さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

男の子らしさ?

2010年08月11日 00時38分42秒 | Web log
昨日、マイクと子供たちがベットの上でじゃれながら、レスリングのようなことをしていました。

3人ともケラケラ笑いながら楽しんでいるようす。

わたしは置いてけぼり。

っていうか、一応女である私とって、レスリングをやりたがる気持ちってよくわからない。

ジョナサンの友達が遊びにくると、半分くらいの子がレスリングをしたがり、ジョナサンに技をしかける。

ジョナサンは積極的にするほうではないけれど、適当に応じている。

わたしは「そういう遊びは止めなさい」と即反応してしまうけれど、それは女だからであって、マイクはきっとやらせたいようにさせとけ、と言うんだろうなぁと思う。

女性の基準で考える良し悪しは、男性のそれとちょっと違うと思う。

母親が中心で子供とかかわる場合(特に男の子)には、男の子が必要とするものが何かを考えた上で関わっていかなければならないような気がしてならない。

母親が子育ての主権を握った場合に、男の子らしさ(男性らしさ)というものをどれだけ容認できるのか?

親の権力に任せて、女性の基準を押し付け、男の子らしさを抑圧させちゃうのではないだろうか?と思ったりもする。

やっぱり父親と母親がバランスよく子供に関わるって必要だと思う。

フランスの思想家でサルトルの伴侶だったボーボワールは「女は女に生まれるのではない、女になるのだ」といってフェミニズム運動に大きな影響を与えましたが、いくら偉い思想家が言ったとしても、それはちがうんじゃ??と思います。

女は女に生まれるのだと思いますよ。

で、男は男に生まれる。

男性的な女性、女性的な男性など、個人差はあるとは思いますけれど、
性差による傾向の違いってあると思いますね。

超えられない違いのような。

違いは違いでいいと思うし、そこに優劣があるわけでもない。

違うってだけ。

違うからいいって場合もあるし。

男の子の男のらしさ、そしてわたし、マイク、ジョナサン、ベンジャミンのらしさを最大限大事にしてあげたいと思うのでありますが、マイクに「君は考えすぎ」と軽くあしらわれてしまう私なのであります。

署名

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