「きりつ」という言葉には通常、規律、起立という漢字が、それぞれの意味をもって使われる。
ここでの「きりつ」は、律する根拠を「規」に置いて人間が判断を下す「規律」ではなく、機械が判断をする仕組みの働き方を「機律」としたものである。
人間が判断をすれば、判断結果にはその人間が責任を負うことになる。
人間が責任を負わない方法、それが判断を機械任せにする「機律」である。
機械をむやみに信仰する気質が、現代人には沁みついているから、機械の判断させれば、間違った結果にはならないだろうという、随分いい加減な便法がしばしば用いられる。
機械は、予定された設定内容に従って、瞬時に判断をし、次の操作を指示することができる。
躊躇はしない。
判断に問題があるとすれば、それは設定内容にあるのだが、元来判断を下す立場にあった人たちが、仕組み全体の大まかな動きの説明は受けても、設定内容の詳細について、綿密な査定をすることはおそらくない。
結果への責任の、人間のかかわりは、そこでどこかに飛んで行ってしまう。
機律は、とどのつまりはもっともらしい責任回避手段なのだ。
その事例を一つ上げて置こう。
「Twitterでは、Twitterルールに違反しているアカウントを凍結している」とされる。
ある社会の空気の流れを阻害したり渦を巻かせたりという行為は、空気流動状態の維持保存にとって大いに迷惑なことである。
Twitterの場にそういう行為が認められた場合、アカウントを凍結するという処置をとれば、その発信者はツイートができなくなる。
つまり言論が封殺されるのである。
ある組織団体にとって、運営の都合上流布されては迷惑なツイート内容が発見された場合には、このTwitterルールを利用して、そのツイートをかき消し、続く別のツイートも不可能にしてしまうことができる。
ルール違反の判断は、そのツイートに押し寄せた人々の意思とされる。
違反の事実をこしらえるには、押しつぶしの主意を持った大量のツイートを集中させればよい。
一人では発信元の特定が容易にできてしまうので、組織の関係者が分担をして、あるいは分担をしているように装って、ある時間帯のうちに集中攻撃をかければ、ルール違反状態はたちまち完成する。
どういう事柄でどんなことが行われたか、それは次の例をご覧あれ。
ツイッター、米数学学者のアカウントを凍結、アリゾナ州公聴会で「選挙結果認めぬ」と証言後
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