考え込むと面倒なもの、それは「さんじ」。
「さんじ、何にする?」と聞かれたとき、それはほとんど質問ではない。
何か考えて作れという指令なのだ。
「さんじ」には、まず三時と賛辞の二つの言葉が思い浮かぶ。
心の底から食べさせたい三時、心の底から褒めてあげたい賛辞、それならば悩む必要はない。
そうではなく、後からの空気へのつくろいが先に立ったとき、碌な「さんじ」にはならない。
首相の初仕事で、電話であいさつの順番が良かったなどという賛辞、それしか褒めることがなかったとすれば、これはもう大げさに言えば惨事ということになる。
前途散々でなければよいが。
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