日本人は静かであることを好みます。
静の文字は人名にも用いられます。
人々の心に何かと波風を立てないよう、為政者は気を配ります。
人間の心はさまざまですから、一方で混乱を起こすことしか考えない人や集団もあり、一筋症の病状をかかえながら、というよりも看板のように押し立てて騒ぎ回ります。
静かに穏やかにも度を過ぎれば、だいじなことを知らせない鎮静政治が、よい政治とされるようになります。
隣国との境界付近の島が実質的に支配されても、あるいはまさに被支配寸前の危機状態になっても、その実態をひろく国民に知らせようとする気配も素振りも見せず、粛々とというようなもっともらしい形容のもとに、政治にかかわる者がみな腕組みか懐手を決め込みます。
鎮静ひとすじの政治が、半世紀後には子や孫たちに塗炭の苦しみを味あわせる結果を招くことには、意を向けようとしません。
平和は静かであること、祈ることのみでそれが成就されると思い込ませる鎮静政治に、笑みを漏らしている海の向こうの人には、気づかないふりが最適の付き合い方なのだと、N町の人々は思っているのでしょうか。
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