意地っ張りは意志の固さの表れ、時と場合によってはだいじなことです。
この時と場合は、意地を張る人が選ぶので、はた迷惑なこともあります。
ひと口にはた迷惑と言っても、その「はた」の裾野の広さが問題です。
権力を握っている人が、その権力の及ぶ範囲がすべて自分の「はた」と思い始めると大変です。
それが無意識の場合、気付かせる力を持った人がいなければ、そこには無限の不幸が訪れることになります。
困ったことに、意地は個人の感情で、はたは公の場であるということです。
一つのことを、層の違うところで一方が張り一方が被るという構図になるので、どこかで安定するわけがありません。
公の場が国全体であったらどうでしょう。
張り通した一個人の意地が、国体を放り投げることにもなりかねません。
もっとも始末の悪いのは、決まっていることだからという、利不利は考慮外で実行最優先の、権力者の偏奇な信念です。
それにとらわれて、何十年か先の国の姿が自分の思うように必ずなっているという、自縄自縛に陥っている状態です。
梅の花が落ちる前、桜を待たずに縄をほどくことを急がねばなりません。
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