細かいことへの気配りは、社会生活にとってだいじなことです。
ものごとの細かい観察は、科学研究にもだいじなことです。
細かい部分の性能や仕上がりは、製品の価値を高めるだいじなことです。
ただ、細かいということと、部分にこだわることとには、大きな違いがあります。
社会の機能には全く影響のない、たかだか数万円の金銭のやりとりを、違法の枠にあてはめて大問題に仕立て上げ、国会の審議を止めてしまうという愚かな戦略がまかり通るというのは、部分へのこだわりをだいじにし過ぎる市民感情のあらわれでしょう。
問題にされた黒い水引に包まれた金銭の移動という物理現象は、日頃の交誼か恩義への返礼という意味しかもっていません。
それは、平和な社会生活にも、国家喫緊の問題にも影響は皆無です。
このように、細かい部分を摘出して責めてみたがるのは、私たちの平均的性癖なのでしょうか。
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