・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

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呆れ民主主義 :10 報道の自由

2018年10月26日 | つぶやきの壺焼

民主主義社会では、報道の自由が重んじられます。
報道の自由は、事実を告げ知らせる行為の自由とされています。(Wikipedia, コトバンク)

この言葉は、使われ方によって報道の結果に大きな違いが生まれます。
素直に考えれば、ある事実が生じたとき、偏った思想などにとらわれず、偏った解釈を施すこともなく、そのことをありのままに伝える行為が、制限を受けたり阻害されたりせずに自由に行われることと言えるでしょう。

ところが、報道の仕事をする人が、どんな思想を持つのも自由、解釈の仕方も自由、都合が悪ければ知らせないことも自由、なぜならば報道の自由は保障されなければならないからと言いだし、そんな伝え方を続けたらどうなるでしょうか。

そういう新聞を売り付け、電波に載せている企業があって、大きな顔をしている実情を、皆さんはどうお考えでしょうか。

 

 

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