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一首鑑賞(3):谷川秋夫「身障度軽からば」

2014年07月09日 05時53分08秒 | 一首鑑賞
欠席者わが歌は遂につひにしも朗詠されざりき淋しかりにき
谷川秋夫『祈る』



 谷川秋夫氏は若くしてハンセン病にかかり、岡山県の療養施設「長島愛生園」に入園。後に特効薬プロミンのおかげで病気は完治したが、後遺症で失明してしまった。手足も不自由になり、皮膚感覚が残ったのは唇や舌など一部だけだという。
 そんな谷川氏に光が当たったのは、1993年1月のこと。宮中歌会始に詠進した歌が入選したのである。短歌を詠み始めて35年ほど経った頃のことだった。しかし障害の程度の重い谷川は、歌会始の儀への出席を断念せざるを得なかった。すると歌会始の前夜、宮内庁の侍従から「欠席者の歌は朗詠されません」という電話が入った。

  身障度軽からば吾も出席しわが歌朗詠さるるを聴かむに/谷川秋夫

 ハンセン病は、「重い皮膚病」という表記で聖書の中にもたびたび登場する。ルカによる福音書17章11節~19節に「重い皮膚病」を患った十人の人がイエスに遠くから「わたしたちを憐れんでください」と懇願するシーンがある。イエスは「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と答え、十人は道の途中で病気が癒された。この内の一人はイエスのもとに戻ってきて足元にひれ伏して感謝した。
 谷川氏は歌会始に行きたくても行けなかった。全盲・手足不自由の身、介護者なしには宮中に出向くことができない…それが正式な理由で、谷川氏自身の偽らざる本心でもあっただろう。けれど、私には「身障度軽からば…」の歌を読むと、イエス様に遠くからしか声をかけられなかった皮膚病の人達の「遠慮」の気持ちと谷川氏が自分をグッと押しとどめた内心が二重写しになって仕方ない。ハンセン病は伝染する病気と長いこと信じられ、それ故に隔離もされてきたのだ。

 その後、歌会始で谷川氏の歌が朗詠されなかった件に疑問を抱いた岡山市の主婦が、宮内庁へ抗議の手紙を出した。また、山陽女子高等学校放送部は、谷川氏やかの主婦にインタヴューしてドキュメンタリー番組を制作。このラジオ番組『この短歌(うた)が空に響くまで』がNHK杯全国高校放送コンテストで優勝するに及んでと程なく、宮内庁は欠席者の歌も朗詠することを正式に発表した。


*記事を書くにあたって、東京新聞サイトの【一首のものがたり:歌会始の「差別」が消えるまで】を参考にしました。
コメント (7)
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