バネの風

千葉県野田市の「学習教室BANETバネ」の授業内容や、川上犬、ギャラリー輝の事、おもしろい日常を綴ります。

東側に浅間山見えるかな?

2020-12-07 14:31:23 | ギャラリー輝
今日はギャラリー輝、棟上げでした。
本来なら前日に帰省し、棟上げを祝い、大工さん達に振る舞いする日でしたが、「勝負の3週間」に勝負をかけ、帰省を自粛しました。

現地から営業さんが逐次画像を送って下さいます。
朝からずーっとそわそわしています。

図面で確認して、東側隣家とすっぽり重なるので、東側の眺望は無理とはわかっていたけど、それでももしかしたら2階の窓の一つだけでも浅間山に向かって隣家すき間を抜けるかも?と期待していましたが。
棟上げ写真から判断すると、やはり東側はすっぽり隣家と重なりますね。

でも、新しい発見!

前面道路からギャラリー入り口までのアプローチ部分から、障害物なくまっすぐ浅間に視界が繋がるように見えますね。

見えなきゃ見えないで、それはそれで良いとはいうものの、もしかしたら前庭から見える?という希望を発見。
年末帰省の折、自分の目で時確かめよう。
がぜん、アプローチ計画に熱が入る

 

浅間山を描く

2020-12-06 14:20:31 | ギャラリー輝
1980年代にフランス一人旅した時のこと。
パリ美術館巡り三昧の日。
ロンドンですっかりロンドン子になった気分の夏目漱石しかり、パリジャン気分ですいすい歩いていると、突然呼び止められたかのように飛び込んできた声があった。
それは日本語だった。

フランス語しか聞こえてこない中で、脳みその別の回路に直接コンタクトしてくる言葉に引き寄せられるように近づくと、それはクロード・モネの「ルーアン大聖堂」について同行の日本人に解説しているフランキー堺さんの声だった。
今となってはどこの美術館だったか正確に思い出せない。ジュ・ド・ポームかオランジュリではないかと思う。当時オルセー美術館は建築中だったので。

階段を上った最初の部屋の壁面に並んでいた絵画を説明していた。
フランキーさん曰く、同じ場所を時間を変えて描いたのだという。曇天、日没、昼下がりと。ふむふむと勝手に一緒に聞き入り、それらをじっくり観賞させていただいた。

その話を聞きながら中学生の時のことを思い出していた。
中1の夏休み自由研究として、舞田の丘から独鈷山を望む田園風景を時間を変えて何枚か描いた。独鈷山は午前中までは光を背負うから色が見えない。午後になると独鈷山は光輝く。光を背負う独鈷山は黒にしかならなかった。だからそこを空にした。美術の先生に山を描かなかった理由を聞かれ、描かなかったことを酷評された。今思うと見えないことを表現すべきだったのだな、とわかる。
モネは時間や気候で変化する空気感を表現していた。
暗さも表現していた。

同じ対象を何枚も描く。何度も描く。
池田輝は好んで浅間山を描いている。
倉庫に保管している小作品で浅間山とタイトルがつくものだけで60点ほどあった。
これらを2階小ギャラリーにまとめて展示したい。
その時は1階にF120 の描きかけ浅間山を展示したい。


NO.524 F0号


NO.615 F0号


No.623 F0号


No.826 F8号

この描きかけ浅間を以前ギャラリーに展示した際、画学生が何度も訪れしばらく鑑賞していった。
制作の参考になるとのことだった。


No.10 F120

父は家の前の道路に出て東側を眺め浅間に雲がかかっていないと、「今日は描ける」と家を飛び出していったものだ。
新しく建てるギャラリー2階東側に回廊かベランダを造り、浅間山が望めるようにしたかった。何度も希望の図面を書いたが、予算に見合わずそれは実現しない。
浅間山を望むギャラリーが実現しない口惜しさはあるが、外に出ればいつだって浅間を見ることはできる。少し歩けば東に広がる風景を眺めることができる。

びっしっと決まった絵

2020-11-27 18:14:05 | ギャラリー輝
 油絵手習い始めた時、最初に手にしたのはF8キャンパスでした。これが初心者が取り組みやすいサイズとのこと。
 確かに風景にしても、人物にしても構図を決めやすく、そこそこに描き込め、筆をザーっと動かすこともできるサイズですね。

 何枚か描くうちに、油絵というのは描きすぎないことがポイントであることが自分なりにわかりました。ここは枝、これは草と説明するのではなく、色や形の塊を捉え、見たまま感じたままを描けば良いのだと。

 池田輝作品記録とりは、建物取り壊しのタイムリミットもあることから、後半は追い込み作業でした。
 床一面に作品を並べバシャバシャ写真を撮り、キャンパスに通し番号振り、ノートに記録する。太陽光で写真を撮りたいので、作業できるのは夕刻まで。
 そんな流れ作業の際、「ん? これはどっちが上だ?」とか、「これは何を描いたのか?」、「描きかけ?」と思われる作品がいくつか出現しました。その際はゆっくり吟味する時間はとれないので、判別つかないままとにかく記録だけ残したのです。
 さて後日改めて写真を整理していると、「ん?」となった絵が、写真で見るとはっきりと対象が見えるのです。ただ色がザワザワ動いているだけに見えたものが海面だったり、緑の塊が森だったりと、風景がはっきりと浮かび上がってきました。
 その中の一つがこの作品。
 川岸と森。
 写真撮るときに、これは描きかけ?と脇に寄せそうになった作品です。
 こんな風景あるよね。

 
   No.828 西軽井沢運河 F8

 もう一つ、何でもない作品と思って通り過ぎそうになったもの。
 片付け中に勤務していた中学校の教職員文集を発見しました。そこには正月に仲間と三浦半島スケッチ旅行に行った紀行文が寄せられていました。
 構図決め、描き上げのくだりを抜粋します。

「小生も漁舟をと思ったが、堰堤と防波堤が広い海に太い線状で突き出すように組み合う形に興味を覚え、防波堤に決める。色づけの前に、構図の決め出しにかかるが、横の広がりりが強く、縦に伸びるものがなくて閉口した。防波堤と堰堤の角度を交差させてみたら、広がりと奥行き感が調度を成し構図が決まった。
 海の色は刻々と変わり定まらない。手前の前景、それに中ほどの中景、沖合の遠景が帯状にちがいを成す。午前中冷たく固い濃緑であった海面も午後になると白っぽくなる。太陽が西に傾く三時過ぎ、海面も防波堤も全てが赤のベールにつつまれる。
 堰堤の突端で四十歳過ぎの夫婦が朝から釣り糸を垂らしていた。釣れている様子はない。元日にキャンパスを砂地の上に立て、黙々と海に向かって描いている自分と、釣りの夫婦の光景が対話となって画中に釣りする点景人物が加わって、夕日を浴びた広漠の海景がびしっと決まって筆を止めた。」

 この絵見た。写真撮った記録がある。
 カメラをスクロールし探し出した。
 びっしっと決まった、筆を止めた作品を見つけることができて良かった。


   No.653 三浦半島カモイ港 F6

感じるままに描くだけではない。
深い。
こういうことも含め、自分なりの解釈を新しいギャラリーに展示するつもりだけど、よくわからないことはわからないまま、ありのままを展示します。
あとは見に来た人に、お任せします。

絵保管倉庫の話

2020-11-17 14:50:30 | ギャラリー輝
ギャラリー新築するにあたり、当初最も悩んだのは作品を保管する倉庫のこと。
とにかく作品を出し入れしやすい倉庫にしたい。できればきちんと整理し、全作品ナンバリングして管理したい。
こういった使い勝手の良い倉庫、どれだけのスペースが必要なんだか。もちろん油絵保管するのだから、温度や湿度管理もそれなりに求められる。
ギャラリー作りより先に、この絵の保管に全財産かけることになりそうだ、などとうじうじしていても始まらない。

工務店を営む知人に相談すると、
「プレハブ物置いくつか買えばいいんじゃね?」
「物置いくつか建ててジャンル別にしまえば管理しやすいよね」
「費用抑えられるよ」
などと皆さんプレハブを推奨される。
女流画家さんの作品倉庫内装を依頼されたという人からは、「プレハブで大丈夫だよ!」と強気で勧められた。
しかし、うーん。
プレハブって暑いよね。
油絵の管理、本当に大丈夫なのだろうか?

私設美術館開いている人に作品保管方法尋ねると、
「まずは絵をどう見せるかが先じゃないですか?」さらに、
「自分は美術館作っている時が一番楽しかったですよ」と遠い目をされた。そして
「こうしたいという思いを強く持っていれば、何とかなるものですよ」
はーっとため息しかでませんでした。

アドバイスを参考にしながらも、自分とは次元が異なるという無力感。
資金が無尽蔵にあるわけではなし、倉庫作ってゲームオーバーにもなりそうだし。
託された作品をいっそのこと放り出してしまいたいと思ったことも度々でした。
心身共に負担の大きさに、負の遺産などと言い友人から叱咤されたりもしました。

どうする?とうんうんうなり、あっちこっち調べ探し周りしているうちに、2019年10月の台風被害に遭いました。

激しい雨がアトリエの壁にたたきつけ、なんと絵を立てかけている箇所の天井から雨漏りしたのです。
そこには倉庫に入らない大作ばかり40枚ほどがダーッと立て重ねられ、しかも一番奥は最大サイズの200号2点。
その大きさがゆえに気楽に展示できず、大きな展覧会でしか日の目を浴びることがない、「曲馬」と「馬上の人」。いずれも池田輝渾身の作。


「馬上の人」 F200


「曲馬」 F200(変形)


台風の被害で不通となっていた長野自動車道開通を待って駆けつけ、絵を一枚ずつレスキューし、雨に濡れた額縁に扇風機を当てて乾燥させ、なんとか全作品無事であったことが確認できたのでした。

雨でだめになったらこれも運命だと思い潔く諦めよう、などと運は楽な選択はさせてくれませんでした。
「ほれ、何でもねえから、早く飾れや」と肩越しに父の声が聞こえた気がしました。

地元の工務店担当者は気長に、根気強くプラン作りにつきあって下さり、このほどギャラリーより先に敷地内に8坪の倉庫を先に建築しています。
作品全部入るかな?という一抹の不安がありますが、整理整頓、計画収納すれば計算上はギリギリ収まるはず。
木造のしっかりした建物です。
絵の整理や清掃をその場で気持ちよくやりたいから、無垢床にしてもらいました。

その床にぺたんと座り、ナンバリングした絵を並べ直したり、額入れ作業している自分が見えます。一つ残念なのは絵には大敵だからと、自然光が入らないことです。

作っているときが一番楽しかった、ではなく、できた後がとても楽しみ!です。

ギャラリー輝、リニューアルオープンに向けて

2020-11-15 15:25:00 | ギャラリー輝
別所温泉で開いているギャラリー輝、現在リニューアル準備中です。
今年の8月に建物取り壊しました。ここに新築します。
先般Go toで別所温泉を訪ねた知人から、「どうしたの!建物無くなっていたよ!」と連絡ありました。
さらに、「建築中とは聞いております。新規オープン楽しみにしています」と尋ねてこられた方もありました。

4月末完成。ゴールデンウィーク新規オープン目指しています。

雑貨屋を営んでいた店舗併用住宅の店舗部分をリフォームしギャラリー輝として、池田輝の絵を展示し始めたのは16年ほど前。
もうこれ以上絵を描けないと観念したかの病床の父から突然言われたのは、(自分が亡くなったら)「俺の絵は焚きつけにするだか?」でした。
その無念と諦観の父の思いが、ギャラリー輝を開き、池田輝の画集を作り、回顧展を開く原動力となりました。

父の言葉に押されるように簡易改装工事で開いたギャラリーは、足りない点が多々ありました。
自分が油絵未経験だったこともあり、絵の展示ギャラリーとして不十分でした。
日が当たる、明るすぎる。
外の車の騒音問題。
木製ドア、窓のきしみ。
そして絵の倉庫から出し入れが不便ゆえ、頻繁に絵を展示替えできない。
何より、出来上がってからわかった最大の問題点は、代表作で自分が最も好きな「馬上の人」F200号(縦サイズ)が、天井が低くて展示できないこと。

そして作ったものの自分の生活が忙しく母に任せっきりにしたこともあり、開店休業状態となり、リフォームから16年が過ぎました。

今度こそ生活の拠点を別所温泉に半分移し、本気でギャラリー輝を運営する。
そんな夢を描きました。

「どうしてすぐに行動できるのですか?」と褒めていただく(多分)ことがあるが、実は我が弱点はここです。
思い立ったら即行動してしまう。
熟考よりまず行動。せっかちですぐに結果を求めるタイプ。
だから、サクッとギャラリー新規オープンしたいところでしたが、今回は実に慎重にことを進めました。
推敲に推敲を重ね。あーでもない、こーでもないと悩み。

結局どうすべきなのか、ぼんやりする何かが掴めないのはどうしてなのか、色々考え、珍しく考えに考え行きついた結論は。
それは、
池田輝の全体像を把握していない!でした。

開かずの間のような倉庫に詰め込まれている作品の全貌を知らない。
公募展に出展するような大作すら半数程度しか知らない。ましてや段ボールにぎっしり入っている小作品は全く知らない。

これらを一つずつ広げ、写真に収める作業から始めようと重い腰を上げたのは2018年8月。
それからコツコツ記録を撮り、ようやくキャンパスや板に描かれた作品全てを把握できたのは2020年7月。
実に2年かかりました。
こうして倉庫に残っていたのは大作70点、小作品700点あまり。
わかった全貌をどのように繋ぎ、どう展示するかはこれからの作業です。

一つ一つの作品に対峙するたびに、「ホー」とか「ウワー」と感嘆の連続でした。
自分も油絵をかじるようになりテクニックや構図の妙がわかるようになったことから、見えるものもそれなりに深くなりましたが、そんな理屈ではない、作家の情熱がグッと迫ってくるのでした。
めくる作品の数が増える度に、単なる夢ではなく、これらの作品を外に出そうという信念に変わっていきました。

父の知人が亡くなった後、その作品は遺族によって全て燃やされたということを知りました。
父があの時「俺の絵は焚きつけにするだか?」と言った唐突な一言は、父にとってはリアルな現実だったのです。
自分の作品が同じ運命を辿ることを忌みながらも、受け入れざるを得ないと観念していたのだと確信できます。

縁あって地元の工務店に新築を依頼しました。
今建築は工務店に託し、私は作品のストーリー構築に励んでおります。

2019年秋の台風で橋が落ちた別所線、2021年春には全線開通のようです。
その頃には「馬上の人」を展示する新ギャラリー輝がオープンし、コロナが吹き飛んでいますように。