水の門

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歌集『カインの祈り』

澤本佳歩歌集『カインの祈り』
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友・七首

2010年07月18日 18時46分30秒 | 投稿歌
先ほど、来月十日締め切り分の歌稿を投函。今回は「友」というテーマでまとめてみた。実は今日になって、過去の歌を見直しているうちに思いついたテーマだ。


百皿を超えるカレーを整えた手に感じ入り平らげる友

迷う友につられ涙と冗談を軽く届けんせせらぎのごと

教会に吾を目当てに来る友に「主(しゅ)が第一」と教え諭した

不調知りつつ愚痴止めぬ友まえに愛想笑いの頬が強ばる

責任を負えぬ他人に口を出す友と同罪うちに見つけた

人生に倦む友 道連れ欲してか楽な死にかた執拗に訊く

縁絶えた友の消息ウェブ上に見つけ密かにブックマークす


(2010年8月10日締め切り分、『樹海』2010年10月号掲載予定)


自分で気になっている点は二点ほど。まず一首目、友が百皿のカレーを平らげたように読まれてしまわないかどうか。(まぁ、そんなのありえないことは自明なんだけれど。苦笑)
もう一点は、時制の問題。三首目、「教え諭した」のより友が教会に来た方が先なのだから、「来た」としなければならなかったかのかどうか。しかし実際、友は今でも私目当てで来がちであるという持続性のあることで、こういう場合どう書くのがふさわしかったのか。同じように五首目、同罪を「見つけた」より、友が口を出したのが先なんだけれども、友が人にとやかく干渉するのは今でも続いている…といった具合。
文語だと、完了・存続の助動詞「ぬ」「つ」「たり」「り」を取り入れることで、上記の問題がクリアされるのだけれど、完了と過去が一緒くたの「た」で片付けられてしまう口語だと、これがなかなか難しい。
私は一月に、口語作歌宣言をしたけれど、先生が手直しされる時に私の意向を100%尊重してくれるわけでもなく(そんなに手をかけている余裕が無いということなんだろう)、口語と文語が微妙に混在した歌になって結社誌に掲載されることもしばしば。
まぁ、首をそろえて待つしかないか…。
コメント (2)
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