつけた罪状逃れや、法に違反しなければという悪業も、通用しません。
判事は3人、主要宗教の高潔な代表者があたり、あとは正確無比な書記のみが関係者です。
そこには、一見公正、実質淫靡な多数決原理は存在しません。
実績優先で起訴理由を作り上げる検察組織も、依頼人のためならどんなことでもやってのける弁護団もありません。
陪審員、裁判員などという、素人の好悪気分で決まる、私刑判決型システムもありません。
あるのは、神聖な判定のみです。
判定を下すのは、ローマ法王、ダライラマ、それにもう一人、イスラム教にはふさわしい人がいるのでしょうか。