主義は人間が自分の思いを変えない限り守り通すものだから、同じ思いを持った人々がそれを守り通すことが、優れたことであるかどうかを断ずることはできない。
人間同士の秩序、純良な風俗が、長く保たれるのであれば、その人たちが大切にしてきた主義が優れたものであると言えるだろう。
主義も長く続くうちに、それを守るための形が整ってくる。
しかし長い年月のうちには、その形だけは真似ていても、秩序は保たれず、純良な心など他の人類のものであるかのような、腐爛寸前の状態になることもある。
そういう状態の下では、立派な主義と讃えられて何百年も続いてきたという価値は、そこにはもう存在しない。
続けてきたのだから立派なのだという言い分は、主義の評価には値しないだろう。
一つの主義の、形さえ怪しくなった腐れ果ての見本のような事例が、次々に報じられている。
▼ジョージア州集計所の監視カメラ 選挙監視員を帰宅させ開票続行 スーツケースから大量の隠し票
▼ネバダ州で郵便投票をサンプル検査 3%が不正票と判明
▼元米軍情報官が証言「外国勢力による投票システムへの操作が意図的に許可された」
腐れ魚には、鯛の価値はすでにないのである。
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