さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

放棄

2010年08月02日 10時51分05秒 | Web log
3歳と1歳の子供が、母親に育児放棄されて亡くなってしまったという事件。

先日、飛び降り自殺をしたアナウンサーの事件とだぶる。


何をということが違うだけで

「放棄した」

という共通点があるから。


片方は子供を放棄し

もう片方は自分を放棄した


耐えられなかったから。


母の存在を必要とし、求める存在(子供)がいながらもそれは、生きるあるいは生かすに十分なものと成り得なかった。


母性本能に対する神話には、疑問が残ります。

確かに、母性本能はあると思います。

でも、ある意味、母性本能ですら条件づきである可能性だってあると思うんです。

ぎりぎりのところでは、母性本能を上回る『別な本能』に支配される場合もあると思うんです。

要するに彼女は動物として自己保存の欲求に従った。

母性本能があったとしても、より強いのが自己保存の欲求なのでそれに従った。

自分自身であることの存在が危うすぎて、母であることよりも、自分自身を守ることに走ってしまったということが虐待とか今回の事件に繋がっていくような気がします。

離婚したあと、経済的にも精神的にもギリギリのところで生きていたんだろうなぁと思います。

孤独と戦っていたんだろうなぁと。

(だからといって、彼女を擁護するつもりは全くありませんので、あしからず)

幸い、自分は子育てとか、生きることを放棄しようなんて思わないけれど、

だれしもが、案外、薄氷の上を歩くように生きていて、ふとしたときにあっけなく落ちてしまうというのがあるような気がします。

誰でもね。

それに気づいていない人は、それこそ幸せなんであって、
気づいている人の中でも、なんとか頑張って生きている人と頑張れない人がいる。

だからこそ、所詮、本能をもった動物でしかない人間を『人間』として生きられるように最低限保障するのが社会保障システムなんじゃないかと思うんです。

例えば、お金がなくて生きることが脅かされたら、略奪しても生きていこうとするのが本能ならば、略奪しなくても生きていけるように支えるのが、社会保障なんじゃないかと。

それこそ、弱いやつは生きる資格がないと言わんかのような、動物並みの過酷な弱肉強食社会を前提としているようなシステムは、あまりに人間的ではないと思うんです。

人間というものは、それだけ弱い存在なんですから。

苦しみながら息絶えた子供たちのことを思うと、胸が張り裂けそうになりますが、容疑者の犯した罪に対する単純な怒りでは済まされない哀しい哀しい事件だなぁと思います。

亡くなった魂が安らかであることを願います。

署名

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