さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

遥か昔は・・・

2010年08月13日 11時19分01秒 | Web log
遥か昔は、生きることってとても単純だったんだと思う。

狩猟や農耕によって自給自足の生活を送っていたときは
「自分が働かないと生きていけない」って思ってみんな
働いていたんだろうし。

生きるために嫌なことも大変なことも我慢して、わずかな楽しみを糧に
多くの人は生きていたんだろうと思う。

自分の労働(努力)と生命の維持というのが、とても密接にしかも
わかりやすく提示されていた。

でも、今はどうかな。

社会がシステム化されて、生活の営みも細分化されて、誰かに仕事を依頼する代わりにお金を払うという機能が入り込んできた。

魚や肉を捌かなくてもよくなったし。
嫌なこと、できないことは誰かに頼んでやってもらう。

食べ物は農、畜産、水産業に従事する人にやってもらい
教育は学校および塾
子育ても保育園や幼稚園がやってくれるし
料理すら代行してくれるし
娯楽も娯楽施設にいって楽しむ

提示されたもの、購入できるものやサービスをお金で買って生活する。

それが簡単だから。

自分で関わる部分が生活の中からどんどん少なくなっている。

そして生活の中でお金が占める部分がより多くなっている。

ま、それが現代社会なんだろうけれど。

欲望が肥大化し、お金がそれに応えるという価値観に縛られている世界。

そんな中で生きる多くの人にとって、生きる手ごたえというか、生きているという実感自体、どんどん希薄になっているんだろうと思う。

そもそも人間は怠け者だし、楽になるために、社会や技術は発展してきたんだろうから。

こんな中で「タフに生きる」ってとても難しいものなのかもしれない。

遥か昔に戻れっていったって、無理だし。

その当時の人はそれこそ必死に生きていたんだと思う。
それが今よりもいいとは決して言えない。

それこそ、楽しいことは何にもできなくなる。

余暇さえなくなる。

毎日、生き延びるために必死に働く。

それが大部分を占めるようになるだろう。

でも、くだらないことで悩む時間は確実に減るだろうな、とは思うけれどね。

ま、人生、いいとこどりばっかりしようなんて思うこと自体、欲張りになりすぎちゃったってことかな。

署名

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