・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

“かしか”さまざま

2014年06月02日 | つぶやきの壺焼

子どもの頃のこと、届いた郵便小包をあけてみて「こうや豆腐とは驚いた」と何度も繰り返していた祖父のボヤキを思い出します。
そのときは「驚いた」の意味がわからなかったのですが、祖父の他界の年齢を超えた今、ようやく想像がつくようになりました。
旨い菓子でも送ってくれたかと思ったのでしょう。
「かしか」、「菓子か」が、はずれだったのです。


「かしか」にもいろいろあります。
ひとに何かをしてあげておいて、預けた恩を忘れないという、やや品の下がった「貸しか」というのもあります。

これまで見えなかったものを、見えるようにする「可視化」もあります。
この可視化にもふたとおりあって、見えることでよくわかるようにする可視化と、見えるためにかえって見誤るように仕組まれる可視化があります。

よくわかるようにする可視化には、「見える化」などと日本語の形を崩して気を引こうという、変な名づけをされたものもあります。
本当にわかるように見せるのか、見せたいように見せるのか、よくわからないのもあってさまざまです。
実際におこなわれていることの、たった3%ぐらいを見えるようにして、それで実態を想像させようという、マジシャンの種明かしのような可視化もあります。


畑に出る年寄りが心配なので、ケータイを持たせておくという、今世紀型の小規模農業方式があります。
緊急時に老人がケータイを巧く使えるかどうかはさておいても、ひとまずの安心は得られます。
お互いに見えるところ、実視界のなかで仕事をするのが最上なのでしょうが、それぞのの事情がそうできない理由をつくってしまいます。


街の中も、見られていることに気付かずに見てもらっているシステムが、いきわたってきているようです。
安心、安全と引き換えに、自分たちがだんだん飼われている小動物に近づいている気がして、何となく嫌な気分です。

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