土曜日に『崖の上のポニョ』を見ました。
宮崎駿の作品は子供も大人も一緒に見れるし、私は好きです。
で、最初は英語で見ました。
英国俳優の『リアム・ニーソン』がポニョのお父さん役をしていましたね。
ポニョのお母さん役は『ケイト・ブランシェット』でした。
なかなか豪華な配役ではないですか!
で、英語版を見たときにサブタイトルもONにして観たのですが、かなり違う。
サブタイトルのほうがかなり簡略化されておりました。
で、2回目は日本語選択で英語のサブタイトルをONにしたのですが、英語のサブタイトルは日本語の台詞を元に訳していることがわかりました。
英語の吹き替えのほうが詳細度が高いのです。
非常に面白いなぁと思いましたです。
日本語と英語の言語の性質の違いをとてもよく表しているなぁと思いました。
以前会社勤めをしていたときに、翻訳の仕事をしていたのですが、日本語ならなんとなく通じることも、英語に訳すると言いたいことが決定的にぼやけてしまうという現象を何度も経験しました。
日本語の『直訳』では相手に通じないだろうと思わされることが多々ありました。のでしつこくエンジニアに何をいいたいのかを詳細に問う作業をよくしました。
日本語というのは明確性とか論理性に欠ける言語なんじゃないかと思います。
(どっちがいいとか、悪いとかを指摘しているわけではありませんので、あしからず)
ポニョの映画を日本語で見たときの漠然とした違和感(言っていることはわかるんだけれど、なんだか物足りない)を感じている自分がいるのを感じたときに、オーストラリアに来て、毎日ほとんど英語で生活しているわけですが、どの言語を使うかで、脳の思考形態も変わってくるんじゃなかろうかということをふと思いました。
だから言語を習得するということは、単に日本語の文章にふさわしい英単語を当てはめ、そして英文法に沿って構築しなおすという機械的な作業だけでは処理しきれない部分があるということを第一に心得ておかないといけないのではないかと思うのであります。
これは、日本語の文章を翻訳ソフトで翻訳したときにハチャメチャ英語が出来上がるというのと同じことなんだと思います。
宮崎駿の作品は子供も大人も一緒に見れるし、私は好きです。
で、最初は英語で見ました。
英国俳優の『リアム・ニーソン』がポニョのお父さん役をしていましたね。
ポニョのお母さん役は『ケイト・ブランシェット』でした。
なかなか豪華な配役ではないですか!
で、英語版を見たときにサブタイトルもONにして観たのですが、かなり違う。
サブタイトルのほうがかなり簡略化されておりました。
で、2回目は日本語選択で英語のサブタイトルをONにしたのですが、英語のサブタイトルは日本語の台詞を元に訳していることがわかりました。
英語の吹き替えのほうが詳細度が高いのです。
非常に面白いなぁと思いましたです。
日本語と英語の言語の性質の違いをとてもよく表しているなぁと思いました。
以前会社勤めをしていたときに、翻訳の仕事をしていたのですが、日本語ならなんとなく通じることも、英語に訳すると言いたいことが決定的にぼやけてしまうという現象を何度も経験しました。
日本語の『直訳』では相手に通じないだろうと思わされることが多々ありました。のでしつこくエンジニアに何をいいたいのかを詳細に問う作業をよくしました。
日本語というのは明確性とか論理性に欠ける言語なんじゃないかと思います。
(どっちがいいとか、悪いとかを指摘しているわけではありませんので、あしからず)
ポニョの映画を日本語で見たときの漠然とした違和感(言っていることはわかるんだけれど、なんだか物足りない)を感じている自分がいるのを感じたときに、オーストラリアに来て、毎日ほとんど英語で生活しているわけですが、どの言語を使うかで、脳の思考形態も変わってくるんじゃなかろうかということをふと思いました。
だから言語を習得するということは、単に日本語の文章にふさわしい英単語を当てはめ、そして英文法に沿って構築しなおすという機械的な作業だけでは処理しきれない部分があるということを第一に心得ておかないといけないのではないかと思うのであります。
これは、日本語の文章を翻訳ソフトで翻訳したときにハチャメチャ英語が出来上がるというのと同じことなんだと思います。