「結論を先に」
それが意思疎通を円滑にするコミュニケーションの要諦であると言われます。
「起承転結」
それがものごとを確実に伝える話し方、書き方の要領であるとも言われます。
先に言うか、最後にしっかり押さえるか、どこで結論を言うか、全く逆のこのことは様式に過ぎません。
ものごとの様式は、その場、そのことに、ぴったり合えばよいので、適用の対象がないうちは、両者に優劣はあらわれません。
優劣は、様式そのものにはなく、対象に応じた選択にあるのでした。
「結論を先に」を当てはめると、間違いを起こすこと、最悪の選択になることもあります。
たとえば裁判です。
裁判の前に、起訴されたことがらが全て間違いがないのであれば、裁判は要りません。
起訴されたことがらを、結論として先に決めてしまったのでは、裁判は起訴事実確認の儀式でしかなくなります。
人の一生、あるいは命にかかわる裁判が、儀式だけで済まされてよいはずはありません。
まさかそんなことは、とだれでも思いたいのですが、そう思いたいのは、逆のことを考えたくないからです。
考えたくないことが、ここ二三年、次々に起こっているではありませんか。
1時間に100ミリを超す大雨など、だれも考えたくなかったのです。
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