さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

忘れっぽい性質は治るのか??

2010年08月18日 15時28分07秒 | Web log
ジョナサンは、とても忘れっぽい。

2週間前、未完成の工作を持ち帰ってきた。

いつものごとく、完成せずにお持ち帰りかぁと思って、そのまんま。

完成させなければいけないということを、彼は一言も私に告げない。

ただ、持ち帰ってきただけだと私は思っていたのだけれど。

今朝になって

mum, where is the robot I made ?

と、学校に向かう車の中で聞かれた。

それだって、会話の中で何の脈略もなければ、ロボットっていったって
母親の私だからこそ、ピンとくるようなものの、お持ち帰りの工作はロボットには程遠いし、他の人が相手なら「何言ってんの?」って感じになるに違いない。

で、明日まで完成しなくちゃいけない、と言う。

もう、どん底です。

明日まで、できんの????

どうして2週間放置して、今日の今日まで言わないのか?

父親であるマイクが海外出張のため空港に向かう一時間前になって「パスポートが見当たらない」と大騒ぎするのと、ダブって仕方がない。

あぁ、ジョナサンを躾けたところで、果たして実を結ぶのか????

30数年後のサンプルと思われる人が目の前にいるだけに、希望が持てない
私なのです。

でも、やっぱり取り組まないといけないよね。

忘れっぽいのを直す方法を知っている人がいたら、教えてください。

必死です。







終戦記念日に思う

2010年08月17日 08時19分18秒 | Web log
8月15日は終戦記念日。

戦争体験者ではありませんが、戦争について時々考える。

特に「もう、やってらんね~」と思うとき。

海外を夢見て日本を脱出なんていう人もいるかと思いますけれど
どこにいたって現実は甘くなかったりするのであります。

多少英語のできた私も、5年前にこちらに来たときは
「?????」ってことがありました。

何がいちばんつらかったかというと

何もわからないという状態。

ま、そういうのは調べればすぐ解決しますが

知っている人がいないってのつらかったな。

ちょっと話して、すっと通じるってのはやっぱり古くからの知り合いだからこそ成り立つものだしね。

でも、なんとか頑張って5年が経ち

それでも色々あるわけです。

そういうときは、最悪の状態を経た人々のことを考える。

よく考えるのはアウシュビッツ収容所に収容されたユダヤ人の人々。

いつか殺されるという恐怖におびえながら、どうやって正気を保っていったのか。

今の状態で、自分が正気を保てないほど辛い立場にあるわけではないけれど、それでも辛いときってあるじゃぁないですか、誰でもね。

喜んで兵役についたわけでもなく、国の命令で戦争にかりだされ、戦いの前線についた人たちとか。

どうやって極限の中を生き抜いたのか。

生き残るヒントはどうも、以下にあるようです。

第二次大戦の勝利者である連合軍は、あの過酷なアウシュヴィッツの環境で最後まで生を維持させた人間の特性に興味を抱き調査団を組織した。その報告が正確であるならば、生命の維持力と身体的な強靭さの間には何の関係も見出せなかった。

そして生命を最後まで維持させた人々の特性は次の3種類に分類された。

第1の分類には、過酷な環境にあっても「愛」を実践した人々が属した。

アウシュヴィッツの全員が飢えに苦しんでいる環境で、自分の乏しい食料を病人のために与えることを躊躇しないような人類愛に生きた人々が最後まで生存した。

第2の分類には、絶望的な環境にあっても「美」を意識できた人々が属した。

鉄格子の窓から見る若葉の芽生えや、軒を伝わる雨だれや、落葉の動きなどを美しいと感じる心を残していた人々が最後まで生存した。

第3の分類には「夢」を捨てない人々が属した。

戦争が終結したならばベルリンの目抜き通りにベーカリーを再開してドイツで一番に旨いパンを売ってやろう、この収容所を出られたならばカーネギーホールの舞台でショパンを演奏して観客の拍手を浴びたい、などの夢を抱くことができた人々が最後まで生存した。

「思いやり」
「美」
「夢」

だそうです。

これらは全て「自発的」なものであることがキーのようですね。

相手や環境は関係ない。

思いやりは、相手があって成り立ちますが、でも、相手から何かを得ようという魂胆があっての思いやりではないということです。というのは、アウシュビッツの中で、食べ物を分け与える相手は心以外、何ももっていないから。

日常で繰り広げられる「思いやり」ってちょっと違うというか、多かれ少なかれ相手からの何かを期待していたりするもんですよね。

これをあげたら、相手が自分を好きになってくれるかもしれないとか。
友達として認めてくれるかもしれないとか。
次に優しくしてくれるかもしれないとか。
次に助けてくれるかもしれないとか。

ね。

ま、それは当たり前のことなので、別にそれはそれでいいと思うんだけれど。

そう思っていると、相手が自分の意図と反することをしてきたときに
もう友達じゃないとか、信じられないとか、自分勝手な妄想で相手を非難したりしはじめちゃったりしますからね。

なぁんて、戦争で多くの人がどんな思いで命を落としたことを考えれば、彼らの生きた軌跡を自分の生活の生きるヒントにしようなんて、それもまた姑息なのかな。

あれこれ小さなことに不満を並べないで、今、こうして平和の中に生きているってだけで、やがて不満に思っていることが好転するチャンスが少なからずあると考えるだけで希望が持てるんだと思うと、自分のことはともかく、世界のどこかで繰り広げられている戦争が一日でも早く終わるようにと願わずにはいられません。

気になる偉人 井上成美

2010年08月16日 10時52分21秒 | Web log
調べ物をしているとインターネットというのはとてもすばらしいなぁと本当に関心してしまいます。

ふとしたきっかけで、最後の海軍大将『井上成美』という偉人に興味をもちまして。

オーストラリアにいて、日本の偉人を調べられるのですから。

簡単なところでWikiを見てみると
最後まで三国同盟に反対で、日米開戦に最後まで反対したという。
海軍として日米開戦反対の旨は昭和天皇の元に上奏したが、親独派の働きもあって、聞き入れられず会戦へと突入。

彼は海軍兵学校の校長の任に着くが、敗戦を予感していた彼は、卒業生の今後のために普通学(数学、語学等)を軍事学より重視し、その一環として当時陸軍等に「敵性語」とされた英語教育廃止論を断固として退けた。

後のインタビューに、井上はこう答えている。

「あと2年もすれば日本がこの戦争に負けるのは決まり切っている。だけど公にそんなことを言うわけにはいきません。そんな顔をすることすら出来ない。名分の立たぬ勝ち目のない戦だと内心思っていても、勅が下れば軍人は戦うのです。新しく兵学校を巣立って行く候補生にだって、私の立場ではしっかりやって来いとしか言えない。軍籍にある者の辛いとこですよ。それならしかし、負けた後はどうするのか。とにかくこの少年達の将来を考えてやらねばいかん。皆で滅茶苦茶にしてしまった日本の国を復興させるのは彼らなんだ。その際必要な最小限の基礎教養だけは与えておいてやるのが、せめてもの我々の責務だ。そう思ったから、下の突き上げも上層部からの非難も無視して敢えてああいうことをやりました」

先を見越して、どんな圧力にも屈することなく、敢えて自分の信じる道に立つって、すごい。

そして、米内光政が海軍大臣に復帰すると井上が海軍次官として校長職から、中央に復帰。

海軍省教育局長の高木惣吉海軍少将に終戦工作の研究を指示、米内を援け早期和平に向けて尽力する。

1945年5月に大将に昇進したが、井上はこの人事には不満だった。

そして同年8月、敗戦を迎える。

戦後は公の場には出ず、英語を教えたりなどしていた。生活は困窮を極めるものだったらしい、しかし自分の財産を鎌倉に持参して売っては、英語を習いにくる子供たちに「おやつ」を振舞っていたという。

敗戦後は、隠居生活を送り、昭和天皇の使いが彼を訪れるが、面会に応じなかったという。

いやぁ、超人です。気高いです。

どうも、彼は第一次世界大戦後に数年欧州で生活をし、イギリスのジェントルマン教育というものを目指していたようです。

ジェントルマン教育とは何かというと
イギリスの一流大学における紳士教育のやり方だそうで、第一次世界大戦の折、イギリスの上流階級の人々が本当に勇敢に戦ったことを受けて、日ごろ国から優遇され、特権を受けているのだから、エリート教育を受けた大半の人達が活躍したと。『ジェントルマンなら、戦場に行っても兵隊の上に立って戦える』ということです。ジェントルマンが持っているデューティーとかレスポンシビリティ、つまり義務感や責任感…戦いにおいて重要なのはこれです。

と言っています。

騎士道のようなものでしょうか?

フランス語でいう「ノブレス・オブリージュ」=高貴なる義務

井上の持つ武士道と騎士道が相まって、彼の哲学を生み出していったような気がします。

わたしは「権力に負けず、自分の信念に人生を賭ける」的な話に滅法弱いので、感動しちゃいます。

ぜひ、彼の本を読んでみたいなぁと思っています。

遥か昔は・・・

2010年08月13日 11時19分01秒 | Web log
遥か昔は、生きることってとても単純だったんだと思う。

狩猟や農耕によって自給自足の生活を送っていたときは
「自分が働かないと生きていけない」って思ってみんな
働いていたんだろうし。

生きるために嫌なことも大変なことも我慢して、わずかな楽しみを糧に
多くの人は生きていたんだろうと思う。

自分の労働(努力)と生命の維持というのが、とても密接にしかも
わかりやすく提示されていた。

でも、今はどうかな。

社会がシステム化されて、生活の営みも細分化されて、誰かに仕事を依頼する代わりにお金を払うという機能が入り込んできた。

魚や肉を捌かなくてもよくなったし。
嫌なこと、できないことは誰かに頼んでやってもらう。

食べ物は農、畜産、水産業に従事する人にやってもらい
教育は学校および塾
子育ても保育園や幼稚園がやってくれるし
料理すら代行してくれるし
娯楽も娯楽施設にいって楽しむ

提示されたもの、購入できるものやサービスをお金で買って生活する。

それが簡単だから。

自分で関わる部分が生活の中からどんどん少なくなっている。

そして生活の中でお金が占める部分がより多くなっている。

ま、それが現代社会なんだろうけれど。

欲望が肥大化し、お金がそれに応えるという価値観に縛られている世界。

そんな中で生きる多くの人にとって、生きる手ごたえというか、生きているという実感自体、どんどん希薄になっているんだろうと思う。

そもそも人間は怠け者だし、楽になるために、社会や技術は発展してきたんだろうから。

こんな中で「タフに生きる」ってとても難しいものなのかもしれない。

遥か昔に戻れっていったって、無理だし。

その当時の人はそれこそ必死に生きていたんだと思う。
それが今よりもいいとは決して言えない。

それこそ、楽しいことは何にもできなくなる。

余暇さえなくなる。

毎日、生き延びるために必死に働く。

それが大部分を占めるようになるだろう。

でも、くだらないことで悩む時間は確実に減るだろうな、とは思うけれどね。

ま、人生、いいとこどりばっかりしようなんて思うこと自体、欲張りになりすぎちゃったってことかな。

男の子らしさ?

2010年08月11日 00時38分42秒 | Web log
昨日、マイクと子供たちがベットの上でじゃれながら、レスリングのようなことをしていました。

3人ともケラケラ笑いながら楽しんでいるようす。

わたしは置いてけぼり。

っていうか、一応女である私とって、レスリングをやりたがる気持ちってよくわからない。

ジョナサンの友達が遊びにくると、半分くらいの子がレスリングをしたがり、ジョナサンに技をしかける。

ジョナサンは積極的にするほうではないけれど、適当に応じている。

わたしは「そういう遊びは止めなさい」と即反応してしまうけれど、それは女だからであって、マイクはきっとやらせたいようにさせとけ、と言うんだろうなぁと思う。

女性の基準で考える良し悪しは、男性のそれとちょっと違うと思う。

母親が中心で子供とかかわる場合(特に男の子)には、男の子が必要とするものが何かを考えた上で関わっていかなければならないような気がしてならない。

母親が子育ての主権を握った場合に、男の子らしさ(男性らしさ)というものをどれだけ容認できるのか?

親の権力に任せて、女性の基準を押し付け、男の子らしさを抑圧させちゃうのではないだろうか?と思ったりもする。

やっぱり父親と母親がバランスよく子供に関わるって必要だと思う。

フランスの思想家でサルトルの伴侶だったボーボワールは「女は女に生まれるのではない、女になるのだ」といってフェミニズム運動に大きな影響を与えましたが、いくら偉い思想家が言ったとしても、それはちがうんじゃ??と思います。

女は女に生まれるのだと思いますよ。

で、男は男に生まれる。

男性的な女性、女性的な男性など、個人差はあるとは思いますけれど、
性差による傾向の違いってあると思いますね。

超えられない違いのような。

違いは違いでいいと思うし、そこに優劣があるわけでもない。

違うってだけ。

違うからいいって場合もあるし。

男の子の男のらしさ、そしてわたし、マイク、ジョナサン、ベンジャミンのらしさを最大限大事にしてあげたいと思うのでありますが、マイクに「君は考えすぎ」と軽くあしらわれてしまう私なのであります。

字幕と吹き替え

2010年08月09日 14時43分41秒 | Web log
土曜日に『崖の上のポニョ』を見ました。

宮崎駿の作品は子供も大人も一緒に見れるし、私は好きです。

で、最初は英語で見ました。

英国俳優の『リアム・ニーソン』がポニョのお父さん役をしていましたね。

ポニョのお母さん役は『ケイト・ブランシェット』でした。

なかなか豪華な配役ではないですか!

で、英語版を見たときにサブタイトルもONにして観たのですが、かなり違う。
サブタイトルのほうがかなり簡略化されておりました。

で、2回目は日本語選択で英語のサブタイトルをONにしたのですが、英語のサブタイトルは日本語の台詞を元に訳していることがわかりました。

英語の吹き替えのほうが詳細度が高いのです。

非常に面白いなぁと思いましたです。

日本語と英語の言語の性質の違いをとてもよく表しているなぁと思いました。

以前会社勤めをしていたときに、翻訳の仕事をしていたのですが、日本語ならなんとなく通じることも、英語に訳すると言いたいことが決定的にぼやけてしまうという現象を何度も経験しました。

日本語の『直訳』では相手に通じないだろうと思わされることが多々ありました。のでしつこくエンジニアに何をいいたいのかを詳細に問う作業をよくしました。

日本語というのは明確性とか論理性に欠ける言語なんじゃないかと思います。

(どっちがいいとか、悪いとかを指摘しているわけではありませんので、あしからず)

ポニョの映画を日本語で見たときの漠然とした違和感(言っていることはわかるんだけれど、なんだか物足りない)を感じている自分がいるのを感じたときに、オーストラリアに来て、毎日ほとんど英語で生活しているわけですが、どの言語を使うかで、脳の思考形態も変わってくるんじゃなかろうかということをふと思いました。

だから言語を習得するということは、単に日本語の文章にふさわしい英単語を当てはめ、そして英文法に沿って構築しなおすという機械的な作業だけでは処理しきれない部分があるということを第一に心得ておかないといけないのではないかと思うのであります。

これは、日本語の文章を翻訳ソフトで翻訳したときにハチャメチャ英語が出来上がるというのと同じことなんだと思います。

空手・空手・空手

2010年08月08日 11時18分42秒 | Web log
昨日は空手の日。

数えてみたら、始めて10ヶ月。

先日も2回ほど喉が痛いなぁと思っていたら、いつしか治り、ひどくなることなく治ってしまった。

体力ついてきたのかなぁ。

年は感じるけれど、自分のペースでなんとか頑張っている。

練習が始まる前はいつも緊張してしまうのだが、緊張の度合いは低くなっていることは確か。

始まってしまえば、あとは1時間半(最近、なぜか土曜日の練習は1時間半に伸びました)夢中でやっている。

パートナーを組んでやる練習は、相手に迷惑をかけそうで、緊張するのだけれど、許しを請うしかありませんな。

っていうか、不運と思ってあきらめてください。一時間半だけですから。

ってな感じで、流すしかない。

最近はジョナサンとスパーリング(日本語では組手っていうのでしょうか?)ができるようになった。

ジョナサンが ”MUM, Lets duel !”

と誘ってくれるようになった。

そうしてじゃれあうのも、楽しいひと時。

わたしが空手ですから、初めはストレス度かなり高かったです。

でも、今は気にならない程度にまで慣れてきた。

意外だなぁと思って自分でもちょっとびっくりだ。

慣れって大事ですね。

いつか笑い声を

2010年08月07日 20時53分51秒 | Web log
今日は毎週恒例のサッカー。

午前中、マイクがジョナサンとナイジェル(近所に住むジンバブエ人の男の子)を連れて試合に行きました。

帰ってきてからマイクが「ナイジェルが家に遊びに来たいって言ってたんだけれど、ジョナサンは空手もあるし、借りてきたゲームも思いっきりしたいだろうし、帰ってから電話するって言ったんだ」という。

わたしはどちらでも良かったのだけれど、子供たちはゲームをしたいだろうし、空手の前に遊んだとしてもあまり時間はないから、明日とかどうかな?なんて話したのだけれどこれといった結論も出さぬまま、マイクは買い物に、ジョナサンとベンジャミンと私は『崖の上のポニョ』を見始めてしまった。

しばらくすると、ドアをノックする音が聞こえ出てみると

ナイジェルがそこにいた。

どうしても来たかったんだねぇ。

と思って、短い時間だったけれどジョナサンと遊ばせた後、「私たち空手に行くけれども空手に来たい?」と聞くと、YES!と言うので、お父さんに断ってそのまま空手に連れて行った。

空手ってなんだか知ってる?
空手見たことある?
KARATE KIDS の映画見た?

と聞くと、「お父さんがだめだって言った」という。
お父さんが『武道は暴力的だ』とでも思っているのかも?と思って
「どうして?」と聞くと

「お金・・・」と答えた。

お母さんは病院で夜勤専門で働く看護婦。夜通し働いている。お父さんは朝の6時から夕方の6時まで派遣社員のような立場で働いている。夜は時々子供たちを家に置いて飲みに出かけるという話もきいた。

お父さんと話したことのあるマイクが「ナイジェルのお父さんアル中かもしれない」と言ったことがある。

真偽は定かではないけれど。

去年は、お父さんの仕事がなかなか見つからず、精神的にもかなり大変だったらしい。詳細は話さないけれど、ナイジェルのお母さんは「本当に本当に大変だった」という。

で、出会ったときから、子供たちが笑わないのがとても気になっていた。

家庭環境、家族構成、オーストラリアに来た理由などなど、プライベートな事情は全くわからなかったのだけれど、

子供たちが決して笑わず、おびえたような目、不安そうな顔をしているのがとても気になった。

これ以上は想像の域をでないけれど、両親も子供たちも色々苦労しているに違いない。

色々あるんだろう。

ナイジェルが電話を待てずにやってきたのが、なんとも愛おしく思えた。

いつか彼がゲラゲラ笑う姿を見てみたいと、思う私でありました。














10年後

2010年08月06日 15時15分45秒 | Web log
昨日はマイクとわたしの結婚記念日でした。

花とケーキとワインを買って
ちょっと豪華な料理を作って
ささやかなお祝い。

パソコンに保存していた結婚式の写真を見ながら
あっという間にすぎた10年を振り返ってみました。

写真の中には

結婚した人
離婚した人
子供ができた人
病気になってしまった人
音信不通の人
退職した人
亡くなってしまった人
配偶者を失ってしまった人

などなど、それぞれのストーリーがあって、
人生っていろいろあるよねぇと思ってしまいました。

わたしたちは、想像すらしていなかった
オーストラリアでの生活
義理の両親がなくなり
子供が二人家族に仲間入りし
いろんな苦労もあり
山あり谷ありの10年間でした。

が、いまここに家族4人、時に愚痴をこぼしながらもそこそこ幸せに生活していることを心から感謝しました。

地域性?それとも個人の問題?

2010年08月04日 09時40分38秒 | Web log
ジョナサンの友達のお母さん2人に、立て続けに個人的な話を打ち明けられた。しかも二人とも白人。

一部の白人の人には人間扱いされていないというか、
挨拶すらしてくれない人もいるし
挨拶しても、それ以上の存在を認めてくれていないとか、
目も合わせてくれないとか、話をしても全く上の空で聞いている態度とか
無視とか

かなり露骨です。

で、ほとんどの白人からは拒絶されているんだと、思っていた。

最初は、かなり頭にきたし、頭にきたあとは、落ち込んだりもした。
で、最近は、相手が私をどう思うかについては、完全に相手次第だし、相手の考えを変えることはできないので、ま、仕方がないくらいに思っていた。

私を受け入れてくれる人が一人でもいればいい。

と割り切っていたところだった。

で、二人のうちの一人、イギリスから家族と一緒に移民としてやってきて、30年以上ここに住んでいるのだけれど

「知っている人は沢山いても、友達がいない。付き合いは表面的で、それ以上にならない。母がいても、兄弟姉妹、姪っ子、甥っ子がいても、孤独であることに変わりはない。」

ブロンドの髪に白い肌。

この国になじみやすいことといえば、表面的にはわたしをはるかに上回っている。

わたしの6倍も長くここに住んでいるのに、孤独。友達がいない。

家族というのは複雑なものだ。

いちばん近く、時にいちばん遠い。

家族に面と向かっていえないことも、友達になら言えるということもある。

でも、親しい友達がいないと彼女は言う。

もう1人の人(彼女もイギリス系の白人)は、こちらがどんなに心を開いて仲良くしようと努力してもほとんど実を結ばないということだった。古くからの友人以外、新しい友達はできにくい。そして学校で繰り広げられる母親同士の表面的な言葉のやりとりに嫌気がさして、時々学校に子供を迎えに来るのさえ苦痛になるという話。

ここで育った彼女ですらそうなら、新参者のアジア人である私が受け入れられないのは当然なんだろうと思った。

白人、アジア人に限らず、少なくとも、その二人と私は似通った経験をしているということがわかって、ほっとしたような、ぞっとしたような、何なんだ?という気持ちになった。

もう1人、シドニー出身のオーストラリア人の友人(この人も白人)も全く同じことを言っていた。

ま、人との距離の置き方とか、付き合い方とかって人それぞれなので、こうやって人種を超えて分かち合えたというのは、きっとどこかで互いが似ているからなんだろう。

こうなると、結局、人種とか肌の色なんて関係ないんだなぁと思う。

どういう付き合い方で満足するかは、パーソナルな問題なんだろうけれど。

ってことで、今週は3人に同じようなことを言われて、この町の一部の人々に見られる閉鎖性にぞっとしたと同時に、少なくとも似たような感覚を持っている人が周りにいるということがわかったことで、わたしはちょっと安心したのでした。

署名

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