死者投票、二重投票、買い取り投票、記入済用紙投票、投票所妨害、開票立ち合い妨害、集計操作等々、考えられる非合法手段を駆使して得た票数優位を根拠に勝利宣言。
投票前の、「アメリカの政治史の中で最も広範で包括的な不正投票組織を持っている」という自慢宣言がまた図々しい。
投票日から10日経っても結果が確定していない大統領選挙、これが世界最強の民主主義国と思われている国の実態である。
候補者当人が勝利宣言するのはその人の勝手だから、ああやってるなで済ませられるが、資格が確立してないうちにメディアがそれを真実であるかのように報道するのは、横暴な行為であると言わねばならない。
私たちが住む地球以外に、銀河系にはまだほかに何かの住む世界があるかもしれない。
ないというよりはあるというほうが、多分確かなのだろう。
その世界と、わざわざかかわりを求めることもないと思う。
なぜならば、人間は地球上のこともまともに始末しきれていないからだ。
国をあげての会議で、いま何が論議されているか。
隣の国から侵略の触手が毎日ひらひらと伸びてきて、これ見よがしに振舞っているというのに、国会の問答はどうだろうか。
禄でもない学者の集まりに入れて貰えなかった、たった6人の苦情をなだめるために、予算委員会の質疑応答時間の40%が割かれているというではないか。
大統領という地位の魅力は何なのか。
世界中の、人間の安心安全な生活にとって有効な、何か大きなことを成し遂げる力を得る願望。
頂点に立って、国を動かし世界を支配したいという欲望。
一生のうちに思いつくまま最高の悦楽に浸りたいという貪欲。
選ばれるためには、手続きを無視したり、ばれることをいとわず投開票の過程に大掛かりなトリックを仕組んだりする。
恥や外聞などという言葉は思い出さないよう、脳をすっかり改造してあるのだろう。
退任後の身の行く末のことなど、頭の片隅にも置かないことが伝統のような国もある。
それでも大統領になりたい人がいる。
人間はいかにも変な動物である。
今ここに居られることが、何か不思議に感じられる時がある。
普段は感じない感じだ。
何十年もの間、別段気にすることもなく過ごしてきた。
特別な天変地異でもない限り、明日も明後日もこれが続くだろう。
だが、明日同じように同じところに居られないかもしれないという人が、どこかにいる。
居られることには感覚が及ばなくても、居られないことは、辛いことだ。
ラジオの大学講義を久しぶりに聞いてみた。
興味のある科目だったが、講義が原稿棒読みで、なぜこんなに急ぐのかと思うほどの早口。
まったく興覚めとなり、我慢は3分で終わった。
学校当局は、講義の試聴をしているのだろうか。
耳がないのに優れた聴覚をもつクモがいるという。
耳があるのに、だいじなことを聞こうとしない人間もいる。
自分が聞こうとしないだけでなく、人にも聞かせまいとする。
都会には、そういう人の集団がいくつもある。
XX新聞社という名前の文字が何か引っかかる。
石の上にも三年ということわざがある。
じっと耐えて頑張る側の言葉なので、我慢させる側がそのつもりで意地悪を始めたのではたまらない。
国会で午前も午後も同じ愚問を別人が繰り出して、総理や閣僚の我慢くらべを眺める、そんなくだらないゲームで時間だけが過ぎてゆく。
こんなことをしながら三年経てば、国政が三十年遅れ、取り返しがつかなくなることをあの人たちは考えないのか。
予算委員会なら予算のことに議題を絞る、簡単なことになぜ目を向けないのか。
国民は三年も我慢はできないぞ。
麻雀に「先付けあり」という奇妙なローカル・ルールがある。
先付けは、あがれる条件を先に作っておくということで、わざわざ確認する必要はないのに。
そこで「あり」と決めているのは実際には「後付け」で、論理矛盾は無視して前後を入れ替え「後付け」という言葉を使わずに済ませているのだろう。
どこか闇討ちのような潔さの見えない「後付け」を避けようという気持のあらわれなのかもしれない。
前後を入れ替えてもその場での約束ごとが成り立つ、
どこかの国が常套手段としている外交条件に似ていて、それをズバッと断ち切れないことと、かすかに通じるものがありそうにも思うのである。
大放言という著作がある。
読後感は、大放言ことさらに言う程でなし。
何年か前に書かれたときには、これは大放言と、著者も編集者も思っていたことが、いまではさほどに感じられないのである。
ごく当たり前のことでも、それを唱える人が少なかったので、刺激の強さを予想して大放言としたのだろう。
知らなかったこと、気づかなかったことを聞けば、はじめは「えっ」と思う。
時がたち、何度も聞かされると、驚きを感じなくなるから大放言ではなくなる。
それでも、見えないふりをされ放置されているだいじなことが数々ある。
「小さいことが気になる悪い癖」というTVドラマのセリフがあって、それと大放言をかき混ぜるとどういうことになるか、混濁液を一たらしずつ落として並べてみようかと思いついたのがこの些々放言、目標はあと30滴、さてどんな雫が落ちるか。