数値の処理には、集計と計算が行われる。
計算しなくてもできる簡単な集計もあり、集計だけで計算をせずに忘れられてしまう数値もあって、集計と計算はさほど強固な関係にあるとは言えない。
計算は、通常、集計の方法あるいは集計結果の解析の方法として用いられる。
地球上には、さまざまな目的を持つ人が現れるから、集計の方法であったはずの計算が、集計の目的に用いられるようになると、集計と計算との関係がハチャメチャになることも起きる。
Aの集計とBの集計が比較されるとき、BはAより大であるという条件が目的として設定されてしまっている場合、集計末期にもしB<Aという状態が認められれば、不等号を逆転させるように集計マシンが動作する。
その集計では、B<Aという結果が許されていないのだ。
集計マシンの動作には、数値論理や道義の概念は組み込まれていないので、あらゆる方法を駆使してB>Aという集計目的が達成させられる。
200余年もかけてまだ成熟しきれない選挙制度のもとでは、集計マシンは、死者の投票数や有権者数より多い投票数が加算されたり、秒刻みの集計結果に突然何万票という数値が加わったり、瞬時であっても減少することのあり得ない集計数に負の数値が加算されたり、論理を超越し、道義をかなぐり捨てた動作をする。
これらが、証拠を残さないよう、また法に照らして該当する法文がないように計算しつくされた動作であれば、B>Aという目的は十分に達成される。
世界の強国では、まだこんなことが行われているのだ。